サカガミを知る女 中編
この『ミラージュ』には色々な客がやってくる。
マスターであるサカガミの方針により客には貴賤を問うこともないため、明らかに貧しそうな人間も裕福そうな人間も、皆がウイスキーを楽しんで帰っていく。
だが今回現れた客は、その中でも極めつけであった。
「トウヤ様……トウヤ様ですよね!?」
マスターを見ながら身体を前にせり出しているのは、二十代半ばほどに見える金髪碧眼の女性だった。
身につけているのはキラキラとしたスパンコールで飾り付けられたドレス。耳元には宝石のあしらわれたピアスがついており、首には大ぶりの真珠が使われたネックレスがキラリと光る。
そして一目で一級品とわかるそれらに負けぬほどに、彼女の容姿は恐ろしい程に整っていた。
くりくりとした瞳に人形のような端正な顔立ち、そして抜群のプロポーション。
自分とは何もかもが違いすぎて、嫉妬すら浮かんでこないほどだ。
圧倒的な高貴なオーラを放っている彼女は、まるで物語の中から飛び出してきたお姫様そのものの容姿をしていた。
そしてそんなお姫様は、なぜか恋する乙女のような顔をしながらサカガミに迫っている。
さっきまでだらしない格好をしていたサカガミを見ていたせいで、自分がおかしくなってしまったのかと錯覚してしまいそうだ。
(トウヤって……マスターの名前?)
魔道具やらウイスキーやらで間違いなく秘密を抱えてるとは思っていたが、どうやらサカガミが抱えているものはアルスが想像していた以上に大きそうだ。
本当の身分を隠すため、偽名を使っていたということなのだろうか。
それにしてもトウヤって名前、どこかで聞いたことがあるような……。
「いや、人違いではないでしょうか?」
「私がトウヤ様の顔を見間違えるとでも?」
「さあ、それはわかりませんが……俺には少なくとも、あなたのような美人の知り合いはいませんね」
「そっ、そんな、美人だなんて……っ」
頬を赤く染めながら首を振っている彼女を見ていると、アルスはなぜか無性にイラッとした。
だがそれよりサカガミの過去の方が気になるので、黙って成り行きを見守ることにする。
「とにかく、俺はただのしがないショットバー『ミラージュ』のマスターのサカガミです。それ以上でも以下でもありませんよ」
「バーのマスター……ですか。なるほど、ここは酒場なのですね」
お姫様は首を回しながら、ぐるりと店内を見渡した。
一体なぜあんな綺麗な、いかにも身分とかが高そうなお姫様が、サカガミに対して様付けなのだろう。
ひょっとして自分が知らないだけで、マスターはものすごい人物なのかも……と、アルスは寝ぼけていたサカガミの頭を引っ叩いた昨日の記憶を思い出し、少し顔を青くさせる。
マスターは熟練を感じさせる手慣れた手つきで、スッと彼女の前に水を出した。
カウンターが濡れぬようコースターを敷き、いつものように笑みを浮かべながら尋ねる。
「ではお客さん、何に致しましょうか? うちはショットバー『ミラージュ』……ウイスキーの品揃えながら、どこにも負けませんよ」
「ウイスキー、ですか。私はあんまり飲んだことがないんですよね」
ワインならある程度は嗜んでいるのですが……と、ぐるりと再びウイスキーを見渡す。
特に視線がどこかで止まるようなこともなく、彼女はそのまま後ろの酒棚を見渡してから再びサカガミへと視線を戻す。
「どれも見たことがないものばかりです。さすがトウ……マスターといったところでしょうか」
「ええ、俺のセカンドライフは、このウイスキーに捧げようと思っていましたんで」
「そうですか、マスターはそれほどまでに……やりたいことがあったのですね」
「ええ、ここにある酒は全て、俺の故郷にあったものを独自のルートで再現した逸品になります。飲んで後悔はさせませんよ」
お姫様は居住まいを正し、ぴしりと背筋を伸ばす。
彼女はわずかにできていたドレスのシワを伸ばしながら、キリッと毅然とした態度でサカガミに向き直った。
「それでは改めてまして……初めましてマスター、私はプルリエラ・フォン・ゼパード。ゼパード王家の七女」
「――っ!?」
アルスはリアクションをしそうになったところを、すんでのところで押さえるので精一杯だった。
今彼女はなんと言った。間違いなく王女と言ったはずだ。
サカガミがこの国の王女と仲が良い……謎が一つ解けたはずなのに、また新たな謎が生まれてきてしまった。
「今日はお忍びですから無礼講……といきたいところではありますが、これでも私は王室の末席を汚す身。無様なものを出しはしないでしょうね?」
「無論、姫様がお望みのものをお出し致します」
「ではウイスキーの美味しさで私を唸らせるような逸品を出してみて下さい」
「ほほぅ……かしこまりました」
プルリエラの挑戦的な言葉に、サカガミはにやりと笑いながらバックヤードへと下がっていく。
トントンと階段を上ってくる音が聞こえてきたので、どうやら二階の自室のウイスキーを取ってくるつもりのようだ。
彼は一応マスターとしてはきちんとしているので、こうして店を出ることはあまりない。
つまりはそれだけ本気、ということなのだろう。
「失礼、あなたはこのお店の従業員さん……で合っているかしら?」
「は、はいっ、アルスと言います王女殿下!」
「敬称は不要です。酒場の雰囲気を壊すのも嫌ですので、私のことはどうか気軽にプルリエラとお呼び下さい」
「いえいえそんな……ではプルリエラさん、と」
「ふふっ、わかりました」
プルリエラは出された水を手に取り、そのままゆっくりとコップを傾ける。
こくりと小さな喉が動き、ほぅと感嘆とも取れる吐息を吐き出した。
それから彼女はジッとアルスを興味深そうな目で見つめながら、
「アルスさんは、もうこのお店で働かれるようになって長いのですか?」
「いえ、期間としては三ヶ月程度ですね」
「そうですか……あの、もし差し支えなければ、マスターのことを聞いてもよろしいでしょうか?」
「マスターのこと……ですか?」
「はい、どんなことでも構いません。マスターがどんな風に過ごしているのか、お客様にどんな風にお酒を提供されているのか……」
そう言いながら、プルリエラは腕を組みながら目を伏せる。
サカガミが働いているであろう光景を幻視しているようで、彼女の頬はわずかに紅潮させている。
こんなに可憐な王女に気に入られるとは、あのマスターは一体何者なのだ。
彼はただの下ネタ大好きなおっさんではないのかもしれない。
「わかりました、といっても私もそんなに知っているわけではないですけど……でもそれなら、条件を言ってもいいですか?」
「条件、ですか?」
「はい、私が教えたらその次は……プルリエラさんが昔のマスターのことを、教えて下さい」
「……ええ、もちろんです」




