サカガミを知る女 後編
そしてアルスはプルリエラと交互に、今と昔の彼についての話をすることになった。
といっても、彼女が話すのはマスターのだらしない話や、ここ最近やってきた客へ提供するウイスキーの種類についてが主だ。
話を聞いている間、プルリエラは大仰なジェスチャーで驚き、楽しそうに頷きながら傾聴し、そして素晴らしいリアクションを返す。
話し手としてこれほどまでに嬉しい聞き手もおらず、アルスは楽しくいろいろな話をさせてもらった。
対して返ってくるプルリエラの話題は……正直なところ、アルスには荒唐無稽なものとしか思えなかった。
彼女がするマスターの話は、どれもこれも彼が難事を解決したり、味方の窮地を救ったりというあまりにもヒロイックなものばかりだったからだ。
一体どこの英雄譚だと聞きたくなるほどだったが、真剣に話すその表情からはこちらを騙そうなどという意図はまったく読み取れない。
これら全てが本当なんだとすれば……アルスはマスターがかつて言っていた言葉を思い出す。
『かつて世界を救った英雄なんだよ。だから金には困ってないんだ』
ひょっとするとあれは冗談でもなんでもなく……。
「お待たせしました……っておいおい、ずいぶん仲良くなっているじゃないか。ちょっと目を離したら百合の花を咲かせるとは、アルスも俺の薫陶を受けつつあるということだな」
「……びっくりしました。マスターは……なんだか変わりましたね」
「そうでしょう、俺はいつだって変化するカメレオン男子ですから」
「前よりもずっと、生き生きしていて……素敵です。そんな風に笑えているのであれば……っと、いけませんね、それではマスター渾身の逸品をお願いします」
「ええ、吟味に吟味を重ねて出す一本です、とくとご賞味下さい。私が今回出すボトルはこちら……清澄フィールドバレエシリーズの26thエディションです」
そう言ってマスターサカガミが出したのは、白を基調としたボトルであった。
ラベルには月と星々の輝きが記され、その間を縫うように達筆な筆記体で文字が記されている。
プルリエラはそこに記されている文字が、このバーにずらりと並んでいるものと比べてどこか丸みを帯びていることに気付いた。
「このお酒はひょっとして、普段マスターが飲まれているものとは文化圏が違うところで作られたお酒なのでしょうか?」
「さすがにプルリエラ様は、お目が高い。かなり正解に近いです」
マスターはそう口にしながら、ボトルに手をかける。
飲み口に封をしているコルクを抜き取れば、キュポンと気持ちの良い音が鳴る。
そこからトクトクと注がれる琥珀色の液体を見て、「綺麗……」とプルリエラが思わず呟いた。
「こいつは俺の故郷の職人が、異なる文化圏からやってきた舞踊を行う一座に敬意を表して作り上げたウイスキーです。味もバレエという舞踊の演目に合わせて作られ、年に一度行われる舞踊に合わせて数百本だけがボトリングされるという珠玉の逸品……この周年のヴィンテージは特に出来が良く、相当な数のウイスキーを飲んできた俺であっても五本の指に入るほどに好きな酒です」
「舞踊に合わせてお酒を作る……ですか。ちょっと想像がつきませんね」
「まあ、小難しい知識は必要ありません。うんちくや情報はありますが、結局のところウイスキーは美味いかどうか、ですから」
プルリエラはスッと差し出されたグラスを見て目を見開く。
王族でもお目にかかれぬほどに透明度の高いグラス。
グラスは下から真ん中の辺りにかけて膨らんでいる理由は、おそらくその中へ匂いをため込むため。
くるりとグラスをスワリングさせれば、そこに留まっていた香りが一気に上へと立ち上ってくる。
プルリエラはその香りに、感動を覚えてしまった。
「な、なんですかこれは……」
上等な砂糖菓子を凝縮させたような甘やかな香りの爆弾。
ややもすれば甘ったるくなりそうな強烈な香りを、長い間熟成を重ねた酒だけが持つことのできるアルコールの角の取れたまろやかさが中和している。
甘さとフルーティーさがそれぞれ強い主張を行いながら、それを樽由来とおぼしきわずかなウッディネスが一つに引き締められている。
全てが高いレベルで纏め上げられており、非の打ち所がないとしか言いようのない香りだ。
嗅いでいるだけで思わず笑みがこぼれてしまうような、飲む前から美味いことがわかってしまうほどの代物。
一体なんてものを出してくれたのだ……と、プルリエラはマスターサカガミの本気をそこに見た気がした。
「……(ごくり)」
だがやはり酒である以上、一番大切なのは味だ。
美味いことはもうわかっている。
飲みたくてたまらない。
一体どれだけ美味いのか。
香りを嗅いで上がった期待値を、どこまで超えてくるのか。
喉を鳴らしたプルリエラはゆっくりとグラスを傾け……口に含んだウイスキーを、目を閉じたままじっくりと味わった。
「……もはやこのお酒に、言葉はいりませんね。見事です、マスター」
「ありがたきお言葉です、プルリエラ王女殿下」
高級な砂糖菓子と蜂蜜を彷彿とさせる、上品な甘み。
これは蒸留酒なのだから加糖はされていないはずなのだが、思わず何かを入れているのではないかと思ってしまうほどに強烈な甘みがやってくる。
そして次にやってくるのは深みを感じさせるコクと、強くはあるが嫌みにはなっていない苦み。
アルコール感はまったくと言っていいほどになく、ただただ口の中が幸福に満たされていく。
気がつけば口角が上がっており、プルリエラは自分の顔がほころんでいることに気付く。
(王女としてあるまじき態度……でもこんなの、笑わずにはいられない!)
色、匂い、味、そして余韻。
全てが恐ろしいほどに高い水準でバランス良くまとまっており、飲み終えてからしばらくしても口の中にまだ幸せが残り続けている。
無論王女である彼女は、ぜいたくな飲食物には慣れている。
だがここまでで繊細かつ美味な酒を口にしたことは、今まで一度もなかった。
極上の美酒、それ以外の言葉が見つからない。
「すみません、こいつは二杯まででお願いしてるんです。そうやすやすと作れる酒じゃないので」
「ふぅ、でしょうね……わかりました。それではゆっくりと楽しむことに致します」
彼女は適宜チェイサーの水を飲みながら、ゆっくりと噛みしめるようにウイスキーを味わっていく。
マスターサカガミはうんうんと満足げに頷き、しばらくの間店内には穏やかな雰囲気が流れていた。
「俺はあなたがお探しの人のことは知りませんが……」
彼女が来た当初とは違い、少しだけ柔らかい表情になったサカガミが拭いていたグラスに息を吹きかける。
彼はプルリエラの方を向くこともなく、
「彼は求められることに、疲れたんだと思いますよ。もう最低限の仕事はしたから、後の余生はゆっくりと過ごしたい……働き詰めだった男がそういう気持ちになるのは、おかしなことではないと思いますがね」
「そう、ですね……そうかもしれません。私達は彼に、頼りすぎていたのでしょう……」
プルリエラはそれだけ言うと、黙ってしまった。
なんとなく静かになるが、その沈黙を破ったのもまたサカガミだった。
「リエラ……お前は悪くないよ。悪いのはあの国王と、その仕事を断り切れずに全部受けた俺だ」
「い、いえっ、そんなことありません! 本来であれば私が気付かなければならなかったのです! 度重なる任務を終えてトウヤ様がいっぱいいっぱいになっているということを!」
国王、そしてトウヤ。
その言葉を聞いて、アルスの中にあったいくつかの点が繋がって線へと変わる。
(トウヤ……マスターってもしかして、勇者トウヤだったの!?)
この世界を救い魔王を討伐した英雄、勇者トウヤ。
その偉業はいくつもの舞台や物語本によって記されており、無論アルスも小さい頃に母から寝耳語りに聞いたことがある。
この国にトウヤという名前の男子が多いのは、勇者トウヤの影響だ。
その名前が当たり前になりすぎているせいで、まさかその名前を聞いても大本の人間だとは思いもしなかったのだ。
勇者トウヤが成した功績はあまりにも多い。
何せ彼が魔王を討伐していなければ、今頃この世界は滅んでいてもおかしくなかったからだ。
だが魔王を討伐し世界の平和を守ったトウヤは、その後唐突に表舞台から姿を消した。
王が王位を奪われることを恐れて暗殺しただとか、魔王と相打ちになって死んだだとか真偽不明の噂が流れていたが……事実は小説よりも奇なり。
まさかかつての名を捨ててバーのマスターをやっているとは、さすがにどんな吟遊詩人であっても想像がつかなかったに違いない。
「今日のお題は……金貨五枚だ。すまんな、ぶっちゃけこれでも普通に赤字なんだ……」
「そ、それでしたら今回は多めに払っておきますので、次回来店した際に相殺という形でお願いします!」
「ありがたいから料金は受け取るが……この店にまた来るのは難しいと思うぞ。シャノンが言うには、魔力紋を認証して一度来た人間を弾くようにできているらしいからな」
「シャノン・パーシヴァル様の魔道具なのですか……わかりました。でしたらウォーロック様に頼んでなんとか来れるよう調整してもらいます」
「えぇ、あいつに頼むのか……くれぐれも店に来るなよと伝えて……いや、あいつの場合そう言ったら絶対来るな。『いくらでも遊びに来てくれ』と伝えておいてくれ」
(大賢者ウォーロック様の名前まで出てきた……もう勇者確定演出ね、これは……)
勇者トウヤは一人で魔王を討伐したわけではない。
彼には勇者にも負けぬほどの才能を持ったメンバーがいた。
『白き翼』……それこそが彼がリーダーを務めていた勇者パーティーの名だ。
勇者トウヤ、大賢者ウォーロック、剣聖ラインハルト、盗賊王ギース、そして聖女リスタリア。
思想や立場の垣根を越えて集まった彼らが力を合わせて死力を尽くしたからこそ、魔王を討伐することができたというのは有名な話であった。
もしマスターサカガミが危惧しているように勇者パーティーのメンバーが本当に現れたりしたらどうしよう。
サインとかもらっちゃおうかな……とミーハーなアルスの心が躍り出す。
「とりあえず……今日はごちそうさまでした。元気にやっていてくれていて良かったです。また来ますからその時は……もっとゆっくりと、ウイスキーを味わうことができればなと思います」
「ああ、いいウイスキーはいくらでもある。その時はリエラが気に入る一本を見つけるまで付き合うさ」
「――約束ですからね!」
プルリエラは会計を済ませると、そのまま店を後にした。
気分がいいからか、どうやらマスターはそのまま店を閉めるらしい。
彼がドアベルに軽く触れると、先ほどまでわずかに放たれていた光が完全に消える。
『ミラージュ』の営業時間は基本的にはまちまちだ。
アルスが働くようになってからはスタートはほとんど午後六時で統一されているが、終わり時間は完全にサカガミの気分で決められる。
「マスター、勇者トウヤだったんですね」
「ああ、アルスには前から言っただろ。俺は英雄だったって」
「そんなこと言われて、まともに信じるわけがないじゃないですか」
「はっはっは、まあそれはそうだな」
楽しそうに笑うマスターサカガミは自分が知っているものと違う、少年のような笑みを浮かべていた。
ひょっとしたらその笑顔は、彼がまだ勇者だった頃に浮かべていたものだったのかもしれない。
人に歴史ありというが……いくらなんでも歴史がありすぎだ。
「まあ俺の過去なんてどうでもいいさ。今の俺はこの一国一城の主……それが全てで、それ以外の全ては些細に過ぎない」
サカガミはそう言うと、後ろに置かれているボトルを何本か取り出し、グラスと一緒に前に置いた。
「もしよければ飲まないか? 店を早く閉めた分、時間ならたっぷりある」
「お供します、ガンガン飲んで元取りますね」
「いや、ウイスキーはそうやって飲むものではなくてだな……」
いろいろな新事実を知ったアルスだったが、サカガミは相変わらず変わらぬ態度で接してくれる。それならば自分も今までと同様にして、何かを変える必要はないのだろう。
勇者だって、酒に酔いたい日がある。
そんな事実に世知辛さを感じつつ、アルスはサカガミと共に、日が変わる直前まで酒を飲むのであった……。




