元冒険者ヴァルド・サンライズ 後編
……そう、今のこんなナリを見れば誰も信じないかもしれないが、ヴァルドはかつては界隈では知らぬ者がいないほどに有名なBランク冒険者だった。
「あの時の俺は、自分が強くなっていくのが好きなんだとばかり思っていた……けど、そうじゃなかった。俺はただ、強くなった自分を妻に……イシスに褒めてもらいたかっただけだったんだ」
ヴァルドにはかつて、イシスという妻がいた。
彼女はそこまで容姿が優れているわけではなかった。
一般的な年収よりもはるかに金を稼げるBランク冒険者の同輩からは、もっといい嫁さんがもらえるのにと言われたこともある。
ヴァルドはそう言われる度にたしかにと思ってしまう自分がいることに気付いていた。
最初はもっと、熱烈に愛し合っていたはずだった。
だが稼ぎが増えいわゆるハイスペになったことで、自分はもっと上を目指せるのではないかと思うようにもなっていた。
人は慣れる生き物だ。
自分が何時に帰ってもご飯を用意して待っており、彼の愚痴はうんうんと頷いて聞いてくれ、そして自分がやる気がなくだらけようとした時には尻を引っ叩いて半ば強引にギルドへと送り出してくれる。
最初は感謝していたが、結婚して彼女との生活が長くなれば、その生活も当然になっていく。
ヴァルドは仕事のことだけを考えればよくなり、どうすれば強くなれるかだけを考えるようになった。
そして自信過剰な男によくあるように、ヴァルドはその全てが自分のおかげなのだと勘違いするようになり、イシスへの態度もおざなりになっていった。
彼女がいることが当たり前ではないと気付いたのは、ヴァルドが任務を終え家に帰った時のことだった。
温かいご飯もなく、灯りもついていない。
慌てたヴァルドが尋ねた隣人から、彼女が流行病で死んだことを聞かされた。
あまりにもあっけない死だ。別れの言葉を告げる間もなければ、彼女のために何かをしてやるだけの時間もなかった。
とぼとぼと家に帰った彼の腹が、ぐぅと鳴る。
何かを食べようかと思い適当にリビングの戸棚を開けてみるが、ほとんど帰ってきて寝るだけだったヴァルドに、自分の家のどこに何があるかすらわかるはずもない。
帰ってくれば温かいご飯と嫁の笑顔がある。
そんな生活は決して、当たり前のものではなかったのだ。
はんっ、いいさ。
これで新しい嫁も捕まえられる。
だが新しい彼女を作るようになって気付いた。
イシスほどに献身的な女はいない。
彼女達は皆自分自身のことに精一杯であり、ヴァルドに対して心から親身になってくれる女は一人もいなかった。
ヴァルドは彼女の見た目がどうこうではなく、イシスのもっと深いところが好きだったのだということに気付く。
イシスのように文字通りに自分の全てを、ただヴァルドが冒険者として大成するためだけに使ってくれる女性は稀有な存在なのだと気付いても、全ては後の祭りだった。
自分を褒めてくれる女は、もうこの世のどこにもいなかった。
そこからのヴァルドは、それはもう散々だった。
当たり前だった生活の基盤が崩れていくことで、ヴァルドの依頼の達成率はみるみる落ちていく。
自分の武勇伝を語りながら気持ちよく酔うためのものだったはずのアルコールは、いつしか現実逃避のためのアイテムに変わっていた。
そしてこのままだとCランクに降格せざるを得ないという状態になって……ヴァルドはそのまま、冒険者稼業を引退し、ただの酒飲みになったのだ。
(けど言われてみりゃあ……たしかに俺はまだ、身体を鍛えてる)
サカガミが指摘した通り、ヴァルドはただの仕事をしない酒飲みとなってからも、日々の鍛錬は欠かしていなかった。
自分の身体に染みついた癖のようなものだとばかり思っていたが、ひょっとするとそうではないのかもしれない。
氷を入れたロックという飲み方で贅沢にウイスキーを楽しんでいたヴァルドのグラスが、氷に当たりからりと音を鳴らす。
なぜ自分はまだ、鍛錬をしているのだろう。
冒険者稼業に未練があるのだろうか。
自分の真意を測ろうとしたヴァルドの脳裏に、イシスの姿が映った。
『ヴァルドさん、頑張って下さいね! いつかあなたの夢を叶えられるように』
「夢……そうか、夢か」
イシスを失った悲しみで忘れていた。
自分には夢があったのだ。
彼女が支えてくれ、自分が頑張るだけの価値のある……Aランク冒険者になるという夢が。
「マスター、俺は今からでもAランク冒険者になれるかな?」
ヴァルドとしては、軽口で言ったつもりだった。
だがマスターサカガミは一瞬押し黙ると、そのまま舐めるようにヴァルドの身体を上から下までじっくりと観察し始める。
彼が持つ眼力に、ヴァルドは思わず圧倒されそうになった。
これが目利きのプロの持つ眼光なのか……と若干の羞恥すら覚えてしまう。
「正直言うと、厳しいだろうな。戦いを生業にする人間のブランクを取り返すのは、並大抵のことじゃない」
「……だよな」
品定めをするが故か厳しめの口調になったサカガミの言葉に、ヴァルドはうなだれるようにして頷いた。
考えれば当然のことだ。
実戦をせずに何年も経った今の自分が、果たしてどれだけの実力があるものか……。
戦闘の専門家でもない彼に、なぜ聞こうと思ったのだろうか。
おそらくどこか無意識のうちに、甘い答えが返ってくるのを期待したのだろう。
……そうだ、俺は知っているはずじゃないか。
現実というのはいつだって、甘くない。
「だが、決して不可能じゃない。ヴァルドさん、あんた、才能はある方だよ。あんたより才能がなくてもAランク冒険者になったやつを、俺は何人も知ってる」
「――っ!?」
サカガミの言葉に、ヴァルドは人生には色々な側面があるということを思い出した。
長い生の中では、甘さだって苦みだってある。
それら全てをひっくるめての、人の生だからだ。
「たとえ剣を振るわなくなっても……長年培ってきた技術ってのは、身体が覚えてるもんさ。やりたいと思ったんなら、明日からでも復帰した方がいい。その気持ちが明日まで続いてるかどうかは、誰にも保証できないからな」
「そう、だな……わかったよマスター」
もう一度やり直したい。
今のヴァルドはそう、強く思っていた。
酒に溺れていた時期は長すぎた。
だがきっと……再開するのに遅いことはない。
長年培ってきた技術は、無駄にはならないものだ。
そう、こうして今飲んでいるツツヌキのように。
「おあいそお願い」
「かしこまりました」
なぜかちょっと眉を顰めている女性店員のアルスから出された伝票に記されていた支払い額は、銀貨九枚。
あれほどの酒を六杯飲んでこの値段なら、むしろ納得感がある。
(これでずいぶんと、懐は寂しくなっちまったが……)
以前使っていた装備は魔剣を除いてほとんど全部売り払ってしまっている。
蓄えもほとんどない。
明日からの冒険者生活が不安だな……と思っていると、奥に引っ込んでいたサカガミが何かを持ってくる。
「これ、前に俺の友達が使ってた装備だ。物はちと古いが、質はそう悪くないはずだぞ」
「こ、これは……」
差し出されたのは、手入れされながら長年使われてきたことが一目でわかる赤色をした革鎧であった。
素材の質も間違いなく高い、これならBランク冒険者の装備としても十分通用するだろう。
いや、下手をすればAランクにも届きうるほどの……。
「マ、マスター、もらえねぇよこんなの」
「ああいいんだ、そいつはもう死んじまったからな……あいつもこのままタンスの肥やしになるより、使ってもらった方が喜ぶはずだよ」
「そ、そうか……」
鎧を着けてみると、驚くほどに自分の身体とぴったりと合った。
不思議なもので、防具をしっかりと身につけるだけで気が一気に引き締まる。
自分は根っからの冒険者なのだと、ヴァルドはもう笑うしかなかった。
「それじゃあ……色々とありがとう、ごちそうさま」
ヴァルドはそのまま店を出る。
その瞬間ふと脳裏をある疑問がよぎった。
たとえ微弱であっても、あらゆる生物は生命エネルギーである魔力を持っている。
だがマスターサカガミからはまったく魔力を感じ取れなかった。
酔いのせいで魔力感知能力が鈍ったのかとも思ったが、アルスのことは知覚できたのでどうやらそうでもないらしい。
相手の魔力を読み取れない時の可能性は二つある。
一つは相手が死んでいる時……そしてもう一つは、感知能力が機能しないほどに大量の魔力を持っている時だ。
「……まさかな」
自分の疑問を振り払い、ヴァルドは店を後にする。
それにもし仮にマスターサカガミの魔力が凄まじかろうが、ヴァルドには関係ない。
そう思えてしまうくらい、ヴァルドは彼に恩義を感じていた。
振り返った時には先ほどまであったはずの扉は跡形もなく消えており、魔力の残滓すらも完全になくなっている。
後ろを振り向くことなく、ヴァルドは一歩前に踏み出した。
「……でさー、その時のこいつの弓捌きが……」
「おい、今それは関係ないだろ!?」
家路につくその道中、ヴァルドは通りにある酒屋でわずかに立ち止まった。
外のテラス席で陽気に笑っているのは、先ほど自分が見たあの若い冒険者達だった。
さっきはまともに直視できぬほどに嫌だったはずの彼らの姿が、不思議と今は視界に入ってもまったく苦にならなかった。
それほどまでに、自分の心が変わったということなのだろう。
また自分もあの場所に戻るのだ……そう思うだけで胸が弾み、足取りが軽くなる。
やはり冒険者は自分にとっての夢であり、天職なのだ。
「俺も明日から……頑張るか」
こうして『ミラージュ』に癒やされたヴァルドは、次の日にはギルドに行き、初心を思い出すべくCランクへと降格してから依頼をこなしていくことになる。
以前と比べて見違えるほどに謙虚になったヴァルドは着実に往年の実力を取り戻していき、そこから数年の修練を経て誰もが憧れるAランク冒険者になるのだが、それでも彼は決して天狗にならなかったという。
『俺だけの力ではありませんから』
そう言いながらトレードマークになった赤の革鎧を触って笑うその姿に、誰もが彼へ憧れを抱いた。
こうしてヴァルドは念願だったAランク冒険者となり、生涯幸せに暮らすことになるのだが……それはまた、別のお話。
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