アルスの憂鬱 中編
他の丸っこいボトルとは違いその見た目はどこか角張っており、キュッと引き絞られた上部にはこれまたごてっと角張った装飾のなされた栓がついている。
「こちらはブレンデッドウイスキーといいまして、誤解を恐れずに言えば高いウイスキーと安いウイスキーを混ぜて作ったものです」
「それは……美味しいんでしょうか?」
「もちろん高いウイスキーと比べれば若さ故の荒さも目立ちますが……これは言ってしまえば、安い値段で高いウイスキーの片鱗が味わえる代物です。どうです、そう言われるとなんだかお得な気がしませんか?」
「……ふふっ、たしかにそうですね」
安いのに、高いお酒の美味しさを感じ取れる。
まさにお金がない今の自分にうってつけだな、とアルスは一人頷いた。
「こちらはロイヤルというブレンデッドウイスキーです。飲み方はどうしましょうか?」
「おすすめは?」
「オンザロックですね」
「じゃあそれでお願いします」
まさか岩が出てくるのでは……とビビっていたアルスは、出てきたグラスを見てホッと安堵の息をこぼす。
彼女の前に現れたのは、氷の入ったグラスであった。
なるほど、たしかに言われてみると氷が岩に見えなくもない。
(……って、氷!?)
この世界において氷は高級品だ。
氷属性が使える魔法使いを雇うか、氷を作れる魔道具に馬鹿みたいに大量の魔石を入れ続けなければ作れないものであり、氷作り自体が富豪の道楽の一種と言える。
よく見れば一本の樹から切り出したらしい一枚板のバーカウンターは恐ろしいほどに美しいし、使われているグラスの透明度もあまりにも高い。
アルスはひょっとしてここがめちゃくちゃな高級店なのではないかと、今更ながらに恐ろしくなってきた。
(……まあ、いいか)
だが無職になり無敵となった今のアルスにとっては、どうでもいいことだった。
彼女はそんなことより、今目の前にあるお酒のことで頭がいっぱいになっていた。
「いただきます」
氷によって冷やされたグラスがわずかに白みがかり、手にはひんやりとした感触がやってくる。
ゆっくりとグラスを傾けると……そこには今までに感じたことのない味が、口の中で広がっていく。
「何、これ……」
まず最初にやってくるのは、梨を思わせるような清涼な爽快感。
甘やかな味わいが来たと思ったら、続いてやってくるのは、まるでお香のような木香のアロマだ。
僧侶が身に纏っているようなどこか高貴さを感じさせる香りは、けれどさっと消えていき、最後には木材由来のウッディネスが全体を引き締める。
「ほぅ……」
思わず吐息をこぼしながら、再度グラスを傾ける。
カランと氷が小気味よい音を立て、目だけではなく耳でも楽しむことができる。
飲んでいると、不思議なことに味が少しずつ変わってきた。
なんでだろうというアルスの疑問は、溶けて先ほどより小さくなった氷を見れば氷解する。
「なるほど……氷が溶けてお酒に混じるから、味が変わるんですね」
以前商家の側室にという話をされた時に、アルスは氷の入ったジュースを飲んだことがある。
あの時は冷たいことの素晴らしさを感じたものの、その分水で味が薄まってしまってなんだかもったいない気分がしたものだった。
だがこのウイスキーの場合は、水が混じることそれ自体が味の化学反応を起こしている。
薄まることで苦みも薄くなり、その分感じ取れなかった甘さがわかりやすくなっていく気がした。
薄くなることが良さにも繋がることがあるというのは、初めての経験である。
「ふうぅ……」
気付けば彼女は、半分ほどを飲み干してしまっていた。
一杯いくらになるかわからないからこそ、ゆっくりと楽しまなくては。
アルスはアルコールが回りふわふわとした頭で、ぐるりと店内を見渡す。
異国情緒溢れる内観と、今までに見たこともないお酒。
まるで、自分が別の国に来たかのような感覚だった。
「マスターは、もうお店をやられて長いんですか?」
「いや、まだ一年もやってないですよ」
「……ということは、一年足らずでこのお酒を集めたんですか!?」
大量に陳列されているボトルの数は、おそらく五百本はくだらないだろう。
一つ一つがこれに匹敵するだけの味があるのなら……いや、というかそもそもこれは比較的安価な酒という話だったはずだ。となるとこの中には当然高価な酒もあるわけで……果たしてその総額はいくらになるのか、アルスは目の前のボトル達が金塊か何かに見えてきてしまう。
「いや、実はこの酒は俺の故郷の味を再現するために作り始めたものでね……年数で言えば結構長いかな。もう二十年近くは作ってるはずだから」
「故郷の味、ですか……」
薄くなりよりも苦みが強調されはじめたウイスキーを飲みながら、アルスは自分の故郷について思い出していた。
自分を応援して送り出してくれた両親。
自分の安月給では仕送りをすることも難しく、結果として親孝行の一つもできていない。 職を失ったことだし、いっそのこと故郷に帰ってしまおうか……。
「はぁ……マスター、実は私職を失ってしまいまして。明日からどう生きていったものか……」
「押しつけられた仕事をやるくらいなら無職の方がいいさ。実際俺もこの店をやるまでは、しばらく働いてなかったしな」
「え、そうなんですか?」
この道一筋何十年という感じの風格があるので、まさか無職期間を経験しているとは。
自分の先輩と知り、少しだけ親近感が湧く。
「でも働かないと、お金がないです……」
「世知辛いな……」
「はい……」
明日からどう生きようか。
現実を思い出し少しもの悲しい気分になったアルスは杯を煽る。
こんな時でも美味しいのが、少し憎たらしいほどだ。
「このウイスキーって、普通に酒屋でも売ってますかね?」
またすぐに転職活動をして働くことになるのだろうが……疲れて帰ってきた時にこのお酒があれば、アルスは次の日も頑張れる気がした。
「一応売ってはいるが……正直買うのはおすすめしないな。自慢じゃないが、ここで出している酒と王国で流通しているものは全然レベルが違う」
だが返ってきた答えは残酷だった。
たしかにこんなお酒は今まで飲んだことがない。
もし飲もうとするのなら、このお店にやってくるしかないのだろう。
ふと彼女の脳裏によぎるのは、以前居酒屋で働いていた時のまかない制度であった。
余りもので作った昼ご飯と夜ご飯が無償で提供されていたおかげで、安い賃金でもなんとか生きていくことができた。
「あの……もしよければ、ここで働かせてくれませんか?」
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