鍛冶師ダグラス 中編
「いらっしゃいませ」
「……っ!?」
突如として感じるのは、先ほどまでいた洞穴の中では感じられない涼しさであった。
ドワーフは基本的に暑さや寒さなどに強く、あらゆるものへの耐性が高いため居住区画の快適さはほとんど気にされていない。
そのため洞穴は基本的に一年中暑いのだが……この店にやってきた瞬間、先ほどまで掻いていた汗が引っ込んでしまった。
おそらくは冷気を生み出す魔道具が使われているのだろう。
これほど強力なものとなると、相当な価格になるはずだ。
「こちらへどうぞ」
ダグラスに対応し案内してくれている女性の店員は、明らかに人間だった。
というか……店員?
思わずぐるりと辺りを見渡し、ダグラスは自分が店に入ったことにようやく気付く。
「ここは……酒場か?」
「ええ、ショットバー『ミラージュ』……悩める子羊達にひとときの安らぎを与える場所ですよ、お客さん」
案内された先のカウンターに立っているマスターから声をかけられる。
マスターサカガミはあまり人間の見た目の違いのわからないダグラスから見てもシュッとしているとわかる、イカした男であった。
「すごいですね……これは全て、マスターが?」
「ええ、二十年以上かけて集めた自慢の酒達です」
「それは、いやはや……」
ダグラスはかつて、火の氏族の代表という形で、王都へ留学していた時期がある。
その頃には王都の酒場は全て網羅するほどに通い尽くしたものだが……今目の前に広がっている店は、それらとは一線を画すラインナップをしているのが一目でわかる。
だが目の前の彼ほどの男であれば、これだけ大量に酒を集めることができてもおかしくはないと思えた。
おまけに用意されているのは全てが火酒……つまりは蒸留酒。
酒好きの一ドワーフとして、楽しみにせずにはいられなかった。
「どういうお酒が好きでしょうか?」
「そうですね……」
ダグラスは酒好きのたしなみとして、バーでの作法もある程度は心得ている。
こういう時は素直に思ったことを口に出すのがいい。
今の自分は、無性に酔いたい気分だった。
であれば求める酒も、そんな気分に合わせたものを選んでもらうべきだろう。
「キツくて美味い……そんな蒸留酒が飲みたいですね」
「なるほど……甘いものの方が良いですか?」
「それなら少し甘めのがいいかな」
蒸留酒の甘さとは、もろみや醸造由来の酒の甘みのことを指すはず。
基本的にドワーフが飲むのは価格の関係上プレーンな蒸留酒が多いが、せっかくこれだけのマスターがやっている店なのだから、ブランデーなどを飲んでみるのもいいかもしれない。
マスターが酒を選んでいる間に、ダグラスは興味深くボトルを観察する。
そして気になったので話を聞いてみて、ダグラスは更に驚くことになる。
なんとこの店は驚いたことに、ウイスキーの専門店だったのだ!
ウイスキーとは基本的には大麦を蒸留させて作ったものであるはず。
ただ酔うためのシンプルな火酒という印象だったが……これだけの品揃えを見せられて、期待するなというのは酷な話だ。
一体どんなものが出てくるのか……わくわくしながら待っていたダグラスの前に出されたのは、一本のボトルであった。
「こちらなどはいかがでしょうか……梅尾のシェリーカスクです」
「じゃあ、それで」
ジガーカップに入れられ、グラスへ注がれるウイスキー。
やってきた一杯を見てダグラスが抱いた感想は、その色合いの濃さについての驚きであった。
「これは……ウイスキーですよね? ひょっとして、カラメルで着色を?」
「いえ、うちの店で出すウイスキーは全てノンカラーですよ」
彼が知っているウイスキーは、基本的に樽に入れてある程度の期間熟成をさせるというもの。
かなりの量を飲んだことがあるものの、これほどまでに綺麗な琥珀色をしたウイスキーは一度も見たことがない。
砂糖を混ぜて色を足してもいないのであれば、この色合いの秘密とは一体……。
「小さめのワイン樽を使って、樽の香味と色が早く移るようにしているのですよ」
「なるほど、樽と……そして大きさですか」
熟成に使う樽について、そこまで詳しく考えを巡らしたことはなかった。
だがたしかにワインの樽を使えば、そのウイスキーにはワインの香味が移ることになる。
そして樽が小さくなればなるほど樽に触れていない部分が少なくなるため、熟成は早く進むことになる。
なぜこれほどまでに単純なことに気付かなかったのだろうか。
(いや……『真打の欠片』ということか)
彼が思い出すのは、ドワーフのことわざである。
ドワーフの名匠がその生涯をかけて生み出すことができる業物である真打。
それを作るための手かがりは、日々の生活の中にある……つまり本当に重要なことこそ、単純だがなかなか気づけないという意味のことわざだ。
(っと、いかんいかん。そういった理由を考えるのは後で良い。今はこの酒と向き合わなければ……こちらも無作法というもの……)
ダグラスは考えていた思考を一旦全て棚上げし、目の前にある一杯へと向かい合うことにした。
今までに見たことがない、中部の膨らみの特徴的なグラスを見て思わず製作法への興味が湧いてきてしまうが、慌てて頭を振りながらウイスキーの香りを確かめる。
「これは……」
ダグラスの鼻腔を通り抜けるのは、ともすれば刺激臭とも感じ取れるような力強い土の香りであった。
鍛治師としての経験も一通り積んできた彼からすれば馴染みのある香りではあるが、この匂いが酒から漂ってきたことなど当然ながら初めての経験である。
「ピート、と言ってわかりますかね?」
サカガミの質問に、こくりと頷く。
そこまで専門的とは言えずとも、金属の冶金などにも詳しいドワーフとして、燃料に関して一通りの知識は持っている。
「泥炭ですよね。木炭や石炭がない時に使うものという認識ですが」
「こいつは大麦の発芽を止めて乾燥させるために、その泥炭を使っているんです。その香りが大麦に移り、こうしてウイスキーの香味に繋がるわけです」
「それもまた、移るわけですか……」
ダグラスはゆっくりとグラスを揺らし、目と鼻で存分に楽しんでからゆっくりとウイスキーを口へ含む。
まず最初にやってきたのは、レーズンを思わせるような甘やかな香りだった。
香りの系統としては熟した葡萄や、デーツのようなねっとりとした果実に近い。
なるほど、おそらくはこれが先ほど言っていたワインの樽を使った熟成による影響なのだろう。
そして甘さにわずかに遅れてやってくるのは、重たい泥炭の香りだ。
燃料の香りが移っているなどと言われれば、本来であれば口に入れる食料品としては失格なようにも思える。
だが湿った土や薬品を思わせるような重たい香りが、不思議とアルコールの嫌みな部分を消してくれている。
最初はわずかに抵抗があったはずだが、二口三口と飲み進めていくうちにそれもなくなり、むしろウイスキーのアクセントとして捉えることができるようになっていった。
ダグラスは火酒の飲む時のあのツンとしたアルコール感を消すため、酔いが回りそれを感じなくなるまでは、クッと息を止めて一息に飲んでしまうことが多かった。
だがこのウイスキーはそうではない。
嗅いだ時の鼻への刺激も、舌の上に乗せてからの口の中への刺激も、どちらも驚くほどに少ない。
故に甘さとピートの味わいをもっと感じたいと、ダグラスは普段がぶ飲みする彼からすれば信じられぬほどに味わいながらウイスキーをちびちびと飲んでいた。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
店員から受け取ったおかわりの水が冷たいのも実に素晴らしい。
何度も飲んでいると口の中がウイスキーの味に慣れてしまい、感動が得られなくなってしまう。
だがそれも水を飲んでリセットすれば問題はない。
飲み進めていくうちに味に慣れてきたからか、感じ方が徐々に変わり始める。
先ほどまでは甘さが前に出ていたにもかかわらず、今はピートの味わいが全面に感じられ、そしてそれを後ろから甘さが支えている。
まるでメインとサブが入れ替わったかのような感覚で、先ほどとは違う顔を見れることに思わず笑みがこぼれた。
「ふぅ……ウイスキーは素晴らしいな、マスター」
ダグラスはウイスキーのことを、麦を使って作る単純な蒸留酒だとばかり思っていた。
けれど、それは半分正解で、半分間違っていた。
ウイスキーというお酒は単純であるからこそ、様々な要素によってその味が大きく変わってゆく。
使う燃料や熟成に使う樽……シンプルであるからこそ、ウイスキーはその影響を諸に受ける。
結果としてそれが味を複雑化させ、下手に凝った他の酒などよりよほど複雑で玄妙な味わいを作り出しているのだ。
単純であるが故に奥深いというのは、鍛冶などにも通じるものがあるようで、なかなかどうして面白い。
「呑兵衛のドワーフにそう言ってもらえるのは、俺としても鼻が高いですよ」
「マスターはドワーフを知ってるのか? いや、そもそも洞穴の中に店があるんだから知ってはいるんだろうが……」
「ああ、うちはお客さんを選ばない主義なんで、あの扉の魔道具を使って色んなところに出張で店を出してるんですよ」
「なるほど……」
たしかによくよく考えてみればあの洞穴の中にこれほど広いスペースは取れないだろう。
だが魔道具で空間を渡るのは相当に高難度の技。
それを誰でもできるようになるとすれば使用する魔力量は相当なものになるはずだが……これほどのウイスキーを揃えられるマスターほどの男であれば、その程度はどうとでもなるのだろう。
冷たい室内や水、グラスの透明さやウイスキーのボトルの豊富さ。
こと店に関することに関して何一つ妥協しない彼の本気に、ダグラスは身震いしそうだった。
「この世界のドワーフであれば誰もがこの店に感動すると思いますよ。それは俺が保証します」




