EP 8
ユリウスの刺客『特別査察官』の襲来
ルナミス帝都、内政省の最上階。
冷え冷えとした静寂が支配する執務室で、内政官ユリウスは一枚の報告書を前に、銀縁の片眼鏡をスッと押し上げた。
「……国境の守備隊が任務を放棄し、暴徒と化した商人と共に『屋台』に並んでいる、だと?」
報告に上がった密偵が、冷や汗を流しながら平伏している。
「は、はい……。ポポロ村の陣営が国境ギリギリで『カラアゲ』なる未知の肉料理を売り出し、その強烈な匂いと中毒性によって、我々の敷いた経済封鎖が事実上、完全に崩壊しております。兵士の何名かは、その肉を転売して荒稼ぎしている始末で……」
「愚かな。大義も法も、己の胃袋(本能)に呆気なく屈するか」
ユリウスの口調に怒りはなかった。あるのは、計算式にノイズが混ざった時のような、純粋な冷酷さだけだった。
彼はデスクの引き出しから、分厚い『帝国法典』を取り出し、パラパラとページをめくる。
「野蛮な本能で法の網を抜けようとするなら、より緻密で絶対的な『理』で首を絞めるまで。……特別査察部の【グリム】と【ゼニヤ】を呼べ。狩りの時間だ」
***
ポポロ村国境の『地球屋台』は、今日も空前の大繁盛を迎えていた。
「ほらほらァ! 横入りは禁止よォッ! ちゃんと一列に並びなさい!」
ミカン箱の上でメガホン(ドローン)を持ったリーザが、押し寄せる客を仕切っている。
優太は無駄のない動きで次々と唐揚げを揚げ続け、ルナキン(ポポロ村)の金庫には、帝国の金貨が山のように積み上がっていた。
「よーし、このペースなら明日の朝には……」
優太が額の汗を拭った、その時だった。
「――そこまでだ、不届き者ども!!」
突如として、国境の群衆を強引に掻き分けて、漆黒のローブを纏った帝国兵の小隊が現れた。
騒いでいた商人たちが、その制服の胸に刻まれた『天秤と剣』の紋章を見て、サッと血の気を引かせて道を空ける。
「な、内政省の特別査察部だ……っ!」
「なんであんなエリート中のエリートが、こんな辺境の屋台に!?」
兵士たちを従え、最前列に進み出てきたのは二人の男だった。
一人は、神経質そうに白手袋をはめ、ルーペを首から下げた痩せ型の男、グリム。
もう一人は、分厚いバインダーと計算尺を手にし、狡猾な笑みを浮かべる小太りの男、ゼニヤである。
「我々はルナミス帝国・内政省直属の特別査察官である! ユリウス閣下の命により、この違法営業施設への『立ち入り検査』を執行する!」
痩せ型のグリムが、ビシッと優太たちを指差して宣言した。
「立ち入り検査だと?」
優太がフライヤーの火を弱め、目を細める。
「いかにも! 私は保健衛生を管轄する査察官グリム。帝国の法律では、食品を扱う施設は極めて厳格な【帝国衛生基準法】を満たさねばならない。……フンッ、こんな野外の薄汚い屋台だ。埃一つ、虫一匹でも見つかれば、即刻営業停止処分(屋台の強制破壊)とする!」
「そして、私は税務調査官のゼニヤだ」
小太りの男がいやらしい笑みを浮かべ、バインダーを叩いた。
「取引禁止令の網をくぐり抜け、不当な高額で商品を売り捌いているようだが……当然、そのすべての売上に対する『納税の申告』は済んでいるのだろうな? もし帳簿に1ゴールドでも不審な点(脱税)があれば、悪質な資金洗浄とみなし、お前たちの全財産を帝国が差し押さえる!」
周囲の商人たちが絶望の声を漏らした。
衛生管理と脱税の疑い。武力ではなく「法律の専門家」を直接送り込み、一切の反論を許さない形で屋台ごとポポロ村の財源を没収する――ユリウスの放った、必殺のカウンターであった。
「……なるほど。剣や魔法じゃ勝てないから、今度は因縁つけて書類で殺しに来たってわけか」
優太が菜箸を置き、前に出た。
「因縁だと? 舐めるなよ辺境のネズミども。我々エリート官僚の目は誤魔化せんぞ! さあ、今すぐ厨房と帳簿を見せてもらおうか!」
グリムとゼニヤが、勝利を確信したような嫌味な高笑いを上げる。
彼らは確信していた。こんな田舎の野外屋台で、帝国の厳格な衛生基準を満たすことなど不可能であり、素人のアイドルが完璧な帳簿などつけられるはずがない、と。
だが。
優太は白衣の襟を正し、隣に立つリーザと顔を見合わせて、不敵な――いや、獲物を前にした肉食獣のような笑みを浮かべた。
「衛生管理だと……? はっ、上等だ。俺を誰だと思ってる。毎日毎日、目に見えない細菌との戦いを叩き込まれてる『医学生』だぞ?」
「脱税ェ……? アタシの帳簿を舐めてんじゃないわよ。パンの耳の値段から、道端で拾った一円の落とし物まで、狂いなく記帳して生存してきた『貧乏神』の底力、見せてあげるわッ!」
帝国最高のエリート官僚たちに対するは、現代医療の衛生観念を持つ医学生と、極貧サバイバルで1円の重みを知り尽くしたアイドル。
剣も魔法も使わない、人類の叡智と執念を懸けた『書類上のデスマッチ』が、今ここに開戦した。




