EP 4
月影流の組手と、戦術的スキンシップ
ルナミス帝国からの悪徳税金徴収人を、エルフの極悪詐欺と医学生のハッタリで無事に追い払った日の午後。
ポポロ村は、いつもの長閑で平和な時間を取り戻していた。
「はぁぁぁぁ……ッ!!」
タンッ!! と、村長宅の裏庭に鋭い踏み込みの音が響く。
真紅のワンピースをふわりと翻し、ウサギ耳の村長・キャルルが宙を舞った。彼女の得物である鋼鉄の『トンファー』が、空気を切り裂いて鋭い連撃を繰り出す。
「甘いぞ村長! 脇が空いてる!」
ガギィィィンッ!!
キャルルの強烈な一撃を、漆黒の『ワスプ薙刀』の柄で完璧に受け止めたのは、黒いサバイバル服姿の優太だった。
「くっ……! さすが優太、反応が早いわね!」
キャルルは空中で体を捻り、トンファーを盾にして優太の薙刀の払いから間一髪で逃れると、軽やかに地面に着地した。
ルナキンの運営も軌道に乗り、村の事務仕事も一段落したこの日。
「最近、デスクワークばかりで体が鈍ってるの。優太、ちょっと組手の相手をしてよ!」というキャルルの申し出により、二人は裏庭で本気の模擬戦を行っていたのだ。
「お前の月影流の体術は、相変わらず直線的すぎるんだよ。威力はあるが、俺みたいな『対人戦闘(CQC)のプロ』からすれば、次の動きが読めちまう」
「むっ……! 言うじゃない! なら、これならどう!?」
キャルルが再び地を蹴る。
今度は正面からの突進と見せかけ、ウサギ特有の脚力を活かした変則的なジグザグ移動で優太の死角へと回り込んだ。
(速い……! だが!)
「シッ!」
優太は振り返ることなく、ワスプ薙刀の石突(柄の底)を後方へと突き出す。
「あぶなっ!」とキャルルが上体を反らしてそれを避けた、まさにその瞬間。
優太は薙刀を手放し、一気にキャルルの懐へと飛び込んだ。
「えっ……!?」
武器を捨てて素手での肉薄。元SEALs教官が得意とする、完全な制圧格闘術の領域である。
キャルルが慌ててトンファーを振り下ろそうとするが、優太の動きの方がコンマ数秒早かった。
優太の左手がトンファーを持つキャルルの右手首を正確に捉え、同時に右足がキャルルの軸足を刈り取る。
「あっ……!」
バランスを崩し、背中から芝生へと倒れ込むキャルル。
その上に、優太が覆い被さるようにして馬乗り(マウントポジション)になり、彼女の両手首を頭上でガッチリとホールドした。
「……勝負あり、だな。実戦なら今ので喉笛を掻き切られてるぞ」
優太が、少し息を弾ませながら、真上からキャルルを見下ろしてニヤリと笑う。
完璧な制圧。戦術的勝利。
……のはずだった。
「…………ッ!!」
キャルルのウサギ耳が、限界までピンッとそそり立ち、彼女の顔が茹でダコのように真っ赤に染まっていた。
「お、おい、どうしたキャルル? どこか捻ったか?」
優太が医学生としての心配顔で尋ねるが、違う。断じてそういう問題ではなかった。
(ち、ちか、近い近い近い近いっ!!)
仰向けに倒されたキャルルの視界には、至近距離でこちらを見下ろす優太の整った顔があった。
激しい組手の熱気で、彼から発せられる男らしい汗の匂いと、少し乱れた前髪から覗く鋭い瞳が、ダイレクトに脳を揺さぶってくる。
さらに、両手首を床に縫い付けられ、彼のがっしりとした太ももが自分の腰骨を挟み込んでいるという、この絶対的かつ『刺激的すぎる密着状態』。
極厚の【少女漫画フィルター】が、警報音を鳴らして大暴走を始めていた。
(これって……! 完全に『貴婦人の恋心』の第6章、『冷徹公爵様の強引なベッドダウン』と同じシチュエーションじゃないのぉぉぉっ!?)
「ゆ、ゆ、優太ぁ……っ」
キャルルの口から、甘ったるく、熱を帯びた吐息が漏れる。
「ん? なんだ、まだ降参しないのか?」
鈍感な戦術バカ(優太)は、いまだに状況のヤバさに気づいていない。
「ちが、ちがうの……っ! あの、私……優太なら、その……乱暴にされても、いい……から……♡」
「……は?」
キャルルは潤んだ瞳で優太を見つめ、ギュッと目を瞑り、わずかに唇を尖らせた。
完全に、チューを待っている乙女の顔である。
「――――ッ!?」
ここでようやく、優太の脳内コンピューターが『現在の自分の体勢(完全に押し倒している)』と『相手の表情(完全にその気)』を正確に認識した。
(や、やべぇ! 俺、単なるCQCの制圧マニュアル通りに動いただけで、これ完全にラブコメの『ラッキースケベ(未遂)』の状況じゃねぇか!!)
優太の顔が一気に熱を持つ。
顔を真っ赤にして目を閉じている、真紅のワンピース姿の美少女。
その柔らかい体温と、甘い香りが、優太の理性を激しく揺さぶる。
「あ、あのな、キャルル。これはその、戦術的な制圧であって、決してそういう意図が……」
優太が慌てて両手を離して飛び退こうとした、その時。
『バンッ!!』
裏庭に面した縁側のガラス戸が、勢いよく開け放たれた。
「……おや? 私の可愛い村長に、白昼堂々、発情期のサルみたいにマウント取って、何してくれちゃってんのかなァ?」
縁側には、腕を組み、冷ややかな(しかし絶対零度の殺気を放つ)瞳で二人を見下ろす、芋ジャージ姿の駄女神・ルチアナが立っていた。
その手には、なぜか半分かじった胡瓜が握られている。
「ル、ルチアナ!? 違う、これは単なる組手で……!」
優太が悲鳴のような弁明を上げる。
「あらら。いいところだったのに、お邪魔虫の登場ねぇ」
「優太様ってば、むっつりすけべ! 私というアイドルがいながら浮気よ!」
ルチアナの後ろからは、ニヤニヤと笑うルナとリーザまで顔を出していた。
「ち、ちが……っ! 今のは優太が強引に私のことを……っ!!」
キャルルはボンッ! と音を立てて全身から湯気を吹き出し、両手で顔を覆ってそのまま家の中へと脱兎のごとく逃げ去ってしまった。
「あ、おい待てキャルル! 誤解だ!」
手を伸ばす優太を、ルチアナの冷たい声が遮る。
「……ちょっと面貸しなさい、優太。創造主の怒りの壁ドン、たっぷりと味わわせてあげるから」
青ざめる優太の背筋に、オークの群れよりも恐ろしい『修羅場』の冷気が這い上がっていく。
平和な組手は、最悪(最高)のタイミングでの乱入により、不器用な医学生にとっての『大ピンチ』へと見事に変貌を遂げたのであった。




