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42.大穴の淵で

 

「うわぁ……」


 口を大きく開けて思わず、といった声を上げるクロを傍目に、僕も目の前の光景に言葉を失っていた。

 穴。

 広がっていたのは予想のごとく、穴だった。

 ほぼ垂直に反り立つごつごつした岩の壁。

 下の方にはわずかに木々や洞窟などが見えたが、歩いて降りるのは不可能に思えた。

 上からは地上までつながっているかの如く光が射し込み、対岸は雲で霞んでおぼろげに見える。

 下を覗いてみると、うっすら雲がかかったその下に鳥のような生命体が崖から崖を移動しているのが分かった。


「眩しい……」


 今まで暗いところにいたせいか、久しぶりに外に出た引きこもりのごとく顔をしかめて手をかざす。

 さすがに上が地上までぶち抜いているとは考えにくいが、しかし太陽のそれに匹敵するほどの明るさがあった。

 植物のものではないのは自明。

 これも迷宮の魔力よる現実改変の結果なのだろうが、しかし無機物であり意識のないはずの概念体になぜそんなことができるのか不思議だ。


「ってそんなこと考えている場合じゃないか。クロ、こっちは明らかに違うから戻ろうか」

「そうですね。早くしないとみんな帰っ、て……」

「クロ?」


 言葉をとぎらせ、ギギギ、と視線を、何かに気付いたように僕の斜め後ろあたりに移動させるクロ。

 目は見開かれ、顔も蒼白になっていくその様子に危機感を覚えるが、探知魔法には目立った反応はない。

 だとするならば、探知魔法外に何かを見つけたか、今有効範囲はそんな大きくないのでその可能性はある、だけどクロの視線を見る限りそう遠くはなさそうというかそもそも遠くがあまり見えない、それなら探知魔法内で何か起こっていることになるが生物の反応はない、がけ崩れでも起こってるのだろうかそれとも探知魔法に引っかからない生物が、この間約0.1秒。


「――やあ、ひどいなあ。そんな怯えた顔をしなくてもいいじゃないか。君を助けたのはボクなんだから」

「ッ!?」


 振り向こうとしたその直前、低めの女性の、または高めの男性の声が聞こえ、そして僕は意識を切り替える。

 感覚のすべてを総動員させ、魔力の高まりや空気の乱れ、音、あるいはなにかの一挙手一投足をとらえる準備をする。

 視覚といった基本的な情報は、探知魔法に引っかからないこのレベルではほぼ無意味。

 敵、知的生命体、おそらく悪魔。

 目標、対象の撃破、もしくは逃走。

 魔窟を出て以来久々の戦闘に、心と頭を整理して、いざその火蓋を切って落とさんと勢いよく振り向くと。

 それは動きもせず――実際のところはわからないが僕が近くした限りでは攻撃的な何かを見せることもなく――そこにいた。


「……君、聖人か何か?」


 臨戦態勢に入った僕を見てもひそかに眉を顰めるだけで、特に敵対的な様子を見せることのないそれに、僕は警戒心を一段階下げる。

 ひとまず好戦的なタイプではないだろうと予想して。

 小柄な体、中性的な、少年か少女を思わせるような顔つきに、腰のあたりまで伸びる長い髪、そしてどこぞの貴族の子供のような豪華な装束。

 街を歩いていたらちょっとした騒ぎになりそうな、母性本能をくすぐる可愛らしい見た目だが、ここは迷宮、第四層。

 小柄な体は何の安全の指標にもならないし、顔つき体つきは魔法でいくらでも変えられる。

 目の前にいるあの体が、本体であるという保証もありはしないのだ。

 僕が黙って警戒していると、それが再び口を開く。


「聖人なら立場上戦わなきゃいけないんだけど……」

「僕は聖人じゃない。ただの冒険者だ」


 困ったなあと首をかしげる暫定悪魔の言葉を聞いて、僕は慌てて言葉を返す。

 クロがいる中、無用な戦いは避けたいというのと、あと単純に戦いたくないからだ。


「そっかあ。それなら大丈夫だね。さっきも言った通り、ボクは君の戦う気はないよ。ま、悪魔だけど」

「それは大問題のような気が……」

「悪魔も人間も神も変わりはしないよ、悪魔差別はよしてよね」


 神が人間と変わりがないと言ってのけるのはさすがの悪魔か。

 当の本人は、全くの本心から言っているかのように笑った表情を作る。


「それに、ボクは君たちに危害を加える気はないんだから。ねっ?そうでしょ、そこの君」

「ひっ……」


 悪魔がクロに視線を向けると、クロはおびえたように僕の後ろに隠れる。

 無理もない、何の戦闘力も持たない一般人にとって、悪魔とはこの世で最もおぞましい存在にすぎないのだから。


「うーん、本当なんだけどなあ……」

「分かった。それは信じよう。で、何のために助けたんだ?」

「え?溺れている子がいたらとりあえず助けるでしょ?なんか防御魔法張ってたけど……」


 僕の疑問に心底不思議だというように答える悪魔。

 人間含む、神様勢力と敵対しているとは思えないほどの発言、悪魔の中でも珍しく善性なのだろうか。

 そんなことは何の保険にもならないが。


「……それに、少しはボクのせいでもあるしね」

「お前のせい?というか待てよ、悪魔なのに僕らと敵対していないってことは、まさかっ!」


 僕は確かに冒険者といった。

 討伐隊である僕たちには、レライエ率いる悪魔たちは必ず敵対していると言っても過言ではないだろう。

 しかし目の前の悪魔は全く敵意を見せることもなかった。

 悪魔の中でもイレギュラー。

 討伐隊と悪魔たちが戦うことになった元凶。

 レライエたち悪魔がここに送られてきた理由。

 公爵級を含む爵位級が複数隊、それに大量の悪魔を動員させる必要のあった、魔神からの逃亡者。


 悪魔の雰囲気が一瞬にして変わり、そしてゆっくりと口を開く。


「ああ、そういえば自己紹介がまだだったね。――僕は、パイモニア。魔王にして王級が一翼、魔界の君主さ」


 不遜な笑みを浮かべながら、悪魔は、パイモニアはそう言った。


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