40.聖人vs悪魔
(さーて、どうしたものかなあ)
悪魔の攻撃によって崩落した第三層を眺めながら、僕は加速された時間で思考する。
下は冷たい魔獣の巣窟。
攻撃はたいして脅威ではないにしろ精神衛生上入りたくない。
冒険者たちは精鋭、悪魔とは戦えなくなるにしろそう簡単に死んだりしないだろう。たぶん。
上の悪魔は見た感じ聖人二人で何とかなりそうな強さだったし、僕が手を出すまでもないだろう。
クロは防御魔法かけてるから落ちても大丈夫。
周りの状況を確認し、特に動く必要もないことを確認した僕は、このまま重力に任せて落ちることにする。
第四層からは適当なタイミングで出ればいいだろうと考えたその時だった。
「――っ!エル!」
アリシャの叫びとともに、僕の体が何かにつかまれたように減速し、空中で止まる。
次いで冒険者たちの体も、ピタッと、硬い床に落ちたかのようにして止まった。
呪術、術者の力量によっては、生き物、無機物、魔力の宿っている万物に対して、どんな影響も与えられる魔法。
例えばそれが、物理、魔法に反するものであったとしても。
「……すげーな」
僕の周りを柔らかく包む呪力を感じながら、思わずそう声を漏らす。
呪術をサイコキネシスのように使うことは、呪いとしての使い方よりも圧倒的に難しい。
さすがに僕以外に対しては衝撃を殺すような工夫はなされていなかったが、それでも数十人の冒険者分の空気の床をつくり出すのは規格外。
もう何回目かもわからないが、アリシャのポテンシャルには驚かされる。
(って言っても、支えるだけで限界みたいだけど。まああのおじいちゃんも頑張ってるみたいだし、大丈夫か)
悪魔と対峙する二人の聖人を眺めながら、僕は手を出す必要がないと判断する。
今のところヴェイペール一人だけで悪魔を押さえつけられているし、アリシャが参戦すればすぐに片が付く。
今呪力で持ち上げている冒険者たちを移動し終わったら、それまでだ。
そう思い、ふと、すっかり広くなってしまった洞窟内を見回して。
クロがいないことに気付いた。
「……ん?」
もう一度、今度は入念に見渡す。
それでもクロの姿を見つけることはできなかった。
さっきまで近くにいたはずなのに。
「あー……、もしかして防御魔法のせい?」
迷宮に入る前に、僕はクロが怪我をしないよう防御魔法を張った。
ほぼ魔法に対しては無敵と呼べるまでの魔法、すべての攻撃を寄せ付けない鉄壁の防御。
もしそれがアリシャの呪力をもはじいてしまったのだとしたら、クロは今頃、岩と一緒に湖の底だ。
防御魔法が働いているおかげで傷一つもないだろうが、クロの力ではそこから上がってくることは不可能に近い。
「……行くしかないか」
僕は一瞬湖面を見つめ、そしてアリシャの魔力を霧散させると冷たい湖の中へのダイブを決行した。
◇◆◇◆
「……しっかし大したもんじゃわい」
悪魔の猛攻を捌きつつ、ヴェイペールはアリシアの呪力に苦笑いを浮かべる。
自分が聖人になりたての頃、あそこまで強大な力を扱えただろうか、と。
呪術、それは魔法の中で最も難しいとされる術だ。
聖人ですら扱うのは難しく、汎用性が高いのにもかかわらず敬遠されてしまっており、術者が最も少ない魔法でもある。
特性があったとはいえ、ここまでの呪力を扱えるのはアリシアのほかにはいないだろう。
(もっともわしが知る限り、じゃがな……)
呪術で攻撃を繰り出す公爵級悪魔を見据え、そう考えるヴェイペール。
アリシアとはまた違う呪力の使い方、呪いを操りヴェイペールを追い詰める。
本来であれば触媒を用意して儀式を行い、対象をじわじわと弱らしめる魔法であるのだが、神にも等しい高位悪魔は甘くはない。
鈍重に光る緑の矢が瞬く間に千百と広がり、空気を、岩を、水を、ノータイムで殺しにかかる。
「くっ!」
無数に放たれた呪いの矢のをすべて防ぎきれず、その一本の余波をくらってしまうヴェイペール。
レライエは狙いを定めて矢を撃ったわけではなかったが、冒険者を含む捜索隊を守り切らねばならないヴェイペールにとってはむしろそちらの方が効果的だった。
視界いっぱいいに広がる洞窟の、ほぼ全域を守らねばならないのだから。
「ははっ!どうしましたぁ、老いた聖人!さっきから攻撃魔法すら打てていないじゃないですかぁ!」
「っ……」
レライエの嘲笑とともに、呪いの矢がさらに生成されていく。
その中にはさっきまでの緑だけではなく、暗い橙、濁った青に光る矢も。
それぞれに違った効果を付与した、呪いの矢。
そして、それぞれに違った対処をしなければならない、呪いの矢だ。
ヴェイペールの焦りが透けて見えるように、防御魔法を貫き始めた呪いの矢の数が段々に増えていく。
そしてついに、ヴェイペールの眼前に光が迫り、頭をかばうようにして咄嗟に出された腕を、貫いた。
「くはははは!なんとあっけない!」
「ヴェイペール様っ!……っ、もう少しなのに!」
アリシアの悲痛な叫びとレライエの笑い声が洞窟内に響き渡り、ヴェイペールの腕が、ボコッと肥大する。
アンバランスに膨らんだ右手がまるで別の生き物のようにうごめき、そして体を飲み込もうとした寸前、ヴェイペールが動いた。
「……っ、むんっ!」
呼応とともに自らの右腕をちぎりとばすと、そのままファイヤーボールで消しとばす。
「ヴェイペール様!私が今治癒魔法を……」
「それくらい自分でやる!それよりもアリシアは早く!」
「っ、はい!もう少しですから……」
アリシアの言葉を聞くと、ヴェイペールはいまだ血が止まらない右肩に手を当てると、治癒魔法を行使する。
一般の、神官などが使うものではなく、聖人にしか使えない特別な魔法を。
「……それが聖人、再生能力とまで謳われる治癒魔法ですか。まったく、これではまるで、ゾンビですね」
まるで五体満足に戻ったヴェイペールを眼下に、レライエは珍しいものを見たと呆れたように呟く。
「ふん、お主の呪いはそう簡単に聞かないようじゃぞ?」
「言いますね。しかし、見たところ魔力を相当に使うようじゃあありませんか。あなたにはもう、少なくとも矢を防ぎきれるような体力は残されてないように見えますがねぇ」
「……どうじゃろうな」
不敵に強がったヴェイペールであるが、しかしレライエの言葉はほとんど正しかった。
何百もの強力な呪いを防いだうえに、右腕の組成まで行い、いくら聖人であろうとほとんどの魔力、そして体力を使い果たしていたのだ。
もはや長く戦えるほどの力が残されていないヴェイペールであったが、しかし不敵な笑みを浮かべるその様子にレライエは眉を顰める。
「何ですか、切り札でもあるんですかねぇ。……まあいいか、それでは第二ラウンドでもはじめ――」
「――ヴェイペール様、今終わりました」
レライエの言葉を切るように、アリシアが報告した。
洞窟内に響き渡りアリシアの凛とした声に、ヴェイペールがほっとしたように顔をほころばせた。
「まったく、遅いわい。間に合わないかと思ったではないか」
「でも、まだ戦えたでしょう?ヴェイペール様」
「なにを言う、もうへとへとじゃよ。おいぼれをこんなに長く戦わせるでない」
呪いの力を高めていたレライエを他所に、和やかな会話を繰り広げるアリシアとヴェイペール。
洞窟の端では、唯一残っていた岩の足場に、すべての冒険者が避難させられているのが見える。
「なるほど、余裕の元はこれですか。でもだから何だというのです?ただの聖人が一人増えただけでしょう」
「ふん、知らぬというのは愚かなことだな。ただの聖人、今そう言ったな?」
「それが何か?」
レライエの質問を、鼻で笑うヴェイペール。
ああ、アリシアの肩書すら知らずに本当に愚かなのだと。
そう、ヴェイペールは元からレライエを倒すことなど最初から考えていなかったのだ。
元々レライエがのこのこと現れた時点で、足場を崩されるといった不測の事態はあったものの、捜索隊の勝利は確定していたようなものだったのだ。
アリシアが冒険者をすべて移動し終えるまで。
ヴェイペールはただそれだけの時間を稼ぐことができてさえいればよかった。
聖人筆頭、アリシア=セブン。
一桁の数字を名に連ねることのできた歴史上でただ二人だけの聖人にして、最高神をしても驚くべき、と言わしめる膨大な魔力の持ち主。
神に等しい悪魔ごときが、侵せるような存在では、ない。
「……悪魔よ、覚悟はいいですか?私とエルの楽しい楽しいピクニックを邪魔した罪は重いですよ!」
直後。
人間を扱うために限りなく縛られていた魔力が、その楔を解き放った。




