83.悪魔の策略
「……あいつは吐いたのかい?オレイ君」
光の一切が遮断された暗室の中、二人の悪魔が互いに見合っていた。
それで、と発されたひどく低くどんよりとした声に、跪いていた一人の悪魔がびくりと顔を震わせる。
「はい、あっさりと。……どうやら探索隊が派遣されたようです。それも聖人の」
「聖人?おぉ、こわいなぁ」
縮こまった体をさらに小さくするようにして、手に力を入れる痩せこけた悪魔。
何とも頼りないその姿を眺めながら、しかしオレイは心の中で悪態をつく。
何が怖いだ、どの口が言うか、と。
あの手がひとたび動き出してしまったのなら、どれほどの厄災が生み出されるものか。
その力をもってすれば、聖人など恐れるに足らずといったところだろうに。
「それにしても、探索?討伐ではなくてかね?」
「ええ。そうすると先日のあれは何だったのかという疑問もわいてきますが……」
「だよねぇ……。あれだけの悪魔が殺されているんだ。少なくとも冒険者の仕業ではない気はするんだけど」
「しかし今その議論を交わしても仕方がありません。問題は討伐隊です」
「そうだね……」
そう呟くと、痩せこけた悪魔――レライエの雰囲気が変わる。
気分の悪くなるような、ねっとりとした殺意がレライエから漏れ出してくる。
並の悪魔をはるかに超える力を持っているオレイであっても、だ。
「それでぇ、聖人たちは今どこに?」
「だ、第三層と四層の境目に向かっているらしく。冒険者たちも一緒です」
「第三層?ちかいねえ……」
ふぅん、と気のない返事が聞こえ、そしてレライエの顔がくしゃりと歪む。
無邪気に、醜悪に、楽し気に、子供が新しいおもちゃを見つけたときのように、言った。
「……いいこと思いついちゃった」
◇◆◇◆
長かった狭い通路を抜けると、そこには広々とした空間が広がっていた。
地下であるのに、向こう側にあるべき壁が見当たらない広大な空洞。
今出てきた場所はこの空洞の中では最も高場所になっており、十メートルほど下に広がっているのは湖面だ。
光を吸収し、黒々として静かに波打っているそれは、無限に広がる虚無を想起させ、見るものすべてを吸い込んでしまいそうなかのように見えた。
アリシャは湖の中でゆっくりと動いている巨大な魔法生命体をとらえつつ、やっと着いたかとため息をついた。
エルが近くにいるのにもかかわらず分断されていたこの状況から、やっと逃れることができるという喜びのそれでもあった。
あとに続く冒険者たちも続々と到着し、最後の冒険者が付き終えたことを確認したヴェイペールは指示を出す。
「それではこれから班に分かれて捜索してもらうことになる。伝えたが、捜索は十六時までとし、遅れたものがいた場合は緊急事態とする。忘れぬようにの」
緊急事態となった場合、ヴェイペールやアリシャを含む数人の選抜冒険者たちからなる隊が行方不明の班の捜索に当たる。
これは悪魔による襲撃を警戒するため。
もし悪魔によるものだと判明した場合はその脅威度を確認、その後撤退となる。
「わし含む救援部隊はここにいるからの、もし悪魔が危険なものであったならここへ知らせることじゃ。そうすればわしらが救援に向かう」
捜索班が高位の悪魔に遭遇して戦闘になってしまった場合、まず第一にすべきことは一人を伝令に出すことになる。
あくまで今回は悪魔の調査が目的であり、討伐はそこには含まれていない。
ヴェイペールは救援に向かうといったが、もし彼らでも敵わないとわかったのなら撤退を優先させることになるだろう。
それから先は神様の出番だ。
絶対的支配者にして世界の護り手である彼らの主人たちの。
「ま、十中八九私も駆り出されるでしょうけど」
探索に出た聖人が討伐に加わるのはよくあることである。
アリシャをして化け物と言わざるべき存在達の戦いに巻き込まれるのも不安しかないが、しかしまたいつも通り護衛がつくのだろう。
過保護な、彼女の主のせいで。
「それでは各自、解散じゃ。定刻までに戻ってくるようにの」
ヴェイペールがそうしめると、冒険者たちが一斉に動き出し、班ごとにまとまり始める。
アリシャはその中にエルの姿を見つけ、そしてうっきうきで近づいていこうとしたその時だった。
「――うわぁあ!!」
悲鳴が、鳴り響いた。
悲鳴のもとに目を向けてみると、それは集合地から出ていこうとした男の冒険者のもの。
尻もちをついた状態でおびえたようにその奥を注視していた。
「何だあ?ありゃ、魔獣でも出たのか」
エルの近くにいた冒険者――確かシードルと言ったか――が頭を掻きながら呆れたように言う。
確かにあの醜態は高位冒険者らしからぬ振る舞いだが……
「――ッ!まさか!」
アリシャは嫌な予感を感じ、そして探索魔法を発動させる。
他の聖人たちよりも範囲の広く、精度もよいそれを。
そして、感じた。
醜悪なで最悪な、その存在を。
「あく、ま」
アリシャのそのつぶやきとほぼ同時に、悲鳴を上げた冒険者の体が吹っ飛び、そして闇からその存在が現れる。
目はくぼみ、体は痩せ、体幹の曲がった、しかしその弱弱しい体とは裏腹に膨大な魔力を感じる一人の悪魔が。
「なんだ、ありゃあ……」
シードルが、絞り出した声を出す。
寒さすら感じられる洞窟の中なのに彼の顔からは大量の汗が吹き出し、構えることも忘れて硬まっていた。
シードルだけではない。
この場にいるすべての冒険者が、悪魔を見て硬直していた。
まるであの悪魔に関心を持たれるのを恐れているかのように。
悪魔がぐるりと冒険者たちを一望し、そしてアリシャのところで止まる。
値踏みするようなその視線にアリシャはまとわりつくような悪意を感じ、思わず体を震わせる。
「……ふん、なるほどねぇ」
悪魔の小さなつぶやきが、静寂の洞窟を通り抜ける。
そしてにまあっと邪悪な笑顔を浮かべると、大げさに手を上げ、慇懃に腰を折った。
「――ごきげんよう、冒険者諸君。それと……聖人。それでは――」
「――っ!防御魔法を!」
悪魔の不穏な言葉にいち早く反応したのは、冒険者たちでもなくアリシャの言葉でもなく、ヴェイペールの魔法だった。
悪魔におびえる冒険者たちを傍目に、彼だけは何があってもすぐに対応できるよう魔法を待機させていたのだ。
悪魔が緑色の矢を出現させると同時に、ヴェイペールの防御魔法が冒険者たち覆うように広がり、悪魔と、探索班たちが完全に分割される。
通常であれば人ひとり班ひとつ覆うのが精いっぱいである魔法、それに比べてはるかに強大な防御壁である。
対魔獣、対悪魔用としては申し分ない魔法ではあったが、しかしレライエの目的に対してはいささか間違いだったといえるだろう。
悪魔は、その魔力によって顕現した緑色の矢を、冒険者たちではなく自らの足元に向ける。
「なにをっ……‼」
「くくっ、なあに、ただ戦うのにこの場所は狭すぎる。……少し広げてやろうと思いましてねぇ」
「……まさかお主っ!」
レライエがしようとしていることを何としても止めなければいけない。
叫びながらもヴェイペールは魔法を発動させようと魔力を制御し始めるが、しかしレライエの方が一瞬も、二瞬も早かった。
矢が放たれ、そしてそこから蜘蛛の巣状に足元の地面に亀裂が走る。
三層と四層を隔てる壁となっている、洞窟の地盤に。
「それでは冒険者諸君――さようなら」
レライエがそう告げると同時に、大きな衝撃音が鳴り響き、地面が、見渡す限り空洞内すべての地盤が崩落を始める。
その上に立っていた、地を這うことしかできない人間たちと一緒に、落ちていく。
眼下には黒々とした、冷たい魔獣の巣。
「くははっ。……飛べないというのは不便なものなんですねぇ」
そんな悪魔の冷笑とともに、聖人以外捜索隊は第四層へと堕ちていった。




