閑話2.アリシア
「ん?どうした、行かんのか?」
第一層、第二層を回り、冒険者の拠点へと到着し、さて、トロッコ乗り場に向かおうという聖人たち一行。
そんな中、ふと立ち止まったアリシアに、老聖人はそう問いかけた。
「……ご老公、今日はこれで終わりなんですよね」
「うむ、そうじゃな。仕事はここまでであるし……何かここでやりたいことでもあるのかの?」
「はい。もし許していただけるのであれば、ここで少しでも冒険者たちの手助けをしたいと思っております」
「というと?」
老聖人は聞き返す。
というのもアリシアの答えは「人々を助ける」という聖人の基本理念でありながらきわめて抽象的だったからだ。
さて迷宮に乗り込んで冒険者たちと一緒に魔獣を倒しまくるとのかと考えていた老聖人だったが、しかしアリシアの答えはそれとは異なる、きわめて「聖人」らしい答えであった。
「はい。ここで、魔獣たちとの戦いで傷ついた冒険者を癒して回りたいのです」
「なんと。しかしここには医者もおることだし、お主がわざわざ魔法を使うまではないのではないか?」
「ここの医者がするのは治癒というよりは応急手当てに近いものでしょう。後遺症なども残りやすく、完全なものとは言えません」
その言葉に神官たち、そしてリオネルたちが驚いた表情を見せる。
それはアリシアの言葉がここの医者を貶めるようなものだったからではなかった。
ここ冒険者の拠点にいる医者は都にいるような医者とは大きく異なり、少し医学をかじったことのある人間にすぎない。
行われることも毒などの簡単な対処や、けが人がトロッコで地上まで運ばれるまでの応急処置などに限られており、治療を行っているとは言い難いものであるのも確かであった。
しかしそれを完全なものでないと言ったということは、アリシアは完全な治療、つまりは完璧な治癒魔法を冒険者一人一人にかけるつもりであるということ。
完璧な治癒魔法というものは魔力を多く消費するとても難しい魔法であり、リオネルたちの驚愕は、それを連続で行使するといったアリシアの魔力量、あるいはその思想に向けられたものであった。
「ふーむ。治癒魔法をかけるということじゃな?しかし冒険者の数はそう少なくはない」
「構いません。今日はほとんど魔法を使ってないですし、寝ればその程度の魔力は回復しますので、明日にも支障は出しません」
「なっ……」
その言葉にリオネルは再度驚きの声を漏らす。
たくさんの冒険者たちを完ぺきに癒すだけの魔力が寝れば回復するなど、一般人よりもはるかに優れた魔力回復能力を持っている聖人からしても異常。
最高神の眷属というポテンシャルを如実に感じさせる一言だったためだ。
「ふむ、それなら構わん。というより儂はこの件の責任者というだけでお主の行動に口出しはできんからの。ただ悪いが、わしらはそれに付き合えはせんぞ」
「一向に。許していただきありがとうございます」
「構わんて」
そう言うと老聖人は、話は済んだとばかりにくるりと、アリシアに背を向けて歩き出す。
アリシアもそれに倣って、少しの神官たち一行を離れていった。
「……よかったのですか?ご老公。彼女に単独行動をさせて」
「仕方がないじゃろう。さっきも言った通りわしには決定権はない。あの娘の方が位階は高いわけじゃしな」
それに、と老聖人は言葉を切ると、リオネルを見据える。
「あの子のやろうとしていることは、聖人の基本理念にも適っておる。これとないぐらい、今までに見たこともないほどまっすぐにの」
「うっ……」
聖人の基本理念にかなっているといわれてしまえば、リオネルには何も言うことができない。
教会とは、聖人とは理念を果たすために神から力を授かった存在であるのだから。
しかしまっすぐに、ただまっすぐにその理念をかなえようとする考えは、あまりにも幼く、そして危ういと、リオネルはそう思う。
リオネルも、あの若い聖人も、老聖人でさえ、おおよそ聖人となるまでに至った人間であれば誰しもが持っていたであろうその考えが。
「……彼女はまだ幼い。だからこそ我々が導いていかなければならないのでは?」
ポロリと、リオネルの口から思いがこぼれ出る。
憐みからか、呆れからか、嫉妬からか、それとも―諦めからか。
どんな感情が、どんな思いがそうさせたかは、リオネル自身ですら、リオネル自身だからこそわからなかった。
ただ自然に、言葉が出ていた。
すでに歩き出していた老聖人は、リオネルの言葉を聞いて立ち止まり、そしてゆっくりと振り返る。
「……導く、とはなんじゃ?」
「――それは我々が、私たちが一番知っていることではないですか」
リオネルも、かつてはまっすぐに理念をかなえようとする思いがあった。
しかし。
神の恵みをどうにか金に換えることができないかと考える豪商たち、その後ろ盾を得ることによって権力を確立しようとする貴族、王族たち、人の身には余る力をどうにか利用できないかと考える冒険者組合に、物事の本質を理解しようともせず思い込みに妄信的に従う庶民たち――
リオネルが、聖人の力を行使すると必ず、どこかで得をする人間と損をする人間が現れた。
権力に組み込もうと策を弄する人間が現れた。
私利のために利用しようとする人間が現れた。
リオネルが救済を試みれば試みるほど、人間は羨み、嫉妬し、求め、そして壊れていった。
……いったいいつのことだったろうか。
人間が救済されるべきではないと気づいたのは、救済が人間のためにならないと気づいたのは、そして
――下界に、降りなくなったのは。
「羨ましいんじゃな、あの子が。自らができるはずもないと思っていたことを、なそうとしている聖人が」
突然に、老聖人の言葉がリオネルに届いた。
羨ましい。
自らの心中を見抜かれたような、そんな老聖人の言葉に、リオネルはむきになって言い返す。
本来許されるべきではない口調で。
「違う!ただ……ただ彼女はまだ人間の裏を、我々の理念の壁となるものをよく知らない。そんな状態で――」
「――なぜ知らないといえる?」
「へ?」
なぜ、しらないといえる。
その言葉は、それではまるで、彼女が知っているというような……
「なぜあの子がまだ純粋だと?確かに聖人となってからは短いが、それでもあの子は何度も地上に降りて活動してたんじゃ。……人が愚かな聖人を利用しようと考えるのには十分なじゃろう」
「それは……」
「知ったじゃろうな。人がどんなものであるかが分かるぐらいには」
リオネルは知らなくて、そして老聖人は知っていた。
少し前に、一瞬だけではあるがアリシアが下界に降りなくなった時期のことを。
そして、第八位が下界で騒ぎを起こしたことも。
「それならなぜ、彼女は……」
「理由は、わからん。あの子が人にまだ望みを抱いていたのか、それとも愚かさを知った後でも折れないだけの何かがあったのか。どちらにせよ、あの子はわしらが思っているほど、弱くはなかったということじゃな」
人の醜さを知った後でなお、救済を実行する。
それはまるで、まるでアリシアが真の「聖人」であると言っているようなものではないか。
名称としての聖人ではなく、意味としての「聖人」。
リオネルたちが求め、そして諦めてしまった存在。
「聖人、か……」
リオネルはアリシアの去った方向を振り返る。
彼女がもし、理念をまっすぐに叶えようとする存在であったのなら。
それはどんなに尊いものなのだろうかと、リオネルはそう思い、すでに歩き出していた老聖人らの後を追った。
◇◆◇◆
――生き延びて、それが彼の願いでしょ?
そう言われてエレーナの手を取り、そして神界へと連れられた。
聖人にしてくれとエレーナに頼み込んだのはそれからしばらくもしないうち。
彼に助けてもらったこの命を、彼のために使うことはもうできないけれど、その代わりにほかの誰かを救うために使いたい。
そう考えて、そしてアリシアという聖人が誕生した。
「――それならば歩き回って冒険者たち一人一人に魔法をかけるより、冒険者たちにアリシア様の元へ来させる方がいいかと。冒険者たちを集める役割は私たちがいたします」
「そうですね。場所は……病院でいいでしょうか」
「はい。それがよろしいかと」
それからはたびたび下界に出て、人々を癒したり、魔獣と戦ったり、悪人をつかまえたり、とにかく人々の助けになりそうなことをした。
教会から贈られてくる要求以外にも、定期的に下界を回り、時には下界に住んでまで活動を行った。
それもすべては彼の、自らの命をもってアリシアを救った少年のように、人々に報いるため。
魔力の枯渇で精神が疲弊しても、悪人の極悪非道な所業を目の当たりにしても、聖人として活動していくうえでどんなにつらいことがあっても。
私の命は彼の命で成り立っているものだから、彼の救いに報いるためだから。
――私の命は、彼のために、と。
そう呟いて、頑張ってきた。
聖人の理念である人類の救済に、全力を注いできた。
だけど。
「……それにしても、アリシア様はお優しいですね。冒険者なんて自ら死地に飛び込むような者たちなのに」
「冒険者も人類には変わりがないでしょう」
「そうですが……」
「私たちの理念は彼らの救済。これは聖人として当たり前だと、私は思いますよ」
「それでも、ですよ。たとえ彼らが人類であっても、……あんなことがあったのに――」
「なっ、お前!」
自らの行いが人類のためになっている、人間のためになっているなんて。
そんな傲慢で、独りよがりな考えは、すぐにへし折られることになった。
人間たちの裏が、闇が、人間らしさがアリシアに襲い掛かるという最悪の形をもって。
お前のせいだ、と。
憤怒をあらわにした人間が、そこにはあった。
お前さえいなければ、と。
嫉妬に狂った人間が、そこにはあった。
あなたのおかげです、と。
強欲な表情を浮かべた人間が、そこにはあった。
悪意が、善意が、欲が、死が、まだ幼かったアリシアを襲い、そして多くの聖人がそうであったようにアリシアは知った。
人間がどれだけ愚かで、そして救済がどれだけの人々を苦しめていたのかを。
いままでアリシアのしてきたことなど、もはや救済ではなかったことを。
そして。
「すいません、こいつが……思い出させるようなことを……」
「……大丈夫です。ほら、あなたもそんなに青くならないで。私はあの時のことなんて――」
そして人間の愚かさを知ると同時に、アリシアは気づいたのだ。
救済が無駄だったと知っても、自分が何も思っていないことに。
――自分が人類の救済なんて、願ってもいなかったことに。
そもそも。
アリシアが聖人となって、人々を救ってきたのは彼に報いるためだった。
だけど、アリシアの命を救った彼を。
いじめ、排斥し、まるで忌み子のようだ、なんて馬鹿にしていたのは誰だったろうか。
それは村人たちであり、人間であり、そしてこの世界そのものではなかったのか。
魔力量が少ないなんて、そんなくだらない理由で。
本当に彼に報いるのであれば、アリシアの命が少年の命のためにあるのであれば、本当にすべきなのは救済ではなく、彼がなせなかった、なそうとも思えなかった復讐なのではないかと。
アリシアはそう考え、そして人間に敵対する聖人が生まれた。
「――あの時のことなんて、もう気にしてはいませんよ。……ほら、もう病院が見えてきました。申し訳ないと思うのであれば、一人でも多くの冒険者たちを救えるよう努力してくださいね」
「え……、は、はい!」
悪意にさらされたのがほかの聖人たちであれば、聖人となる前から人類の救済を心に苦労を重ねてきたものたちであれば、諦めることはあろうとも理念は覆らなかっただろう。
しかし体は成人のそれとなっていても、心はまだ幼かったアリシアにとって、人間の悪意はあまりにも重すぎて、だからアリシアは歪んでしまったのだ。
元々の目的が、命を救ってくれた恩人に報いるため、というのも相まって、救済対象であった人類に憎しみを抱く程度にまで。
表向きの救済は行おう。
そうでなければ聖人とは言えないし、聖人の力を持ったただの人間は、神界からの討伐対象となってしまうのだから。
ただ。
私がなす救済がどこかで人間を苦しめていようが構うものかと。
それで人間が崩壊してくれれば、むしろありがたいほどだと。
「――それでは中でお待ちください。あとは我々に」
「わかりました。……頑張ってくださいね?」
「は、はい!」
目の前で顔を赤くした神官も、傷をおった冒険者も、理念に苦しむほかの聖人たちも、救済対象である人類も。
アリシアにはそのすべてが、彼以外のすべてがもはやどうでもいい。
理念なき聖人はジレンマには陥らない。
ただ一人を対象とした救済を行う聖人は、苦しむことなんてない。
――私の命は彼だけのために、と。
成人になってから変わることのない、しかし歪んでしまったその理念を口にすると、アリシアは救済を行うために病院の中へと入っていった




