閑話.聖人たち
「……世界最大の迷宮と聞いていたが、意外と大したことはないな。魔獣のレベルもたいして高くはない」
「ああ、そうだな」
隣を歩いていた同胞の言葉に彼――中級神の眷属にして位階第十七位の聖人、リオネルがそう答える。
冒険者が聞けば眉を顰めるどころか油断するなと怒られそうな言葉ではあるが、その言葉が大敵となることが想像できないのは彼の実力によるものなのか、それとも周りの彼の同胞たちによるものなのか。
どちらにせよ神の恩恵を直に受ける彼らの実力は、一介の冒険者のそれとは比べ物にならないということである。
「……失礼ながらお二方。少し油断が過ぎるのではないでしょうか。ここは迷宮と言ってもまだ一層。ここから下は魔窟ですゆえ」
「ま、魔窟?」
「はい。ですからそのように油断をされては」
彼らの前を歩いていた神官の護衛――彼らより弱いものに守られるというのも変ではあるが――がのんきなことを言う聖人たちを諫める。
すると、聖人たちの集団の中からしわがれた声が発せられた。
「そうじゃの。これから行く二層より下は、単なる魔獣の巣とはちごうて環境も敵となる。『魔窟』とはよくたとえたものじゃが、実際のところは似たようなものじゃしな」
「ご老公。似たようなもの、とは……」
「ん?知らんのか。浅学じゃのう。探索が目的なのじゃから、少しは調べてこんかい」
白髪にこれまた白く長いひげを蓄えた聖人の叱責に、リオネルの隣にいた若い聖人は申し訳ありませんと短く謝罪する。
素直に謝ったのは無知を恥じたわけではなく不勉強から。
若い聖人はその強大な力から、傲慢になってしまう傾向にある。
気を付けてはいたそれを再認識し、恥じたためであった。
「ここ、つまりは自然迷宮はもともと自然に存在していた空洞が、強力な魔力にさらされてできたものじゃ。それはわかるな?」
「はい。その性質上、最奥部は強力な亜神の住処になっていることが多いと聞きますが……」
冒険者の間で迷宮の主などと呼ばれている存在、いつかに会った勇者はボスと言っていたか。
「そうじゃ。ここの迷宮では、二層以降が魔力の影響を受けてるんじゃろうな。で、じゃ。基本的には魔窟も、魔力の影響でああなってしまったと考えられているんじゃ」
「なるほど。魔窟も言ってしまえば地上に広がった迷宮のようなものなのですね」
「そうじゃの。そしてこの迷宮は世界最大。攻略済みの第四層以下はどうなっているのか、わしらでもわからん。それこそもしかしたら魔窟のような光景が広がっておるかもしれんぞ?」
老聖人の発した言葉を聞いて、今まで口をはさんでこなかったリオネルの顔が目に見えて青くなり、そして怯えを含んだ表情を見せる。
魔窟、神様でさえもおいそれと手を出せない、地上唯一の禁忌の地。
いかに強大な力を持つ聖人であっても決して生き残れる保証のない危険な場所だが、しかしリオネルの反応は、若い聖人と比べても、少し過敏なようにも思える。
ここは実際の魔窟ではなく、しかも今回の探索の範囲は第三層までとなっているのだから。
注意しようとした老聖人も、リオネルの予想以上の怯え様に驚く。
「これ、そんな怖がるでない。わしはあくまで予想を口にしたまでじゃ。本当に魔窟のようだといったわけでは――」
「――しかし!」
リオネルの唐突の大声に、神官たちは何があったのかと振り返る。
隣を歩いていた若い聖人も、めったに見せることのないリオネルの取り乱した姿に驚きの表情を浮かべていた。
「しかしもし、この場所が魔窟のような、いや、魔窟の脅威を数段階下げたような場所であったとしても!ここにいる四人、それと予備戦力として連れてきた彼らを含めたたった六人の聖人では戦力に欠けるとしか思えません!魔窟は、あそこはそんなに甘いものでは――」
「落ち着くんじゃ、リオネル。魔窟と言ったのは比喩じゃ。それに第三層までは人間の冒険者の活動範囲。わしら聖人を脅かすものなどそうそういないじゃろう」
「それが何の保証に!少しでも予想外のことが起きれば――そう、迷ったりでもしようものなら、いくら私たちであろうとも!」
「――冷静になれ、リオネル。そうならないように、この場所に慣れるために今こうやっているのではないか」
「それは……確かにそうですが……」
老聖人の窘めるような声色に、さすがは年の功か、リオネルは段々と落ち着きを取り戻してくる。
少しして、完全に元の状態に戻ったリオネルは、老聖人に頭を下げた。
「すいません。少し、そう、本当に少し取り乱してしまいました」
「ほんとにの。さっきも言った通り脅威はほとんど、いるかもわからない悪魔を除いてはほとんどないじゃろう。心配いらん。しかしなぜそんな――」
そこで老聖人は言葉を切り、はたと気づいたような表情を見せる。
「……そうか、魔窟に対するその怯えよう。お主さては、少し前に会った魔窟遠征に参加しておったな?しかも確かお主の仕える豊穣神様は……」
「ええ。私も、あの時そこにいたんです。魔窟の探索中に運悪く遭難してしまった、かの班に。」
リオネルはぶるっと身震いをして、そして噛みしめるように重い言葉を吐いた。
「あれは、あそこは――そう、地獄でしたよ」
思い出されるのは凄惨な記憶。
あの頃のリオネルの己の持つ力の過信を、我々を阻むものなど何もないという傲慢な考えを、一瞬にして刈り取った地獄の光景。
同僚であった、しかしより高位の神の眷属であり自らが及ぶべくもないと尊敬していた高位聖人が、神界に属する最強の軍隊の一角であり、神界を守る鉄壁の守りであった天使たちが、そしてすべての生命体の頂に立つ、世界の絶対者たる神が。
――切られ、食われ、焼かれ、裂かれ、蹂躙されのを見た。
突然の襲来、不可知からの攻撃、吹き飛ばされる天使たち、まき散らされる淡赤色の臓物、そして地に伏し赤黒い何かを流していた我らの主――
あの時、空間神率いる本体が駆けつけてくれていなかったら、班は全滅していたところだったろう。
リオネルが無事だったのは、実力というよりも運がよかったからである。
「……私の主、豊穣神様は生きておられましたが、班はほぼ全滅。忘れようにも……忘れられません」
「だからお主は『魔窟』という言葉に過敏になっておるわけじゃの」
「はい。実際……ここが魔窟と同じ成り立ちだと聞いて、この任務をできることならば放棄したいと考えてますよ」
リオネルも分かっている。
ここは魔窟とは全くの別ものであり、そして脅威度も全くないことを。
しかし一度ついてしまった魔窟に対する恐怖は、簡単に消えるようなものではなく、今もリオネルを蝕み続けていることも事実だった。
「ふーむ、もし耐えきれないようであればほかの聖人と代わらせてもよいが……」
老聖人は考える。
確かにリオネルはトラウマを患っており、このままだと任務を完ぺきにこなすことは困難であろう。
しかし先ほども言ったと通り、今回探索する二、三階層に聖人と対等に戦える魔獣などほとんど存在しなく、迷宮に対して及び腰になっているリオネルでも、あるいは同じ班を組むであろう冒険者たちでも十分に対処することができる。
悪魔であっても、下位爵位のものであったら同じこと。
上位爵位持ちと出会ったところで、リオネルの力量なら逃げ切ることは容易だろう。
だとするならば、リオネルをここでチームから外すのではなく、迷宮が大したことがないと身をもって理解させて、リオネルのトラウマが和ぐのを狙った方がいいのではないか、と。
「……教会から任された任務であるしな、できればこのままリオネルにやってもらいたいとは思うんじゃ。新しい聖人をまた迷宮に連れてくるのも面倒じゃしな」
「しかし……」
「大丈夫じゃよ。もし何かあったら逃げてくればよいし、それに、今回は上位悪魔に備えての戦力じゃ。何とかなるであろう。ほれ、あの娘もおるしの」
老聖人はそう言って、リオネルたちからは離れたところにいる彼女――今回派遣された聖人の中でも唯一の聖女であるアリシアを目で示す。
アリシアは一連の会話を全く気にも留めた様子もなかったが――リオネルが大声を出していたのにもかかわらず――視線がこっちを向いたことには気づき、小さく会釈した。
「……アリシアですか。本当に彼女は強いんですかね。私にはどうも……」
「聖人でも珍しい、最高神様の眷属じゃ。わしらなんかよりもずっと強い魔力を持ってるわい。戦闘に関しては見たことがないが、まあ最高神様がその点を抜かるとも思えんしのう」
「そうですか……」
数年前急に最高神の眷属となり、また聖女となったアリシア。
それ自体は少し珍しいことという程度だが、彼女の特異な点はその出で立ちにあった。
聖人とは普通、強者の人間や高位の神官などが神に認められ、眷属となることによって生まれる。
しかし彼女は、魔力量は人並み以上にあったようだが、それ以外は戦闘経験すらないただの村人だったのだ。
最高神の眷属ということで、聖人としての力は疑うべくもないが、しかし戦闘能力に関しては、少なくともリオネル達からしてみれば首をかしげるところであった。
「しかし彼女、何というか不思議だよな。何を考えているのかわからないというか……」
若い聖人が、そうリオネルに話しかける。
「そうだな。俺も話したことはないし……。よく考えたら彼女が話している所なんか見たことがないな」
「だろ?ただ下界の間じゃあ結構な人気らしくてなあ……」
「それはあの容姿からなんじゃないか?人間たちからしてみれば、あんな整った顔、人気にならない方がおかしいだろう」
「確かにな」
アリシアは、比較的整った顔立ちの多い神界においても目立つ、美しい顔立ちをしている。
下界の人間たちからしててみたら、なおのことだろう。
「ほっほっほ、それもあるじゃろうが、彼女はしょっちゅう降りてきて人助けをしておるからの。慈悲深い聖女様として有名らしいぞ?」
「よくご存じで。しかし、しょっちゅう降りてきて、とは珍しいですね」
聖人は基本、神殿からの要請がないと動こうとしない。
それは面倒だから、という理由もあるだろうが、世界中の面倒ごとをすべて押し付けられては対処のしようもないからという理由もある。
その中で積極的に下界に降りて、魔獣の対処や人々の治癒などをしているアリシアは、異端と呼ばれるほどのものであった。
「まあ聖人になったばかりというのもあるしの。人々のためにならなければという献身的な思想でも持っておるんじゃろうな」
「そういうものでしょうか……」
会話をしていると、どしゅっ、という音が後ろから聞こえてくる。
振り返ってみると、当のアリシアが突如現れた魔獣を危なげなく狩っている所であった。
彼女の表情には変化はなく、その端正な顔は美しさを保っているまま。
「……慈悲深い聖女、か」
アリシアが淡々と魔獣を屠っている、その様子を眺めていたリオネルは、慈悲深いと呼ばれる存在である彼女が、しかしどこか冷たい雰囲気を持っていると、そう感じた。




