25.いくばくかの不安
「……参ったなあ」
「そんなにため息ばかりついて、なにがあったか聞いてもよろしいですか?」
騒々しいギルドを早々に立ち去って、僕らは宿に帰っていた。
時間は夕食時、僕は道具を使って簡単な調理をしようとしていたのだが、ギルドで聞いたことが胸の中にわだかまりとなっていてため息が多くなっていたようだ。
そんな憂鬱な様子を察して、と言ってもあからさまに態度に出していたために気まずかっただけかもしれないが、クロがそう尋ねてくる。
「ううん、ちょっとまずいことになってね……。僕のせいでこの街に神様が来るかもしれないってことを聞かされたんだ」
「……アースドラゴンを倒しただけで、ですか?確かにアースドラゴンは強力ですが、せいぜいA級程度の魔獣です。それが倒されただけでは神様は動いてくれないのでは?」
「普通ならそうなんだけどね。いろいろなことが重なって、って感じかな。上位爵位級の悪魔がいるかもって話になってるんだよ」
「それなら『災害』指定でも……」
猫耳をぺたんとしおらせて、深刻そうな表情を見せるクロ。
僕も作業の手を止めて、口に手を当てる。
「そう、だから憂鬱でね。もし神様が来ることになったのなら僕が亜神だってばれないようにしなきゃだし、ドラゴンの件もごまかさなきゃいけないし」
もし神に亜神とばれたらどうなるか。
彼らは基本的に、自分たちの絶対性を脅かす危険のある者には容赦をしない。
それこそ街ひとつ国一つ、場合によっては神そのものの命が犠牲になろうとも僕を全力で消しに来るだろう。
少なくとも僕に対して過剰戦力をぶつけてくるのは必至で、逃げるにしても戦うにしても僕ら以外のところでの被害が出ることは確実だ。
僕がここにきてあまりたってないが、せっかく慣れてきた場所を失うのも嫌だし、できることなら平穏に暮らしていたい気持ちもある。
そんなわけで、神と戦うなんてまっぴらごめんだった。
「……でも、実際悪魔はいないわけですし、調査でそうとわかるんじゃないですか?」
「まあ確かにね。アースドラゴンを倒したのは僕だし、この前見た悪魔も雑魚……だった、し……?」
言いかけて気づく。
遺跡の最下層で出会ったあの悪魔、何か引っかかることを言っていたような……。
あの時はまったく気にしてなかったが、僕のことを初めて認知した時に言っていたこと、
確か
「『あいつ』も面倒なところを押し付けてくれる、だったか……?」
まるで複数の悪魔で各地を分担して何かをしていて、あの悪魔は誰かに言われてあの場所にいたような、そんな言い方をしていなかったのだろうか。
「……いや、気のせいだよな、多分。ちょっと前のことだし、勘違いとか何か……」
「……気のせい、ですか?」
「ううん、何でもないよ。僕の気のせい……」
クロの訝し気な問いに、確証が持てないまま答える。
この胸に残る嫌な感じ、気のせいとだと片付けるのには少し不安な気はするが……
「よし!この話はもう終わり。……あ、そろそろ湧き上がるかも。クロ、ちょっとこれ見てて」
「え!?あ、はい。わかりました……」
突然の話の転換に驚きつつも、火のかかった鍋に恐る恐る近づくクロ。
獣人だから、というわけではないだろうが、まだ火に若干の怯えを抱いているその様子を見ながら、心の中にある不安が段々どうでもよくなってくるのを感じる。
「……せいぜい不確かな記憶だしな」
それに、この力があればたとえ神様が来たとしても逃げるくらいのことはできるはず。
なるようになれ、もし最悪の事態になってもどうにかできてしまうだけの力があるのだから。
「この力を手に入れてから、ずいぶんといい加減な性格になったなあ……」
前世にいた頃はもっと慎重な性格だったはずだ。
何せ家庭環境があんなふうだったし――
「ご主人様!お水がぐつぐつ言ってます!」
「ん?沸いたかな?」
クロの声が聞こえ、思考が中断される。
「温めすぎもよくないからなー。火、止めといて」
「えぇ!私がですか?ちょ、ちょっと……」
びくびくしながらも頑張って火を止めようとしているクロの様子に微笑ましさを感じつつ、ふと気づき、僕は魔法を使って鍋の火を消す。
魔法があるこの世界。
作業の手を止めないでも別のことをやるなど、大したことでもなかった。
◇◆◇◆
「……というわけでもし上位爵位級悪魔の痕跡などが見つかりましたら、教会の方へと申請を出すことになるとのことです」
窓から青い月光が差し込む薄暗い部屋。
この世界では珍しい、エリのついた黒い外套に身をまとわせた白髪の老執事が手元の紙を読み上げる。
「最悪、神様の対応をお嬢様がなされることになるかと……」
「お嬢様はやめてって言ってるでしょ、エリック。それに……わかってるわよ、そんなこと」
執事――エリックのどこか強さを感じられる芯のある声とは対照的な、美しい女の声が部屋の中から聞こえてくる。
「……ああもう、面倒くさいことになったわね」
「そうは言ってもお嬢様、悪魔がこの街を襲うよりかはまだましかと」
「場合によってはそうとも言い切れないでしょうけど。……悪魔がいるのはほぼ確定なの?」
「可能性が高い程度かと。ただ、悪魔の目撃例はいくつも上がっておりますし、実際問題としてA級の魔獣も倒されております。上位とまではいかなくても、爵位級の悪魔がいるのは確定かと」
「そう……」
しばらくの静寂、その間もエリックは身じろぎひとつせず、部屋の端に立っていた。
「……こんな時彼を使えれば。もしかしたら上位爵位級悪魔にだって対抗できるかもしれないのに」
不意に。
独り言のように彼女は言葉を吐き出す。
「彼、というとあの冒険者のことですか?お嬢様が帰路で出会った」
「ええそうよ。まあ、あの時はまだ冒険者ではなかったようだけれど」
「しかし、いくら強いといっても上位爵位持ちは桁が違います。あれはとても人間に対処できるものでは……」
エリックがそういうのも無理はなく、上位爵位級の悪魔といえばどちらかといえば亜神とも肩を並べるほどの存在。
脆弱な人間種にはどうすることもできないというのは常識以前の問題だ。
しかし
「いいえ、彼――エルならあるいは。あの強さは本当に、人間を超えていた。異界から召喚された勇者、神に認められ、眷属となった聖人。私は立場上、そんな超越者に会うこともあったのだけれど、エルにも似たような雰囲気があったわ。もしかしたら人間でないのかも、と思ったぐらいには」
「そこまで……。とてもは信じられませんが、お嬢様がそういうのならばそうなのでしょう。……しかし、そこまでの実力者ならばこの街で噂になってもおかしくはないのでは?」
エリックが首をひねりながら疑問を投げかける。
それに対する彼女の返答は、しかし答えではなかった。
「それは私も気になっていたところなのよ。わざわざ家紋の入ったペンダントまで渡したのに、一向に情報が私のところに入ってこない」
「なんと、そんなものを渡していたのですか?あれはそう軽々しく渡してはいいものではありませんぞ?」
家紋は、いわばその家の象徴的なもの。
誰ともわからない冒険者に渡すのは非常識だというもっともなエリックの非難だったのだが、彼女の返答は簡単なものだった。
「私が渡す価値があると思ったから渡したのよ。それだけで十分でしょう?」
「しかし……」
「くどいわね。もう渡してしまったのだし、今更言い合ったって仕方ないじゃない。……ただ、使われている様子もないけれど」
どこかで少しでも使用されたのならば、私のところに知らせが入るのだけれど、とため息交じりに彼女――クラリスはそう呟いた。




