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20.クロの独白

 


 朝起きたら部屋が空っぽだった。


「……は?泥棒?」


 いや、この宿は比較的治安の言い大通りに面したところにあるし、そんなこともないだろう。

 それに、いくら泥酔していたとはいえ、一部屋とちょっとしかないこの部屋から家具を運び出されたら気づくだろう。

 多分。


「えっと、昨日はなにしたっけ……」


 奴隷商館へ行って……、そこから帰ってきた記憶がない。

 確か奴隷契約をしたとたんに強烈な眠気に襲われたところまでは覚えているので、そこからふらふらになりながら帰ってきたのだろう。


 今考えてみると、眠気の原因は魔力不足だろう。

 普通、魔法を使うとそれに応じた魔力が減る。

 そして生命力の源ともいえる魔力が極限まで減少すると、猛烈な疲労感や眠気に見舞われる。

 僕は魔力量が普通の人よりも極端に少ないため、大体の魔術師が難なくこなすことのできる奴隷契約で魔力不足に陥ってしまったのだ。


「今後気を付けておかなきゃな……」


 昨日の僕は、今までに例を見ないぐらい無防備だったに違いない。

 攻撃されてもすぐには反応できないぐらいは。

 さっきだってそうで、いつもと違って何の防御魔法も発動させずに、無防備に背中を晒して寝ていた。

 寝ている間に誰かに刺されでもしたら……


「あ!そういえばあの子……」


 少なくともこの部屋には僕以外にも人がいる。

 まあ少なくとも刺されなかったので大丈夫だとは思うが、一応命令として僕に危害を加えないことを言っておかなければ。


 と思ってなぜか隣にあったベッドを見るが、そこに人がいる様子がない。


「逃げた?」


 初日のことだったし、昨日の僕が彼女にどれだけの制約を課していたのかはわからない。

 何も命令を出していなかった場合、かなり自由な状態なはずで、最悪逃げることも可能なはずだった。


「……探す、か」


 逃げた奴隷に対して世間はそれほど甘くはない。

 逃げる先と言ったらスラム街ぐらいしかないだろうし、そこでの人探しは楽ではないだろうが、仕方がないだろう。

 注意不足だった僕が悪かったのだから。


 そう思ってベッドから出ようと足を踏み出した時だった。

 ムニッと、何か柔らかい物を踏みつけた感触がした。


「うわっ!ご、ごめん……?」


 それは人だった。

 昨日檻の中で見た獣人の少女。

 逃げてなかったのかと安堵する一方で、なぜベッドで寝ていないのかという疑問が沸き起こる。


「うぅん……」


 僕の驚いた声がうるさかったのか、少女が身じろぎをする。

 そしてその瞳が、ゆっくりと開いていった。


「……えっと、おはよう?」

「……あ、――!!」


 ばっ!と跳ね起きる少女。

 その顔は驚きと、焦りに満ちていた。


「す、す」

「す?」

「すいません!ご主人様が起きているのにもかかわらず、奴隷の私が眠っていて……」

「いや、僕も起きたばかりだし別にそんなこと……」


 と思ったが奴隷にとっては問題なことなのかもしれない。

 まあ奴隷持ったことないからわからないけど。


「あ、腕……」


 よく見たら昨日なかった右腕が、きれいに復活している。

 正常な状況判断能力がなかった昨日の僕でも、さすがにこれは忘れてなかったらしい。


「はい、昨日治してくださって。本当にありがとうございます」

「いいって。その分働いてもらうかもしれないし」


 もらわないかもしれないし、と。

 深々と頭を下げる少女を眺めながら、そんなことを考える。

 実際カモフラージュとして雇っただけなので、やってもらう仕事はさほど多くない。


「えっと、名前……」

「名前なら、クロと、昨日名付けてもらいました」

「ああそっか。それでクロ、このベッドってもしかして僕が作った?」

「?はい、昨日ご主人様が家具を魔法で、その……」

「あー、わかった。ありがとう」


 何してんだ、昨日の僕。

 クロの話を聞く限りだと、家具を錬金で変質させてベッドを作ったのだろう。

 いくら寝る場所がなかったとはいえ、これはやりすぎだ。


「あー、あとで戻しておくか。それじゃ、朝食食べに行こうか?」

「え、っと……。私もですか?」

「うん、もしかして朝食食べない派だったりする?」

「あ、そういうことではなくて。奴隷である私が一緒に朝食を食べてもよろしいのですか?」


 あー、そういうこと。

 奴隷制度というのもなかなかめんどくさい。


「あー、奴隷商館でどんなことを教えられたのかはわからないけど、少なくとも僕は、クロをなるべく対等に扱うようにするつもりだから。雇用者と、従業人みたいな関係?」

「たい、とう?」


 クロ瞳が大きく見開かれ、驚きの表情が顔に浮かぶ。


「そんなこと……だって私は魔力もなくて……」

「うん。僕も」

「亜人だし……」

「僕も竜人だし」

「奴隷で……」

「奴隷制って嫌いなんだよね。手っ取り早く人雇えるから使ったけど」


 クロが言ったすべての理由。

 それは少なくとも、僕が彼女を迫害する理由にはなりえない。


「……なんで、なんで私を買ってくれたんですか?そんなに優しく、扱ってくれるんですか?」


 クロの様子が、目に見えて変わる。

 平静だった様子が転じて動揺へ。

 慣れていないことをされて、どうしていいのかわからないような、どこか悲鳴のようにも取れる声がクロから発せられる。

 

 さて、優しくしいるつもりもないが、僕はなんで彼女を買ったのだろう。

 悲惨な状況にあった少女を救いたかったのもあるし、獣人だからという、生まれながらの理由で迫害されていた彼女に自分を重ねていたのもあるのかもしれない。

 ただしかし、正義感からというのは少し違うのかもしれない。

 

 僕に苦しんでいる人すべてを救済したいなんて崇高な志はない。

 遠くで誰かが飢餓に飢えていようと、どこかで魔獣に襲われている人がいたとしても、それらすべてを救う気なんて僕にはない。

 目の前で助けを求める人がいたとしても、それを救うことが僕の不利益につながることであったら無視してしまうだろう。

 今回だって、買う奴隷がなんでよかったからであって、例えば僕が戦闘用奴隷を求めていたとしたらどうだっただろうか。

 もしかしたら彼女を一瞥するだけで、買うことなんてなかったのかもしれない。

 だから


「……ただの気まぐれだよ。意味なんてない」

「気まぐれ?」


 そう、気まぐれ。

 ただ目の前に苦しんでいる少女がいて、それを救うだけの力があって、救わない理由もなかったから。

 そして、苦しんでいる彼女を見るのが、なぜかひどく嫌だったから。


 よく考えてみたら、僕の行動は気まぐればかりだ。


 イースを助けたと思ったら、自分の保身を優先して勇者パーティーに引き渡したり。

 特に助ける必要もなかったクラリスさん一行を、魔獣から救ったり。

 それぞれに多少の理由があったとはいえ、一貫性のない行動ばかりとっているような気がする。

 誰かを救うこともせず、誰かを害することもなく。

 これも前世での生き方に、影響されているのだろうか。


「だから感謝する必要も、ないよ。単に……」

「――ありがとうございました」

「え?だから気まぐれだって……」

「それでもです!」


 出会ってから初めて聞くクロの大声に、思わず顔を上げる。

 目に入ってくるのは有無を言わさせないような強さを持った、黒い瞳。

 最初に出会った時は生きているか死んでいるかもわからないような状態だった彼女に、生気を失った顔をしていた彼女に、こんな表情ができたのかと驚愕する。


「私がどんな状況にあったか、ご存知ですか?」

「……」

「あのままだた私は、殺されていたと思います。価値のない『もの』として、捨てられるところだったんです」


 それを知った時の絶望を思い出しているかのように、クロの言葉には重さがあった。


「奴隷になる前も、私は村の汚点として扱われていました。暴力を振るわれたり、悪口を言われたり。両親も死んでいたので頼れる人もいなくて、一人でそれに耐え続けていました」


 強さを人間よりも重んじる獣人は、忌み子に対してはより厳しい。

 それに僕のように母親や、アリシャなんかに頼ることもできなかったのだ。

 一人でそれに耐えることしかできなかったクロのつらさは、僕には想像できないくらいのものだったろう。


「村から身売りを出す、といわれて私が最初に選ばれたとき、正直言って嬉しかった。もうこの苦しみから逃れられるのかと思ったからです。……だけど現実はそんなに優しくなかった。亜人の、それも魔力のない奴隷なんて、買う人がいるわけがなかったんですよ。ここでも役立たずとして、扱われ続けました」


 話を続けるクロの声が掠れ出し、次第に肩が震え始める。

 しかし、まるで今までの苦しみをすべて出し切ってしまうかのように、言葉が次々とあふれ出してくる。


「殺処分されるって聞いて、怖くなって。その時に来た冒険者の人に頼んだんです。私を助けて、って。そしたら彼がにやって笑って、檻の外に出してた私の、腕に……魔法を打ったんです」


 耐えきれなくなったのか、クロの瞳から大粒の涙がこぼれだす。

 ぽたぽたと、零れ落ちた水滴が、床を濡らしていく。


「あ、あの人、痛みに泣き叫ぶ私を見て……げらげら、って、笑ったんですよ。商人の人も、しょうがないな、って顔で……。その時に、私は、もう、生きてちゃダメなんだなって……。それから、生きるのをあきらめたんです」


 その結果があの目だったと、そういうわけか。


「そして、処分される日が目前に近づいていた時に、ご主人様が、エル様が現れたんです」


 涙で濡れて、赤く染まったクロの顔に、笑顔が浮かぶ。

 とぎれとぎれに紡がれる言葉から、重さが、暗さがはがれて行って、わずかにだが明るさが見えてくる。


「最初はまた見捨てられるんだと思いました。だけどエル様は私を買ってくれて、私を必要としてくれて。それだけではなく切り落とされた腕を治してもくれて。私、対等に見ている、なんて言葉かけられたことなかったんです。エル様だけが、そんなことを言ってくれたんです」


 だから、とクロがいったん言葉を切り、大きく息を吸い込む。


「私は、エル様に感謝します。たとえそれが気まぐれだったとしても。救ってもらったことには変わりありませんから」


 そう告げたクロの瞳は僕をしっかりと見据えていて、僕は確固とした思いをそこに感じた気がした。



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