19.獣人の少女
――あれ、久しぶりのお客さんかな。
痛みと絶望と、あとは自分でもなんだかわからない感情の中、少女はそんなことを考えていた。
私の檻の前、この獣人が閉じ込められている部屋に客が来たのはいつぶりだろうか。
「―――、―――。―――――」
「――?―――」
ただの雑音として、客と商人の会話が聞こえてくる。
一つ一つの単語ははっきりと聞き取れるものの、その意味を頭で理解しようとはしなかった。
しかしその内容は大体予想できる。
私を買うことはお勧めできない、とかそんなことを言っているのだろう。
もうすぐ殺されることも考えると、ここで買ってくれるよう命乞いをしておいた方がよいのだろうが、もはやそんなことをする気もない。
ただぼんやりと、私の人生はここで終わりなのだろうと、感じていた。
思えば意味のない人生だった。
魔力量が少ないせいか、村では疎まれて嫌われて、そして口減らしとして真っ先に身売りさせられた。
黒猫の獣人が珍しかったからかこの商館に買い取られるも、奴隷として買われることはなく、処分が決まって。
そのことを知って助けを求めた冒険者風の客には、面白半分で腕を落とされた。
……私は、生まれてくるべきではなかったのかもしれないと、そう思ってしまう。
「―――、――」
「―!?―――、―――!」
檻の前で話し合っていた二人が、目の前から消える。
客が怒ったのか何なのかはよくわからなかったが、商人の方は何か焦っているようだ。
まあ、何が起こったって私には関係ない。
どうせ片腕のない亜人なんて買われるわけもないし、もし買い手がいたとしても魔法か薬かの実験台か、それとも嗜虐的趣味を満たすだけの道具にされるぐらいだろう。
生きようともがく気すら起きない。
生を否定され、救いに裏切られた私には、もう未来なんて残ってないのだから。
「――!おい、立て!!」
聞きなれた怒声とともに、腕が引っ張られる。
その力に無抵抗のまま、私は立たされ、そして歩かされた。
訳の分からぬまま連れてこられたのは奴隷の洗浄所。
話には聞いたことがあったが、今まで一回も入ったことのない場所だった。
「ここに座っとけ!」
そう言われて冷水を浴びせられたところで、ようやく何が起こったのかを理解することができた。
洗浄所、そこは買われた奴隷をきれいにするためにのみ存在する場所だ。
私は、さっきの男に買われたのだ。
「……どうして?」
毛の粗いブラシでごしごしとこすられながら、小さな小さな声を、久しぶりの声を出す。
さっきの客は冒険者のようだったし、そうなると私を買う理由がない。
片腕がないと荷物を持つこともできないし、多少の戦闘経験はあるとはいえ、この体で戦えるわけもない。
そんなことはわかっていただろうに、なぜ私を買ったのだろうか。
その疑問に明確な答えが出せぬまま、洗浄が終わって応接室へと連れていかれる。
「失礼します」
男が部屋に入り、そう告げる。
私もお辞儀ぐらいはした方がよかったのだろうが、なぜかそんな気も起きなかった。
「――――、―――。」
「――」
客――おそらく会話の中であった、エルというのが名前だろう――は奴隷を買うのが初めての様で、商人から説明を受けていた。
魔術師がよく着ているであろうローブを身にまとった、黒髪黒目の冒険者。
優しそうな顔立ち、というわけでもないが、不思議と安心感の覚える顔をしていた。
ぼうっとエルを見つめていると、説明が終わったのかエルが立ち上がって近づいてくる。
そして隷属の魔法がかけられるのを待つのを数分。
少し長いと思ったが、もちろん口に出す気もなく。
「じゃ、……『隷属』」
そんな魔法の詠唱が聞こえて――
――魔力が、体の中に流れ込んでいくのを感じた。
今まで感じたことのない、不思議な感覚。
脆弱だった今までの肉体が魔力によって強化されていく。
体の隅々までにいきわたる魔力がもたらす万能感が、私の心を支配していった。
「――!?」
思わず悲鳴を上げそうになり、あと一歩のところで思いとどまる。
こんなのはおそらく奴隷契約なんかではない。
その根拠のない想像を肯定するかのように、商人の驚き顔が目に入ってくる。
今自分が外から見てどうなっているのか、わかるはずもなかったが、驚きようから察するに何らかの変化が表れているのだろう。
一体私は何をされたのか。
その疑問に答えは出なかったが、不思議と悪い感じはしなかった。
「――。これで契約は終わったんだよな」
エルの少しふらついた声が聞こえてきて、ようやく落ち着きが戻ってくる。
その後二言三言会話が続き、エルが部屋から出ていく。
「え?あ……」
首につながれた鎖を引かれるでもなく、ついてこいとも言われなかったので少し躊躇してしまったが、私もすぐにその後を追った。
何の会話もなく、少し歩いて連れてこられたのは小さな、しかしきれいな宿の一室だった。
部屋へと入っていいものなのかと一瞬思ったが、特に指示を出されたわけでもなかったのでためらいながらついていく。
部屋の中にはいくつかの家具と装飾品がある程度で、冒険者によくある武器のコレクションや薬の備蓄などは置いていなかった。
「えっと、それで僕が君を買ったわけだけど」
「は、はい……」
部屋を見回していると、唐突に声をかけられる。
「とりあえず、名前を聞いておこうかな。なんていうの?」
「名前、ですか……」
名前。
村にいたときはそんなものがあったような気がするが、もう長い間呼ばれていなかったので忘れてしまった。
覚えていないということは、たいして大切なものでもなかったということだったのだろう。
「名前はありません。お好きなようにお呼びください」
「うーん、困ったなあ。それじゃ……クロで」
「わかりました」
少し考えこむようなそぶりを見せて、エルがそう告げる。
黒い毛並みの耳からそう付けたのだろうが、安直だと、そう思う。
「それで、私は何をすればよろしいのでしょうか。この通り片腕がないもので、お役には立てないと思いますが」
「あ、そうだった」
片腕がないので、といった辺りでエルが反応して近づいてくる。
そしてそのまま切り落とされた方の腕に巻かれた包帯をほどき、傷を晒した。
「あの、何を……」
空気にさらされた傷口が少し痛む。
何をされても逆らう権利はないが、疑問に思う気持ちから声が出てしまった。
「ん、ちょっと魔法を試そうと……」
「魔法で治るような傷でもないような気がするのですが……」
もしかして傷をふさいでくれるのではないか、そんな期待がほのかに湧き上がる。
しかし、その予想はあまりにも良い方向に、裏切られることになった。
つまり
「えっと、『洗浄』、あと『修復』」
体の隅々が新品に戻ったような爽快感に包まれ、右腕が淡く光り出す。
そして次の瞬間、右腕が、現れた。
突然の右腕の出現によって、体のバランスが崩れてよろけそうになる。
主人を不快にさせないよう、心の変化を外見に現さないようにするのも忘れて、驚きに目を見開いていた。
「な、そんな……」
「よし、じゃあ僕は寝るから。クロも寝といた方が、……って場所がないか」
私の驚愕もそっちのけにして、エルがのんきなことを言う。
まだ昼前なのに、という場違いな感想が頭をよぎった。
「うーんと、まあ作ればいっか。……『錬金』っと」
その言葉とともに、部屋にあった家具、机から椅子、花瓶に至るまですべてのものが宙に浮かび、そして一点に集まっていく。
そしてさっきと同じように淡い光を発生させたかと思うと、一つのベッドが姿を現した。
「……は、え?」
「じゃあクロはここで。……あ、そうだ。首輪あったら寝れないよね。危ないし」
目の前で起こった現象に頭が追い付いていない私の首を、エルがそっと触る。
そして次の瞬間、隷属の首輪、そしてそれについていた鎖が跡形もなく粉々になって消えた。
「……??」
「それじゃお休みー」
そう言うとエルはベッドの上に倒れこみ、布団もかけずに横になった。
そしてよほど疲れていたのか眠かったのか、すぐに寝息が聞こえてくる。
「……今の、夢?」
エルが、さっきまでの現象を引き起こしたエルが寝たことで冷静さが戻ったのか、少しだけ考える余裕が戻ってくる。
魔法ですら治るはずのない腕をあっさりと治し、家具を宙に浮かしてベッドにし、触れただけで魔道具を破壊した。
「腕を直したのは聖術で、家具を浮かべたのは呪術、ベッドにしたのは錬金?」
似たような現象を引き起こせる魔法名を挙げてみたはいいものの、それらに今のようなことができるはずもない。
聖術でもあんな部位欠損は治らないし、呪術で触媒なしにたくさんのものを操れるわけでもないし、錬金術で物質そのものを変えてしまうなんて聞いたこともない。
最後の魔道具の破壊に至っては、何をどうしたらそんなことができるのかすらわからなかった。
さらに驚くべきは、さっきは気づかなかったが、それらの魔法行使の際に魔法陣が見えなかったこと。
もしかしたら魔法行使ですらなかったのかもしれない。
「しかも、さっきの。やっぱり奴隷契約じゃなかった……」
そして隷属の首輪が壊されてもなお。
ベッドで寝ているエルとのつながりは絶たれてはいなかった。
隷属の首輪で縛られるだけではない奴隷契約とは別のものを、かけられていたということだ。
「……、考えても無駄か。寝よ」
このままいくら考えていても何もわからない。
エルから出された命令は、寝ろ、ということだけだったので、それに従うのが奴隷としての役目だろう。
まあ命令というものではなかったような気もするけど。
「あのベッドは、……使えないよね」
せっかく作られたベッドだったが、さすがに奴隷が主人と同じ待遇なのはまずいことぐらいわかっている。
それにベッドを汚い体で汚してしまうのもためらわれた。
「……それじゃ、お休みなさい」
そう呟くと、床の上に寝転がる。
そして、願わくば今日あったことが夢でないことを願いつつ、目を閉じて眠りについた。




