9.イースの居場所
魔獣が村へ向かっていると気づいた瞬間、イースの体は無意識のうちに動いていた。
自分では近づかないと決めていた村の方向へと足を進めていたのだ。
「知らせなきゃ、早く……」
いくばくか走り、足がよろめいたところでイースはふと思う。
なぜ村に行こうとしているのかと。
よく考えれば村の人たちを助ける理由はないはずだ。
村人たちにされた仕打ちはよく覚えている。
憎悪を燃やしているというわけではないがよい感情を持っているわけではないし、できれば会いたくないとも思っている。
魔獣に襲われてしまえばいいと思うわけではないが、わざわざ自分の身を張ってまで助けたいとも思わない。
第一、魔獣のほうが足が速いのだから走ったところでどうにもならないだろう。
そう考えていると上の方からまぶしい光が差してきた。
日光とは別の、刺すような光が。
それに次いでイースの頭上を何本もの光の筋が、ちょうど魔獣たちを追いかけるようにして通っていった。
「エルの魔法ですか……」
相変わらずの不思議な魔法だ。
何をしたのかわからないがこれで大丈夫だろうと思っていると、断末魔のような叫び声が森中から響き渡る。
魔獣たちが倒されたのだろう。
「それにしてもあんな魔獣たちを一瞬で。……ほとんにエルって何者なんでしょうか……」
こんなことができる人は国中探してもいないだろうなと思つつ、洞窟へ向かって帰ろうとする。
だがイースはその一歩を踏み出すことはできなかった。
なぜなら
「まさか……イースか?」
誰かに、話しかけられたからだ。
男の声だ。
おそらくはあの村の、村人だろう。
もともと村の近くまで来ていたが、印までは越していなかったためにここまで来ているのは少しおかしいような気もする。
しかし、そんなことは些細な問題にしか感じられなかった。
村人に見つかった。
それはイースにとっては最悪ともいえる事態だったからだ。
しかし、声を聴いた瞬間イースは動くことができなかった。
逃げなければいけないとわかっていても。
結局のところ、イースは恐怖していたのだ。
村の皆に。
いくら洞窟で数日間暮らしたといっても数年間刻み続けられた扱いを忘れられるわけがない。
村へ対する恐怖は、もはやイースという人間を構築する一つの要素となってさえいたのだ。
それもそのはず、数年間にわたって拷問に近い仕打ちを受けてきたのだから。
魔獣が向かった先が村だとわかった瞬間に走っていたのも、知らせなかったらまたひどい目を受けると本能的に思ってしまったからに過ぎなかった。
村へ行かなければなにもされないことも、村に着いたところでそこにあるのは村人に死骸だけだということも頭で考えられていたにもかかわらず。
気に障っただけで殴られた記憶が、繰り返されてきた暴力の数々がイースの行動を制限していたのだった。
「イース、イースじゃないか。なんでこんなところに」
執拗に話しかけてくるその声は、イースにとって聞き覚えのある声だった。
「バーレンさん……」
その名が口からこぼれるようにして発せられる。
イースを見つけたのは、幸運にもバーレンだったのだ。
しかし、村で唯一イースを気にかけてくれていた人でさえ出会うと恐怖がよみがえる。
村を連想させるからなのだろうか。
「生きていたのか……」
バーレンが、信じられないというように驚く。
「なんでこんなに村に近いところにいるんだ。生贄から逃げられたんだったらもっと遠くまで逃げればよかったのに」
「……別に生贄から逃げたわけじゃありませんよ。バーレンさんこそなんでここに」
「俺は狩りをしていたら、何かが村へ向かっているような音がしたから……。ってそんなことはどうでもいいんだ。逃げたわけじゃないならどうして?」
「それは、洞窟に入っていったら……」
そこまで言ってイースはふと、エルのことについてどう言おうかと考える。
そもそもエルのことについて話すべきなのだろうか。
エルは自分のことを忌み子にも似た存在だと言っていた。
あんなに強力な魔法が使える存在がまさかイースのように拘束されることはないと思うが、村人たちがそのことを知ったら腫れ物扱いされる可能性もある。
最悪の場合、化け物認定されて冒険者たちが送りこまれるかもしれない。
それに、エルがもし村人に歓迎されて村に住むようになったら。
イースはまた元の生活に戻ってしまうのではないだろうか。
そのことを想像し、イースはぶるりと身震いした。
人間扱いされるということを知った今では、あの生活に戻ることは耐えられるはずがない。
「……いろいろあったんですよ」
「そ、そうなのか……。なら、ほかの町まで逃げないか?こんなところでは長くは生きていけないぞ」
バーレンがそう提案する。
ほかの町に逃げる。
考えたこともなかったとイースは思う。
確かにエルがいなければこんなところで何日も生きていられなかっただろう。
そのことを知らないバーレンからしたら至極当然の提案だといえる。
ただしかし、洞窟へ帰ればエルがいる。
どこかへ行く必要はない。
ずっとあそこにいればいいのだから。
そう思い、バーレンの提案を拒絶しようとする。
しかし
――でも本当にあそこにいてもいいのだろうか、と。
イースの心にそんな考えがよぎる。
ほんの小さな、小さな疑問。
しかしそれはとても無視できないような考えだった。
そしてその考えは、心の中の不安を食らうようにしてどんどん大きくなっていった。
エルはあそこにいてもいいと言ってくれた。
だけどその言葉に甘えてもいいのだろうか。
エルは自分も似たようなものだと言っていた。
だけどあんな魔法を使える存在が、本当に忌み子に似たような存在なわけがない。
エルは優しく接してくれる。
だけどこんな忌み子に優しくしてもらえるだけに権利があるのだろうか。
私が帰る場所は洞窟のあの家だ。
だけど、だけど、だけど……。
思考がどんどんと沈んで行って。
私はあそこにはいてはいけないのかもしれないと、イースはそう思う。
ならばこのままほかの町へ行ってしまえばいいんじゃないか。
そこで奴隷になってしまった方がいいんじゃないか。
バーレンに会って村のことを強く意識され、自分が忌み子だという事実を再び強く認識してしまったのかイースはそんなことまで考えるようになってしまった。
そしてバーレンの提案を受け入れようかと思いだし始めてさえいた。
その時だった。
ーー頭の中に、声がした。
それは、エルの声だった。
『あー、聞こえてる?誰かと話してるみたいだけど、もしかしてそれがバーレンさん?危険はなさそうなので先に帰ってるね。イースも早めに帰ってきなよ』
帰ってきなよ、と。
その言葉にイースははっと気づく。
自分は今まで何を考えていたんだろうと。
「おい、イース。どうしたんだ固まって」
イースの雰囲気が急に変わったことに驚いたのか、バーレンは問いかける。
その言葉にイースは質問に答えてないことに気づき、バーレンの提案をはっきりと拒絶した。
「バーレンさん、私は逃げることはできません」
「な、なんで!このままだと……」
奇しくもバーレンがイースを逃がすといったあの時と同じような展開になってしまったなと、イースは思う。
ただしかし、今回は前とは違う。
イースには死ではなく、希望がある。
イースは少しほおを緩ませるとはっきりと言い放った。
「私は洞窟へ戻らなければいけませんので。ではバーレンさん、さようなら」
これまでに聞いたことのないようなイースの嬉しそうな言葉に、バーレンは何も言い返せずに立ちすくす。
その姿を見るのを最後にして、イースはその場から立ち去った。
◇◆◇◆
「おかえり、割と早かったね」
イースが帰ってきたのは僕よりも少し遅い程度だった。
あれからバーレンとはあまり話さなかったのだろう。
「バーレンさんと話してたみたいだったけど。楽しかったの?」
帰ってきたイースは珍しく嬉しそうな表情をしていたので、僕は思わずそう問いかける。
「いえ、そういうわけではないんですけどね。……あの……」
イースは言いづらそうにもじもじしている。
こんな姿もまた珍しい。
「エ、エルさーー、エルは私にここにいてほしいと思いますか?」
「え!?なんで急に……」
急に何を言うんだこの子は。
というか敬称なしで呼ばれたのはこれが初めてのような気がする。
「まあ一人は寂しいしね。ここにいてくれると僕も嬉しいよ」
「そうですか……」
僕がそう言うとイースは照れているのか下を向いてしまう。
僕も恥ずかしくなってきたな。
何だって急にあんなこと言ったんだろう。
「ただ、家事はもう少しできるようになってほしいけど」
照れ隠しにそんなことを言うとイースはちょっと驚いたような顔をして、では頑張りますねと微笑んだ。




