3.生贄
はあ、とため息が漏れる。
イースは目の前に座る男を見て、また来たのか、とあきれていた。
「……で、今度は何の用ですか?バーレンさん」
その言葉を受けてバーレンは伏せた顔をピクリと動かすが、顔を上げようとはしない。
バーレンの様子に少しおかしく思うものの、イースは無視されたことに怒ることもなかった。
こんな忌み子など無視されて当然で、下に見られるべきなのだから。
自分なんか何も価値のない、生きていてはいけない人間なのだから。
そこまで考えると、イースはここにいるバーレンという男は少し変わった人なのだなと改めて気づく。
忌み子となってからもたびたびこの檻に来て、イースに声をかける存在など他にはいない。
両親はすでに死んでいて、親戚もいなかったことから忌み子だとわかったその瞬間からイースのことを気にしてくれる人もいなかったのだ。
イースがバーレンのことをじっと見つめていると、ふいにバーレンが顔を上げた。
しかしその顔はいつものような、悲しそうな作り笑顔ではなかった。
何かを決心したような、そんな顔をしている。
いつもとは違う違和感にイースは少し戸惑いを覚える。
「イース」
バーレンはイースの瞳をまっすぐ見つめ、名前を呼ぶ。
「…ここから出て、どこかへ逃げる気はないか?」
一瞬言い淀んだが、禁忌ともとれる言葉をバーレンは口にした。
「なぜそんなことを言うのですか?」
しかし、バーレンが勇気を出していったであろうその問に対するイースの返答は、イエスでもノーでもない。
なぜ自分のためにそんなリスクのある言葉を口にしたのか、疑問の声だった。
「実はな、この前邪龍様へ新たな生贄をささげることが決まってな」
「……生贄に私が選ばれたということですか」
イースは納得したように頷いた。
そこに驚きはない。
何となくそんな気がしていたのだ。
忌み子を奴隷商に売ることもせず、処分することもせずに檻の中で生かしておく理由。
最低限とはいえ豊かではない村の食べ物を忌み子に与えてまで生かす理由。
それは生贄としていつか使うためだろうと、イースは考えていた。
「そうだ。だから……」
「結構です」
バーレンの提案を、イースははっきりと拒絶する。
このままでは自分が死んでしまうことを分かった上で、しかし拒絶する。
「な、なんで……、このままでは君は死ぬんだぞ」
「わかっていますよ、バーレンさん。けれどいいじゃないですか、生贄になるの。こんな私でも村のためになれるなんて、少しうれしい気もしますよ」
イースは無表情でそう告げる。
徹底したまでの自己虐待の言葉に、バーレンは絶句した。
「だけど……」
「それにもし私が逃げたとしても生贄は出されるんでしょう。ほかの人が犠牲になるだけです。私を逃がしたことがばれたらバーレンさんの大切な人が、生贄にされるかもしれませんよ」
「それは、そうかもしれないが……」
「私のことは気にしてもらわなくても結構です。もしこの檻が開いたとしても私は逃げずにここにいますよ。それに」
と、言葉を区切る。
「……もうこのまま生きているのも嫌になっているんです。この人生に、価値なんてない」
ああ、もうこの少女はだめなんだと。
イースの言葉にバーレンはそのことを理解し、もう何も言い返すことはできなかった。
◇◆◇◆
イースは、森の中を歩いていた。
手を縄で縛られたうえで。
本来ならば生贄は、手と足を縛られたうえで何人かの男たちに担がれて、邪龍の住処まで運ばれる。
しかしイースは生贄になることを抵抗せずに受け入れていたので、それならば、と自分で歩かせることにしたのだ。
その方が人手も少なくて済むし、忌み子を担ぐという仕事も減る。
実際イースの近くにはほんの二人ばかりの男しかいなかった。
約十年ぶりの空は暗く、雲に覆われていた。
青い空はついに見れませんでしたか、とイースはため息をつく。
「まあそれも、私にとってはふさわしい最後なのかもしれませんね」
呟くと、イースは空から目を離して前を向く。
男たちとイースの間に会話はなく、ただ黙々と歩を進めていた。
村と邪龍の住処はさほど離れてはいない。
成人男性が徒歩で一時間もかからない程度の距離だ。
しかしイースという、何年も檻の中で生活していて、なおかつ手が縛られている少女がいる一行。
一行の歩みは遅く、邪龍の住処である洞窟の近くまで来る頃にはもう日がだいぶ傾いていた。
「私たちがついていくのはここまでだ。洞窟の中からは、ひとりで行け。最奥に邪龍様はいらっしゃるはずだ」
洞窟の前に来ると、男はそう中に入るよう促す。
「そうですか、わざわざここまでありがとうございました」
そう言うと、イースは男たちに向かってぺこりとお辞儀する。
ここまで案内をしてくれた人へ対する純粋な感謝から来たものだったが、男たちは気持ち悪いものを見たような目でそれを眺める。
「ふん、なにがありがとうございました、だ。気持ち悪くてかなわねえな」
男はそう言うと、イースに背を向け村へと戻る。
通例ならここで生贄が逃げないか見張るはずになっているのだが、イースが驚くほどに抵抗するようすがないので大丈夫だと判断したのだろう。
これ以上遅くなると夜の森を帰らなければいけなく、危険だと考えたのかもしれない。
イースは去っていく男たちの背中をじっと見届けると、洞窟の中へと入っていった。
邪龍様の住処、となんだか邪悪な名前がついている割にはきれいな洞窟だな、とイースは思う。
壁についている結晶のような鉱石が明るいためか、足元が見えて歩きやすい。
ところどころ壁が削れたようになっているのは邪龍様が壊したからなのだろうか。
壁にある跡を見ながら進んでいると、ふと、イースはカタカタという音が聞こえているのに気づく。
音の発生源は自分だ。
体が震え、歯が鳴っている音だった。
「……まさか、怖がっているとでもいうんですか?」
自分に問いかけるように呟く。
あれだけ生きることに絶望して、あれだけ死ぬことをあっさり受け入れて、それでもなお怖いと。
生に対しての執着がまだあるというのか。
「そんなはずはない。そんなはずは」
蔑まれて、疎まれて、嫌われて、恐れられて。
自分には何の価値もなく、これからの希望もなく、神に見放された人生。
そんなものはもういらないと、決めたのは自分だ。
怖がってなんかいない。
怖いわけがない。
「……きっとこれは洞窟が寒いせいでしょう。そうに違いありません」
頭をかすめた思考を振り払うように、自分を奮い立たせるようにイースは歩きを速めると、洞窟への奥へと進んだ。
必死に進んでいると、洞窟の横の幅がだんだんと広くなっていく。
洞窟の行き止まりに近づいている証拠だ。
もう少しですべてが終わる。
そう思い、イースは一層足を速める。
そしてついに、洞窟の最奥、邪龍が住んでいるといわれる空洞が見えてきた。
「あそこが……最後の場所」
イースは一瞬目を閉じ足を止めると、覚悟を決めたように前へと進む。
邪龍の生贄となるために。
しかしイースの目に飛び込んできたのは、予想もしていない光景だった。
まず、邪龍の姿がない。
いつもならここにいるはずの、黒き龍の姿が見えない。
だが、それだけならよかっただろう。
村人の確認のし忘れで邪龍がどこかに行っているということも考えられたのだから。
しかし、イースを驚かせたのはもっと別のものだ。
そこには、家があったのだ。
「え?」
思わず疑問の声が上がり、イースは茫然としてしまう。
「……邪龍様は実は竜人で、住処では人間体型で暮らしてる、とか?」
最もあり得そうな原因を口にするが、邪龍様が竜人だという話は聞いたことがない。
もしそうなら村の人たちも意思の疎通を図ろうとするだろうし、してないということは竜人ではないのだろう。
それにしてもつくりがしっかりしている、とイースは思う。
村の建物なんてあまり覚えていないけれど、それらよりかは立派な建物だ。
材質は木ではないだろうなということはわかる。
二階建てになっているらしく、窓が高いところにも見える。
イースがしげしげと建物を眺めていると、ふいに中で誰かが動くような音がした。
次いでドアが開く音がする。
急いで振り返り音のした方向を見つめると、黒髪黒目の青年が、ドアの隙間から顔絵を出しているのが見えた。
青年は、イースに気が付くと驚いたような顔をし、言葉を発した。
「あの、どちら様ですか?」
と、あまりにも場違いの、のんきな言葉を。




