8.クラリスのお願い
エリックに案内された部屋で待つこと数分。
扉が開いて、クラリスが姿を現した。急いだのか、注意深く見れば分かるほどに服や髪が乱れた状態で。
「お久しぶりです。クラリスさん」
「ええ、本当にそうですね。本来であればおもてなしの準備をしておきたかったところですが、なにぶん急な来訪でしたので……」
「あー、それはすみません。急用だったもので……」
見苦しく言い訳をし、僕は頭を下げる。
クラリスは「はぁ」とため息をつくと、僕の対面に腰を下ろした。
「そちらの方は?」
「ああ、冒険者仲間のソロネです」
「ソロネと申します。お見知りおきを」
ソロネがそう言って頭を下げると、クラリスも「どうも」と言って頭を下げた。
「それで、どうして急に?この街に来てから一度の連絡すらよこさなかったのに」
「い、いやあ。はは……気軽に貴族様に連絡できないかなって……」
「貴族の家には忍び込めるのに、ですか?」
「い、いえそれは悪かったと思ってます……」
「全くエルさんは自分勝手ですね。ペンダントを渡したのに、それを使う様子もないし……」
はて、ペンダントを使うとはどうやるのだろうか。これを見せればちょっとお得に買い物出来たりするのかな。
「それに……悪魔を発見した冒険者、聖女様と親しげにしていた冒険者、神様の不興をかった冒険者。これ全部あなたですよね」
「げっ」
「げっ、じゃありません!この一件で私の仕事がどれだけ増えたか!まあ悪魔を発見してくれた件に関してはお礼を申し上げたいですが……」
クラリスがバンッ!と机を叩いて身を乗り出す。
「神様の不興を買うって、一体何をしたんですか!!事によっては大変ですよ!」
「い、いやあ。それに関してはすれ違いと言うか……。まあもう解決たので!」
「解決って何ですか!」
「ほら、知り合いに聖女がいるって言っいましたけど、どうもその上の神様が結構位階が上の神らしくて。何とかしてもらったんですよ。だからもう大丈夫。天界からも僕については何とも言われていないでしょう?」
「まあそうですが……。いや、全然よくありません!この件について私がどれだけ胃を痛めたか……!」
「それに対しては申し訳ないとしか言えませんね。でも僕も悪いわけじゃないですし、……っと、こんなこと話してる場合じゃないんだった」
そろそろソロネの視線が怪しくなってきたことだし、僕は話題を切り替える。僕たちがここに来た目的、それについて話すために。
「……そうでした。エルさんたちは急用があってここに来たんですね」
「ええ。実は――」
そう言って僕は獣人の村であったことを話す。もちろん転移魔法とかのことはぼやかして、僕が冒険者という設定が破綻しない程度に脚色して。
はじめ、納得いってなさそうな顔をしていたクラリスも、僕の話を聞くうちに真剣な表情を見せ始める。そして話が終わると、クラリスは「まずは……ありがとうございます」と、静かな声で言った。
「その……賊は帝国の商人から依頼されたと言ったのですね」
「ええ。ええと……ソロネ、何て言ってたか覚えてる?」
「『帝国の奴隷時商人に命令されて来た』『商人が、お上には咎められないと言っていた。証拠も見せてもらった』と」
ソロネが淀みなく、男が言った言葉を再現する。それはまさしく、帝国が国境をまたいだ略奪を許可したという事実を示していた。
「これは立派な領土侵犯ですよね」
「そう……なりますね」
「王国はこのことをまだ知らないのですか?」
暗に――王国の兵士は動いていないのか、と問いかける。しかしクラリスから返ってきたのは歯切れの悪い答えだった。
「実は……国境付近の獣人の村が襲われているというのは、少し前から王国の耳には入っています。しかし、軍を動かすことは叶わないのです」
「何故?」
「襲われているのが獣人だからです。実際に軍隊が国境を越えたわけでもない、しかも襲われているのが獣人。仮にそんな状況で軍を動かせば、他国から軽んじられることになるでしょう。『あの国は獣人のために血税を使う』と。民衆からの批判も免れません」
「獣人差別、ですか」
「ええ。唾棄すべき風習です。しかし古くから伝わる習慣でもある」
クラリスがそう――吐き捨てるように言う。
「帝国はそのことをよく理解している。だからこうやって非正規兵に獣人の村を襲わせ、徐々に国境を削っています。王国はそれを、指をくわえてみているしかない」
「……帝国は王国と戦争がしたいんですかね」
「さあ、単に権益を求めているだけかもしれません。そこが分からないからこそ、王国も動きづらいのです」
これが侵略なら、帝国は随分と狡猾な手を使うものだ。確かに緩衝地帯であった国境付近の村が弱り帝国の手に落ちれば、次にその剣先が伸びるのはその近くの大都市だ。例えばラビルのような。
そうさせないためにも、ラビルの貴族の一人であるクラリスには、この問題をどうにかする必要があるのだろう。
クラリスは目を閉じて、一度下を向く。
「その獣人の方々に対しては……分かりました。私のできる限りで支援しましょう。その代わり……」
クラリスの目がまっすぐ僕を捉える。澄んだ、ブルーの瞳が。
「エルさん、ソロネさん。私のお願いを一つだけ聞いてくれませんか?」
「……何かな」
「襲われている国境付近の獣人の村を――助けて回ってほしいのです」
そう言われて一瞬――僕は沈黙した。お願いの内容自体は願ってもない事だったが、天界の規定が少し気になったからだ。
王国の統治者の一人であるクラリスの、帝国のたくらみを阻止することに繋がるようなお願いを、神であるこの身が受けていいものか、と。
しかしその沈黙を逡巡ととらえたのか、クラリスが――貴族であるクラリスが、頭を下げた。
「――お願いします。エルさん。私の兵は使えません。冒険者を雇う事もできません。襲われる獣人たちを助けるためにはもう、私にはエルさんにお願いする他できないのです」
非正規兵には非正規兵、しかも大々的に動くこともできないため、少数の寡兵でもって襲撃に対処するしかならない。それを果たせるのは、強い傭兵や冒険者のみである。しかし金で彼らを雇うことは、結局兵を動かすことと何ら変わらない。なぜなら強力な個人には立場があり、彼らを雇うにもそれなりの理由が必要になるからだ。
だから――僕しかいない。
国家とつながりもなく、立場もなく、ただイレギュラーな存在である僕しか。
「……顔を上げてください」
「では……」
「いえ、その頼みは聞き入れることができません。ただ――そうですね、ちょっと国境付近で誰かと戦いたい気分になってきましたね」
「それは――」
僕の返答を聞いて、クラリスは上げかけた頭をもう一度下げた。
「――ありがとうございます。エルさん」
「何のことか分かりませんね。ただ僕の気分が変わっただけですよ」
「それでも……ありがとうございます。ソロネさんも」
「私はエルさんと行動を共にするまでです」
ちらりとソロネを伺うと――相変わらずのすまし顔。これはセーフと言うことなのだろうか。
「私も――私のできることをやるつもりです。獣人たちの保護は勿論、王国に働きかけ、この件を問題にするよう努力します」
「……良いんですか?」
「ええ。私も獣人たちを放っておけませんから。今までは何もできずにいた――だけどエルさんが動いてくれるなら、私も何かできそうです」
そう言い切るクラリスさんを見て――ああ、いい人だなと、そう思う。
獣人を差別することなく、彼らのために自らの身を顧みずに動こうとしている。打算もあり、リスクなしで動く僕とは比べ物にもならない。ただ――獣人を救おうと、頑張っている。
「クラリスさん――ありがとうございます」
だから彼女のためにも、少しは頑張ってみようかと。僕はそう思い、クラリスさんに頭を下げた。




