3.リィの叫び
勇者から助けてほしい。
小さな体を震わせながらそう願いを口にしたリィを、僕はじっと眺める。
イースと比べ、より濃くまとわりつくコウキの魔力。彼女よりもはるかに長く勇者と一緒にいたのだろうということが伺える。
「……助ける。具体的には?」
「……勇者が私にかけている、魔法の解除をお願いしたい、です」
なるほど。やはりリィもコウキのもつ特殊魔法の性質を理解していたか。
強制的な好意の植え付け。精神に直接干渉する悍ましい魔法だとわかっていても、抗うことのできなかった恐怖はどれほどか。
しかも、コウキ自身にそれを気づかせてしまう恐れがあるために、誰かに言うこともできない。
「だめ、ですか……?」
恐る恐る。
家の扉から妖怪の類の様子をちらちらと伺う子供のように、リィは目線を少し上げ、そう言った。
明らかに怖がられている。そんなに威圧した覚えはないのだけれど、初対面の相手に対する警戒の仕方ではない。
祭壇に座っていたのがまずかっただろうか。でも入り口側を向いて座れる台がそれ以外になかったのだから仕方ない。
「うーん……」
さて、リィの願いには快諾してあげたいところだが、そうもいかない事情がある。
勇者。それは天界が力を入れて推進しているプロジェクトである。そのパーティーメンバーに対する干渉となれば、それがどのような意味を持つのか、天界初心者である僕には想像がつかない。
大したことではないだろうけど、一応。
エレーナたちの提案を飲んだ以上、天界において議会と軋轢を起こすような真似はできるだけやめておいた方がいい。
「……もし仮に僕が君にかかる魔法を解いた場合、僕が被り得る損害って何?君が想像できる限りで教えてくれないかな?」
「っ!?」
僕の言葉にリィが息を飲む。
交渉において、自らのデメリットを相手に聞くなどは愚の骨頂。なぜならそれは相手が自分に対して最も隠しておきたい事であり、故に相手が本当のことを言うわけもないからである。
しかし――神と人という、この関係においては別。
神に虚偽の報告は許されない。いかにそれが隠しておきたい事であったとしても、神に問われたのならば真実を答えなくてはならない。
普通、人は神の持つ能力を知らない。だから、僕が嘘を見破れる魔法を使う可能性を考慮して、リィは本当のことを言うしかない。
「わた、しの……魔法が解けたら、私は気を見て、勇者から離れるつもり、です。だから、勇者パーティーの戦力が、下がります。それが、エル様のデメリットとなるかは、疑問ですが……」
「魔王討伐までの期間が増加する可能性がある、か」
「は、はい……」
大したデメリットではない。もともと勇者パーティーのメンバーの入れ替わりは起きていたことではあるし、戦力が減っても増やせばいいだけのことだ。
しかし魔王討伐を目の前にして、勇者パーティーの戦力減をそそのかす手伝いをするのは、ともすれば魔神陣営への協力、天界への背信行為とみなされてもおかしくない、か?
……考えすぎか。
「……デメリットは理解した。では君から提示できる、僕のメリットは何かな。君の魔法を解くことに、僕に対するメリットはある?」
僕の中でリィを助けることはもう確定していた。
魔法を解く。それ自体の行為は、イースの友達を助けたという理由を提示すれば正当化されるほどの問題でしかないだろう。想定されるデメリットとしても、僅かに議会が抱くであろう不信感のみ。
それはリィへの借りと十分釣り合うだけのものでしかない。
「僕が君を助けたいと思うような理由は、ある?」
だが僕はふと気づき、リィに対し揺さぶりをかけた。
借りなど知らず、ただ彼女が口にしたデメリットに釣り合うだけのメリットを提示できなければこの話は終わりだという姿勢をとって。
そしてその釣り針に――
「メリット、は……」
顔を俯かせ、肩を震わせながら。リィは。
「あり、ません……ッ」
「ふぅん。じゃあ……」
「――待って!」
無慈悲にも会話を終わらせようとした僕に、一瞬の躊躇の間をおいて、リィの大きな声がかけられた。
――かかった。
内心でほくそえみながら、僕は無表情にリィを見下ろす。
「何かな?」
「……私は、貧しい獣人の村で、生まれました。人間の国に納めなければならない重い税のせいで、食べるものもない有様でした。村には教会があって、そこで私たちは、毎日、祈りをささげていました」
始まったのはリィの身の上話。即ち、この世界で覇権を握る人類種から差別を受け続けてきた、獣人種の歴史。
「父は人間の官吏に、面白半分で殺されました。殺害は反逆者の処分として、正当化されたそうです。母は飢えと病気で死にました。息を引き取る最後まで、私のことを心配してくれた、優しい母でした。私も父も母も、祈りを忘れた日は一度もありませんでした」
リィは目に涙を湛えながら僕を真正面からキッと睨みつけて、溜めていた感情を吐き出すように――
「――なんでっ……助けてくれなかったの!?私たちが混ざりものだから!?祈りが足りなかったから!?」
――そう叫んだ。
差別される存在として生まれてきたリィがこれまでに感じてきた、やり場のない怒り。今まで漠然と抱き、それでも口に出すことの許されなかった弱者の悲鳴。
それが今、たったひと時ではあるが、感情の濁流に潜在意識へ刷り込まれた神への畏怖さえ忘れ――
「神はッ――……弱者を守るものじゃないんですか……!」
神のあり方を、目の前に立つ神へ――直接問う。
この世界のあらゆる人間に刷り込まれた神の絶対性、それを疑うような言葉を。
口にした。
――不気味な静寂が、本来そうあるべきであるはずの静寂が、教会を包み込む。
「……っ!!」
我に返り、自らの行為がどんな理由をもってしても正当化されるはずのないそれであることに気づいたリィがとっさに飲んだ息の音で、僕は自らの口角が、他者から見てわかるほどに上がっていたことに気づいた。
手を口にやり、上がった唇を無理やり戻す。
「君は……」
「――ひっ……」
リィが、僕の言ったそれ自体では意味を持たないたった一つの言葉に、どのような感情を見たのか。推察は容易だった。
彼女は身を引き、怯えた表情をした。明らかに断罪を予期し、それを恐れている。
当たり前だ。これを聞いたのが他のどの神だったとしても、リィに対して不快な気持ちを抱くだろうし、その結果は当然死罪以外にない。
しかし――僕は全くの逆。
リィが神のあり方に対しての疑問を口にしたとき、歓喜にも似た感情を抱いていた。
利用できる、と。
イレーナの案を飲み、創造神と対立するにあたって必要だったのは、まず仲間だった。
今のところ僕の仲間はイースのみである。最高神であるイースは確かに強力な味方ではあるが、数と言う面で見ればあまりにも少なすぎる。故に味方を増やさなければいけなかった。
天使や神人たちは、所属は天界であるので味方にはなり難い。選ぶなら人界から。そう思っていた。
しかし、この世界の人間は皆、幼少期から、神に対して一切の疑念を抱かず服従することを是とする教育を受ける。故にこの世界の人間は、ほとんどが神に対して従順、最低でも神に対する統治に表面上は疑問を抱いていない。
仮に天界に対して服従の意を持っていない人間がいたとしても、神である僕が「あなた天界に叛意を抱いていますか?」と聞いて回って見つけられるわけがない。
と言うわけで仲間探しは難航――そうなると僕は思っていた。
だが、リィが今口にした言葉は、神への疑問の言葉は、心からの言葉だった。
だから少なくとも、リィは僕の味方になり得る。
そして獣人が神に対して抱いている気持ちが、少しでもリィの叫びに沿うのであれば、さらに多くの味方を獲得できる可能性がある。
即ち、獣人全体。あるいは亜人全体。
「――ありがとう」
「……?」
かけられた言葉がどういう意味なのか、リィはわからなかっただろう。
だけどその後、自らを縛っていた魔法の感覚がなくなったことの意味は、彼女でも十分に理解できたに違いない。
「お礼に、これをあげようか」
「はっ……、え?」
僕は自らの魔力を練り上げ一つのコインを作ると、リィに投げる。
裏に天界を表す両翼と神殿のマーク、表には龍をかたどったシンボル。偽造不可能、破壊不可能の、神にのみ瑕疵が許された特別なコインである。
これを持つものは今後永久に、――第二位の名における保護が与えられる。
「勇者パーティーは抜けるといい。手続きは僕の方でやっておくよ。その後は、そうだな……、僕の屋敷にでも来るといい」
コインを持つリィの今後あらゆる行動は、第二位の名において肯定される。故にもうリィを縛るものは何もない。
だから、もう大丈夫。
感情の乱高下に飲まれ、頬けたまま教会の椅子に腰かけるリィを置いて、僕は教会を後にする。
やることが決まった。これからは忙しくなると、急いで。
まずは――弱者を救済する。




