二
裏路の村の外れにぽつんと建っている古い家。木材がなによりも貴重なこの村で唯一、木造の家だ。それだけ身分の高さが保証されているようなものなのに、掘建て小屋のせいかいまいち古びた印象を与える。
その家の前で、まだ幼い少女が乾いた土の上に根付いている草を摘んでいた。
「リラの葉に……香草……、よし」
澄んだ青い瞳が、細長く伸びた草に注がれる。注意深く、雑草と薬草を見分ける。この小さく粗末な庭園には、毒草も生えているのだから気をつけないといけない。毒草は少量なら薬草にもなるが、大量に含めば死に至る。
ここに生えているほとんどの草花の効能は把握していても、時折風に乗って新しい種が運ばれてくるから、飽きることはない。新しい種は、新種の芽を出し、彼女の心を楽しませてくれる。どんな使用方法があるのか調べるのは楽しい。万能の薬草になるときも嬉しいけれど、それ以上に料理に使用できるときはもっと嬉しい。
麦も買うことができない村人にとって、栄養のある草花が一番のご馳走なのだ。
少女がふと手を止めた。視線が村のほうへと向く。
「おばあちゃん、村の方が騒がしいの」
薬草を手にしたまま、少し曲がった木戸を引いて中に入った少女は、床に座る祖母の元に駆け寄った。
薬草を石臼に入れ、丸石で煎じていたルッドは、顔を上げると眉を寄せた。
「役人がまた来たようだね」
「また? 一ヶ月も前に来たじゃない! 領は私たちを飢え死にさせる気かしらっ。さぞ、領は豪勢な食事をしているでしょうね。私たちが汗水流して働いてやっと収穫できた食料を持ってくくらいだから。食べる物がなくて餓死していく人だっているのに……っ」
枯れた土地として有名な北州の中でも貧村とも呼ばれるほど貧しい裏路の村では、大した収穫物を献上することもできないのを知っているはずなのに、役人は年に何度も取り立てに来る。その度に村人たちは非道な暴力によって痛めつけられ、わずかに残っていた食料を奪われていく。
彼らのせいで失われた命は、両手で収まらないくらいだ。人口がたった二百人にも満たないのは、栄養失調で病気となり、亡くなる者が多いからだ。
憤慨する少女に、ルッドは軽くいさめる。
「おやめ、リーフェル。めったなことで、領主の悪口を言うもんじゃないよ」
「けど、おばあちゃん……っ」
ルッドは家の中央に据えられた支柱から壁に向かって何重にも伸びた蔦にの一つに手を伸ばすと、吊り下がっている薬草を手に取った。葉がギザギザの薬草は、乾燥しており、ルッドが軽くもむだけで、ぱらぱらと散り、小さな石臼の中に入っていった。
「──リーフェル。いつまでここにいるつもりだい?」
丸石で、粉になるまで丹念に潰していたルッドは、少しだけ眼差しをきつくし、孫を見た。
「四日後の朝、黄州から光王候補を乗せた船が出るそうだよ」
リーフェルは、祖母の言葉が聞こえぬ素振りで手に持っていた薬草を丁寧に床に並べた。
無言で作業をするリーフェルの姿に、ルッドはやれやれといいたげに肩をすくめた。
「意地を張るもんじゃないよ。神には神のお考えが……」
「私はこの村で一生を終えるの。神様なんか知らない」
ルッドの言葉を遮ったリーフェルは、キッと面を上げた。
「光王が逝去なさった今、天のお告げは真実とわかっただろ」
頑なな態度に、ルッドも少しばかり語調を和らげる。
「わかんないもん。神様なんていない。いたら…いたら、みんなは……っ」
「リーフェル……」
傷ついた表情で、小さく体を震わせるリーフェルの肩を抱き寄せようとしたとき、馬のいななきが空気を震わせた。
力強く蹄が地を踏みしめ、こちらに向かって駆けてくる音が聞こえる。
「役人がおいでなすったようだね」
ルッドが眉をひそめた。
その声は、役人を歓迎しているようなものではなかった。
ほどなくして、家の前で馬が止まった。
リーフェルとルッドの顔に緊張が走る。
戸が乱暴に叩かれたあと、返事も待たずに、ずかずかと男が入ってきた。
「ルッド・リルフェンはどっちだ?」
役人は、椅子に座っている老女と床で何種類もの草を広げている少女に目をくれると、煩わしそうに舌打ちした。
「あんただれよ。いつもの役人じゃないわ」
伏せることもせず、役人を睨み付けたリーフェルは、不安を押し殺しながら、すっと祖母の前に立った。
「おやめ。相手は役人だよ。……ルッド・リルフェンはわたしだよ。何の用だい?」
「そうか。お前がこの村の薬師か」
役人は、礼儀も知らない二人を不快げに見やると、青臭さに顔をしかめながら、床に広がった薬草を思い切り踏みつけ、ぐりぐりと床にこすりつけた。
「せっかく集めた薬草が……! 酷い…っ」
リーフェルは、緑色に染まった床に目を注ぐと、わなわなと震えた。貴重な薬草ではなかったが、時間と労を費やし、やっと集めた薬草だ。まだ効能だって調べてないのもあったのにと、知らず瞳が険しくなる。
知らない者が見ればただの草にしか見えないかもしれないが、リーフェルにとっては村人の命を支える大切な食糧源。それを汚らわしいといいたげに、踏みつぶすのは、なんとも許し難い行為だ。
「リーフェル、落ち着くんだよ。怒りは何も生みやしない」
「けど…」
背を優しく抱かれ、抗議の言葉を、唇を噛みしめることによって封じ込めた。
役人は憎い。
だが、ここで役人と争っても刑罰を受けるのはリーフェルだけだ。
怒りに駆られて我を忘れるなと諭され、リーフェルは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。けれど、心の奥に渦巻く怒りが押し殺せるはずもなく、青い瞳がいつも以上に鮮やかな光を放つ。