神の示す道
その日、無の島の北州の外れに位置する裏路には、十四人もの役人が、光王崩御という大義をかかげ、作物の徴収に来ていた。
けれど、ただの徴収にしては、荷馬車の数がいつもより多く、村の唯一の出入り口には、役人が三人も立ち、一歩も村から出させまいと立ちはだかっていた。彼らの腰に下がっているのは、いつも容赦なく村人を打ちつける鞭ではなく、切れ味の良さそうな長剣だった。武装している彼らの顔つきは厳しく、どことなくぴりぴりとした緊張感が漂っていた。
役人たちの重装備といい、どこか物々しい雰囲気に、村人たちは、怯えていた。村人たちは、いつも徴収に来る、顔の知れた二人の役人を探したが、今日はその姿が見えず、それがいっそうと彼らの不安をあおった。
この村では、拝んだことのない領主よりも、権力をかさにえばりちらす役人の方が何百倍も恐ろしく、厄介な存在であった。
「おら、とっとと出せっ!」
眩しいばかりの太陽が、頭上高くから燦々(さんさん)と日差しを注ぎ、大小の石ばかり転がる貧相な地面を明るく照らす。明るい空の下で見る裏路の村は、ますます陰鬱としており、人が住めていることが不思議なほど家は崩れ、殺伐としていた。
「しゅ、収穫はこれだけで……」
つぎはぎだらけの服をまとった男が、額を地面にくっつかせ、これ以上はどうかご勘弁をと蒼白のまま訴える。
北州に根を下ろす村々は、漁業や毛織物などで生計を立てている者たちが多かった。けれど、外れにある裏路の村は、崖と荒れ野に囲まれているために、漁業などができなかった。
そのために、裏路の村人たちは、領から借りた土地で、枯れた土でも育つ穀物を栽培していたのだが、収穫は少なく、年貢を納めると手元にはほとんど残らない状態だった。
「足りないな。家の中にもっとあるはずだろ、どけっ」
「──……っぅ」
家の主を蹴り飛ばし家に押し入った若い役人は、腐ったような匂いに顔をしかめながら、中を見回した。すり切れたぼろ切れが、むき出しの地面の上に広がっている。多分床板の代わりなのだろう。奧にはひび割れた瓶があり、その横には、使い古された籠があった。
「この家ではないな……」
右奧には、老婆が横になっていたが、役人の姿を目の端に捕らえたのか、驚いたような表情で、側に付き添っていた女の手を借りながら身を起こした。垂れた皮は薄く、細い骨が浮き上がっていた。
抜け落ちた髪の毛も、くぼんだ目も、憐れを誘ったが、役人は眉一つ動かさず、さっさと跪けと言いたげにすっと目を細めた。
若い役人の不機嫌な様子に、体が痛むのか、顔をしかめながらも、従順な様子で老婆は両手をつき、今にも折れそうな細い腕でなんとか体を支えると、弱々しく頭を下げた。
付き添っていた女も、老婆が無事に頭を下げるのを見届けると、すぐさま頭を伏せた。
「この家に納める物はもう残っておりません。役人様、どうかお許し下さい……」
そう哀願する女の声は震えていた。
彼女の目には、今し方役人にけ飛ばされ、地面に顔を打った夫の姿がまざまざと焼き付いていたのである。怒りよりもまずすくみ上がってしまうのは、役人の粗暴さと残虐さをよく理解しているからだろう。
「そうか、無理か。…ならば仕方ない」
しかし、必死の懇願も若い役人の耳には届かない。彼は、冷笑を浮かべると腰に下げていた剣をゆっくりと抜いた。
役人の言葉を許しの言葉と捕らえた老婆が、安堵に顔を緩ませ面を上げた瞬間、その表情が強張った。鞭ではなく、切れ味の鋭い剣を瞳に映し、老婆が悲鳴を上げる。
悲鳴を聞いて顔を上げた女も、目を丸くすると、小さく声を上げた。
「お待ち……ぐっ、あ、ぁ、ぁぁぁ」
鋭い剣先を瞳に入れた男が、家族を守るために、痛む身体を起こし、役人に言い寄ろうとした刹那、首から大量の血が噴き出した。ゆっくりとその体がうつぶせに倒れる。
顧みることもなく、目にも止まらぬ早業で男を斬りつけた役人は、返り血を浴びてひっそりと笑った。
ぱっくりとめくられた首の皮から赤い血が流れていくのを震えながら見つめていた女と老婆は、頬にかかった血をぬぐう役人に目を移し、息を飲んだ。人を一人殺したというのに、罪悪感のかけらもない冷ややかな目。
殺さないで下さいとすがりついても、神の御慈悲を願って泣き叫んでも、決して生かしてはくれない雰囲気を察し、二人は許しを請うこともしなかった。
神よ……、小さな呟きが女の口から漏れる。
役人は、もはや抵抗すら忘れた老婆と女に向かって血が滴る剣を振るった――。
別の家では、ほかの役人が室の奥に隠れていた年頃の娘を見つけ、にやりと口の端を持ち上げていた。
「ほぅ、なかなか質のいい娘がいるな」
干してある草を邪魔そうに床に落とし、ずかずかと押し入った彼は、瓶の陰で震えている娘の腕を取った。
泣き出しそうな顔で娘が母親を見上げる。
「お願いです、それだけは……!」
年かさの役人に引っ張られていく娘にしがみつくが、彼は非情にも彼女に向かって唾をはきかけ、蹴りを入れた。あっと倒れ込んだ彼女に、母さん、と少女が悲鳴を上げた。
泣きわめく少女を役人が連れ去っていく。
母親は、もう追いすがろうとはせず、その後ろ姿を見つめたまま静かに涙を流していた。
彼女は、役人に逆らい娘共々遠く離れた領主の牢に入れられるか、殺されるかされるより、二人とも生き残れる道を選んだのだ。
顔全体に飛び散った唾を拭いもせず、視界から二人の姿が消えるのを切なげに見送っていた女は、周りの静けさに気づいて、ふっと視線を辺り向けた。
彼女の目が大きく見開かれた。
そこには──────。
血の海と呼ぶにはあまりにも惨い光景が広がっていた。つい先ほどまで親しく喋っていた者たちが、藁でできた円錐状の家の前に転がっていた。ぴくりとも動かないやせこけた体からは、真っ赤な鮮血が流れ、いくつもの筋となって少しくぼんだ場所に伸びていた。
目の前に広がる骸の山に、彼女はただただ視線を向けるだけだった。
「まだいたのか」
娘をさらった役人とは別の役人が、家の前でへたり込む女に気付くと近づいた。
「名は?」
「あ…、あ、あの……」
まだ目の前の衝撃から立ち直れない女は、舌の回らぬ口調で役人を見上げた。
「答えろ」
剣先をぴたりと女の喉元に当てた役人は、高圧的に見下ろした。
役人の目元についた鋭い刀傷が迫力を加えるようで、女は唾を飲み込むと、カラカラになった喉の奥から声を絞り出した。
「ハ、ハスナ…、ハスナ・レ、レーナント、です……」
「薬師か?」
否と答えた瞬間、剣先は腹を貫いていた。血を吐き出し、苦しそうに呻き声をあげる女に、けれど役人は、止めを刺すことはせず、薄く笑みを引いてもがく様を見ていた。
女がぴくりとも動かなくなると、興味を失ったかのように背を向けた。血が滴る剣を軽く振るう彼の元に、若い小役人が足早に近づいてきた。
「レイズさん死体の始末はどうしますか?」
「すべて焼き払え。家も、だ。だれ一人生かしておくな――─薬師以外はな」
「承知しました。そういえば、キースの奴が娘を……」
「ああ、知っている。命令に背いた罰は後で体に支払わせてやる。…たっぷりとな」
ふっと冷笑を浮かべた彼の瞳に残忍な光が宿る。
「娘は殺せ。この村から連れて行くのはただ一人のみ」
懐から上質な紙を取り出すと、視線を落とし、先ほど殺した家に横線を引いた。
残っている名前は……。




