16 月夜の邂逅 2
「……はぁ」
ヴァスタードの宿屋の一室に、深いため息が響いた。
それはそうだ、本当なら今頃、ダルタネス大陸へと渡っていて、そしてエルティアへ向けて進んでいたのだろうから。
なのに、彼は今なお、ヴァスタードの宿屋にいる。
間の悪いことに、大陸間を結ぶ『転移魔法陣』の点検作業が、この日に予定されていたのだ。
──いや。
(……どうせ、あいつの差し金だろうがな…)
窓辺に歩き、そこから外の景色を見るラーノルド。
と言っても、街中の宿だ。それも、ごく一般的な安宿。
2階建ての小さなボロ臭いこの宿の窓から見える景色なぞ、如何に2階の角部屋と言えども、大差はない。
この宿と同じような簡素な建物が立ち並ぶのが見える程度。
それでも視界を上にして、ようやっと夜空が見えるが、取り立てて楽しめる類いのものではない。
だから、これは単に考え事に耽るためのポーズのようなものだった。
わざわざレーヴェティアの騎士団の本部が団長──ラーノルド・トゥーレリアが使用すると、何日も前に打診していたのだ。
しかも、それに対して「その日取りで特に問題無い」との了承も取れていた。
にも拘らず、いざ魔法陣を使おうという段階でのこの状況。
向こうの対応は飽くまで前もって予定されていた、という腹だったが、それならラーノルドが連絡した際にそう告げられていた筈だ。
仮にその後に決まったのだとしても、ラーノルドがヴァスタードに渡るまでの間、何の連絡も無い、というのはあり得ないだろう。
──普通なら。
つまり、これは、意図的にそうされたと考える方が自然だった。
或いは、ラーノルドに使用日について問題ないと言った者には知らされていなかった作業予定が、本当にあったか。
或いは、意図的にこの日に被せてきたか。
まあ、そんなところだろう。
よって、次に考えるべきはその目的だ。
点検なる作業が行われるのは1日。
ラーノルドがダルタネス大陸に渡る日程が、1日ずれるだけだ。
その1日に、何の意味があるのか。
ラーノルドが現地に赴くのを遅らせるため、というのなら、僅か1日というのは逆に不可解だ。
たかだか1日遅らせただけで、果たしてどれだけのことが変わろうか。
それなら、もっと長期間の作業にして然るべきだ。
しかし、それはあり得ない話だろう。
ヴァスタードの『転移魔法陣』にそれほど大規模な調整やらが必要だとなれば、それはヴァスタードの名に傷を付けることになる。
大陸間を結ぶ『転移魔法陣』は、ヴァスタードの権威の象徴でもある。
その仕組み、維持、展開、あらゆる事柄が秘匿されているこの装置は、それ自体がヴァスタードの優位性を示しているも同然だ。
その『転移魔法陣』に、大規模な調整が必要な状況。どう転んでも、それはマイナスイメージにしかならないだろう。
他にも転移先を増やすため、というなら話はわかるが、各大陸に1つずつと取り決めたのは他でもないヴァスタードだ。
それを覆すようなことはするまい。
それに、今回の一件は、ヴァスタードとしても願ったりのものである筈だ。
ダルタネス大陸にある『転移魔法陣』。それがイクリプシアの手に落ちることは、ヴァスタード──どころか、人類にとって大きなマイナス。
エルティアをはじめとする今回の動きは、それと照らし合わせれば、寧ろヴァスタードにとっても好都合なのだ。
ならば、この件の主犯など、最早考えるに能わない。
「……そろそろ、頃合いか…」
壁時計に目をやると、短針は2時を示していた。
わざわざこんな時間まで起きているのも、そうだと確信しているからだった。
──果たして、この部屋と廊下を繋ぐ出入口のドアの眼前。そこに、黒い空間の歪みが生まれた。
そして、そこから1人の男が、のっそりと姿を現す。
「……随分な登場だな」
「こうでもしねぇと、テメェと一対一で話をするなんざ、出来やしねぇだろ。お互いに、立場が大きすぎる…」
「……つい先日会ったばかりだろう…」
そう言いながらも、ラーノルドは背後を振り返らない。
未だ、その視線は窓の外だ。
やがて空間の歪みは落ち着きを取り戻す。それは、黒い髪を後ろに流した髪型、そして、鷹のように鋭く、闇のように深い黒い瞳をした1人の男だった。
「……何のようだ、クラノス・ローラテイズ」
その男は──クラノス・ローラテイズは、まるでこちらに見向きもしないラーノルドに腹を立てるでもなく、勝手にベッドに腰かけた。
「今言っただろうが。テメェと一対一で話に来た、ってよォ」
「私も言っただろう。先日会ったばかりだろう、と…」
取り付く島もないラーノルドに、クラノスはフン、と鼻を鳴らす。
「それはヴァスタード最高権力者のクラノス・ローラテイズと、レーヴェティア騎士団本部団長のラーノルド・トゥーレリアが、だろうが。そうじゃねぇよ…」
ようやっと、ラーノルドが視線をクラノスへと向ける。
だが、その視線には殺気が入り混じっていた。
しかし、クラノスはそれを受けても気にする様子もなく、淡々と言葉を続ける。
「今は、お前の兄──グラディス・トゥーレリアの親友クラノス・ローラテイズとして、その弟であり友でもあったラーノルド・トゥーレリアに会いに来た」
「……それこそ、今さら何のつもりだ…」
吐き捨てるような口調とは裏腹に、ラーノルドも話には応じる気になったようだった。
テーブルの側にあった椅子を引き寄せ、ベッドに座るラーノルドの正面に置くと、そこに腰掛ける。
互いに正面に座り、向かい合うラーノルドとクラノス。
どちらの表情も、殺気こそないまでも、険しいものだった。
「…今さらオレに、何の話があるという?」
ラーノルドが自分を私ではなくオレと呼称する時──それは、レーヴェティア騎士団本部団長ラーノルド・トゥーレリアではなく、ラーノルド・トゥーレリア個人としてある時の証明だ。
つまり確かに、今のラーノルドは、クラノスが言った通りに、亡き兄の親友──クラノス・ローラテイズに対して、かつてのクラノスの友であったラーノルド・トゥーレリアとして、相対しているのだった。
「大体、オレに会いに来るのにしても、いちいち"時間超越"なぞ使うな…。そうそう気安く使える類いの力ではないだろうが」
クラノスがこの場に現れた瞬間の空間の歪みは、彼の"時間超越"の力だ。
"時間超越"は、時の流れすら歪める強大な力だが、手に入れるための代償も大きく、そして使用すること自体にもかなりの負荷が掛かる。
おいそれと使っていい魔法ではない。
「クラノス・ローラテイズが動くというのは、この街ではそれだけ大事なんだよ。テメェもそれは、よくわかってんだろうが。オレは確かにこの街の最高権力者だが、敵も多い。完全に監視を撒くには、これしかねぇのさ…」
「……」
──確かに、その通りだ。
クラノス・ローラテイズは、確かにこのヴァスタードにおいて最も権力を持つ人間であるし、加えてヴァスタードで最も強い騎士である。
だが、だからこそ、クラノスは常に厳しい目を向けられる。
一瞬の隙をついて、命を狙う輩はそれこそ山のように存在している。
或いは他の街の刺客。或いはヴァスタード内の別勢力の手の者。
僅かな気の緩みが命取りになる上、少しでも弱味を見せれば、待ってましたとばかりに付け込まれる。
ヴァスタードという街は、それだけ危険は街なのだ。
ラーノルドがこんな安いボロ宿を利用しているのも、ヴァスタードが用意した宿を避けたためだった。
確かに、クラノス・ローラテイズはヴァスタードにおいて、最も権力を持つ人間だ。
しかし、クラノス・ローラテイズはヴァスタードにおいて、最も命の危険が高い人間でもある。
そのクラノスが、個人としてラーノルドに会いに来るともなれば、ラーノルドの身の危険にも繋がりかねない。
レーヴェティアとヴァスタードの最高峰の者達が一堂に会する場など、狙う人間からすれば絶好の状況だ。
向かい合う2人。どちらも、人間としては最高峰の実力者だ。
その両者の無言のにらみ合いが、あたかも空間が悲鳴をあげているような、そんな雰囲気を演出していた。
果たして、この木が軋む音は、窓ガラスが振動する音は、本当に幻なのだろうか。
この場に第三者がいれば、たちどころに威圧されて萎縮することだろう。
「……それで……いったい何のようだ、クラノス」
長い沈黙を破ったのは、ラーノルドだった。
依然としてその視線の鋭さは残したまま、ラーノルドがそう切り出した。
「……もう、13年くらいか…。あれからついぞ言いそびれて、今日まで来ちまった…」
「……」
「……すまなかった。グラディス、そしてフローラが死んだのは……オレの責任だ」
「……」
ラーノルドは、何も言わなかった。いや、言えなかった。
だって、それは──
「オレがいなけりゃ、あいつ等は死なずに済んだ…。それだけは、きちんと謝りたかった」
「──やめろッ!」
言葉を遮るように、ラーノルドが声を荒げる。
「あれは……お前のせいではない。お前という存在を取り巻いた、人間のどす黒い感情と、それを伴う環境がもたらした結果だ…」
「……それでもだ。オレがウィルを、グラディス達に預けなければ、こうはならなかった。あいつ等は、オレが寄越した火種のせいで死んでいった…。それは……確かだ」
「……」
「お前が前線を離れてレーヴェティアへ戻ったのだって、それが理由じゃねぇか…」
今のクラノスの顔には、ヴァスタードという危険な街を収める権力者の色は無かった。
ただそこには、かつて兄弟のように仲の良かった友を死なせてしまった、そして、その友の弟に対して責任感を感じる、1人の、ただの男のそれであった。
だからだろう。こんな言葉が、口を吐いて出てくるのは。
「……違う」
「……あ?」
「オレが前線を離れたのは、オレ自身の弱さのせいだ。オレは……逃げたかったのだろう。人の黒い部分が渦巻く、この環境から…。兄貴と義姉さんの死から…」
「……」
「それに、何よりも……託されてしまった、からな」
「……託された…? ……ああ、あいつ等の忘れ形見か……」
「……ああ」
その時のことを思い出すように、ラーノルドは天井を見上げる。
燃え盛る炎に包まれ、幾人もの刺客を退け、それでもまるでそれだけは庇うように、と覆い被さった2つの姿。
彼等の下にいたのは、2人の子供だった。
片方は、既に事切れていた。だが、もう片方は、辛うじて生きていた。
その生きていた者こそが、アルフ・トゥーレリアだ。
そして、不幸にも事切れてしまった方こそが、クラノスの息子──ウィル・ローラテイズだった。
「オレは……兄貴達のためにも、アルフを護らなければならない。レーヴェティア騎士団の本部団長になったのも、そのためのようなものだ…」
「…グラディス達の息子なら、有能な騎士になるだろうからな……。レーヴェティアの長ともなれば、その権限によって、ここに召集されることがないよう、意図的にランクを操作出来る」
「……やはり、バレていたか…」
「……そんなことしなくとも、別にオレはそうする気はねぇよ…。オレとしても、そいつには、ウィルの分も生きていて欲しいかなら……」
「お前にその気がなくとも、他の者達はそうではないだろう…? いくら最高権力者とは言えども、完全ではない」
「ハッ…耳が痛ェ話だな…」
肩を竦めて笑うクラノス。それに毒気を抜かれたのか、僅かにラーノルドの方も、表情が穏やかになっていた。
「──兄貴が、な」
「……?」
ふと、そう呟いて、ラーノルドは視線だけを再び窓の外に向けた。
「兄貴が死の間際……アルフのことともう1つ、言っていたことがある……」
まるで、その星空に、兄の──そして義姉の姿を探すように、ラーノルドは空を見上げたまま、静かに続ける。
「『クラノスに、すまなかった…と伝えてくれ』、とな…」
「……そうか」
深く息を吐くクラノス。
恐らくそれは、ウィルを護れなかったことを言っているのだろう。
(──わかっているさ。グラディス、フローラ。お前等が最期の最期まで、ウィルを護るために立ち向かってくれたことは。それをオレは、嫌というほど……見てきたんだからな…)
かつて、クラノスは「赤月 玲」を宿す者だった。
奇しくもそれは、その期間は、まさしくグラディス夫妻のもとへ、ウィル・ローラテイズを狙った刺客が送り込まれる時期も含まれていた。
だから、何度も何度もやり直した。
何度も何度も、あらゆる手段を用いて護ろうとした。
ウィルをグラディス達に預けなかったこともあった。
だが、それでも、アルフとウィルは出会ってしまう。
そして、運命の瞬間。ウィルはグラディス達のもとにいた。
どんな道を選ぼうが、どんな手段を講じようが。
まるで、ウィル・ローラテイズが死ぬことが、運命によって決まっているかのようだった。
いや、決まっていたのだろう。そういう『平行世界の収束点』だったのだろう。
人類が滅ぶという『平行世界の収束点』こそ越えられはしたが、どう足掻いても、それだけは覆せなかった。
グラディス・トゥーレリアは悪くない。フローラ・トゥーレリアも悪くない。勿論、アルフもウィルも。
ただ、クラノス・ローラテイズの存在そのものが、この悪魔じみた運命を決定付けたのだ。
この悲劇に悪が在るというのなら、それはクラノス・ローラテイズという存在と、そしてそれを取り巻く人間の悪意。それだけだ。
「クラノス」
「……何だ?」
そんなことを思いながらぼうっとしていたクラノスに、声がかかる。
いつの間にか、ラーノルドはクラノスへと向き直っていた。
「……この際だ。諸々腹を割って話したついでに、かつての友であったオレの質問に……答えてもらえないか?」
「……友として答えられる範囲であるものなら、吝かじゃねぇぜ…」
「……ありがとう」
「……で、何を訊きてぇんだ?」
クラノスの言葉に、ラーノルドは僅かの間を置いてから口を開いた。
「『光の雨が地上を満たすとき、 全ては終わる』、とは……何を指す言葉だ…?」
「……いきなりそれかよ…」
クラノスは明らかに不機嫌そうに、表情を歪めて頭を掻いた。
「友として答えられる範囲なら、そいつは確かに目下開発中の兵器である、ってとこだな。あの忌々しいイクリプシア共を葬り去るための、な」
「……そんなことが、出来るのか…? ヴァスタードが掲げたその言葉に、人類は奮い立っている。だが……本当に出来るのか?」
クラノスの言葉通りならば、その兵器が完成した暁には、長きに渡る人類とイクリプシアとの抗争の歴史に終止符が打たれる、ということになる。
だが、ラーノルドにしてみれば、そんなものは眉唾ものだった。
そんなことが出来るのならば、ここまで長きに渡って人類とイクリプシアが対立することなど、なかったのではないか。
ただの大量破壊兵器であるというならば、それこそいよいよもって陳腐にすぎる。
イクリプシアの扱う『言霊結』は、そんなものでどうにかなる代物ではない。
現に存在するのだ。イクリプシア最強と謳われた存在と、地上最強と謳われた存在との、その激闘の傷跡が。
地形を変え、地図を描き直す必要が生じるほどの、大きな傷跡が。
そんな力を前に、単なる兵器の1つで、どうにかなるのだろうか。
「テメェの疑問は尤もだがな。安心しろよ……。あの時……オレは決めたんだ。このくそったれな世界に、終焉をもたらすとな…」
「……クラノス」
クラノスの表情には、暗い笑みが浮かんでいた。
それは、ヴァスタードが最高権力者たるクラノス・ローラテイズのものであった。
つまり、ここから先は、友として語れる領分を過ぎる話である、ということだった。
従って、これ以上訊くのは薮蛇だ。
ラーノルド自身、これを訊きたかった訳ではなかったのだ。
これは単なる口火の質問。どの程度までクラノスが語ってくれるのかを調べるための、単なる小手調べである。
「テメェの訊きてぇことは、そんなことじゃねぇだろ? さぁ言えよ……本題をよ…」
そして、クラノスもそれに気がついていた。
やや前屈みに、ベッドの上に乗せた足に肘を乗せて、そうして組んだ手の甲に顎を乗せて、クラノスはラーノルドを見る。
ラーノルドは、どう聞いたものか、悩んだような間を挟んで、そうしてようやっと、声をあげた。
「これは、お前を兄貴の親友──そして、オレの友と思っての質問だ」
「そういう話だったじゃねぇか。今さら確認しなくとも、そのつもりだぜ?」
「……その上で、この世界で唯一、”時間超越”無しで冥力を扱える男──クラノス・ローラテイズに窺いたい…」
「……」
”時間超越”無しで冥力を扱える、という言葉に、クラノスの表情が一気に強張った。
それほどに、それは重大とか重要とか、そんな生易しい言葉で済ませられる話ではないものなのだ。
無言で、クラノスは続きを促す。
「……お前以外に、そんな人間は存在するのか…?」
「──いねぇよ」
即答だった。
ラーノルドの言葉を半ば食うような勢いで、そう吐き捨てられた、短い否定の言葉。
「”時間超越”を持たない人間が冥力を持つことはあり得ねぇ。そして、”時間超越”以外で、冥力を行使出来る存在は、オレ以外に存在しねぇ」
「……確か、だな?」
「訊くまでもない話だろうが。それはテメェもよく知ってるだろうがよォ…」
「そう……だな。だからお前は……お前の周りには危険がありふれていたのだからな…」
そう、訊くまでもない話だ。
”時間超越”という力自体、持っている者の絶対数が異常に少ない類いの力だ。
人間の、どころか生物に許されざるレベルの力。
時間の流れをも歪める、まさしく神が如き御業。
それを有するというだけで、色眼鏡で見られるというのに、あまつさえそれすらも無く、冥力そのものを──時の流れをも歪める力そのものを自在に操ることが出来る人間など、クラノス・ローラテイズを除いて、他にいない。
──いや。
(例外があるとすれば、「赤月 玲」を宿す者だ。あれだけは、本当の例外だ)
そう、1つだけ例外がある。人工的にそれを行使出来るように改造されたクラノスを除いて、「赤月 玲」の依代だけは例外中の例外だ。
「……何故、今さらそんなことを訊く、ラーノルド」
「……」
ラーノルドは、言葉に詰まっていた。だが、ここまで来てしまっては、最早致し方ない。
もし、あいつを救ってやれるとすれば、それはきっと、この男を除いていないのだろうから。
だからラーノルドは、やがて意を決したように、ゆっくりと、口を開いた。
「お前を……オレの兄の親友──そして、オレの友として、信用して話す……」
「……何だ」
「兄貴達の息子──アルフには、”時間超越”以外の手段で、冥力を扱う才能がある」




