12 少女の危険性
「リィルが……危険!?」
思わず立ち上がりかけた拍子に、浮き上がった膝がテーブルに叩きつけられたが、そんな痛みすら自覚しないほどに、アルフは驚愕を顕にした。
「どういうことです!? 確かにあの子の魔力が危険だっていうのはわかりますけれど……」
「勿論それもあるが、事態はそんなところじゃ、収まらん……」
対照的に、ヴァンは努めて冷静だった。いや、表面的には、そう見えた。
けれど、握られた拳は、血が滲まんばかりに力が込められ、赤みを帯びていた。
その様子を見て、一度深呼吸をして、感情を落ち着けるアルフ。
「……どういう…ことですか?」
もう一度、そう口にしたアルフ。
しかし、今度のそれは、単なる驚きを表すものではなく、ヴァンの真意を窺わんとするものだった。
「……それを話す前に、アルフ…。お前、イクリプシアを見たことはないな?」
身構えていたアルフは、思わぬ方向からの質問を受けて、目を丸くした。
「え、ああ……はい。そうですけれど……。それと何が…」
リィルの話をしている筈なのに、何故今、このタイミングでイクリプシアのことを訊かれているのか。
だが、ヴァンはそんなアルフにはお構い無しに、質問を続ける。
「『言霊結』については、どの程度知っている?」
「えっと……。魔力とはまた違った力──想力によって扱われるもので、人には理解出来ない特殊な言語でもって、地面とか水とか、そういった物を自身の意のままに操ったり、変形させたり…。そういったことが出来るもの、ですよね? ヴァンさん……。いったいそれが何の関係が……」
「……『言霊結』は、今お前が言った通り、人間には決して理解出来ない言語による言霊によって、万物を操る力だ。だが、疑問に思ったことはないか? イクリプシアとの争いは疾うに数百年と続いている。確かに言語が違うにしても、何故これ程までに長く続いていながら、一向にその言語を、僅かも解読出来ないのか」
「……言われてみれば…」
ヴァンの言葉を聞いて、アルフは確かにそうだ、と相槌を打つ。
たとえ言葉が違っていても、それを何百何千と聞いていれば、そのフレーズやキーワードくらい、判明して然るべきだ。
「例えば『地面を抉り取って、巨大な炎の塊に変える』、『地面を抉り取って、無数の剣に変える』等、大概の場合、イクリプシアのそれは、真っ先に地面に対して発動される傾向が強い。当たり前だが、地面はどこにでもある上に、何処にいても扱える物だからな。ならば、『地面を抉り取って』の部分は、共通する──少なからず、似通った言霊の筈だ。にも拘わらず、幾度聞いても、人間には、それを解析出来ない。まるでノイズが掛かったかのように、どうしても、理解出来ない」
「……」
数百年──。途方もない年月だ。
それだけの期間、イクリプシアと対立しながら、その言霊のメカニズムはおろか、『地面』という単語がどう発音されているのか、聞いている筈なのに、判読出来ない。
「この現象は、学者の間ではこう提唱されている。然るに『言霊結』には、何よりもまず、その言霊の意味を理解しようとする人間の思考を阻害する働きがある、とな。つまり、人間の『認識』を正常に機能させなくする作用があるのではないか、と」
「──っ!」
『認識』という言葉を聞いて、アルフの身体が強張った。
ついさっきまで、『言霊結』とはまた違うものだが、『認識』という言葉について、会話をしていた。
そう、リィルの魔力性質に、彼女の「それが武器であるという『認識』」が働いている、と。
「さらに、イクリプシアの『言霊結』は、個体によって、扱える物の種類に差がある、ということを知っているか?」
「差……ですか? いえ……それは、力の大小の問題…ということですか?」
「いや、そうではない。アルフ、お前、水を物体だと思うか?」
「えっ?」
唐突に投げ掛けられた言葉に、反射的にそう声を洩らしながら、アルフは頭を捻る。
水──。液体を物体にカテゴライズしてよいものなのか。
流動的で決まりきった形もなく、器でもなければ、留めておくことすら叶わない。
最終的に、アルフはその質問に、首を横に振る形で回答した。
「……いえ、物体というには、流動的な形状、性質過ぎるかと…」
「そうだな、水に決まりきった形はない。器があればその形に、なければ、水溜まりのように地面等の凹凸に合わせて、まさしく変幻自在。つまりお前は、水を物体として『認識』出来ない。恐らく、そこの差なのだろうな。イクリプシアの中でも、水を操れる個体と、そうでない個体とがいる。これは、力の大小のせいではなく別の要因によるものだ」
「別の…要因……」
「これにも、定説がある。曰く、その個体にとって、それが操れる物だと『認識』出来るか否か、と。……つまり、イクリプシアにとって『認識』というものは、それだけウェイトを持ったものだということだ…」
「……ヴァンさん。まさかリィルが、イクリプシアだって言いたいんですか?」
そう訊かずにはいられなかった。
ここまで『認識』というワードでイクリプシアの話を紐付けて語られれば、それも無理はないことだ。
「あの子の眼は、翡翠色じゃない…。それに、リィルはロッティとよく一緒に浴場へ行っています。イクリプシアの身体には、何処かに紋様がある筈じゃないですか。けれど、昨日──いや、もう一昨日ですね。あのグレイの一件の時だって、フィールさんやティアナさんもいました。紋様が認められないなんてこと、ない筈ですよ!」
思わず熱くなっていることを、自分でも感じている。
けれど、自分の仲間にあらぬ疑いが掛けられているのだ。落ち着いてなどいられない。
(……いや、それだけか…? 本当に、それだけ…か? ……わからない。わからない、けれど……)
──どうしてか、嫌だった。リィルにあらぬ嫌疑が掛けられているということが、無性に、堪らなく嫌だった。
その気持ちがどこから来るものなのか、アルフ自身もわかっていない。
まだ、たった一月の関係。長い年月を共にしてきたロッティ。
正式に仲間になってからはまだ数年、けれど、まるで兄のようなグレイ。
これまで、両親を失ったアルフを、そして問題ばかり起こしてきた自分達を、それでも見守ってくれるラーノルド。
そして、不出来な自分に対し、いつも親身になってくれて、彼を支える愛刀を作ってくれるヴァン。
それらに比べれば、あまりにも短く、か細い。そんな、リィルへの信頼、信用。
本来ならば、そうである筈なのに。
まるで、永い時を共にしてきた、大切な仲間のように、リィルにそういった意見が、視線が向けられたことが、どうしても嫌で嫌で仕方がなかった。
言うまでもなく、アルフはヴァンを非常に信頼している。
勿論自身の刀を打ってくれているというのもあるが、それを抜きにしても、レーヴェティア騎士団本部の前団長。
そして、人間の極致とも言うべき、SSSランクの騎士。
ヴァンが人類に対してしてきた貢献は、十二分に尊敬に値するものだ。
普段なら、ヴァンの言葉に対して、こんな風にある種の苛立ちのようなものは感じないだろう。
本来なら、比べるまでもないくらいに、ヴァンとリィルでは、信頼と信用に差があるべきなのだ。
なのに、それなのに──。
仮にここでヴァンに反旗を翻して、そして反感を買ってその末に刀を打ってもらえなくなったとしても、構わないとさえこの時のアルフは感じていた。
しかし、アルフの心中はともかく、アルフの言った内容は確かだ。
アルフ自身は、イクリプシアを実際に見たことはないが、知識としては勿論知っている。
イクリプシアは、例外無く、必ず翡翠色の瞳をしている。
そして、これもまた例外無く、身体の何処かに紋様がある。
照らし合わせれば、最早疑うまでもない。
まず、第一に瞳の色だが、リィルのそれは、空よりも深い、澄んだ蒼色のそれだ。
そして、身体の紋様だって、もしそんなものがあれば、今頃ロッティは勿論、グレイの一件の際に浴場で一緒だったフィールやティアナにも見られていて当然。
もし、本当に紋様があったのなら、今頃それについて言及されて然るべきだ。
そもそも、もし仮にそれらの前提を無視して考えたとしても、では何故イクリプシアが人間の街であるレーヴェティアで生活を営んでいるというのか。
わざわざ、敵地の真っ只中──それも、地上で1、2を争う程に強大な街であるこのレーヴェティアに、単身で潜伏する理由があるのか。そんな無謀なことをする、利点があるのか。
縦しんば、潜り込んで隙を窺っていたとしても、それにしても無理がありすぎる。
いくらイクリプシアといえども、たった1体でレーヴェティアを相手取ることは不可能だ。
だが、アルフの言葉に、ヴァンは小さく息を吐いて、言葉を返す。
「早合点するな。何も、あの娘がイクリプシアだと言っている訳ではない」
「……えっ?」
──どういうことだ。
あれだけ、まさしくイクリプシアだと匂わせるような論調であったのに、返ってきた言葉は、それと相反するものだった。
目を丸くするアルフに、ヴァンは構わずに続ける。
「お前の言うとおり、イクリプシアは決まって、翡翠色の瞳をしている。そして、身体の何処かに紋様がある。リィルはイクリプシアではない。だからこそ問題なんだ…」
「……どういうこと…ですか?」
三度繰り返される、アルフの疑問の言葉。
今度のそれは、もう何がなんだかわからない、というアルフの胸中を表すような声色だった。
「……リィルの武器破壊は、さっきも説明した通り、『認識』から来ている。あの娘の、『それが何かを傷つけることが出来る物だという認識』からな。その性質は、人間の魔力よりも、イクリプシアの想力に近しい。ただの人間よりも、イクリプシアに近しい。つまり、彼女は少なからず、普通の人間とは言いがたい存在、ということになる。アルフ……これが何を意味するか…よく考えてみろ」
「……えっと…」
言われて、アルフは考える。ヴァンの言葉が何を示唆しているのか。
普通の人間とは言いがたい存在。つまり、通常ではあり得ない、考えられない状態。
正しく、特異点。それも、その性質が人間よりもイクリプシアに近いときている。
魔力について、そしてイクリプシアの放つ『言霊結』について研究する立場からすれば、その価値は非常に高い──。
「──っ! まさか……!」
そうだ。彼女の価値が高い──前例が無い程に非常に稀少性が高いリィルの存在は、つまりは研究職の者からすれば、喉から手が出る程に欲しい逸材に違いない。
それが、もし悪意ある者達だったなら……。
「……お前の考えていることは、だがまだ半分だ」
驚愕に眼を見開くアルフを見据え、その心を見透かしたようにそう言ったヴァン。
「お前はこう考えたのだろう。リィルの能力は稀少であり、それがもし悪意ある者に狙われたら…と」
「……まさしく…」
「それは正しい。あの娘を拾ったのがお前で良かった。そして、連れて来たのが、このレーヴェティアで良かった。もしヴァスタードやネルギド等だったならば、あの娘は研究対象になっていたことだろうよ」
研究対象という言葉に顔をしかめたアルフに、しかしヴァンはさらに突っ込んだ事実を指摘する。
「だがな…それ以前に、もっと大事なことがあるだろう」
「え……?」
「そんな特異な存在が──本来ならばあり得ないような症例が、本当に、自然に発生すると思うか?」
「あ……」
今度こそ、アルフは絶句した。
そうだ、まさにその通りではないか。
通常の人間にはあり得ない現象。
『それが武器である』と認識するだけで、そこに万物を破砕するような性質を持たせてしまうリィルの魔力。
グレイは言っていた。彼女が砕いた武器の破片は、自分の強化の魔法を易々と切り裂いて、その肉体を傷つけた、と。
グレイは、あれでもヴェルタジオ家の人間だ。
ヴェルタジオ家は、特に身体強化系の法術、そして炎属性の魔法を得意とする家柄だ。
しかも、その中でも、グレイは遠距離攻撃の手段を持たない異端児。おまけに、剣や槍といった武器の才能もからっきし。
彼が生き残るには、肉弾戦に特化する以外にはなかった。
故に、グレイの身体強化の魔法は、そんじょそこらの代物とは訳が違う。
こと自身の肉体を強化することにかけては、ヴァンやラーノルドといった超上級の騎士にも比肩するだろう。
そのグレイの強化魔法を容易く打ち破る、リィルの魔力性質。
そんな代物が、本当に自然発生するのか。
いや、寧ろ、そうなるべく造られたと考える方が、余程しっくりくる。
そのアルフの考えを裏付けるように、ヴァンは言葉を続ける。
「実際、さっきも言ったが、『ラグネアラ結晶』を用いて、人間を強化する薬をネルギドは開発しようとしていた。そういった事例は、他にもある。そして、もしその通りに──何処かの街がリィルにそのような処置を施した結果、ああなったのだとしたら……」
「……リィルは研究対象なんかではなく…研究成果……ということになりますね…。それが、今レーヴェティアにいる……」
「記憶を失っているのだから、確証は無いが、オレの経験上、こういった場合は逃げ出して来たというケースが多い。前例が無いということは、極秘裏に開発された存在だ、とも言える。ならば、そんな大切な研究成果を、その街はみすみす手放すか? そして、お前が先程考えた通り、そんな存在が明るみになったら、それを研究しよう、利用しよう、悪用しよう考える者が出ない筈がない。あの娘そのものが危険なのではない。あの娘の存在それ自体が危険なんだ」
言われて、アルフは思い出す。
そう、それは、初めてリィルに出会った時のことだ。
アルフに会う以前に、既にリィルは瀕死に近い状態だった。
その傷は、確かにアルフが討伐しようとしていたサソリ蜘蛛によるものもあった。
だが、明らかに、それとは別の傷もあったのだ。
刃物か何かでつけられたような、鋭い傷。何かで拘束されていたような傷痕。そういった、明らかに人為的な傷が、確かにあった。
ならば。だとしたら──。
(……ほぼ間違いない。リィルは何処かから逃げてきたんだ…。そして、その過程で何らかがあって、記憶を失った。そこを、オレが保護した…ってこと…だよね。なら…リィルを追う存在は、確実にいる筈だ…)
極秘裏に開発された存在だから、大っぴらに捜索の情報が展開されない。
もし、そうだとしたら、今この瞬間にも、リィルを捜す手は動いているのかもしれない。
「ヴェグナ騒動の後だから説得力もやや薄いが、幸い、レーヴェティアにそうちょっかいを掛けてこようという街は、そうそうない。レーヴェティアの庇護下にあることは、あの娘を護る意味でも大きい。だが、それでも、ヴェグナ騒動の折に、あの娘は目覚ましい活躍を遂げた。悪く言えば、目立ちすぎた……。遅かれ早かれ、リィルの情報は漏れてしまうだろう。だから、この魔力銃は、何が何でも、速やかに直さなければならん。これ以上、あの娘のそれが露見してしまう前に」
それを聞いて、ようやくアルフは合点が行った。『ラディールスフィア』──『ラグネアラ結晶』を基に作られたそれは、手放しに安全とは言いがたい。
なのに、それを用いられている銃を、ヴァンは直すと公言したのだ。
普通なら、ヴァン程に『ラグネアラ結晶』の恐ろしさを知る者ならば、そう簡単にあの銃を直す等とは言えないだろう。
それほどに、事態は急を要するのだ。
リィルの身の安全のためにも、すぐにでも直してやらなければならないのだ。
レーヴェティア騎士団に名を連ね、しかも問題行動が多いが功績も大きい『勝利の御旗』に加入して、あまつさえ件のヴェグナ騒動の際に大活躍をしたとあっては、ここで騎士を辞めて身を隠すというのは、逆に悪目立ちする。
リィルを護るためにも、寧ろレーヴェティア騎士団にあり続けることは、重要なことだ。
たとえそれで目立つことになろうとも、いや、目立つからこそ、秘密裏に行動しようという輩にはもってこいの筈だ。
だからこそ、そのリィルの仲間であるアルフ達が、より一層彼女を護ってあげなくてはならない。
(──護らなきゃ。オレが、オレ達が、リィルを護らなきゃ…)
ヴァンが言った言葉から、アルフはそう考えていた。
だから、ヴァンの目を真っ直ぐに見返して、用心するといったようなことを言おうとした。
「……よく用心しま──」
「──馬鹿野郎が。用心で足りるか。あの娘が研究対象とされるならば、お前もその1人になりかねんだろうが…」




