XX 僕が世界を救ってやるよ
「…う……っく……」
どれくらい時間が経ったのだろうか。わからない。ここには何もない。太陽も、月も、どころか人も草も石も、何もかもが存在しない。
在るのはただ、グレイ・ヴェルタジオと赤月 玲の、2つだけ。
「お、目ぇ覚ましたか」
急激な記憶と知識の奔流に呑まれ、グレイは気を失った。仰向けに転がった自分を覗き込んでくる、赤みが掛かった黒髪をした少年。
グレイの頭を襲ったのは、この玲と名乗った少年の記憶と知識だろう。
それは、凡そ人間のそれとは思えない量だった。
別に、この玲という少年が勉強熱心で、その歳にして天才と呼ばれるに足る知識量を有していたとか、そういうことじゃない。
ただ、あまりに途方もない時間が累積している、ということだった。
「……この記憶は…本当のことか…?」
未だに痛む頭に顔を歪めつつ、グレイは上体を起こしてそう訪ねた。すると、あっさりと返答がやって来た。
「ああ。全部、ホントにあったことだ」
「……はは…。これが事実なんだとしたら…何て愚かな生き物なんだ…この世界の人間ってやつは…!」
正直言って、目の前の少年に吐き気を覚えた。この記憶が本当なら──本当だとしたら──
「あんたは…僕等の祖先が自分達のためだけに行った召喚魔法でこの世界に喚び出されて、さんざん利用された挙げ句、謂れの無い罪で殺されたってことじゃないか! なんだそれは! これだけの恩恵を受けながら、何て身勝手なんだ…!」
「けど、事実でもある。オレがその場にいるだけで、この世界は……確かに歪んでたよ。だから、この世界をこんなにしちまったのは、確かにオレに原因がある」
「……っ。あんた、こんだけのことをされてきて、それでもまだ、この世界を救おうっていうのか…」
吐き気を覚える。目の前の少年は、遥か数百年前に、この世界の住人の勝手な都合によって喚び寄せられ、そして理不尽に殺された。
──この世界が、この少年のせいで滅ぶ?
違うだろう。この少年を利用してきた、この世界の者達が愚かなだけじゃないか。自業自得、当然の帰結じゃないか。
そう思ったからこそ、気持ちが悪かった。それでもなお、この世界を救おうとしている、目の前の少年が。ただただ、気持ち悪い。
「こんな世界……滅んで当然じゃないか……。恨みこそすれ、あんたが責任を感じるような必要は…何もないじゃないか…」
気持ち悪い。そのあまりに真っ直ぐ過ぎる心の在り方が。だって、自分はこんなにも歪んでいるのに、この少年はこんなにも、真っ直ぐだ。
だから、それは自己嫌悪から来る気持ち悪さでもあった。
「オレの記憶を見たなら、お前ももう、理解しただろ…」
「……」
玲の言葉を聞いて、グレイは小さく頷いた。
「……これまでの前任者達のように、僕も、特定の『平行世界の収束点』を越えなければ、あんたとは離れられない。そして、越えない限り、解放されることは…ない。何度も何度もやり直す。……は…はは……。つまり、僕は、世界を救わなきゃいけないわけだ…。こんな僕が…。世界に絶望した……僕が」
頭を抱えて、グレイは笑いながら涙を流していた。その狂ったような嘲笑を続けるグレイを、玲は静かに見つめていた。
「……アリスは…。僕があんたの力で世界を巻き戻せば……アリスは戻って来るのか…? あんたの力を使えば、僕が生まれた瞬間まで戻ることが出来る…。なら、あの”時間超越”を手にする瞬間を……変えることだって……」
口をついたのは、そんなすがるような言葉だった。
そうだ、この少年の力で何度もやり直しをするということは、世界の時間を巻き戻せる、ということだ。
それはつまり、あの瞬間──最愛の妹が消える前に戻ることが出来れば、いなくなった妹を救い出すことが出来る。
今度こそ、違えることなく、自分の大切なものを…護ることが出来る。
「……それも、理解してるだろ」
だが、返ってきた言葉は冷たいものだった。
「……ああ。わかっているさ…。でも、だけど! わかっていたってすがってしまうじゃないか! ”時間超越”で代償となったものは、たとえその前に戻れたとしても元には戻らない…。前任者達がそうであったように! わかってるよ!! そんなことは…! くそ、くそ…くそくそくそ!!」
やり場のない怒りが、グレイを襲った。そう、わかっていた。訊くまでもない。だってグレイは、『赤月 玲』の記憶を見たのだから。
彼が生を受けてから元の世界でやってきたこと。それを奪われてこの世界に召喚されたこと。そして、それから数百年間──”時間超越”を発言した者達の中でも、さらにごく限られた幾つかの者に宿ることになり、そして何度も何度も同じ時を繰り返しながら、それでも戦ってきたこと。
だから、全て理解している。言われずともわかっている。
でも、それでもすがらずにはいられなかった。それほどに、グレイにとって妹の存在は──アリス・ヴェルタジオの存在は、大きかったのだ。
失って初めて、その事に、気がついたのだ。
もう二度と、透き通るようなあの亜麻色の長い髪に、触れることは叶わない。
もう二度と、太陽のように温かなあの天真爛漫な笑みを、見ることは叶わない。
もう二度と、こんな腐った奴を愛してくれるその想いに、応えることは叶わない。
なのに、なのになのに──なのに。それでも、こんな世界を救わなければならないのか。
何のために。誰のために。何の意味があって。何の意義があって。
「僕は……僕…は……!!」
最愛の妹は、もういない。どうあっても、取り戻すことは出来ない。それでも、やらなければならないのか。こんな、どうしようもない世界を、それでも救わなくてはならないのか。
「……すまねぇ」
「あんたのせいじゃないって言っただろ!! この契約だって、あんたの意志は介在しない! あんたが選ぶことも…僕が拒否することも…出来ないじゃないか……。う…く…そぅ……!!」
「……それでも、悪い…。……オレ、さ…。しばらく消えてっから」
それだけ言い残して、泡沫が弾けるように玲は姿を消した。
残されたのは、グレイ・ヴェルタジオ、ただ1人。何も無い、悪夢のような、真っ白の闇の中。
時の流れも、他の生き物の息づく音も無い、何も無い世界。何も無くなった、世界。
そんな世界で、グレイは声をあげて、泣き続けた。
********************
どれくらいの時間が流れたのか──。そんなことを考えるのに、意味はない。
この純白の闇の世界は、全ての始まりにして終わりの世界。時間の概念など、存在しない。
何も始まらない。だから、何も終わらない。
何もかもが終わった後。だから、何もかもが始まらない。
この世界で、それでも何かを始めることが出来るのは、それでも何かを終えることが出来るのは、グレイと玲の、ただ2人。
「……」
或いは数分だったのか。或いは、数年経ったのか。時間を知覚することも出来なければ意義も無いここでは、そんなことを思うことは意味の無いことだった。
「なぁ…玲」
「……なんだ?」
気づけばそこに、少年はいた。いつの間にか、目の前にいた。そのことに驚かない。だってここは、彼等しか無い世界なのだから。
「……アリスがさ……言ってたんだ…」
玲は、黙ってグレイの言葉を待つ。
「アリスがさ……こう…言ったんだよ。『この世界を救いたいの』って…。『アルフくんやロッティちゃんに死んで欲しくないもん』って。……『何で人とイクリプシアって、戦わないといけないんだろ』って…。僕さ、その時、妹の言った言葉を、正直真面目に聞いてなかった。僕達の力なんて、たかが知れてる。イクリプシアとの戦いを終わらせることなんて、出来っこない、って。だから、アルフだってローゼリッテだって、いつかは死ぬ。魔物かもしれない。イクリプシアかもしれない。同じ人間に殺されるかもしれない」
玲は、何も言わない。ただ、グレイの言葉に耳を傾ける。
「実際、僕の目の前で、アルフやローゼリッテは殺されたよ。妹は、僕の得た力の代償に消えた…。そして、世界は滅んだ。はは……妹の言ったことは、何も叶わなかったってことだ…」
玲は口を開かない。ただただ、グレイの言葉を聞き続ける。
「……何度も死のうと思った。でも、出来なかった。未練があったとか、そうじゃないんだ…。僕が死んだら、もうアリスのことを覚えている奴は、この世界からいなくなってしまう。本当にアリスが……無くなってしまう。それが、嫌だった…」
玲は、ただ、グレイの言葉を待ち続けた。
「アルフが死んだ。ローゼリッテも死んだ。最愛の妹も…消えた。人とイクリプシアとの戦いは、終わらなかった。世界は、滅んだ。あいつが望んだことは…全部全部…叶わなかった…!」
玲は──口を開いた。
「……なら、お前はどうしたい?」
「……ふざけるな…。僕の妹が……アリスが願ったことが何1つ叶わない…? あんな純粋な、こんなくそったれな兄貴には勿体無い妹が願ったことが、何も叶わない。そんなの……許せるわけがないだろうが!!」
「……なら、お前はどうするんだ?」
「決まってる。アリスの想いを…無かったことになんてさせない。だから、僕のやることは1つだ」
グレイは、立ち上がった。そして、目の前の少年を見る。真っ直ぐな、空のように青い瞳が、グレイを見つめ返してくる。
「やってやるよ…。──僕が世界を救ってやるよ」
「……いいんだな?」
「いいも何も、悪いって言ったところで、やるしかないじゃないか。同じやるしかないのなら、僕はアリスのために、世界を救う。あの妹が願った世界にするために……僕は戦う。だから、あんたの力を貸してくれ」
「──こちらこそ、だぜ。頼む、グレイ。この世界を救うために、お前の力を貸してくれ」
差し出された玲の右手を、グレイは握り返した。
「これからオレ達は、一心同体だ。よろしくな、グレイ」
「ああ、玲」
********************
「さて、グレイ。お前はオレの記憶を見たし、オレも同じようにお前の記憶を知っている。だから、お前が見た、世界が終わる瞬間も認識してる。あの光の雨が降って来たら、終わりだ。だから、何としてもそれを避けなきゃなんねぇ」
「ああ、そうだな。多分あれが、『光の雨が地上を満たすとき、すべては終わる』っていう、人類の最後の希望だった筈のものだと思う」
「だな。そして、オレの記憶を見たお前なら、今回の一件に絡んでいそうな人物がわかる筈だ」
「……クラノス・ローラテイズ。確か僕の前に、玲と契約していた人物だった筈……。それが、何でこんなことに…」
「それがわからねぇんだ…。あいつは、確かに『人類とイクリプシアの全面戦争による滅亡』っていう『平行世界の収束点』を回避した。けど、その瞬間のあいつは、酷く世界を憎んだふうだった。お前の記憶を見る限り、『光の雨が地上を満たすとき、すべては終わる』って言葉も、そのちょっと後から流れ始めた言葉みてぇだし、クラノスは間違いなく、この世界の滅びに関与していると思う。だから、オレ達の勝利条件は──」
「──クラノスの野望を阻止すること。今の段階で判っていることから判断するなら、そういうことになるな…」
ああ、と頷いて、玲は急に悪戯な笑みを浮かべた。
「けど、それはひとまず置いといて、だ」
「あ?」
いきなりそんなことを言われて肩透かしを食らったグレイが、怪訝な視線を玲に向ける。が、玲の表情は変わらない。
まるでそれは、悪戯をする前の無邪気な子供のそれのようだった。
「お前は色々と才能に恵まれてる。が、精神面で見りゃ最悪だ、うん」
「ちょっ──」
「特になんだ、お前ホントに友達いねぇじゃんか。アリスがいなきゃアルフとロッティとも繋がりを持てなかったろうし、もうホンットに最悪だ…。よくこれで20年以上生きれたもんだ……。親御さんもアリスも…苦労したんだろうなぁ…」
「おま──言い過ぎだろう!」
「いやいや、これでも控えめなくらいだろ…。そんなんで世界…救えんのかよ…」
「あんたは世界が救いたいのかそうじゃないのか、どっちなんだ!!」
「救いたいよー? でもこれじゃあ、アリスも無しにやってけるか心配過ぎて、おちおちそんなことを考えてる場合じゃないぜ…」
「ぐぬぬ……」
言い返す言葉もない。確かにその通りだった。
このまま時間を巻き戻したとて、こんなグレイでは上手くやっていける筈もなかった。
「従って──精神鍛練ターイム!!」
「……なんだそりゃ…」
「お前はまず、その腐った精神面を何とかしなくちゃなんねぇ! じゃなきゃ世界を救うことなんて無理! んでアルフもロッティも救えねぇ! だから、やり直しを始める前に、オレとここでその精神面の弱さを克服すっぞ!」
「ええー……」
世界を救う。なるほど、大それた目標だが、遣り甲斐もある。だが、それ以前の問題であった。そうするまでもなく、今のままのグレイじゃ、アリス無しでやっていけるとは到底思えない。
というか、口からは不満を漏らしながらも、それはグレイ自身も感じていることではあった。
「安心しろ、ここに時間の概念は存在しねぇ。つまり、言い方を変えりゃ、時間はたーっぷりある。その捻じ曲がった根性、叩き直してやんよ!」
だが、幸いにしてここは、全てが始まる場所であり、そして全てが終わる場所。
時の流れなど存在しない。常に『今』が続く。時が流れないならば、『今』が『過去』になることはない。
「まずはその弱腰な自分を変えてくぞ! 自分を指す言葉は『オレ』!」
「一人称変えることに意味があるのか…?」
「バッカ野郎、まずは形からだよ! 不幸にもお前のお手本になれる奴は今、オレしかいねぇ! だからひとまずは、オレに倣ってもらう」
「……何だか釈然としないなぁ…。本当に効果あんのかな…。僕は──」
「はい駄目~。何だお前、こんな簡単なことも出来ねぇのか~? ん~?」
「おま…おちょくってんのか! ぼ…オレを馬鹿にするのも大概にしろよ!」
「お、その調子その調子! なんだやれば出来るじゃねぇか」
「~~~~!」
従って、体感的に言うなら、それは無制限の時間がある、ということだ。ゴールがあるとすれば、それはグレイの精神面の鍛練が終了した時だけだ。
そして、この場所に逃げ場は存在しない。だって、ここにはグレイと玲の2人しかないのだから。隠れるものもなければ、行ける場所もない。
どんなに離れようと、この場所に距離という概念は存在しない。何故なら2人は、もう一心同体なのだから。そもそも離れるということはない。
斯くして、グレイ・ヴェルタジオの精神鍛練が始まった。どれくらいの体感時間の果てか、それは実を結んだ。
些かやり過ぎな感は否めない玲であったが、とにかく、こうしてアリス無しでもやっていけるだろう『グレイ・ヴェルタジオ』が完成した。
「さぁ、グレイ。始めるぜ?」
「ああ。とりあえずは、どこに戻るんだ?」
「んー…直前の時間軸にならどのポイントにも戻れるんだけど、まずは人間関係の構築から取り掛からなきゃだな…お前の場合。いきなりこうも性格が変わったとあっちゃ、みんなビックリするだろうし。なわけだから、ガキんちょの頃まで戻る」
「うげぇ…。マジかよ…。もっかい人生やり直すようなもんじゃねぇか」
「逆に考えろよ。人生やり直せんだぜ?」
「まぁ、そうだけどよ…」
積み上げてきた20年以上の時間を、もう一度やり直せる。そう聞くと聞こえはいいが、つまりはそれは、これまで積み重ねて来てしまった自分の汚点を自ら洗い流していくようなものだ。
「……ええい、ままよ! やってやろうじゃねぇか! ガキの頃まで遡って、んで色々上手くやりながら情報集めだ!」
「おっしその意気だ!」
「フォローは任せたぜ、玲」
「ああ、お前とオレは、念じるだけで会話出来る。任せとけ」
「頼まぁ。……でよ、玲。アリスの願いに、アルフとロッティを死なせたくないってのがあった。それがなくても、ようやっと気づいたんだ。前のオレは、ホンットに腐ってた。それでも、あいつ等は、オレを認めてくれてた。オレ…あいつ等に死んで欲しく…ねぇんだわ」
「グレイ……」
「だから、今度はオレから声を掛けようと思うんだ。んで、チームを組む」
「ああ、それでいい。それでいいんだ、グレイ」
「へへ。んでよ、実は、パーティ名はもう決まってんだ」
「『勝利の御旗』って書いて、『フューリアス』って読むんだろ?」
「……ああ。結局あの時は、アリスの意見が採用されて、『勝利の御旗』に決まった。この『フューリアス』って言葉も、元々はあんたのいた世界の言葉だ。意味は…『苛烈な』とか『過激な』とか『猛烈な』とか…だっけか?」
「ああ、確かそんな感じだぜ」
「……オレ達にぴったりだって、思うんだ。今度のオレは、過激で苛烈で、猛烈で、問題ばっかり起こして、でもどっか憎めない。そんな奴になる。んでよ、思えば、あいつ等も度々問題ばっか起こしてた」
そう言って、グレイは視線を玲から上に向ける。そんなことをしても、そこに空があるわけではない。ここには、何もない。
白い闇。あるのはそれだけだ。
ただ、今のグレイには、ちょっと違って見えた。
──描きあげて、その上に白い絵の具をぶっかけて真っ白になったんなら、また描いていきゃいい。
「オレ達は、過激でブッ飛んでて、そんで世界を救う。この世界にとって、勝利を告げる旗になる」
──『勝利の御旗』。今は亡き、アリスの残した願い。
──『フューリアス』。今は無き、グレイがかつて付けた名前。そして、これからの彼を体現する言葉。
──『勝利の御旗』。世界を救う。そんな大それた願いを持ち、そのために奮闘する、ちょっと過激な問題児達。これ以上の名前は、グレイには思い浮かばなかった。
「……へへ、ちょっと中二臭い感じがするけど、嫌いじゃないぜ、オレ」
「だろ。その中二臭さがミソだぜ」
お互いに似たような、悪戯な笑みを浮かべて笑い合う2人。
「じゃあ、始めるぜ、グレイ」
「ああ、行こうぜ。世界を救いに」
白い闇に、黒い光が満ちた。その光に包まれて、そこに在った2つの姿は姿を消した。
こうして、グレイ・ヴェルタジオの物語が、ようやく始まった。
大きな犠牲を払いながら、それでも、愛する妹の願いを叶えるために。
それは、無謀とも思える物語。世界を相手に奮闘する、ある少年達の物語。
幾度も繰り返される、死と滅びの世界で、それでもその運命に抗い続ける者達の物語。




