29 それぞれの決意
「──ふん、そうか。概ね想定通りに事が運んだな」
『ええ。これでエルサーラ──改めエルティア、そしてダルタネス大陸の戦力も強化されるでしょう』
まだ夜も明けない時間帯。時は、ちょうどラーノルドとレーレが2人で飲んでいる頃だ。
そこは、ヴァスタードの最大権力者の私室だ。質素な机と椅子、簡素なベッドだけが置かれた、とても権力者のそれとは思えない室内。だが、その内観に似合わず、防音、防衛に関しては、非常に厳重な造りになっている。そんな暗い部屋で椅子に腰かけた40歳前後の男の、低い声が響く。
「これでイクリプシア共の動きも、ある程度は緩和出来る…か。期待外れだったのは、エルサーラのヴェグナの方だ。あの程度のものしか喚び出せないとは…。『カルベリアの悲劇』のそれは、100メートルは余裕で越えていた筈だ。召喚魔法の一端を掴んだ等という情報があったからわざわざ試してやったってのに、まさかそれがヴェグナで、しかも大したことねぇと来てる。実にくだらねぇ…」
『それで街に危機が迫った此方としては、堪ったものじゃないんですけどね…』
耳に押し当てた『魔導式情報端末』から返ってくる男の声に、フン、と小さく笑い声をあげる男。
「あの程度のものも退けられねえようじゃ、どのみち遠からず滅ぶ。それに、レーヴェティアの頭はラーノルドだ。あいつなら、そんな心配はねぇ。尤も、だからこそ、こっちに引き戻してぇんだがな。あれの力は戦場でこそ発揮される」
『あはは…それこそどうにかなっちゃいますよ、この街は』
「だが、そうでもして確認しなければならない程、無視出来ねぇ代物であることも、また確かだ。召喚魔法は、この世界をこんな碌でもねぇモノにしちまった元凶だからな…」
『あのヴェグナが…ですか?』
「いいや、そうじゃねぇ。早い話、あれは召喚魔法じゃねぇのさ。だから、そもそもヴェグナを喚ぶという言い方自体、誤っている」
『えっ…?』
戸惑ったような声が、端末から響く。それを少し楽しんでから、男は続けた。
「より正確には、あれ単体では召喚魔法として機能しない、というのが正しい。あれはな……召喚魔法を行うための段階の1つ──。第5行程『魂の変質』と呼ばれるものだ」
『魂の…変質……』
「そう、変質だ。召喚魔法は、別世界の住人を喚び出すものだ。そして、別世界から喚び寄せた奴ってのは、この世界にはそぐわない存在だ。元々この世界に在るものじゃねぇんだから、そりゃ当然だ。そこで、それをこの世界が許容出来る形に変化させよう、っていう馬鹿げた行程が必要なのさ。本来はそうして扱われるべき手法が、今回の場合、本来この世界に在るべき人間に対して使われた。その間違った使用方法を行った結果、この世為らざる姿に変質する。それがヴェグナの正体だ。長時間在り続けられねぇのも、そのせいだ。世界に受け入れて貰えなくなっちまうのさ」
『そういう原理だったのですか…あれは』
ああ、と返答して、男は椅子から立ち上がり、窓辺に移動した。その窓から見える景色は、荒廃した大地だった。幾度もの激しい戦闘によって、地形に激しい凹凸が刻まれ、草木は焼き焦がされ、それ故に戦いの激しさが見て取れる。
男がいるのは、対イクリプシア戦線の最前線付近に設けられた建物の中だ。
今は静まり返っているが、これは一種の冷戦状態である。夜闇で見通しが悪い故に、お互いの手が止まっているが故の膠着状態。
そして、もう1つの要因は、その戦場のとある小高い丘。そこに浮かぶ、5つの光の球体だ。
曰く、地上最強の存在がそこにいるという証明。消却魔法の光である。
それを哀しそうに見つめながら小さく息をついて、男は話を切り替えた。
「それより、もう一件の方だ」
『……ええ。この1ヶ月程の期間でレーヴェティアを出入りした人間の記録を洗いました。一度確認させていただきたいのですが、あなたの捜している人物は、歳の頃は18歳前後、藤色の長髪、蒼い瞳。身長は155センチ程度の女性。名は、エイダ・アスカシア。こちらで間違いないですね?』
「ああ、そうだ」
『レーヴェティアには、エイダなる人物の記録はありません。ただ、1人、気になる人物がいます』
「どんな奴だ?」
『肩辺りまでの黒髪に蒼い瞳、身長や歳の頃は、恐らく情報と同じくらい。リィル・フリックリアなる人物が、レーヴェティア騎士団に先日登録されました』
「……それで?」
『気になる…というのは、彼女の戦闘スタイルです。今回のヴェグナの一件があって、そのリィル・フリックリアは、ヴェグナを1体仕留めてみせました。……消却魔法で。確か、そのエイダ・アスカシアという人物も消却魔法を使う、とのことでしたよね?』
「ほう……」
『そして、戦闘時に用いるのは、特殊な魔力銃…とのことです。他の武器だと彼女の魔力に耐えきれず、破砕してしまう、という情報がありました』
「……く…くくく…。ッハッハッハ! そいつだ! なるほど、髪を染めて、ご丁寧に髪型まで変えてやがったか…。そいつがオレの捜している、エイダ・アスカシアでまず間違いない。そうか、レーヴェティアに居座ってやがるのか。呑気な奴だ…」
『…そちらについては、彼女が街に来て早々に建物の方を破壊しまして…。借金が出来たため、といった背景もあるのですが…』
「何だそれは…。馬鹿か、あいつは……」
呆れ返ったように、男はため息をつく。
「まあ、いい。こちらの把握出来る範囲にいてくれるっていうんなら、あれの完成にも、まだしばらく時間が掛かる。その間くらいなら、多少の自由を与えてやるのも吝かじゃねぇ」
『……しかし、彼女は本当に…その、イクリプシアなのですか? 瞳の色も違いますし…。というより、イクリプシアを街に入れておく、というのは僕としても気が気ではないのですが…』
「あいつは少し特別なんだ。それに、安心しろ。あいつはそんな肝っ玉の据わった奴じゃねぇ。街に危害を加えるようなことにはならねぇよ」
後ろに流して固められた黒髪を撫で付けながら、なおも笑いに肩を震わせる男。
「とにかく、そいつから目を放すな。だが、特別干渉はするな。勘づかれるとまた逃げられちまうからな」
『了解しました』
「それにしても、リィルか…。随分皮肉の利いた偽名じゃねぇか…」
『皮肉…ですか?』
「いや、此方の話だ」
それからしばらく、男は口を閉ざす。そして、ようやっと口をついたのは、こんな言葉だった。
「……お前には、悪いと思ってる。こんなことをさせちまって。すまねぇな…」
『…いいえ、それがこの世界のためになるのなら、僕は喜んでこの身を捧げますよ…。それに、あなたには大きな恩がある。これくらい、どうということはありません、クラノス様。光の雨が地上を満たすその時まで……』
「…ありがとう、レオ……」
『いえ…。では、この辺りで。これでも団長の目を盗むのは、中々大変なもので…』
「ああ、引き続き頼む」
話は、そこで終了した。
静まり返った室内で、クラノス・ローラテイズは、自嘲するように呟いた。
「……『光の雨が地上を満たす時、全ては終わる』…か。……我ながら、呆れ返る。……だが、オレが……このクソったれな世界を終わらせる。例え、泥を啜ることになろうとも…。シエル、ウィル…。お前達のためにも……」
クラノスの、自分を責めるようなその言葉は、虚しく静寂に掻き消えた。
「……最大の問題は、『赤月 玲』の存在だが……。野郎…今度は誰に宿ってやがる…」
最大の懸念事項には未だ回答が出ていない。それが、クラノスにとっては大きな問題だった。
*******************
レーヴェティア騎士団本部の西隊舎。3階の端にあるアルフの部屋に、酔い潰れたアルフを下ろし、そして毛布を掛けてやってから部屋を後にする。そして、その右隣──『グレイ・ヴェルタジオ』の表札のついたドアを開き、ベッドに身を投げ出したグレイは、ようやく付けていたチャラけた仮面を外した。
「……はぁ…。堪えるぜ…ホントによ……」
仰向けに寝転がったグレイは、ポケットから懐中時計を取り出す。黄金色の、それ単体で見ても美しい装飾のその時計。
カチンと音があがり、上蓋が持ち上げられる。外観のそれと同じく美しい基盤に、銀色の長さの異なる3つの針がある。1つは分針。もう1つは時針。
最後の1つは、秒針──等ではない。
「もしあそこで9時を回ってなきゃ…終わってた」
その室内には、グレイ以外に誰もいない。端から見れば、それは単なる独り言。だが、その実体は全く異なっている。彼は、自身に宿るもう1人の人物と会話しているのだ。
グレイにのみ認識出来る、赤み掛かった黒髪をした少年──『赤月 玲』と。
別に本来は、口に出して言葉を交わす必要はない。だが、グレイは決まってこういう時、念話ではなく会話を行う。
その声色も、普段のそれに比べると、幾分低く、冷たいものだった。
『……そうだな。あれはヤバかった。下手したら、まずお前は死んでた』
「……オレが死んだら、元も子もねぇからな。……なあ、玲。アンタは今回、どう思う?」
『……悪くはない。けど、良くもない…な。それはお前も理解してんだろ?』
「……まぁ、な。けど、ホントどうなってんだよ…。何であいつまで繰り返しの影響を引き継いでんだ…。あの収納……魔力量……。まるで、繰り返す度に積み重なってくみてぇだ…。特に、ここ最近のそれは、顕著過ぎる…」
『そこがオレもわからねぇんだよな…。アルフは確かにラーノルドの兄夫婦の子供の筈だ。有り得ない…。なのに……』
「どういう訳か、あいつは冥力を扱う術を持ってる。やっぱそれが影響してるとしか考えらんねぇよな…」
『けど、今回はそれに助けられた。世界余命も──巻き戻った』
最後の針──。時針よりも分針よりも長いそれは、この世界そのものの、残された時間を示すものだ。グレイはこれを、『命針』と呼んでいる
この『命針』が頂点を差したその時、世界の破滅は決定的なものとなる。そうなっては、どう足掻こうが覆すことは出来ない。
今は9時の辺りを差しているが、あの瞬間、それは真上を差さんとしていた。
「あの3人は死なす訳にはいかねぇ…。誰か1人でも欠けたら…それで終わりだ」
『勿論、お前もだけどな…グレイ』
「わかってんよ……。もう何度繰り返してきてると思ってんだ。1000回は軽く越えてんだぜ…?」
言っていて、どうしようもなくなってくる。何を偉そうに言っている。つまりそれだけの回数、世界は滅んだということなのだから。
『……ワリィな…オレのせいで……』
中空に漂う、背後の風景が透けて見えるその少年──赤月 玲は、申し訳なそうにそう言った。
ヨッと上体を持ち上げて、グレイが玲を睨む。
「何回も言わせんなよ。アンタは何も悪くねぇじゃねぇか。全ては、アンタを喚び出そうなんて考えを持っちまった、この世界のイカれた奴等のせいだ。……一番苦悩してんのは…アンタじゃねぇか…。数百年──。途方もねぇ年月だ。しかも、それをこれまで、今のオレのように繰り返し続けて来たんだろ…? 誰がアンタを責めるんだよ……」
『……サンキュー…な』
苦笑する玲は、そう言って窓辺まで移動した。そこから見える景色は、静かな、そして平穏を護られた、レーヴェティアの街並みだ。
「それより、だ。問題はこの後だぜ…。リィルを──エイダをこの街に留めることには成功した。それ自体はいい。今までだって、それは出来てたんだ。寧ろ、こっからが本番だ。あの島に……辿り着けるかどうか…」
『……そうだな。何百何千と繰り返してきて、それでもあの島に辿り着けたのはそう多くねぇ。今回がそれに至るかどうか…それはオレでもわからねぇ…』
「…まぁ、それでもこれまでの経験がある。……絶対に、あの島に導いてみせるさ…。そのためなら、オレは道化にでも何でもなってやる。あいつを失った瞬間から、オレに残されてんのは、アルフ達と……あいつの願いだった、世界を救うこと、だけだからな…」
『……ああ』
「……すまねぇ、白けた話をしちまったな…。そういやよ、アンタ、オレの前にはあのクラノスに取り憑いてたんだろ?」
『取り憑くって…。まぁ、今のオレは幽霊みたいなもんだけどさ…。ああ、そうだけど』
「……なんでそれが、こんなことになってんだ? やっぱそれはわかんねぇのか?」
『……クラノスは唯一の例外だったからな…。正直、何でオレが離れることになったのか…それもいまいち釈然としねぇんだよ』
「アンタと契約しちまったら、世界の終焉を招くっつー『平行世界の収束点』を回避しなきゃ、何度も何度もやり直すことになるんだよな? 自分の意思じゃ破棄は不可能。勿論アンタの意思でも。けどよ、クラノス…越えてねぇじゃん。寧ろ決定的な『平行世界の収束点』に辿り着くようにしてんじゃんかよ、あいつ」
『……ホントそれがわからんのよなぁ…』
「…はぁ。まぁそれは言っても仕方ねぇんだけどさ…。流石にオレが産まれる前にゃ戻れねぇしな…」
『とにかく、今はあの島に辿り着くことを考えようぜ。あの島に辿り着けば…』
「そのためにゃ、一度エイダをクラノスに明け渡さなきゃなんねぇんだぜ? ……ホント、嫌になるぜ…。可愛い女の子が痛い目見るってのは、オレの趣味じゃねぇんだけどよ…」
『それ以外の方法は試したけど、ダメだった。……オレだって、可能なら、それを避けたいけど…そうもいかねぇだろ、実際』
「とりあえず、今回もそれは最悪の場合、って考えて行動するわ。何にしても、何としても辿り着こうぜ、あの島へ」
『ああ』
グレイはそう言って、部屋の隅に置かれた全身鏡に視線を移した。そこには、今までの明るい雰囲気など微塵も感じられない、冷めた、しかし重い覚悟を持った青年の顔が映っていた。
「オレが──オレ達が終わらせるんだ…。このくそったれな世界の終焉を」




