21 レーヴェティアの強者達
レオンハート・スタットーラ──。レオの愛称で慕われる彼は、レーヴェティア騎士団の副団長である。32歳にしてレーヴェティアの騎士団の2番手にまで登り詰めた彼は、普段の柔和な表情を崩し、厳しい表情で街の南門を抜け、全力で走っていた。
彼の背後には、延べ10人の騎士が追随している。
既にレーヴェティアを護る結界魔法は、最大緊急時のレベルで展開されていた。最大緊急時──つまり、イクリプシアが攻めてきた場合を想定した、ほぼ全ての結界魔法技士を総動員しての街の守護状態だ。
普段は円形に広がる街を囲う壁の上空を半球型に包む結界魔法は、今はその街壁すらも包んでいる。
幸い街中にヴェグナが出現する事態こそ免れたものの、それでも街の周囲12箇所に出現している。そちらの討伐に当たるのもそうだが、万一街中まで進行された場合を想定して、住民の避難誘導もこなさなくてはならない。
ヴェグナ討伐以外にも、やらなくてはならない事は多い。むやみやたらと戦力を投入するというのは下策だ。
というより、相手があの『カルベリアの悲劇』を引き起こしたヴェグナであるならば、生半可な実力の騎士を向かわせるのは、無駄に死体を作ることになってしまう。
よって、Cランク以下の騎士には住民の避難や情報の受け渡しを担当してもらい、そしてそれ以上のランクの騎士で防衛、討伐に当たる、という形が出来上がった。
レーヴェティアの街は、非常に大きな街だ。もし徒歩で街を端から端まで歩いたら、丸1日とは言わないまでも、それに近い時間が掛かりかねない。そんなレーヴェティアでは、騎士団も5箇所に存在している。
まず、街の中央にある騎士団本部。ラーノルドやレオが常駐する、レーヴェティア騎士団の総本山だ。
そして、それ以外に、東西南北の門から少しのところに、それぞれ1箇所ずつ、騎士団の隊舎が存在する。
レーヴェティアの騎士を束ねるものこそ騎士団の本部だが、その他各4つの騎士団隊舎も、それぞれ団長、副団長を有している。
ざっくばらんな言い方をしてしまえば、レーヴェティアには5つの騎士団が存在する、ということだ。
今回のヴェグナ討伐は、この各騎士団の団長クラスが中心となって行う。
まず、レーヴェティア北騎士団の団長、ティアナ・アルジェント。淡い水色の髪を結って右肩から前に下げた髪型と優しげな表情が印象的な、20代半ば頃の女性だ。
その北騎士団の副団長である、今年で55歳となったとは思えない、巌のような逞しい身体つきの大男──ダニー・エレガン。
南騎士団の団長は、グレイの生家であるヴェルタジオ家の現当主、グレイの父に当たる人物である、ウォーリア・ヴェルタジオ。
副団長は、同じくヴェルタジオ家の1人である、8つ上のグレイの兄──ムーア・ヴェルタジオ。
堅物揃いの東騎士団を束ねるのは、結界魔法の大ベテラン、還暦を迎えるも現役を貫く女性──ジーナ・テイルズ。ラーノルドに連れられ、コーザル等の尋問の際の結界魔法の人員に選ばれた、ダートの祖母に当たる人物だ。
ジーナの右腕たるニコラス・バルトは、その苦労の現れか、深い皺の寄った眉間が特徴的な強面の男だ。
そしてレーヴェティアの斬り込み隊長と称される西騎士団の団長は、フィール・クォンタム。グレイと同い年の20歳。女性にしてはやや大柄で、抜群のプロポーションを誇り、その気性を現したような高い位置で結った赤のポニーテールと三白眼が特徴的だ。ロッティの髪が夕焼けのような赤に対して、こちらはワインのような赤色だ。
その切り込み隊長の手綱握りに苦心するは、副隊長のエルネス・クォンタム。フィールの実の父親だ。世代交代に備えてフィールを隊長に据えてみた事で深い後悔を見ることになった、という逸話は、レーヴェティアでも笑い話の種である。
この計8人とレーヴェティア騎士団本部の副団長であるレオ。これで9人。対してヴェグナの数は12。その残る3枠を埋めるのは、団長、副団長でこそないが、レーヴェティアきっての実力者達である。
1人目は、レーヴェティア騎士団本部の前団長──そして現在はアルフもお世話になっている鍛冶屋を営む、ヴァン・アールズ。「オレが扱うべき最強の武器はオレ自身で作るしかない。椅子に座っている場合じゃない」と豪語して、後輩のラーノルドに団長を押し付けた張本人である。これがラーノルドの苦労の始まりになるということは、彼も知らなかっただろう。アルフ達『勝利の御旗』が活動を始めたのは、ラーノルドが団長に就任した数年後なのだから。
2人目は、かつてラーノルドに法術を教えていたという、現在も多くの者に法術を教示している、レーヴェティアが誇る法術の天才──セリア・エグバート。東騎士団の団長であるジーナの無二の親友である老女だ。
そして3人目──。アルフが扱うアイゼント流刀剣術を教えるアルフの師、そしてある意味でグレイの師とも言えそうな出歯亀野郎──マキナ・アイゼント。
後ろ髪を束ねた白髪に、口許に髭を携えた老人だ。他の街でも名高い剣客である。
計12名。それが、本ヴェグナ戦の指揮を任された者達だ。
閑話休題──。
長い赤のポニーテールを揺らしながら森をレーヴェティア西門すぐの森林地帯を走るフィールが、声を張り上げる。
「レオの副団長よぉ! アー坊の方はいいのか? あいつ等もヴェグナに襲われてんだろ?」
彼女の腰元には小さなホルスターがある。それは、銃を固定するためのものではない。『魔導式情報端末』を固定しておくためのものだ。
非常時において、『魔導式情報端末』は連結通信モードと呼ばれる機能が使用される。それは、登録端末をレーヴェティア騎士団本部にある大型の『魔導式情報端末』に接続することで、1対1ではなく、対多数への同時会話を可能とするものだ。
勿論、多くの音声を拾ってしまうため、情報の錯綜は否めない。そのため、これを行うことが出来る端末は限られている。あるいは、限定的にこの機能が解除される。
現状においては、音声を拾う端末は本ヴェグナ戦線の各リーダーである12名のものと、騎士団本部の大型端末であり、それ以外の者の持つ端末は、音声を発する機能が限定解除されている状態だ。
『そっちには、レーレが向かっているよ。それと、近場にいたチームの『紅蓮の炎』を向かわせた! あのチームには、アルフと同じくマキナさんに師事しているライオもいるし、戦力的には申し分ない筈だよ!』
それを聞いたフィールの目は、いつもの好戦的なものから、どこか呆れたようなものへと変化した。
「副団長よぉ……。そりゃ戦力的にゃ間違ってねぇけどよ。よりによって『紅蓮の炎』はマズイだろうがよぉ! あたしは不安で仕方ねぇぜ…」
『…ワシもそれは良くないと思うのぅ…。アルフとライオはのぅ……』
端末から響いた声は、老いた男の声だった。その声色は、フィールに同意というニュアンスの、何とも煮えきらない色を孕んでいた。
それ以外にも、あーあ、といったような声が幾つも響いてくる。わかっていないのは、レオだけであった。
『え、何か問題でもあるのかい?』
『レオ…。アンタは実力も申し分ないし機転も利く。なのに、ラーノルドと同じく、そっち方面にはトンと疎いねぇ。どうやら、アンタが嫁をもらうのはまだ先になりそうだね』
呆れの色が混じったジーナの声が響き、レオの戸惑う声が上がる。
そんな弛緩してしまった流れを変えたのは、レーヴェティア騎士団本部の前団長であるヴァンだった。
『……もう言っても仕方なかろう。今は目先のそれを何とかする方に集中しろ』
「へーい。…っと、そうこうしているうちに見えてきたな。あれがヴェグナか。なんつーか、気味がワリィ見た目だな」
『こちらも見えてきた。フィール、わかってるとは思うが…』
「だー、わーってるって親父!」
端末に向かって荒っぽく答えたフィールは、前方に視線を向け直す。そこでは、既に先に到着していた騎士達が、遠距離攻撃によってヴェグナの意識を引きつつ、牽制しているところだった。
「こちらフィール・クォンタム! I地点周辺の全騎士に通達! これより本地点の戦闘は、あたしが指揮を執るぜ! あたし達の部隊がヴェグナを攻撃する! 他の奴等は、今までのように遠距離から援護しろ! あいつが吐く炎は特にヤベェ! 絶対近づくなよ!」
そう叫んで、フィールは背負っていた得物を手に取った。彼女の武器は、片側に大きな刃が取り付けられた槍──斧槍。その全長は彼女の身長よりも長く、その矛先も、長さにしてはやや小振りだ。
「まずはあいつをレーヴェティアから離さねぇとだな。…じゃ、行くぜぇ!!」
「あ、団長! ちょっと待っ──」
焦った声をあげたのは、彼女の部隊の騎士の1人。彼女の父親であるエルネス・クォンタムから彼女のお目付け役を任されている、若い女性騎士のシャルロット・バーンライト。
もしフィールの身に何かあったら…と青い顔をする彼女をよそに、フィールは地面が抉れる程に強化した脚力を以て、一直線に飛び出した。その矛先を、紫電が包んでいる。
地面に対して水平にされた槍が放つ魔力が尾を引き、それはまるで鳥を象ったかのようにも見える。広がった紫電の翼。
まるでその翼によって羽ばたいているように、フィールは大きく跳躍し、ヴェグナへと飛び込んでいった。
ヴェグナの放つ炎に注意しろと言いながら、その舌の根が乾かぬ内に、その張本人がそんなことをするか。ああ、後できっと怒られる…。そう、シャルロットは思っていた。
「うぉぉおおおらぁぁああああっ!!」
気合い一閃。フィールの声に気づいて向き直ったその瞬間、その矛先がヴェグナの喉元を捉えた。
爆散──。そう表現するのが正しいだろう。槍の穂先が直撃した所で、激しい稲妻が広がり、ヴェグナの喉を、その薄皮を纏っただけの骨を打ち砕いた。支えを失った頭部が落下する。
普通の生物なら、もうこの時点で即死だろう。
だが、ヴェグナはその普通ではなかった。全身をうっすらと包んでいる黒い光が、その途切れた首元の骨から伸びていき、そして再生していく。
フィールが着地した頃には、既に何事もなかったかのように、それは元通りになっていた。
そのフィール目掛けて、推定20メートルを越えんばかりのヴェグナの巨大な脚が、怒りの咆哮と共に下ろされる。しかし、その脚も、先刻のように、紫電を纏った斧槍が斬り裂き、打ち砕く。だが、砕いた側から再生する。
その再生の間の隙を縫って、フィールはその踏み下ろしの攻撃範囲から逃れるように跳躍した。
「かーっ、情報通りのとんでもねぇ再生力だな! どうにかなんのか、これ! まさか奴が消えるまでこの調子ってことかぁ!?」
「もー、団長ぉ! もっと慎重になってくださいよぉ! 私が持ちませんよぉ! …主に精神的に!」
「なーに言ってんだシャルロット! あんな馬鹿デケェ獲物が目の前にいんだぜ? 斬り込み隊長が突っ込まないでどうすんだっての!」
「遠距離法術で戦うとか色々あるじゃないですかぁ! 第一近づくなって言った張本人がなんでいきなり接近戦なんですかぁ!!」
「馬鹿かお前! んなまどろっこしいことあたしがするか! あーいうのはな、ぶった斬ってぶっ叩いて突き回してなんぼだろうがよ!」
「あーもう! これだから団長はぁ…!」
追い付いたシャルロットが責め立てるが、フィールは聞く耳を持たない。折れるのはシャルロット。これはもう、レーヴェティア西騎士団においては恒例行事の様式美のようなものなので、他の者は口を出さなかった。
出すまでもなく、どのみち彼女からの指示は決まっているのだから。
「さぁて、行くぜお前ら! とにかくドンパチしてあいつの注意を引き付けて、街から離すぜ!」
「「了解…!」」
ああ、やっぱりそうなるよな…と彼女が連れていたシャルロットを含めた部下達は一様にそう思いながら、粛々と命令に従って攻撃を開始した。
『魔導式情報端末』から聞こえてくる音声からその状況を聞いて取ったフィールの父、西騎士団副団長のエルネスは、この戦いが終わったら、シャルロット達に詫びをいれねばな、と思っていた。
(あ、いや……。あれを止められなかったことを叱るべきか…? ううむ……)
そう思いながらも、実はこの親にしてこの子あり、エルネス自身も、片刃の大剣を振り回し、ヴェグナに接近戦を持ち込んでいる真っ最中であった。
斯くして、レーヴェティアを護るため、団長達を中心としたレーヴェティアきっての実力者達による、ヴェグナ戦線の火蓋は切って落とされた。
*******************
「ひっ……」
間近で落雷があったかのようだ──。いや、それすら生温いくらいだ。
それが、今回の結界要員の最年少であるダート・テイルズが真っ先に思ったことだった。
目で追うことすら叶わなかった。その場に居合わせた者の中で、ラーノルドの動きを捉えることができたのはただ1人だけだった。
気がついたときにはラーノルドの姿は消えており、40メートルを越えるヴェグナの遥か上空に、紫電の光が灯っていた。そして、瞬きの間に、轟音と共にそれはヴェグナを貫いた。
巨大な突撃槍を纏う、雷属性の魔力。その紫色の光は大きく広がり、その光を纏った槍は、正しく紙か何かを引き千切るようにいとも容易くヴェグナの身体を穿つ。
”紫ノ衝”──。槍を用いた、雷属性の法撃だ。まるで大きな猛禽が獲物を狙うが如く、その突きの破壊力は凄まじく、また翼のように広がった稲妻が、その攻撃範囲を広げている。
ラーノルドに憧れて槍を手にしたフィール・クォンタムにも伝授された、ラーノルド必殺の一撃である。
その実態は、集約された雷属性の魔力と、爆発的に高められた脚力から放たれる、単純な直線的な突進攻撃だ。
だが、余りの速さ故に尾を引く魔力があたかも翼のように広がるこの法撃は、しかし勿論のことながら、下手をすればその魔力に自身の身を打たれ兼ねない代物だ。
これを自身の身を巻き込まずに行うには、フィールのように石突きから矛先までが長い槍を使用する必要がある。この法撃が、もっぱら槍で放たれるものであるのは、このためだ。
だが、ラーノルドの突撃槍は、その全長こそラーノルドの身長を越えんばかりに大きいが、巨大な矛先がその半分近い大きさを有している。仮にこの突撃槍でフィールが同じことをすれば、彼女の身体は槍が放つ雷に打たれているだろう。
これを可能足らしめているのが、ラーノルドの緻密な魔力制御能力だ。ロッティの扱う”魔女の銀糸”も、本を正せばラーノルドが編み出したものだ。
ラーノルド・トゥーレリアは、槍を用いた戦闘で有名だが、その戦闘力の根幹を担っているのは、潤沢な魔力量でもパワーでもない。緻密で繊細な魔力制御能力だ。
その圧倒的な魔力制御能力が、あらゆる技を可能としている。
頭から股にかけてを打ち砕いた槍が地面に衝突した頃になって、ようやっとダート達はラーノルドの姿を捉えるに至った。
そして、その頃には、穿たれた地面が弾けるように稲光を走らせ、広範囲に渡って地面はひび割れ、ただの一撃で普通の大型魔物なら即死だっただろう。
事実、ヴェグナは真っ二つに分断されていた。とんでもない威力だ。
ハンネルの指示に従って全力で結界魔法を展開していなかったら、こちらまで巻き込まれていただろう。事実、全力で張っていた筈の結界は、ラーノルドの放った攻撃の余波を受け、ひび割れていた。
それを大慌てで修復するハンネル達。ラーノルドの位置から数十メートルは離れているというのにこれだ。もしも間近にいたら、結界魔法を張っていても下手をすれば死んでいるだろう。
そんなハンネル達をチラと身遣りながら、ラーノルドは一度ヴェグナから距離を取る。
「…ふむ、よもや身体を引き裂かれても即時回復する程の再生力とは…。ならば、次は──」
再びラーノルドの姿が消える。そして、再び轟音が響き渡る。今度はヴェグナの胸部。骨と皮の隙間に垣間見える歪な形のクリスタルを狙った攻撃だった。
だが、その一撃はクリスタル周囲の骨や皮を打ち砕くには至ったが、肝心の不気味な鼓動を響かせるクリスタルを破壊するには至らず、ただ稲光を撒き散らすのみ。
そして、勢いを殺されたラーノルドへ、ヴェグナの鋭い爪を持った腕が振るわれる。その一撃を槍で受けて、その勢いで後退しながら、ラーノルドは思考を巡らせる。
(…恐らくはあれが奴の動力源なのだろうが、あれは生半可な攻撃では壊せんな…。だが、とは言え普通に攻撃したところで、あの再生能力を前に、あまり意味はない…か。どうしたものかな…)
思案しながらも、ラーノルドは綺麗に着地し、次の攻撃に移る。着地した際の勢いを利用して、そのまま右脚を軸にして回転するようにして、槍を横薙ぎに振るう。
振るわれた槍が、口金の部分で分裂した。その口金から、青白い線が穂と柄とを繋ぐように伸びている。”魔女の銀糸”だ。
まるでそれは鎖分銅のように、或いは鞭のように、ラーノルドの操る柄の動きに合わせて、正しく怪鳥のように自由自在に中空を舞う。
単純に考えても、人間の上背程もある鉄塊を振り回しているという、既にそれだけでもおっかないそれは、その矛先は依然として激しい稲妻に包まれている。
神々の怒りをも思わせる爆雷の音が、立て続けに何度も、ヴェグナを襲った。
反撃しようとした手を打ち砕かれ、踏み出そうとした脚が吹き飛ばされ、炎を吐こうと息を呑み込んだ口が爆散する。
”満衝”という法撃だ。ラーノルドの槍は特別製であり、ロッティのブレードフィップのように、分断する機能が付いている。
ロッティのそれと違い、矛先が幾つもに分かれるということはないが、どのみち扱い手を選ぶ武器だ。
特殊な磁力を帯びているためにくっついてはいるが、常時魔力を流していなければ、振り回そうとしたらすぐに柄と矛先はすぐに分断してしまうし、何より”魔女の銀糸”が使えなければ、そんな機能を取り入れる意味はない。
そんな攻撃方法をいとも容易く、まるで赤子の手を捻るように、ヴェグナに一切の攻撃を許さないラーノルドの攻撃に、ダートは目を見張った。ラーノルドが強い、ということは知っている。だが、それはレーヴェティア騎士団本部の団長であるということ、そして、周りからの伝聞による、謂わば架空のイメージだった。彼は、実際にラーノルドが戦っているところなど、見たこともなかったからだ。
今ならわかる。ハンネルやヴェナートが、ラーノルドの攻撃に対して結界を張れと言った意味が。ラーノルドの攻撃の余波で飛んでくる稲妻だけで、結界は何度も綻び、その度に結界魔法を掛け直している。
生半可な実力であの中に飛び込んでいけば、──いや、近づくだけでも危険極まりない。この人がいれば、レーヴェティアが滅ぶことなんてないだろう、と幼いダートに思わせるには、十分だった。
だが、それでもヴェグナを殺すには至らない。砕いた手はすぐに元に戻り、飛ばされた脚は再びラーノルドを踏み潰さんと下ろされ、そして弾けた口はすぐさま再生し、息を吸い込む。
「…埒が明かんな。流石にカルベリアを滅ぼした悪魔だけのことはある、か。だが、全身隈無く消し飛ばされれば、どうかな──」
一度槍の矛先を引き戻したラーノルド。ガキンと音をあげて、分断されていた穂と柄が再接続され、元の突撃槍に戻る。それをラーノルドが疲弊したと思ったのか、まるで嘲笑うかのような咆哮をあげながら、三度距離を離したラーノルドに詰め寄ろうと脚を動かす。
それを前にして、ラーノルドは槍の柄を両手で握り、その石突きを地面に突き刺し、矛先を垂直に上に向けた姿勢で腰を落とした。
その姿を目の当たりにしたヴェナートが、青ざめた顔をさらに青くする。
「…おいおい……マジかよ…! 団長あれをやるつもりか!」
「全員! 今まで以上に全力で結界を張れェ!!」
ヴェナートに続いて、もう蒼白を通り越して真っ白な顔色のハンネルが声を荒げた。
この場に居合わせるハンネルとヴェナートは見たことがあるのだ。ラーノルドがこれから行うであろう、常識の埒外の攻撃を。
驚きながらも指示に従って、結界魔法はより一層強く展開された。その青白い光がさらに濃さを増し、あまりの密度の前に、外の景色が視認しづらくなるほどだった。
ごくり、と生唾を呑み込む音が響いた。それが誰のものか、その場に居合わせた者にはわからなかった。自分のものかもしれないし、或いは他の者かもしれない。
だが、そんなことに気を回している余裕は、最早存在しなかった。誰しもが結界魔法の維持と、そしてラーノルドに釘付けとなっていた。
ゆっくりと歩み寄るヴェグナを前にして、ラーノルドは口の端を僅かに吊り上げ、魔力を滾らせた。
爆発的に高められた魔力が槍を包み込み、再び槍の穂先と柄が分離する。それらを繋ぐ青白い魔力のワイヤーは、だがこれまでの曲線的なそれとは違い、まっすぐに伸びている。
矛先がちょうどヴェグナを越えんばかりまでに延び上がった刹那、まるで足りない部分を補うように、穂先と柄を繋いでいた魔力が大きく膨れ上がる。
それは、まるで巨大な剣だった。柄と刃先だけが実体を持つ魔力の剣。だが、それは人間が扱うにはあまりにも巨大過ぎる。
「”大地穿つ魔槍剣”」
まるで重みを感じさせないふうに、ラーノルドはその魔力の大剣を持ち上げる。そして、ラーノルドは小さく跳躍する。巨大な剣が、それに合わせて動いていく。反射的に脅威と悟ったのか、ヴェグナは頭上で両腕をクロスさせた。それは、この悪魔が初めて見せた、防御の姿勢だった。
だが、構わずラーノルドは、魔力の大剣を上段から振り下ろした。
ヴェグナの腕に阻まれたそれは、しかし薄い木の板が砕かれるように弾け、そして無防備になった頭部を直撃し、そのまま全てを消し飛ばしながら地面へと向かって落ちていく。
先ほどの雷撃が可愛く思える程の大地の悲鳴。地が弾け、揺れ動き、その衝撃波が辺りを襲う。
さらに、残った身体をも消し飛ばすように、横に、縦に、斜めに。薙ぎ、斬り上げ、振り下ろし。縦横無尽に巨大な剣が振るわれる。その度に、地は揺れ、轟音が上がり、空すらも裂けるような音が聞こえてくる。
しかし、それでも、ヴェグナは力尽きなかった。身体を消し飛ばされ、それでもその生命の核たるクリスタルは無傷であった。そして、そこから再生が始まる。
「……あれでも砕けないか。…本当にあれが消えるまで、戦い続ける以外にないか?」
疑問を口にしたラーノルドだが、そこで気がついた。ヴェグナの異変に。
「……そういうことか。なるほど。奴が消えるのを待つ必要は無さそうだな。思ったより早く決着がつきそうだ」
再生し、元通りになったヴェグナが、忌々しそうにラーノルドを睨み付ける。だが、その姿は、先ほどよりも一回り小さくなって見えた。




