20 解き放たれる災厄 5
「…我々の第一の目的は、レーヴェティアを……安寧の地を手に入れることだ」
脂汗を浮かせたコーザルはしばらくの間沈黙を保っていたが、やがて徐に口を開いた。
「なんだ、抵抗はしないのか。私はどうもその手の類いのことは苦手だからな。こちらとしては手が省けて助かるが」
彼の言う「その手の類いのこと」が何を意味するのか。それは訊くまでもないことだった。
「……こうなっては、最早抵抗したところで意味がない。我々は、レーヴェティアの街に入ることが目的であったのだからな。よもやこんなところで、しかも貴公程の男が出張って来てしまっては、黙っていたことろで、計画は潰されたようなものだからな」
「…詳しく訊かせてもらおうか」
「…我々の住まう街は、魔物は勿論、イクリプシアの力の前に、崩壊の危機に瀕しているのだよ。貴公程の男ならばよく知っているだろう、イクリプシアの力を…! あれの前では、我等の街の力など…。もうそう時を置かずして、いずれ討ち滅ぼされるであろう。だからこそ、このギリア大陸に移り住むしか道はない、という結論に至った。ギリア大陸は、ヴァスタード近辺を除くのならば、最もイクリプシアからの脅威に遠い地なのだからな」
「ならば、通常通りにレーヴェティアや、他の街や村に渡れば良いものを…。レーヴェティアは、基本的には来る者を拒まない。避難してくるのであれば、受け入れるだろう」
「確かにそれはそうだろうがね。だが、それでは駄目なのだよ。仮に我が街の全員が各々受け入れて貰えたとして、結局のところイクリプシアは、彼の地で猛威を振るい続ける。それでは、他の街や村への被害は抑えられまい…。滅ぼすべき対象が減れば、自ずとその矛先は威力を増す。そしていずれは、『転移魔法陣』のある街さえも掌握されるだろう…」
「……」
『転移魔法陣』──。それは、4つの各大陸に1つずつだけ置かれた、大陸間を移動することの出来る魔導装置だ。
その仕組み、展開や維持に必要なエネルギー源の製法まで、全てがヴァスタードによって秘匿されている。
レーヴェティアに存在する『転移魔法陣』は、この大陸間を結ぶものとは別の手法により実現したもので、似て非なるものだ。その効力も、レーヴェティア内の移動に留まっている。
レーヴェティアが存在するギリア大陸でそれを持つのは、言うまでもなくヴァスタードだ。ヴァスタードが開発したからというのもあるが、そもそも『転移魔法陣』は、速やかに対イクリプシア戦線の最前線に戦力を投入するためにあるものだ。
それがヴァスタード以外の場所にある道理はない。
そして、その『転移魔法陣』がイクリプシアの手に堕ちるということは、つまり当初の目的が逆の方向に働いてしまうことを意味する。
「『浮遊大陸』からイクリプシア共が降り立つのは、おおよそギリア大陸を除いた他大陸。その何れかの大陸の『転移魔法陣』が堕ちても、人類にとっては大き過ぎる打撃だ。我等の街は確かに深刻な事態だが、それでも彼の大陸にとってはそれなりに必要な街でもある。そこが無力になれば、当然その負荷は彼の大陸の別の街や村に掛かる。それは、人類の首を絞める行為に他ならない。……いや、寧ろ、その人類が我等の首を絞めているのだがね…」
「…ヴァスタードに有能な人材が集められる、というのもあるだろうが、一番の理由は、人類が決して一枚岩ではない、というところか…」
「まさしく…。我々がイクリプシアの猛威に弱ってきていることに付け込んで、こちらの技術を盗み出そうと、出し抜こうと、欺こうと事を企てる連中がいるのだよ! 人類はイクリプシアという共通の敵を持つことで、確かに表向きには争わない形となった。しかし、その水面下では腹の探り合いが続いていることは貴公も理解しているだろう! 弱った我等にとって、最早敵は魔物やイクリプシアだけには留まらないのだよ! 寧ろ共に手を取り合うべき人類こそが、我等の真の敵なのだ!!」
徐々に力を増すコーザルの言葉。そこには確かな信念があった。
「だからこそ! 我等には安心して住まうことの出来る場所が必要であると同時に、憎きイクリプシア共を討つ──そして、他の街を黙らせ得る力が必要なのだ! レーヴェティアは確かに多くの魔導科学を、その産物を提供してくれてはいるが、それは等しく平等に多くの街や村に注がれる。それでは我等の街の危機は好転しない。貴公等の街が、その偽善が、他の街も強くする! 我等の首を絞めているに他ならんのだよ!」
「……レーヴェティアは邪魔な存在、というわけか」
「ああ、そうだとも! レーヴェティアを手に入れることが出来れば、イクリプシアに怯える事は数段少なくなる。そして、その技術をも手にすることが出来れば、他の街を抑え込むことが出来る! そして、そうなればあの忌々しい魔人共を必ず蹴散らしてくれるわ! 我々は、民を護るためにも──人類の存続のためにも、レーヴェティアをその手に収めねばならない!」
荒く肩で息をつくコーザルを見下ろしながら、ラーノルドはその目をやや細めると、感情を剥き出しにするコーザルとは裏腹に、静かに口を開いた。
「その結果、レーヴェティアに住まう何の関係もない住民が犠牲になろうとも、か?」
「勿論、それについて何の憂いもない訳ではない。だが、我等にとって、手段を選んでいられる頃合いは疾うに過ぎているのだ…!」
「……お前の言い分はわかった。だが、何故レーヴェティアに支援を求めるという方向に至らんのだ? 攻めるより、その方が確実だ。我々は助けを求める手があるならば、それを放さない」
「駄目なのだよ、それでは。否──だからこそ、駄目なのだよ。貴公の街は、我が大陸の他の街が救援を請えば力を貸すだろう。助けを求める者の手は放さぬのだろう? それでは何の解決にもならん! 結局は元の木阿弥だ…!」
「……」
ラーノルドは、目を伏して黙り込んだ。この男の言うことは、間違っていない。
レーヴェティアという街は、人命を護る事を特に大事にする街だ。戦火に巻かれ親を失った児がいるならば保護し、窮地に瀕した街や村があれば、救援を惜しまない。
開発した魔導科学の産物は、今も多くの街や村に提供され、多くの人類を助けるのに貢献している。
確かにコーザルの言うとおり、助けを求められれば、きっとレーヴェティアは手を差し伸べるだろう。コーザルの達の街がそうであるように、その街を欺こうとしているという街も、生きることに必死なのだろうから。
そう、なればこそ、レーヴェティアが手を差し伸べるというスタンスを取る限り、コーザルの言うとおり、決して状況は変わらないのも事実だ。
何も、間違っていない。コーザル達の行いは、間違ってはいないのだ。
レーヴェティアの街が犠牲になる、という点に目を瞑るならば、それは正義と言って過言ではない。
民を護るための行い。街を護るための戦い。正しく英雄と呼ばれるに相応しいものだろう。
だが、だからと言って、それを看過出来るかはまったくの別問題だ。
レーヴェティアからすれば、彼等の正義は悪に他ならない。もしこの問題を解決しようとするならば、それは本当の意味で、全ての人類が手を取り合うしかない。
だが、そんなことが出来ているのなら、こんなことにはならない。
結局のところ、レーヴェティアとしては、コーザル達の目論見を完膚なきまでに叩き潰すしかないのだから。
だからこの話題は押し問答。どこまで言っても交わることのない平行線の水掛け論だった。
ラーノルドは、話題を変えることで話を進めることにした。
「…レーヴェティアに入ることが目的だった、と言ったな。たかだか30強の──それもアルフ達に苦戦すら強いることが出来ない程度の者を潜り込ませることに、何の意味がある。街を乗っ取ろうとでも考えていたなら、笑い話にもならんぞ?」
そう言いつつも、ラーノルドはコーザル達が何故街に入りたかったのか、ある程度の目星はついている。
だからこの台詞は、単なる答え合わせ。
「貴公の想像通りだろうよ…。だからレーヴェティアの街ではなく、こんなところで我等に尋問をしているのだろう?」
そして、コーザルもそれを理解している。だからこそこんな場所にいるのだから。
やはりか、と呟きながら、ラーノルドは深く息を吐いて肩を落とした。
自身の予想が間違っていなかったことに、そして、これから起こるだろう危機に対しての感嘆のため息だった。
「しかし腑に落ちんな。どこから気がついてたのだね?」
「…『召喚魔法の書』が狙われた、という時点では、まだ確たるところまでは至らなかった。強奪を行ったのも、レーヴェティアの者だったからな。だが、お前達と交戦したアルフがこう言った。あいつはその気になれば、お前達が潜伏していたという建物程度、デモンストレーションがてら収納するくらいの芸当はやってのける奴だ。そんなアルフが、『そうするまでもなかった』と言った」
収納魔法は、意識のある生物をしまうことは出来ない。従って、仮にアルフがコーザル等のいた建物ごと収納しようとした場合、コーザル達は収納されず、建物だけが忽然と姿を消すこととなる。
逆に言うなら、収納したそのばかでかい建物を、敵の真上で取り出すことだって出来るのだ。
脅しとしてはお釣りが来るような手法だった。だが、実際にアルフ達が行ったのは、1人1人無力化していき、意識がなくなったところで収納する、というものだった。
大技を使うでもなく、ただ普通に、それこそ鍛練の延長のような程度の具合で。
「実際、アルフ達の10倍近い人数を持ちながら、大した抵抗も出来ずに拘束され、しかも死者どころか重傷者すら出なかった。相当に手加減された、ということだ。そんな連中が、単に『召喚魔法の書』を盗みたかったというのは、どうにも納得がいかなかった」
「…単に我等が、その程度のゴロツキだった、という可能性もあるだろう?」
「それも考えはしたがな…。だが、まずレーヴェティアに『召喚魔法の書』が存在するという情報を仕入れている時点で、その線は薄かった。まずそんな情報は得られん。第一、もっと金になりそうなものを盗むだろう。『カルベリアの悲劇』等という大惨事に関連しそうな書物より、よほど盗み出すべきものは沢山ある。その中で『召喚魔法の書』が狙われた理由……。単純に考えれば、召喚魔法を使いたいと考えている連中が存在する、というところだろうが、しかしここで私が考えたのは別の可能性だった」
見透かされるようなラーノルドの視線に晒されたコーザルが、生唾を呑み込む。
「もし仮に『召喚魔法の書』を狙った連中が、カルベリアで行われた召喚魔法の実験を知る者であったのなら、その意味合いは大きく変わってくる。何故なら、あの書物に書かれている内容は、『カルベリアの悲劇』のそれとはまた違う手法のものらしいからな。そして、その事も知っているとするならば、浮かび上がる目的は『召喚魔法の完成』、というところだろう」
「……」
「そうだとすれば、それなりに大掛かりな魔導科学の研究施設を持つ街でなければ意味を為さない。この時点で、私の中ではお前達が単なる賊であるという線は無くなった。だが、それでも払拭出来ない疑問があった。だとしても、お前達の戦力があまりに弱すぎる。バックにそれなりの研究機関を持つであろう街の者が、こうもあっさり捕まる者しか派遣できないというのは、甚だ理解に苦しむところだ。勿論、ヴァスタードに優秀な騎士が集められているということや、街を護るための要員で手が割けなかった、というのは十分に考えられる理由だ」
イクリプシアとの戦いが最も苛烈な場所は、ヴァスタード付近の最前線だ。当然、そこには多くの人員が投入される。
各街のSランク以上の者達は、その多くがヴァスタードに召集される。だが、勿論のこと、自身の街を護ることも大切だ。街にもSランク以上の騎士が残っている。
だから、確かに人員が割けない、その余裕がないというのも、あり得なくはない。
「だが、だからこそその程度の戦力であるということが不自然極まりない。仮にも『召喚魔法の完成』を望む連中が、喉から手が出る程欲しいだろう代物を狙うのに、そんな理由で戦力を絞るだろうか。しかし、この答えは既にこの予測の前提条件によって答えが導き出せる。お前達が、カルベリアで行われた召喚魔法の実験の詳細を知っている、という条件によってな」
「……だとしたら、どうなるというのだね?」
「私は『カルベリアの悲劇』を目の当たりにした訳ではない。だから、確実とは言えないが、予測は出来る。お前達が、カルベリアで喚び出されてしまったヴェグナを召喚出来るのではないか、ということがな。つまり、どうやって喚び出すのかは知らんが、ヴェグナを喚び出すに足る──それを行うスキルを持った人材であった。そしてそうなれば、お前達の作戦の全容が見えてくる」
そう言ってラーノルドは、握った右拳を前に突き出して、その人差し指を伸ばした。
「まず1つ目。あわよくば『召喚魔法の書』を入手出来た場合。この場合は、召喚魔法の研究が進展するだろう。だが、これはお前達も失敗する可能性が高いと踏んでいたのだろう。というより、これは失敗する前提のものなのだからな。よって──」
折り曲げていた中指を伸ばしながら、ラーノルドは続きを口にする。
「2つ目。『召喚魔法の書』の簒奪という罪によって捕らえられ、まんまとレーヴェティアに潜入する。こちらが本命だ。そして──街に潜入したお前達は、頃合いを見計らって、ヴェグナを喚び出す。この2つ目の計画は、高い確率で成功し得る。相手がレーヴェティアなら。レーヴェティアなら、その場で殺される可能性は極めて低い。仮に『特攻者』となるにせよ、そうなるまでは命を奪われることはない。危険を掻い潜って潜入し目を付けられるより、余程安全に、かつ確実に街に潜入出来る。そう考えたからこそ、私はお前達を街中には入れず、この場に留めた」
「魔導科学の技術を──それ以前に、『召喚魔法の書』を欲する我々としては、街中でヴェグナを喚び出すというのは、あまり良い手ではないのではないかね? そこはどう考える?」
「簡単な話だ。仮にレーヴェティアを襲撃した際に、レーヴェティアの魔導科学諸とも失われようと、それだけの力を示すことができれば、ヴァスタードへのアピールには足る。つまり、ヴァスタードから魔導科学の技術を取り入れるための交渉を行える、とでも考えたのだろう? そもそも、『召喚魔法の書』の奪取というのも、十分条件ではあっても必要条件ではない。どちらかと言えば、手に入れば幸運。寧ろ、こちらの意識をそちらに向けさせるためのブラフのようなものだろう」
「…よもや、そこまで見透かされていたとはな……。流石はレーヴェティア騎士団が誇る団長様だ。いやはや、参ったものだよ…」
ラーノルドの言葉に、コーザルは苦笑した。ラーノルドの回答は、コーザル等の計画に対して、ほとんど正解だったからだ。
「ラーノルド・トゥーレリア。見事だよ、まったく。だが、だからこそ、貴公は誤った。我々をこの場にて拘留していることは正解だ。街中に潜んでいた我々の手の者を捕らえたのも。きっとその者達も、今ごろ街の外に拘留されているのだろう。いや、実に見事。だが、貴公がここにいること…それだけは大きな間違いだ」
「……」
追い詰められている筈のコーザルの口角が、歪につり上がる。そして、それ以外のロイを除く騎士達は、一様に何かを決心したかのように神妙な顔つきをしていた。
「時にアルフ、といったか。我等を捕まえたあの少年達は、事の詳細を知っているのかね? それとも、ただ呑気に街へと帰還しているのかね?」
「……何が言いたい?」
「いや、実に可哀想だと思って、ね。今ごろ彼等は襲われているだろう。我等としても、ガイルとウルドは始末しておきたいところだ。だから、襲撃は必至。ああ、何も知らなかったとしても、彼等なら見事はね除けるやもしれないな。…だが、だからこそ、悪夢を見ることになるだろう。尤も、何事もなく街に帰れたとて、仮にこの場にいたとて、それは変わらんのだがね。ただ、同じ悪夢を見るにしても、知っているのと知っていないのでは、変わってくるだろう?」
コーザルがそう言葉を口にした、その直後だった。
一斉に、コーザルとロイを除く全ての騎士が、舌を噛み切っての自殺を図り始めたのだ。
ブツ、ブツ、と石で作ったナイフか何かで肉を削ぐような嫌な音が幾つも重なり、命を失い、肉塊と化したものが次々と倒れていく。
延べ32の遺体が、程なくしてその場に出来上がった。
「……正気か、貴様等…! 何をしている…!」
追い詰められたから、情報を漏らす前に自殺を図る。わからなくはない。だが、ならば何故、コーザルはこれほど饒舌に多くを語った。
そして、何故その後に、コーザルとロイを除いた者達が自殺をする。
流石のラーノルドも、この光景には目を疑った。そして、それはラーノルドだけでなく、隣に居合わせたレーレも、遠目に見守っていた結界魔法の発動者達も同様だった。
「貴公等に見せてしんぜよう。『カルベリアの悲劇』──そこで起こった、彼の街を滅ぼした化け物を!」
その言葉を合図にしたように、32の遺体が黒い光を放ち始めた。禍々しいその光を前に、レーレが息を呑んだ。
「ありえない…! 『鎖霊の首輪』は取り付けていますのに…!」
魔力感知の能力を持つレーレは、死体が放つそれが魔力であることを感じ取っていた。いや、魔力…なのか。どこか魔力とは異なるような、異質なものにも思える。
アルフ達と違い、ラーノルド達は、コーザル等を引き渡された後、全員に『鎖霊の首輪』を取り付けていた。だが、にも拘わらず、それも死体が、魔力ないしはそれに準ずる何かを放っていることは間違いなかった。
目の前で起こった32の自殺劇。そして、魔力を封じる筈の白い首輪が付いているにも拘わらず光を放つそれらを前に、数多の修羅場を掻い潜ってきたラーノルドやレーレでさえも息を呑んでいた。
しかし、それでも、その修羅場を潜り抜けてきた経験が、彼等を突き動かす。
この光は危険だ──。そう本能の囁きを受けた彼等は、首輪によって魔力を封じられているコーザルとロイを抱えて大きく跳びすさった。
幾らレーヴェティアを狙った犯罪者とは言え、見捨てるという選択肢は無かった。
果たして、32の光は歪に絡まり合い、交わり合い、まとわり合うようにして、断末魔のような音をあげながら、1つの大きな光柱と化した。そしてそれは、この場に張られた結界を易々と貫き、天に向かって伸びていく。
元々この結界は、外からの襲撃に対して張られたものだ。やたら広く設けられたのも、魔力を封じて、拘束された状態でも抵抗を見せた場合、ラーノルドかレーレが大技を使用しても支障がないだろうためにそうされただけだ。
つまり、内側からなら易々と破壊出来る。
ガラスが割れるような破砕音を立てて消え去った結界。そして、なおも高く伸びていく光。見ているだけで気分を害するようなその闇色の光は、やがてその勢いを失っていき、代わりに1つの巨大なシルエットが浮かび上がってくる。
2つの脚、長い尻尾、強靭な2本の腕。光が無くなって姿を見せたのは、およそ生物とは呼称出来かねない、歪なものだった。
剥き出しの骨に、まとわりつくように皮と筋があり、胸部には胎動を思わせる闇色の光を放つ粗削りなクリスタルが存在する。2本脚のドラゴンの身体が骨だけになり、後から申し訳程度に適当な皮膚をあしらったような、不完全な姿。
着地した姿勢のままそれを見たラーノルドの眉間に、深い皺が寄る。魔力感知のスキルが無くても感じる、この嫌な気配。ねっとりとまとわりつくような、死神の鎌が喉元に突き付けられているような、死を連想させる気配。
闇の中に浮かぶ深紅の瞳が、妖しく辺りを舐め回す。
「…あれが……」
「そう、あれがヴェグナ。カルベリアを襲った、災厄の化身。死者の魂を生け贄に喚び出される、破壊を撒き散らす異世界の化け物だよ」
まるで名乗りを挙げるかの如く、咆哮をあげるヴェグナ。40メートルは越えるであろうその巨体。その大きな脚が動く度に、地は割れ、揺れ動く。
それを満足げに眺めながら、コーザルは言った。
「我等が街に入れなかったこと。それ自体は大きなマイナスだった。だが、貴公がこの場に居合わせたことは、行幸でもあった。幾ら貴公と言えども、あれの相手は手を焼くだろう。そして、その間に──レーヴェティアは滅ぶ」
そして、東の空に、同じように闇色の光が立ち上った。遅れて、今しがた聞いた破滅の産声が到来する。
「ふむ…どうやら彼等は、襲撃を掻い潜ったようだね。だが、その半端な強さが仇となったな」
計3本の光柱が現れたのは、ここより東の方角だが、どうやらレーヴェティアまでは至っていない場所のようだ。そしてそれは、つまりレーヴェティアへ向かって帰路に着いているアルフ達の近くで起きているということを想起させた。
溢れ出した水は止まらない。
3本の闇色の光柱が弱まったと思った矢先に、そのさらに東の方向に三度光が噴き上がる。その数は10を越えている。今度こそ、それはレーヴェティア付近だろう。
「貴公のその判断のお陰で、街中にヴェグナが現れるという事態には至らなかっただろう。しかし、あれだけの数……果たして貴公を抜いて凌げるものかね? レーヴェティア最強の騎士──ラーノルド・トゥーレリアを欠いたレーヴェティアは、耐えきれるかね!?」
声高々にそう語るコーザルに、しかしラーノルドはゆっくりと視線を東の空から近くで咆哮をあげているヴェグナへと移した。
「コーザル。お前の言い分には1つ、訂正すべき箇所がある。お前は私がこの場にいることは間違いだと指摘したな」
「ぬ……そうであろうに。貴公等がここであのヴェグナと戦っている間に、レーヴェティアは滅ぶ」
「……レーヴェティアを舐めるなよ。あの街は、私がいるから強いのではない。私がいなくとも、十分に強い街だ。安心して背中を任せることができる、強い騎士達がいる。そもそも私がここにいるのは、お前達が最も強いヴェグナを喚び出せるだろうと懸念したからだ。どう喚び出されるのかは知らなかったが、まさか死者の魂を生け贄にするとはな…。何にせよ、本丸であるお前達が最もその適性を持っている者達である、ということは事実であろう?」
「……」
返答を期待するでもなく、ラーノルドは視線をヴェグナに向けたまま、ポケットから『魔導式情報端末』を取り出し、操作する。
耳元に当てた端末に、ラーノルドは言葉を口にする。
「……レオ。状況は?」
『ラーノルドの予測していた最悪のシナリオの1歩手前、とでも言ったところだね。本当に、街の外に締め出しておいて良かったよ…。街の周囲12箇所にヴェグナが出現。それに、街からおよそ10キロ西地点でアルフ達もヴェグナ3体と交戦中みたいだ。そちらは?』
「こちらもヴェグナと交戦開始、と言ったところだな。こちらのは異様にデカいのが1体だ。40メートルはありそうだ。今も元気に黒い炎を吐き散らかしている」
『…報告の上がっているどの個体よりも大きいね、それは』
「街の方は任せて問題ないか? レオ」
『任されなくてもそうするしかないでしょ。僕も出るよ。アルフ達の方にも援軍を回したいんだけど、寧ろそっちの方が心配かな』
「3体か…。わかった、こちらからはレーレを向かわせる。それであと1チーム向かわせれば事足りるだろう」
『了解。助かるよ』
「レーヴェティアを、頼むぞ。副団長」
『そっちも頑張ってね、団長』
「ああ」
端末をポケットに戻したラーノルドが、チラリと目線をレーレに向ける。
「レーレ」
「はい、団長。槍、でよろしいですか?」
「ああ」
隣に立つレーレが、頷いて右手を前に翳す。その手の前に、暗闇が広がる。収納魔法だ。そこに差し込まれた手が暗闇から出てきた時には、そこには巨大な突撃槍が握られていた。
槍の石突きから穂先まで、大の大人の全長程に及んでいる。しかし、美しい彫りが施された、矢尻のような形の穂の部分が全体の長さの半分近くを占めている。
いや、槍というより、最早それは巨大な鉄の塊に金属棒をぶっ刺した、と言った方がいいのではないか、という程の大きさだ。
ともかく、その巨大な突撃槍は、レーレの手からラーノルドへと渡される。
「ありがとう。それと、お前にはアルフ達の援護に向かって欲しい。どうやら、アルフ達もヴェグナ3体と交戦中のようだ。1体なら問題ないだろうが」
「3体もいると流石に厳しいでしょうね…。了解しました。……はあ、私、あれはやりたくはなかったんですけれど」
ラーノルドの言葉を受けたレーレが、気落ちしたようにそう呟く。しかし、その顔にはどこか悪戯めいた笑みが浮かんでいた。
「……この件が片付いたら、何かご褒美をくれてやるよ」
「あら、でしたら団長がこっそりと時々通ってらっしゃる酒場に連れていってくださいな。静かでいいお店ですね。しかも、あそこのプリンは絶品だとか」
「何で知って…。ああ、もういい。わかった。それでいいなら、連れていってやる」
片手を顔に当てながら、ラーノルドはそう言ってため息をついた。
対照的に笑顔のレーレは、
「うふふ、では私も頑張りますね」
と、そう言葉を口にして走り出した。その先は、結界を展開していた騎士達の1点。
「ハンネルさん、こちら、お借りしますね。それと──」
「ああ。わかってる」
レーレが借りると言って取ったのは、石造りの台座に乗せられていた水晶玉──『アウラノグラス』だ。
それを収納魔法でしまった後、今度こそレーレは東に向かって跳び出した。
差し出された右手から、新緑の光が放たれる。それは、これからレーレが通るであろう軌道上に、まさにその軌道を辿ることで潜ることになるだろうリングを作り出す。
そのリングを通過した瞬間、レーレの身体が加速する。エアリアル・レイドだ。
エアリアル・レイドは、通過した物体を加速させるリングを作り出す、風属性の法術だ。専らアルフ達『勝利の御旗』の移動方法の十八番であるこの法術は、そもそも本来は自身を加速するためのものではない。
そのさじ加減を間違えれば、肉体が爆散するというショッキングな光景が描かれる可能性もある。
だが、アルフ達はもうかなり前にこの場を出立している。そして、可及的速やかにその場まで行かなくてはならない。
魔力によって肉体を強化したとしても、それでも速いに越したことはない。このエアリアル・レイドによる移動方法なら、連続で行えば、相当な速度で移動できる。結果、レーレはこの無茶な移動方法をせざるを得なかった。
それを見ていたハンネル含め、結界魔法を展開していた騎士達は、苦い顔をしていた。
自分があれをやれと言われたら、全力で首を横に振る。絶対にやりたくない。
6人の意識はそう統一されていた。
とは言え、それに呆けていられる時間も、もうそう長くはない。
「全員集合!」
ハンネルと呼ばれた男が、そう叫ぶ。その声に従って、残る2箇所にいた各2名ずつが、『アウラノグラス』と台座を持って走ってきた。
そうして全員が集まると、すぐにハンネルは早口に指示を出す。
「いいか、全員で全力で結界を張るぞ! ヴェナート、ザック、お前達2人は対外物理結界。オレとダートは対外魔力結界! 残るレックスとマルコットは、あの捕虜2名をここに連れてきた後、一応拘束用に結界を張れ! また、適宜こちらのサポートを頼む! とにかく一瞬でも気を抜くな、巻き込まれるぞ!」
「は…はい!」
威勢よく返答をしたのは、レックスと呼ばれた30歳そこそこの男だ。マルコットと呼ばれた同じく30代の男と連れだって走っていく2人を尻目に、ダートと呼ばれた、16歳程の少年が口を開いた。
「ハンネルさん、巻き込まれるっていうのは……あの化け物の攻撃に対して、ですよね? あの化け物の吐く黒い炎…何だか普通の魔力じゃない気が…。大丈夫でしょうか?」
「お前の考えは尤もだ…。だが、寧ろ我々が対処すべきは、団長の方だ」
「えっ……」
今一釈然としていないダートに、結界魔法の展開準備を進めつつ、ヴェナートと呼ばれた40代程の男が無精髭を撫でながら返答した。
「そうか、お前は見たことがないのだったな。無理もない。ある意味運が無いというか…いや、運が良いのか? ともかく、団長がよりにもよって槍を手にした。死にたくなかったら全力で結界を張るんだ。それと、よく見ておけよ。レーヴェティア最強と謳われる男の実力を」
そう言ったヴェナートの視線の先で、今レックスとマルコットの2人が、コーザルとロイを抱えて──コーザルとロイは未だ縄で縛られている──走ってきている。猛ダッシュだった。青ざめた顔で、全力でこちらに向かって走ってきている。
その光景を目にして、未だハンネルとヴェナートの言葉に釈然としていなかったダートの意識に、警鐘が鳴り始めた。
そして、猛然と走る2人のその先──。巨大な突撃槍を軽々と片手に握るラーノルドが、その顔に笑みを浮かべていた。
「さて…実戦は久方ぶりだな…。加減を誤ってしまうかもしれんな…」
好戦的な笑みを浮かべたラーノルドが見やるのは、全長40メートルを越えるだろう、巨大な影。
それまではただ咆哮をあげ、辺りをチラチラと見回すだけだったその瞳が、その紅い双眸が、まるでラーノルドの言葉を聞いて挑発されたとでもいうかの如く、ラーノルドに定められる。
コキコキと首を回すラーノルド。唸り声をあげながら、ラーノルドへと身体ごと向き直るヴェグナ。
ちょうどその頃に、コーザル等を抱えたレックス達もハンネル達の元へとたどり着き、そして結界魔法が展開された。
半球状に展開されたそれは、これまでの辺り一体を包むようなものではなく、自分達の身を護るための、最小限の範囲のものだ。
そして、その結界魔法が展開されたのを合図にしたかのように、ラーノルドとヴェグナ、両者が同時に動き出した。




