第5話 ひだるし病 後編 【首の行方】
私の問いを聞いて、大蛇は口を大きく開けて笑った。
「あははは! あぁ、私は陰陽師だ。
人を救いたくて陰陽師になった!」
地響きのような声が、大広間に響く。
――なんで陰陽師が妖に?
慈眼が、私の方もちらりと見ながら言った。
「お前はもう、年寄りを殺したくなかったんだな」
大蛇は涙を流す。
呼応するかのように木の根が育ち、黒色の宝石が生まれ、人の形をかたどっては消えていく。
誰かの姿になり、止まったかと思うと消える。
そして繰り返す。
大蛇は私達を見下ろし、低く告げた。
「私は時間をとめたかっただけなのだ」
大蛇の声が、大広間の空気を震わせる。
「私はもう誰も抹消したくない!」
私の胸が締め付けられる。
花咲病。
女性の笑顔。
人だったものを燃やす青い炎。
自分だって老いの病以外にも、止められないものがあった。
「私…正しいことをしていたはず…でも…」
思わず呟く声は、私自身でもびっくりするほど震えていた。
その言葉に慈眼は、私にも青い瞳を向け真剣なまなざしで答える。
「老いは誰でも訪れる。そうだろ?」
慈眼は、動揺している私達と違い、冷静に周囲を見渡す。
「病になんてするからだ」
木の根は天井や壁から無数に伸び、私達を囲んでいる。
動揺しているせいか、人形をうまく動かせない。
――やらなくちゃいけないのに
私や芹を捕まえようとする蔓を防ぎながら、慈眼は問う。
「蘇芳、おまえはどうしたい?」
慈眼の青い瞳に、自分の情けない表情が映し出され、時間が止まった異様な空間の中、呼吸だけが生きている証のように重く響く。
芹は、目の前の大蛇を見つめ、好奇心と恐怖が混ざった複雑な顔をしていた。
「陰陽師だったのか…つまり、あの病…俺たちが治そうとしてたのは…」
理解が遅れていたことに、自分でも驚いているような音色だった。
私も驚いている。
だって、陰陽師が妖になったのだ。
人々を救いたかった陰陽師は、病を消せず、時間を止めるしかなかったのだ。
私は自分の手が震えていることに気が付いた。
もう一度、大蛇を見た。
――畏れを感じるほどの美しさ。
『人を助けたかった』という思いがはっきりと伝わってくる。
今、巻き戻っているが、起こった事実は戻せない。
大蛇の腹が、ゆっくりと脈打つ。
私自身に再度問う。
病を抹消するかどうか。
大蛇の目が慈眼を捉え、低く語る。
「私は、病を消すことしかできなかった。
生きる人々を救うために、時間を止めるしかなかった…」
慈眼は目を細め、一歩前に踏み出した。
「止めるのは簡単だ。しかし、それが正しいとは限らない」
芹は言葉を探すように、ためらいがちに話し出す。
「でも…どうすれば…?あの人たち、助けたいのはわかるけど、もう…」
芹の言葉が、途中で途切れる。
芹の札を持つ手が震えているのが見えた。
大蛇は深く息を吐き、悲しげにうなずく。
「そうだ、私だけでは救えなかった。私は……腹が減って仕方ないんだ。止められない」
慈眼は大蛇に言う。
「昔は違ったんだがな、歪んでしまったんだよ陰陽師は」
大蛇は、慈眼をじっくり見る。
「あぁ、おまえも気づいた側なのだな」
時々、慈眼は私にわからないことを言う。
でも、この人の悲しさや虚しさだけはわかるから、私は深呼吸を一つして言う。
私は一度、目を伏せた。
――それでも。
「私が貴方の病を保存します。」
慈眼も芹も同時に頷く。
空気が震えた。
大蛇の体を覆う榊が青々と茂りだし、瞳に埋まる黒石が怪しく光り、時間の歪みを映す。
その光は、捕らえられた人々の記憶や感情の欠片を照らしていた。
私はその光景を見て、とても悲しく、なんて美しい光景だろうと思う。
――病はやはり美しい。
隣に立つ慈眼が、こちらへ目くばせを行う。
私と芹は周囲の根を液体で祓い、炎を出し、根を燃やす慈眼が近づけるように道を作った。
慈眼はその身体を覆う根を掻き分けて、中心にある闇夜のように輝く宝石を掴んで引き抜く。
「おまえは、立派な医者だよ」
と言いながら慈眼は、その宝石を噛み砕き咀嚼をする。
大蛇は崩れ落ちていった。
空気が静まり返り、時間の流れが少しずつ戻る。
周りに人の気配が戻り、ざわざわと声がする。
私は急に力が入らなくなり、膝をつき、息を整えながら呟く。
「……もどった?」
というと、慈眼は言う。
「あぁ、全部喰った。胃もたれしそうだ」
そう言う慈眼の顔をじっと私は見る。
長い睫、青い瞳、白い肌。人間と変わらない変容しているようには思えないその姿。
大蛇がいた所に、ポツンと、白装束を着たくたびれた顔の男が立っていた。
芹がその男を見て言う。
「せ、先輩」
呼び掛けられた陰陽師の男は芹を見て、穏やかに笑い、自分の手をじっと眺める。
「ありがとう」
と一言告げて、泣いた。
――慈眼が何かに気づいたように走り出す。
男はゆっくりと刃を出した。
「待て!」
慈眼の声が響く。
だが男は笑った。
次の瞬間、自分の首へ突き刺した。
慈眼の手が空を切った。
「みるな!」
ピューと、首から弧を描いて血が吹き出す。
「なんで」
わなわなと唇が震えて声が出ない。
赤い水たまりを吸って、白装束が重くなる。
慈眼が首を慌てて押さえるが血は止まらない。
ヒューヒューという音が――
途切れた。
ガンッ! 慈眼が力一杯、床を殴る。
「くそ! くそ!」
何度も何度も殴る音が聞こえた。
芹が先輩に駆け寄る姿が見える。
「先輩、お疲れ様」
と言いながら、開いたままの目を閉じさせた。
慈眼は手をヒビだらけにして、顔を伏せる。
「おまえは、バカだよ」
諦めたようなかすれた声で慈眼が言うのが私の耳に届いた。
もう目覚めることのない陰陽師への言葉。
目の前の現実が遠い気がする。
私は、慈眼達を呆然と見つめていると、視界の端にキラリと輝きが目に入った。
目の前には、闇夜の輝きを閉じ込め、自分の尾を食べる蛇の宝石が落ちていた。
宝石から小さく『ひだるしい』と聞こえた。
「美しい」
私は思わず、その石を拾おうとするが、その前に誰かが先に宝石を拾う。
その手を私は目で追った。
大きな身体。
逆光で表情が見えなかった。
「いやはや、なんて美しいんでしょうか老いを止める病とは、初めて見ました。」
その場にそぐわない明るい声。
師匠だった。
私は初めて師匠のすることに嫌悪感を覚えた。
胃の奥が冷たくなる。
それに触らないで。
師匠は、自分の弟子が血塗れにも拘わらずなにも気にしない。
笑いながら人だったものをみる。
「死んでしまいましたか」
何も感じさせない音色。
隣にいたはずの慈眼が飛び出した。
「触るな!」
と怒りに震えた拳を振るう。
手で慈眼の拳を受け止め師匠は、いなしながら言う。
「あまり教えないでくれますか、貴方のせいで揺らぐでしょう?」
「おまえがちゃんと教えないからだろが! 真実をなんで言わない!」
取り返そうとする慈眼を見て師匠が静かな口調で言う。
「老いは病、別にこれは嘘ではないでしょう?」
優しい口調で慈眼に言い、腕をつかんでそのまま床に、押しつぶすように抑え込む。
「やれやれ、躾が必要ですね」
師匠は、首を触る仕草をする。
指で何かを書いたように見えた。
「やめろ!」
慈眼が、叫ぶ。
やめて、慈眼を苦しめないでほしいと私が止めようとしたその瞬間。
慈眼の青い瞳が揺れる。
乾いた音がした。
視界が傾く。
「あれ」
地面に、自分の顔があった。
一拍、遅れて、慈眼がしゃがみ込む。
「…………蘇芳、俺は」
指先の震えが伝わる。
あぁ、暗い。




