第229話 光
バタン。
「……」
壁に手をつきながら、引きずるようにして一歩ずつ足を運ぶ。なるべく音を抑えて。
ヒラリスが帰って来る前に、すぐにここから離れないと。慌てていたあの様子だと、多少の猶予はある。
額には汗がにじみ、壁を触る手すら震えているのが分かったが、無視して進む。
壁をつく手の位置がずるずると下がっていき、視界がまたも霞んできた──その時。
「どこに行くつもりかな?」
「……!!」
聞き慣れた声が聞こえてきて、ショウリュウは立ち止まった。
三階に上がる吹き抜けになった階段の、折れてしまいそうな程に軽い手すり。
見慣れた顔が、足を組み器用に腰掛けていた。
まるでこちらに興味がないように、人差し指をクルクル回しながら、そっぽを向けている。
「何でここに?」
「それはこちらの台詞だよ、坊や。てっきりまだ寝てる、と思ったのに」
「俺は」
「そんな体で何が出来る? 何をするつもりか知らないけど、やめとけば?」
痛い所を突かれ、ショウリュウは一瞬押し黙る。
「……」
振り切るようにシキをキッと睨みつけ、ショウリュウは再び歩き出した。
階段にいる彼を無視するかのように、フラフラとおぼつかない足どりで。
気配と音で、すぐに分かる。シキは少し目を見開くと、ようやく振り返った。
「あれ」
「うるせーよ」
傷みでどんどん強張っていく顔を振り払い、無理やり足を進ませる。
一歩先、また一歩先へ。
「何で他の奴等に、俺の後始末を任せなきゃなんねーんだよ」
先程より、体の重みが増しているのは気のせいではない。どんよりしたまぶたは、最早きちんと開かない。
それでも、気力を振り絞り足を動かす。
「これは俺の仕事だ」
上着のポケットにガッと突っ込んだ片手には、自らの血でこしらえた術の札。
あと何枚使えるか、それでも。
「アイツは俺が逃した、だから俺がぶっ倒す」
「ふーん」
「後で寄る所もあるしな」
その後ろ姿を眺めながら、シキはくしゃっと髪を撫でるようにいじった。
軽くため息を吐くと、体をショウリュウの方向にクルッと向き直す。
「坊や」
「あ?」
反射的に振り向いたショウリュウに向かって、何かが放り投げられた。
「おわっ!」
宙に舞い、綺麗に円を描いたそれは窓から射し込む光に照らされ、ピカピカと光を放つ。
ショウリュウはとっさに両手を差し出し、上手くそれを受け取った。
「……え?」
手のひらにあるその存在。
中央には夕焼けに光る勾玉、その左右には小さく、不揃いな白い珠が六つずつ。
幼い頃から、何度も触れてきた感触。
もう触れられないと思ってきた。それが確かに今、ショウリュウの手にある。
唯一違うのは、珠を繋いでいた紐が黒い紐に変わっていることか。
ショウリュウは驚きのあまり、大きく目を見開いた。
「これ、なんで」
「ん?──坊やがそれなくしたの、姫が気付いてさ。でもさぁ、バカだよね。手分けして探す、なんて言いだしちゃって」
うやうやしく、両手を広げる。
「ルーイ達は、この僕の能力を忘れてしまったのかな? この僕は匂いを嗅ぎ分けれる、坊やの匂いなら尚更。探し物なら、真っ先にこの僕に頼めばいいのに」
──この僕だけで充分だよ。
アイリ達が地道に探す中、シキカイトになった彼は街を駆け巡ると、あっという間に珠を見つけていく。
アイリ達が、珠を四つと勾玉を見つける間。その他の珠は、全てシキカイトが見つけてしまった。
気付けば、なくした首かざりの勾玉と珠は全て揃っていたのだ。
「坊やもね、いくら大事な物だからって紐は変えないとダメでしょー。その紐、ノブレの使用人に調達させたから頑丈だよ。変えといたからね」
そう言いながら、ビシッとこちらを指差す。
ショウリュウは受け取った首かざりを、恐る恐る首にかけると、そっと手のひらで持ち上げる。
ショウリュウに気付いたかのように、鮮やかだが仄かな光が手のひらの上で輝く。
チャリ、と石が擦れる軽やかな音が鳴る。何度も耳に届いた音。
──思い出すのは、故郷。
祖父に手を引かれ、蔵の中を探検した時。
祖父が首にかけていた首かざり、いつもピカピカ光っていた。それが何とも不思議で、小さなショウリュウは指でツン、と触ってしまう。
祖父はそんなショウリュウに、これが欲しいのか、と尋ねた。
うん、と答えると、そうかそうかと頭を撫でてくれた。
祖父の歯は、黒い肌に浮かんで白く光って見えた。
あの白い珠みたいに。
「不思議な首かざりじゃないか。珠は一つも割れてないよ、欠けてすらない」
「……」
ショウリュウは僅かに笑みを浮かべると、もう一度首かざりをかけ直した。
──いつもそばにいた、小さな光。もう一度会えた。
ショウリュウは少し軽くなった体を弾ませ、足を踏み出し、一気に先に行く。
傷みや重みなんてもう、どこかに消えてしまった。
「サミーエン! 恩に着る!」
ショウリュウは転びそうになりながらも、階段を降りていく。
高ぶる気持ちのまま出て行こうとするショウリュウに、シキはヒラヒラと手を振って返したのだった。




