第200話 目の前
【パレス 大広間】
「ごーめーんーやーでー」
間抜けな声で宥められる。
──許さぬ。
目の前でしゃがむ訛りの青年は、少し乾いてきた人形のドレスをパン、とはたく。
更にタオルを取り出し、ゴシゴシと人形の体を雑に拭き始める。
やめろ、そこ触るな、くすぐったいだろう!
じめじめとした感情が湧き上がり、全身から黒い何かを滲み出させているのに、目の前の青年は気付かない。
抗議を送ってやろうか。
「水でよかったわ、ジュースとかやったらなかなか落ちへんわな。預かったもんやのに」
水でよかった、だと。なんと無礼な!
この人形に水をかけておいて、許されると思うな。許すまじ、あの少年!
末代まで祟って──やれるものならやっている。動けぬこの身体が憎い。
「お、来たんちゃうか」
青年は何かに気付いたのか、タオル片手に大広間から出て行ってしまう。無人の広間は、すっかり静寂に包まれた。
誰もいない、この隙。今だ、やろうじゃないか。
カタカタカタ!
抗議を送る。抗議を送る。抗議を送る。
──バタン!
「おい、何の音だ。うるせーぞ」
強く扉が開かれ、誰かが入って来た。
抗議終了。
「……って、誰もいねーじゃねーか」
若い青年の声だ。いや、まだ少年だろうか。随分と乱暴な口調だが、ソファーに座る人形には、その姿は見えない。
息を、いや動きを殺す。
青年はツカツカと部屋を動き回り、ついにソファーに座るこの人形を見つけた。見つかってしまった。
「何だ、この人形」
青年が人形と目を合わせてしゃがみ、目の前で怪訝な表情になる。
スッと整った、キツネのような瞳。警戒心を、その目に溜め込んだような。
……!!
青年と目が合い、人形は思わず体を動かしそうになり、慌てて感情を殺した。
「誰のだよ、これ。誰の趣味だ?」
──チャリ。
青年の首からかけてある勾玉が、青年の動きに合わせて揺れる。
目の前にいる彼の顔。
この目、口元、鼻の形。人形の、奥底に刻まれた記憶が甦る。
この顔、どういうことなのだ。唯一記憶と違うのは、肌の色くらいか。
動きを殺すつもりが、今度は衝撃で動けなくなる。心の中の喉も動かない。
信じられない。この青年は、まさか。
「あれぇ、坊や」
「何寝ぼけてんだ」
渇いた扉の音。また、誰かが広間に入って来た。
貴族ぶった帽子を片手にやって来た、ブロンドの髪の青年。団員なんだろうが、あまり団員らしくないな。
この人形には気付いていないようで、ゆっくりと彼に近付く。
「今まで寝てたのか、起きるのにえらくかかったもんだな」
「よく寝たよ〜。坊やも受けたことあるのかい? ヌヌレイ主任の検査」
「……」
答えたくない様子だが、どうやら彼も検査とやらを受けたらしい。
どうしたものか、勾玉の彼の姿が目に入る度に、動悸が止まらない。落ち着かず、動いてしまいそうだ。
彼の首にかかる勾玉が、こちらの動揺に応えるように、僅かに光を放っている。
「能力連発したから、受ける羽目になるんだろ」
「坊やは冷たいなぁ〜」
「シキ!」
随分と早く、訛りの青年が戻ってきた。急いで来たようで、少し息が切れている。
「よっしゃ、やっと起きたんやな」
待ってました、と言わんばかりの口調に、貴族まがいの青年は首を捻る。
「何かあったのかな、ジェイくん」
「これやねんけど」
訛りの青年は素早くソファーの、人形の元に近寄って来る。
近いじゃないか、何をするつもりだ。コラ、やめんか、そこを掴むな無礼者!
この人形を誰だと思って──あ、そこは、ああぁ。
片手で、むんずと掴まれてしまった。彼等の前で、ぷらんぷらんとぶら下がる。なんたる屈辱。
「この子は?」
「落とし物やねんけど、団長がシキに渡してくれっていうねん。誰の落とし物か、匂いで分からへんか?」
「はぁ?……落とし物?」
「市場で拾われたんやけど、誰のか分からんのやて」
──匂い、だと?
人形は、ポカンと頭を白くした。彼等はまた、おかしな事をいう。おかしな奴だらけだ。
もしや、彼は鼻がきくのか?
……まさか、まさか自分達の匂いをなるべく残さない為に、この人形をたらい回しにしたのか?
「……」
貴族まがいは、目を見開いてじっくりとこちらを見つめる。
「おかしなこというね、ジェイくん」
「え?」
「何だよ」
貴族まがいは、上品な笑みを浮かべるとスッと、丁寧に人形を手に取った。




