第199話 水
【ミツナ通り】
【洋食屋 ランテ・プリフェール】
人形は、とあるレストランにいた。
背の高い椅子。二つ積み上がった分厚いクッションの上に、ちょこんと乗せられている。
なんと不安定な。この人形を、誰だと思っているんだ。
内心威張ってはみるものの、このようなお洒落な空間に身を置いたことがなく、肩身が狭い。
折角のレストランだというのに、匂いを感じ取れないこの体が憎い。
「はぁー、ごちそうさま」
「美味しかったですね」
キノコは昼食のようだ。
フォークを置くと、発泡水の入ったグラスを手に取る。
人形の隣の席にはキノコではなく、別の青年が座っている。パレスのとある部屋で見かけた、訛りのある青年。
二人の存在、そして何故か椅子を独占している一人の人形に、周りの客達は何事かとチラチラこちらに視線を送っていた。
「ええ店知っとるやん、シキも」
「そうですね」
先程の部屋でも聞いた、言葉の訛り──ロウの訛りだろうか、久しぶりに聞いたぞ。
あ、コラ。やめろ。
ロウの子は暇になったのか、人形の眉間のあたりを指でぐしぐし突いてくる。なんとも微妙な圧迫感。
可愛がっているつもりじゃないだろうな、誰だと思っているんだ。
あー、やめんか、指を丸ごと頭に乗せるな。重いじゃないか。
「この店もええな、パレスからちょい離れとるけど」
「僕、気になってるお店があるんです」
「へぇ、どこや?」
「エコンテ」
「エコンテ?……ああ、言うとったな」
エコンテ?
聞いたばかりのその名前に、人形も思わず反応する。
先程街で会った、あの背の高い店員の店か。
あの店員、どこか不思議な雰囲気の持ち主だった。ただの今時の青年のようではあったが。
「アイリちゃん達が行ったんやって?」
「ザンデリが美味しいそうです、ジェイさんは行かないですか?」
「俺はなぁ、甘いもん好きちゃうからな」
「そういえば、トニーくんから貰ったアメ食べたんですか? 苦手なのに」
「いや、ルノにあげたわ」
「やっぱり。トニーくん、がっかりしますよ」
そんな会話を繰り広げていると、店員が二人に近づく。
ここでもまた、店員。
「失礼します、食後のデザートはいかがですか?」
「わぁ、デザートですか?」
キノコは僅かに目を輝かせるが、甘いものが苦手だという彼は微妙な表情を浮かべる。
それでも店員におススメを尋ねると、紅茶のタルトだという。茶葉の仄かな香りが好評だとか。
おい、こちらは匂いが分からないのだぞ。ああ、分からないのはこの人形だけか。
「紅茶やて?」
「これなら、そんなに甘くないんじゃないですか?」
「せやな、ほなそれで」
「かしこまりました」
店員が頭を下げて、席を離れようとした──その時。
「ジェイジーだ、ヨースラだぁ!」
「お」
「やったぁ、やったね!」
小さな子供が一人、わんぱくそうな少年が、勇敢にも二人に話しかけてくる。
その手には、まだ飲みきっていないグラス。
二人も困惑気味に、目を見合わせた。子供が道を塞いでいるせいで後ろに退がれず、店員もあたふたしている。
「あの、お父さんとお母さんは」
「あのね、あのね」
フワッとした髪の先まで感じる、嫌な予感。
そして、人形の嫌な予感は当たった。
「今日はね、おじさんのとこにね」
「あー!!」
その刹那。
訛りの青年の叫びは、一歩届かなかった。
子供が手に持っていたグラスが、器用に指から離れていく。
ちょ、ちょっと。ちょっと待たないか。
グラスが、フワッと軽く宙に舞っていく。中身の水を残したまま。
バッシャーーン!!!
「ああぁ」
「わーーん!!」
……この、全身を駆け巡るぐちょっと気持ち悪い感触は。髪の先から、滴り落ちている何かは。
先程より、色が濃くなったドレスは。
「あちゃー、人形が」
「濡れちゃいましたね」
二人が、店員が持って来たタオルでひたすら拭いてくれる。
しかし、所詮はただの気休め。
「わーーー!!!」
店中に響く、甲高い泣き声。
泣くとはふざけるな少年よ!!
泣きたいのはこっちじゃああああ!!!




