第2章 第20話「山道」
第2章 第20話「山道」
翌朝、庭へ出ると、荷馬車を覆った布の端が朝露で少し湿っていた。
俺は縄と荷を確かめ、母から受け取った朝食の包みを脇へ置いた。腰の剣が御者台へ当たらないように位置を直していると、門の向こうから馬の足音が聞こえる。
貸し馬屋の男が連れてきたのは、焦げ茶色の馬だった。男と一緒に馬具を確かめ、代金を払って手綱を受け取るころには、ロイたちも揃っていた。
「毛布は?」
挨拶のあと、ニーナが荷台を覗き込んだ。
「積んだよ。食べ物の隣」
「なら、安心ね」
俺が包みを指すと、メアリまでそちらを見て笑った。四人で朝食を取り、家族へ挨拶をしてから出発する。母は前のように夕方の帰りを尋ねず、三日目に戻る予定を確かめて、手を振ってくれた。
通りへ出て動きを見てもらい、貸し馬屋の男と別れる。門ではハッセへ向かうことを伝え、書類の確認を受けた。
町を出ると、朝の光が道の先まで伸びていた。
*
しばらくは、畑の間を通る緩やかな道が続いた。
港へ向かったときとは方角が違う。それでも、荷台が揺れる音や、馬の歩みに合わせて動く手綱の感触には覚えがあった。前ほど握り込まずに済む分、道の端や三人の位置にも目を向けられる。
ロイは前を歩き、ニーナは道の先と脇を見ていた。メアリは荷車の少し後ろからついてくる。俺が振り返ると、縄のところへ目をやってから軽く頷いた。
途中で馬を休ませ、俺たちも水を飲んだ。再び進むころには、遠くに見えていた山の裾が、道のすぐそばまで近づいている。
昼に取った休憩では、食べ物を分けながら、これからの経路を紙で確かめた。
「ここから、登りが増えるんだな」
俺が言うと、ロイは道の曲がる先へ顔を向けて、
「ええ。馬の様子を見ながら進みましょう」
「村へ着いたら、先に宿だね」
「そうしよう。馬を休ませてから、明日の売り場を聞きたい」
ニーナが頷き、メアリは空いた包みをまとめた。俺は馬の水と荷を確かめ、御者台へ戻った。
*
登りに入ると、馬の歩幅が変わった。
さっきまでと同じつもりで座っていても、荷車が進む速さは違う。車輪が石を踏むたび、御者台へ細かい振動が伝わってきた。
俺は前を見ながら、荷台の箱が動いていないか気にした。ニーナが横から縄を見て、問題ないと声を掛けてくれる。手綱へ目を戻すと、馬の首がゆっくり上下していた。
もう少し先へ進みたい気持ちで、声を掛けかける。
けれど、馬は止まっているわけではない。歩く速さが落ちたからといって、平らな道と同じように進ませようとしても仕方がなかった。
勾配の緩むところまで行き、荷車を止めた。
「次の登りは、俺も降りて歩くよ」
ロイへ伝えると、彼は俺の足元を見てから、
「乗り降りするなら、今みたいに止めてからにしてください。こっちも、周りを見ます」
「ああ。急に飛び降りたりしない」
御者台から下りると、足の裏に道の傾きがはっきり分かった。座っている間は揺れとして感じていたものを、今は自分の脚で踏ん張ることになる。
手綱を持って馬のそばを歩き、もう一度進み始めた。
車輪の音が、すぐ後ろからついてくる。馬の肩の動きを横から見ながら、足を置くところを選んだ。荷車を引くのは馬だが、俺まで何も考えずに歩ける道ではなかった。
「港の帰りより、足に来るな」
俺が言うと、少し先にいたニーナが振り返り、
「まだ半分くらいは残ってるよ」
「それ、今聞くと長い」
「先に聞いておいた方が、あとで短くなるでしょ」
どういう計算だと返すと、後ろでメアリが笑った。
その声を聞きながら坂を上り切る。額の汗を袖で拭うと、木々の間を抜けた風が、さっきより涼しく感じられた。
*
道は山の斜面に沿って曲がっていた。
木がある側と、下の斜面が見える側とで、荷車の車輪から端までの余裕が違う。深い轍を避けようとすると、今度は反対側へ寄りすぎないか気になった。
俺は曲がる手前で歩みを緩め、ニーナの声を聞きながら進む。
「そのままでいい。後ろも通れるよ」
前の馬が抜けても、荷車はまだ曲がっている途中だった。急いで次の向きへ直さず、後ろの車輪が通るまで待つ。
町の角でも同じことを考えたが、ここでは道の外へ少しはみ出して済ませるわけにはいかない。縄に縛った箱より、自分の肩の方が固くなっている気がした。
曲がり角を抜けると、ロイが前から戻ってきた。
「向こうから、荷車が来ます。少し広いところで待ちましょう」
道が膨らんでいるところへ寄せ、向かってくる相手を待った。ほどなく、袋を積んだ荷車と、剣を持った護衛が見えてくる。
相手の商人は俺たちを見て歩みを緩め、挨拶をした。ハッセから戻るところだと言うので、この先の道を尋ねる。
「雨でぬかるんでいるところはなかった。ただ、先の曲がり角は、溝が深い方へ落とさないようにしてくれ」
「ありがとうございます。村までは、まだ登りますか?」
「もうしばらくな。そのあとも、平らな道ばかりじゃない」
袋の間から、乾いた草の匂いがした。薬草だろうかと目が向いたが、相手も帰りの途中だ。俺は道の礼を言い、荷車が通り過ぎるのを待った。
袋を運ぶ車輪の音が遠ざかっていく。
明後日は、俺もあちらへ向かって戻る。荷台に何を積めるかばかり考えていたが、帰りの馬もこの道を通るのだった。
俺は相手に教えてもらった曲がり角へ目を向け、馬へ声を掛けた。
*
午後の休憩では、腰を下ろす前に荷台を見た。
箱を縛った縄は緩んでいない。布をめくり、箱の角や包みが擦れていないかも確かめる。今は丈夫な布や縫い物の道具を積んでいるが、帰りの干し茸を同じ揺れにさらしたら、どれくらい欠けるだろう。
店で見た、端の崩れた茸を思い出した。
買うときに形を選べても、着くまでに崩してしまえば、店へ見せる品は変わってしまう。帰りには袋をどこへ置くか、村で品を見ながら考え直そう。
俺が雨よけを戻すと、メアリが水を差し出して、
「先に飲んでください。ずっと歩いていたので」
「ありがとう」
受け取って飲むと、喉だけでなく肩まで少し楽になった。ロイとニーナは周りを見ながら交代で休み、俺も馬のそばから離れすぎずに腰を下ろす。
足を投げ出したところで、ニーナが俺の隣に立った。
「売り場で立ってるのと、どっちが疲れる?」
「今なら、こっち」
「明日、村で聞いてみようかな」
「明日は売り場って答えてるかもしれないな」
ニーナが笑い、俺も釣られた。三人だって朝から歩いている。俺だけが荷を動かしているつもりにならず、休む時間も合わせて取った。
出発する前に、道の曲がる先と日の高さを確かめた。
途中で何度も止まる分、距離だけ見ていたときより時間を使う。休憩を削るより、進めるところで余計に手間取らない方がいい。俺は水をしまい、今度は少し緩くなった道を見ながら御者台へ上がった。
*
木々の向こうに最初の屋根が見えたとき、日はまだ山の陰へ沈んでいなかった。
ニーナが前を指し、ロイもそちらを見る。俺は馬を急がせず、家が集まっている方へ進んだ。
家々の脇には、草や茸を干すための棚が見えた。戸口で籠を動かしていた人が顔を上げ、荷車を目で追っている。
「ハッセって、こちらで合っていますか?」
声を掛けると、そうだと返事があった。俺は教えてもらった宿の名前を伝え、場所を尋ねる。
指された家の前まで行くと、脇に荷車を入れられる場所があった。俺たちが声を掛けると、宿の男が出てくる。
四人で二晩泊まりたいことを話し、馬と荷車を預けられるか聞いた。男は部屋の空きと置き場を案内してから、食事や飼料を含めた費用を教えてくれた。
ニーナたちと確かめ、俺とロイ、ニーナとメアリで部屋を分けることにする。荷車の置き場と商品をしまうところも見せてもらい、泊まる話が決まった。
馬具を外すころには、庭の土が夕日の色に変わっていた。
宿の男に預けるものを確かめ、馬の様子を見てから、ロイと荷を下ろす。箱を運ぶと、さっきまで座っていた荷台が少し高くなったように見えた。
「着いたな」
思わず言うと、ロイは箱を抱え直して、
「ええ。まずは、無事に」
メアリが寝る荷物をまとめ、ニーナは明日の売り場について宿の人へ聞いていた。俺も残りの箱を運び、商売に使える場所と手続きを一緒に確かめる。
今日は、荷を広げるにはもう遅い。明日の朝、村の人が動き始めてから商品を見てもらおう。
荷物をしまって外へ出ると、道の向こうに干し棚が並んでいた。
あそこにあるものの中から、俺が買って帰る品を選ぶことになる。見慣れた針と糸の箱を運んできた先に、まだ値段も付けていない帰りの荷が待っている。
俺は明日の支度を書き留め、夕食へ向かう三人のあとを追った。




