第2章 第16話「最初の帰還」
第2章 第16話「最初の帰還」
帰り道では、朝に避けた窪みが、反対側に見えた。
ロイが指すより先に気づき、俺は馬をゆっくり寄せた。荷台は軽くなったが、車輪の通る場所まで変わるわけではない。箱が跳ねないように進むと、横を歩くニーナが縄へ目を向けて、
「そのままで大丈夫。動いてないわ」
「ああ。朝より、少しは見られるようになったかな」
「帰りも同じところを通るからね」
返されて、俺も笑った。道を覚えたというより、朝に困ったところを覚えているのだろう。次に違う道へ行ったら、また知らない窪みがある。
藪が近づくと、ロイは歩く位置を確かめ、ニーナも通り過ぎるまでそちらを見ていた。俺は馬の耳の動きと、手綱の感触へ気を配る。朝と違って何も出てこなかったが、見終わる前に安心する気にはならなかった。
やがて、道の先にスイーズの城壁が見えた。
港へ向かうときには、船のマストが見えて嬉しかった。今は、見慣れた門を見つけて、思わず息を吐く。まだ家には着いていないが、四人と馬、それに荷馬車が、ここまで戻ってきた。
*
門で書類と荷を確かめてもらい、入市税を払った。
支払った分を控えてから町へ入ると、車輪の音が石畳へ戻った。通りには買い物帰りの人がいて、店先からはいつもの声が聞こえる。
朝と同じ角を曲がり、家へ続く道を進む。庭の門を開けてもらい、荷馬車を止める頃には、母も戸口へ出てきていた。
「おかえり。予定どおりだったのね」
「ただいま。暗くなる前に戻れたよ」
御者台から下りると、足を地面へつけた感触が、思ったより頼りなかった。ずっと座りっぱなしではなかったのに、体には荷馬車の揺れが残っている。
母は俺の顔を見てから、三人へも目を向け、
「皆さんも、お疲れさま。怪我はなかった?」
「自分は少し袖を破りましたが、手当ては済んでいます」
ロイが答えると、メアリも腕は動かせていると伝えた。俺も、自分には怪我がないことを話す。母は裂けた袖を見て眉を寄せたが、ロイが礼を言って頷くと、それ以上は聞かなかった。
俺は納屋の鍵を出し、扉を開けた。
朝に商品を出した棚が、そのまま空いている。残りの布と針と糸を戻し、港で買った干し葡萄は、見本に使うものとして別に置いた。
ロイが箱を運ぶのを手伝ってくれ、ニーナは荷台に小さな包みが残っていないか確かめてくれた。メアリから道具を受け取り、水と食料の残りも下ろす。朝には積む順番を何度も考えたが、下ろす方はずっと早く終わった。
空になった荷台には、少し土埃が付いていた。
俺は縁へ手を置いて、売り台に布を掛けた場所を眺めた。家を出る前と同じ一台だが、今日は、これで港まで行って商売をしてきたのだ。
「アッシュ。馬を返すんだろ?」
ロイの声で、手を離した。
「そうだった。先に、そっちを済ませよう」
*
ロイに馬のそばへ立ってもらい、朝に確かめた留め具を見ながら、荷車から外した。
馬を返したあとは、冒険者ギルドへ一緒に行くことにした。三人には先に向かっていてもらい、俺は借りた馬具もまとめ、馬を引いて貸し馬屋へ歩く。
母へ、帰還の手続きを済ませてから戻ると伝える。門を出るときには、今度は御者台ではなく、馬の横に立っていた。
鼻先がこちらへ寄ると、思わず距離を取った。朝よりは慣れたつもりでも、近くで見る顔はやはり大きい。
「今日は、ありがとうな」
声を掛けても、馬は耳を動かしただけだった。俺は手元を持ち直し、ほかの人が通れる幅を残して歩いた。
貸し馬屋は、まだ開いていた。
朝に連れてきてくれた男がこちらへ来て、馬の様子と、返した馬具を順に確かめた。俺は道中で魔物に出会ったことも話し、馬は怪我をしていないが、あのときは首を振って落ち着かなかったと伝える。
男は馬の体へ目を配り、脚も見てから、
「帰りに急がせたか?」
「いいえ。港でも休ませて、予定に間に合うように出てきました」
「ならいい。こういうことがあったら、次も返すときに話してくれ」
「はい。自分でも、何を見ておけばいいか、まだ分からないところがあります」
男は、今日気になったことを尋ねてくれた。俺は分かる範囲で答え、返却の確認を受ける。
厩へ連れていかれる馬の背中を見送り、空いた手を握り直した。庭には、自分の荷馬車が残っている。また出かけるときには、その一台に馬をつなぐことになる。
控えを鞄へしまい、俺は冒険者ギルドへ向かった。
*
三人は受付の近くで待っていた。
ロイの荷物には、朝の魔物から回収した素材の包みがあった。依頼の控えを出す前に、俺はその包みへ目を向けて、
「その素材、俺が買い取ってもいいか?」
ロイがニーナへ目を向けると、彼女は頷いて、
「ギルドへ売るのと同じ額でなら、いいわよ」
「ああ。その条件で」
職員に素材の種類と状態を見てもらい、ギルドへ売った場合の買取額を確かめた。回収されていたのは、魔物の牙だった。欠けや傷を確かめながら、俺も値段を聞いておく。
示された額を三人と確認し、俺は同額の硬貨をニーナへ渡した。彼女が数え終えてから、ロイの持っていた包みを受け取る。
「これで、こっちの取引は済みね」
「ありがとう。仕入れた分として、記録しておくよ」
素材の代金は、三人へ直接支払った。俺は帳面へ品と金額を書き、包みを鞄へ収める。これは俺が買った商品として、売り先を考えるものになる。
俺も依頼の控えを出し、港へ行って戻ったことを職員へ伝える。ロイたちと一緒に仕事の完了を確認し、支払っておいた報酬の受け取りも、ギルドを通じて済ませてもらった。
街道で出会った魔物については、ニーナが場所と様子を話した。俺も聞いていたが、気づいた位置や三人が動いた順番は、自分が覚えているより詳しかった。
手続きが終わると、ようやく三人と向き合えた。
「今日は、ありがとう。荷を運べたし、ちゃんと帰ってこられた」
ロイは頷いて、
「こっちも、仕事を終えられてよかったよ」
「次に行くときも、相談していいか?」
「ああ。行き先と日が決まったら、教えてくれ」
ニーナは報酬を収めた財布をしまい、
「道も先に聞かせてね。今日より遠くへ行くなら、その分の支度が要るから」
「分かった。決めてから、急に明日来てくれとは言わないよ」
「それなら、助かるわ」
メアリも笑い、俺の鞄へ目を向けて、
「今日は、もう休めそうですか?」
「あと一か所、寄ってから帰る。無事に戻ったら、知らせる約束があるんだ」
「そうなんですね。それなら、気をつけて」
三人と別れ、通りへ出た。手綱はもう持っておらず、荷台も後ろにはない。身軽になったはずなのに、歩き始めると、今日一日の疲れが足へ下りてきたようだった。
*
商業ギルドの受付には、まだ人がいた。
ヒルデは書類を受け取っていたので、少し離れたところで待った。用件が済んで顔を上げると、こちらに気づき、机へ紙を置いてから近づいてくる。
「戻ったのね」
「ああ。荷を下ろして、馬も返してきた。三人の仕事も終わったよ」
彼女の視線が、俺の顔から手元へ移った。
「怪我は?」
「俺はしてない。道で魔物には出会ったけど、三人が守ってくれた」
そう答えると、ヒルデは一度唇を結び、それから息を吐いた。俺が続けてロイの浅い傷と手当てのことを話すと、腕は動かせているのかも尋ねた。
「ああ。さっきまで一緒にいた。ギルドにも、道のことを伝えてきたよ」
「そう。それなら、よかった」
彼女の肩から、少し力が抜けたように見えた。
「売る方も、できたよ。布も針も糸も、大半は買ってもらえた」
言うと、ヒルデはようやく小さく笑った。
「持っていった品を、使ってくれる人がいたのね」
「前掛けにするって言ってた。糸と針も、一緒に」
最初の客の話をしているうちに、布を持っていた手の感触まで戻ってきた。俺が見本を掛ける場所も、針の並べ方も変えたと話すと、ヒルデは頷いて聞いてくれる。
港での買い付けは、干し葡萄の見本だけになったことも伝えた。
「袋で買う値段は聞いたんだけど、こっちで店に引き取ってもらう話までは、できてなかった。品を見せて相談したいんだ」
「ええ。見本と、聞いた条件を一緒に持っていくといいわね。持ち込む前に、相手がどんな品を扱っているかも確かめましょう」
「帳面に書いてある。明日、今日の記録をまとめて持ってきてもいいか?」
「もちろん。売れた分と残った分、払った費用も分けておいて。港で聞いた値段も、そのまま残してね」
「分かった」
受付で次の人が書類を出すのが見えた。俺は長く話し込まないように鞄を持ち直し、今日は帰ると伝えた。
ヒルデは頷いたが、俺が通りへ向きかけると、もう一度声を掛けて、
「報告に来てくれて、ありがとう」
「来るって言っただろ」
「ええ。だから、ありがとうって言ったの」
少しだけ言い方が強くなったので、俺も笑った。
「じゃあ、また明日」
「ええ。今日は、ちゃんと休んでね」
*
家へ戻ると、三人から買い取った牙を納屋へ収めた。布や食品とは箱を分け、包みが開かないことも確かめる。夕食を済ませてから、机に帳面を広げた。
売れたものの記録と、納屋へ戻した品の数を見比べる。財布の中身も数え直し、釣り銭として用意した分と、客から受け取った代金を分けた。帰りの買い付け用に取っておいた袋には、まだ大部分が残っている。
仕入れの控え、馬の控え、護衛の契約。港とスイーズの門で払った分、市場の場所代。鞄から出すたびに、机の上へ紙が増えた。素材の買い取りも、護衛料とは分けて仕入れの欄へ記した。
どれも、今日の商売に必要だったものだ。
俺は紙を順に揃え、書き漏らしていた支払いを帳面へ移した。疲れたまま急いで合計するより、記録を揃えて、明日もう一度確かめよう。
窓の外は暗く、庭の荷馬車にはもう馬がいなかった。納屋には残りの商品と、小さな見本、それに買い取った素材が置いてある。朝にこの部屋を出たときには、どう売れるかも、街道で何に出会うかも、まだ知らなかった。
今は、話せることがある。
俺は帳面を閉じ、翌日持っていく紙を鞄へ収めた。家を出て、品を売り、四人で戻ってきた。その一日を終えた体を寝台へ預けると、ようやく背中の力が抜けた。
灯りを消す前に、明日の用意をもう一度見た。
今度ヒルデへ持っていくのは、これから出かける計画ではなく、俺が商売をしてきた記録だった。




