第2章 第15話「買う前に」
第2章 第15話「買う前に」
最後に足を止めた客は、糸を選んでから、針も一緒に買っていった。
代金を受け取り、帳面へ書き足す。顔を上げると、通りを歩く人の影が、昼飯を食べていたときより長くなっていた。まだ日暮れには遠いが、港を見てからスイーズへ戻るなら、そろそろ片づけた方がいい。
俺は値段を書いた紙を外し、布の見本を畳んだ。残った品を数えながら箱へ戻すと、ニーナが荷台を覗き込んで、
「朝と随分違うわね」
「ああ。もう少し残るかと思ってた」
布も針も糸も、持ってきた大半を買ってもらえた。残った分は箱の中でまとめられ、荷台には広く空きができている。布の端を箱の角へ引っかけないように収め、蓋を閉じた。
「これで、港の品を積めるな」
言ってから、その空いた場所をもう一度見た。
朝は、自分で選んだものをここへ積んだ。帰りには、こちらで見つけた品を載せられるかもしれない。市場で商売を終えたばかりなのに、今度は買う方が楽しみになっていた。
*
荷馬車は、市場の係員に教えてもらった待機場所へ移した。
馬と荷を置いて四人とも離れるわけにはいかない。問屋が並ぶ通りは歩いて行けるところにあったので、俺にはニーナが付き、ロイとメアリに荷馬車を見てもらうことにした。
戻る頃合いと向かう場所を伝えると、ロイは馬の首へ目を向けて、
「こっちは見ておく。道を渡るときは、荷車に気をつけてくれ」
「分かった。もし遅くなりそうでも、一度戻るよ」
買い付け用の袋と帳面を持ち、ニーナと通りへ出た。
港へ近づくにつれて、店先よりも荷を運ぶ人の方が目につくようになった。袋を肩へ担いだ男が倉庫へ入り、その脇から空の荷車が出てくる。俺たちは入口を塞がないように端へ寄り、通り過ぎるのを待った。
建物の切れ目から、水面が見えた。
岸に寄せた船の上で、男たちが荷を持ち上げている。海の方には一本のマストを立てた船があり、その近くには川を行き来する船も止まっていた。下ろした荷の一部は倉庫へ、一部は別の船の方へ運ばれていく。
帝都の河港でも、船から下ろす荷は見た。ここでは、その先に海がある。水面の向こうを眺めていると、どこから来た船なのか、中には何が積まれているのか、聞きたいことが増えていった。
「あそこまで行ってみたい?」
ニーナに聞かれ、俺は頷きかけたが、先に通りの店へ目を戻した。
「気になるけど、今日は問屋を見ておこう。船を眺めてるだけで終わりそうだ」
「自分で分かってるなら、助かるわ」
笑いながらも、彼女は荷を運ぶ人の動きを見ていた。俺も脇へ寄って歩き、品を見せている店の前で足を止めた。
*
入口の棚には、干した果物が並んでいた。
袋の口から見える干し葡萄に目を留めると、店の男がこちらを見た。俺は行商に来たことと、スイーズへ運ぶ品を探していることを伝える。
男は中の袋を示して、
「まとまった荷なら、こっちだ。どれくらい要る?」
「まず、品と値段を見せていただけますか。自分の荷車で運ぶつもりです」
袋から取り出したものを、盆へ広げてくれた。大きさに多少の違いはあったが、乾き方は揃っている。俺は売っている荷と同じものかを確かめ、袋に入る量と、その値段を聞いた。
スイーズで見た品に近い。重さを揃えて比べれば、こちらの方が安く買えそうだった。
ただ、今朝売った布と違い、そのまま同じ値段で売れると決まっているわけではない。包みを開けて少しずつ売るのか、袋ごと店へ卸すのかで、相手も値段も変わる。
「小さく分けたものもありますか?」
「あるよ。ただ、袋で買うのと同じ値にはできない」
男は棚から小包を出し、そちらの値段も教えてくれた。俺は両方を帳面へ控える。袋で買う方が割安でも、売れずに残れば、払った金は品のまま納屋に置かれることになる。
干し葡萄を扱う店は、スイーズにもあった。だが、あの店が俺から買うなら、どれくらいの量を、いくらで引き取るのか。その話まではしていなかった。
店主は俺の帳面を見てから、
「帰って、自分で売るのかい?」
「それも考えています。店へ持ち込むこともできますが、まだ買ってもらう約束はしていません」
「そうか。買うときには、また声を掛けてくれ。ここの荷がいつでも同じ値だとは言えないから、その都度聞いてくれるといい」
「はい。ありがとうございます」
控えた値段の横へ、今日の日付を書いた。値段だけでなく、袋の量と品の様子、店の場所も残しておく。
もう少し通りを見てから戻ると伝え、俺は店先を離れた。
*
ほかの店でも、品と売り方を尋ねた。
木の匙がまとめて並ぶ棚や、縄を巻いて置いた店がある。小さな品でも、まとめて買えば値段が変わる。反対に、俺が扱える量に分けてもらうと、スイーズで見た値段との差が、思っていたより小さくなるものもあった。
品の名前が同じでも、大きさや作りは違った。町で見たものを思い出しながら比べるが、帳面にはまだ書けないところが残る。
ニーナは俺が店主と話す間、通りへ目を向けていた。店を離れると、手元の紙を見て、
「いろいろ買えそうだったけど、決まらない?」
「気になるものはあるよ。干し葡萄も、持って帰って見せたい」
「でも、袋では買わなかったのね」
「こっちで安く買えても、向こうで店に渡す値段はまだ分からない。あの店の売値を、そのまま俺の売値にはできないからな」
商会にいた頃も、仕入れの前に売り先を考えていた。扱い慣れた品なら、どの店へ話を持っていくか、商会の中に手掛かりがあった。
今日は、それを自分で用意する必要がある。
スイーズの店先は見てきた。それでも、客へ売っている値段を知ることと、俺の荷を買ってもらえる条件を知ることは、同じではなかった。
「港で見れば、もっと決められるつもりだったんだけどな」
言うと、ニーナは少し考えてから、
「帰って聞けばいいんじゃない? どこに何があるかは、分かったんでしょう」
「ああ。見せる品もあった方が、話しやすいな」
俺は帳面を閉じ、さっきの店へ戻ることにした。袋で買う前に、持ち帰る見本を選ぼう。帰りの荷台は寂しくなりそうだが、空いた場所を埋めるためだけに、買う量を増やす気にはなれなかった。
*
店へ戻ると、男は小包を出してくれた。
俺は見本として持ち帰る分を選び、代金を払った。包みの中身と量を確かめ、買った分の記録も残す。
「品を見てもらって、話が付いたら、また来ます」
「ああ。そのときも荷を見てから決めてくれ」
礼を言って店を出ると、手に持った包みは、荷台を思い浮かべていたときより、ずっと小さく感じられた。
ニーナと待機場所へ戻る。ロイは馬のそばに立ち、メアリは荷台の縄を確かめていた。俺たちを見つけると、二人とも顔を上げた。
「おかえりなさい。何か買えましたか?」
「ああ。干し葡萄を、見本にする分だけ」
包みを見せると、ロイは荷台へ目を向け、それから俺の手元へ戻した。
「それで全部か?」
「今日買ったのは、これで全部。袋で運ぶなら、先に買ってくれる店と話しておきたい」
ロイは頷いて、手綱を俺へ渡した。
「じゃあ、帰るか。馬も休めたし」
「ああ。待っててくれて、ありがとう」
残った布と針と糸の箱へ、小包を収めた。食料や道具もあるが、商品として運ぶものは、朝と比べればわずかだった。蓋を閉め、箱が動かないように縄を掛け直す。
空いた荷台を見て、少し残念になった。売って、買って帰るつもりだったのに、帰りの商売に使える荷は、まだ作れていない。
それでも、今日の客が使う布と糸は売れた。港の問屋では、自分が買うときの条件も聞けた。帳面を開けば、家で考えられることが増えている。
俺は鞄を御者台へ置き、馬具を確かめてから座った。
*
港の門を出る頃も、荷を積んだ馬車が行き来していた。
朝と同じように書類を出し、門を通る。外へ進むと、潮の匂いが薄れ、車輪の下には街道の土が戻ってきた。
ロイは前へ出て、ニーナは道の脇へ目を向ける。メアリも荷馬車のそばを歩いていた。朝に魔物が飛び出した藪を思い出し、俺も手綱を持ち直して、先の轍を見た。
「朝より軽そうですね」
メアリの声に、俺も後ろの荷台を見て、
「うん。売れたから軽くなったんだけど、もう少し積んで帰りたかったな」
「次は、その分も考えられそうですか?」
「考えるよ。帰ったら、まず品を見せに行く店を決める」
売上を収めた財布は鞄の中にある。その横には、今日買った品と値段を書いた帳面も入っていた。
家へ戻ったら、残りの品を納屋へ下ろし、馬を返す。三人の仕事を終えてから、今日一日で何が残ったのか、落ち着いて確かめよう。
俺は馬の歩調を見ながら、スイーズへ続く道を進んだ。




