第2章 第14話「最初の客」
第2章 第14話「最初の客」
スイーネ港の門の前には、荷を積んだ馬車が並んでいた。
前の荷が確かめられるのを待ち、順番が来ると、俺も書類を出した。職員に市場へ売りに来たと伝え、荷の内容を答える。入市税を払い、支払った分を控えてから、町の中へ進んだ。
通りの向こうから、潮の匂いがした。
建物の間に船のマストが見え、その下では荷を持った人たちが行き来している。スイーズにも大河は流れているが、ここへ来る荷の行き先は、川の先だけではない。海から来て、海へ出ていくものもある。
そちらをもう少し見たくなったところで、ロイが振り返った。
「先に、馬を休ませよう」
「ああ。水も飲もうって話したな」
俺は頷き、市場の近くで荷馬車を止められる場所を尋ねた。
*
馬に水と餌を用意し、四人も少し休んだ。
道で魔物に出会ってから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。それでも、人の声が聞こえ、ほかの荷馬車が止まっているところで水を飲むと、ようやく肩の力が抜けた。
ロイは手当てをした腕を確かめ、メアリはその様子を見ていた。ニーナは自分の水を飲んでから、俺の荷台へ目を向けて、
「ここからは、アッシュの仕事ね」
「ああ。まず売る場所を聞いてくる」
市場の係員に行商の登録を見せ、持ってきた品を伝えた。案内された区画の場所代を払い、荷馬車の置き方も確かめる。
ヒルデに聞いておいた手順が、ここで役に立った。どこへでも止めて売ればいいわけではないが、先に用件を伝えれば、話は進められる。
決められた場所へ荷馬車を移すと、俺は縄を解いた。ロイが馬の方を見てくれ、ニーナとメアリは荷台の周りに立つ。売るための布を出し、針と糸の箱を開ける。
商会では、朝の支度で品を並べると、ほかの誰かの売り台も隣にあった。今日は、俺が広げたものが、この一軒の品揃えになる。
荷台の縁へ布の見本を掛け、針の包みと糸を手前へ置いた。客が手を伸ばしやすい高さになっているか、通りの側から一度見直す。
「それで、もう売れるの?」
ロイに聞かれ、俺は紙へ値段を書いて添えた。
「これで始められる。細かい品は箱を出しっぱなしにしないから、後ろの荷を見ていてくれると助かるよ」
「分かった」
返事を聞いて、俺も売り台の側へ戻った。
*
通る人は多かった。
だが、品を並べた途端に、誰かが買ってくれるわけではない。隣の店へ向かう人もいれば、こちらを見ずに通り過ぎる人もいる。俺は布を整え、足を止めた人へ声を掛けた。
「普段使いの布があります。縫い糸と針も、こちらに」
手提げの籠を持った女が、掛けた布へ目を向けた。俺が端を差し出すと、指で挟み、厚みを確かめる。
「これは、いくら?」
俺は用意した値段を伝え、品を広げて見せた。女は布の裏も見てから、
「前掛けに使いたいんだけど。柔らかいものより、少し丈夫なのが欲しいの」
「それなら、こちらは使いやすいと思います。薄い布ではありませんが、織り目は詰まっています。端だけでなく、真ん中も見てみてください」
布を持つ手は、思っていたより落ち着いていた。
こういう話は、商会でもしてきた。何に使うのかを聞き、合うものを見せる。今日だけ急に、売り方まで変わるわけではない。
女は欲しい長さを示し、俺が測る間に、糸の方へ手を伸ばした。
「これと一緒に使うなら、どれがいい?」
「色なら、こちらが近いですね。もっと目立たないものがよければ、こっちもあります」
見せた糸を布へ添えると、女は少し考えてから一つ選んだ。針も包みを買うことになり、俺は代金を合わせて伝える。
差し出された硬貨を数え、釣り銭を用意した。
品を包んで渡すと、女は籠へ収めて、
「ありがとう。ちょうど欲しかったのよ」
「こちらこそ。ありがとうございました」
人の間へ戻っていく背中を見送った。手元には代金があり、広げた品には、売れた分だけ空きがある。
慌てて金をしまう前に、帳面へ何が売れたかを書いた。布と糸、針。書き終えてから財布へ収めると、ニーナが横から覗き込んで、
「最初のお客さんね」
「ああ」
「随分、嬉しそう」
「そりゃ、嬉しいよ」
商会でも売れると嬉しかった。けれど、今受け取った金は、俺が選んで買い、ここまで運んだ品の代金だった。
街道で箱が鳴った音まで、一緒に思い出した。
*
そのあとも、何人かが立ち止まった。
糸だけを買う客もいれば、針を見比べてから帰る客もいる。布を手に取った男には、もっと薄く、柔らかいものが欲しいと言われた。
俺は持ってきた布を確かめたが、望まれているものとは違う。安くするからと勧めても、使いたいものに変わるわけではなかった。
「今日は、それに合う布は持ってきていません。すみません」
「そうか。また見るよ」
男は布を返し、別の店へ向かった。
俺が品を整えていると、ロイが少し近づいて、
「もう少し勧めたら、買ったかもしれないだろ?」
「欲しいものが違ったからな。使いにくいと思われたら、次に見てくれなくなる」
「……そういうものか」
「あの人が今日買わなくても、別の人には合うかもしれないし」
ロイは布へ目を向け、自分の裂けた袖も見た。その仕草に気づいたニーナが、
「ロイには合いそうね。針と糸」
「帰ってから直す」
「今なら、目の前に揃ってるわよ」
俺も笑い、糸の箱を少し寄せた。
「よかったら、見ていくか?」
「仕事中の護衛に売るのかよ」
「必要かどうか聞いてるだけだよ」
メアリが口元を押さえて笑った。ロイも結局、袖を隠すように腕を引いてから笑い、馬の方へ戻った。
少し前まで、同じ袖を見ると戦った場面を思い出していた。今は、こうして話せることがありがたかった。
*
品を売りながら、ほかの店の様子も見た。
立ち止まった客が、隣では何を手に取るのか。品をまとめて見せているところと、一つずつ広げているところで、人の動きも違う。俺の並べ方にも、まだ直せるところがありそうだった。
針を探す客に箱の位置を聞かれたあと、布の陰になっていた包みを手前へ出した。糸も見やすく並べ直すと、今度は通りすがりの女が、それだけを見て足を止めた。
ヒルデが言った、まず手に取ってもらえるように、という言葉を思い出す。用意した見本は役に立っていたが、並べて終わりではないらしい。
客と話し、品を出し、代金を数える。その間、ニーナは荷台の反対側にも目を向けていた。俺が布を広げたときには、通りへはみ出さないように知らせてくれる。
メアリは、俺が帳面を書いている間に、海風でめくれた包みを押さえてくれた。針を入れた紙が動いたことに気づき、俺も慌てて手を伸ばす。
「ありがとう。そこへ箱を置いておこう」
「はい。落ちなくてよかったです」
箱で端を押さえてから、次の客へ顔を上げた。
昼が近づく頃には、初めに並べた品が、目に見えて減っていた。全部ではないが、布も糸も針も、それぞれ買ってくれる人がいた。
売れたものを書くたびに、帳面の空白が埋まる。その文字を眺めたくなっても、まだ客の前で長く読み返す時間はなかった。
*
人の流れが少し途切れたところで、ニーナが食料の包みを指した。
「そろそろ食べてもいい? 朝から動いてるし」
「ああ。交代で食べよう。馬も、もう一度見ておくか」
ロイが先に馬の方を見に行き、戻ってから昼の分を渡した。メアリも水を飲み、ニーナが食べている間は、俺と残る二人で品と荷を見ておく。
俺も空いたところで食べた。腹が減っていたことに、ひと口目で気づく。朝は家の庭で四人で食べていたが、今は港の市場で、荷馬車に積んだ商品を売っている。
ニーナは食べ終えてから、少なくなった布へ目を向けて、
「思ったより、売れたんじゃない?」
「ああ。まだ残ってるけど、買ってもらえてる」
「港を見に行く時間は残してあるの?」
「もちろん。片づける頃に、もう一度時間を確かめるよ」
朝に出て、今日中に戻る。売り台に客が来ると、もう少しだけと思いたくなるが、帰るときにも馬と三人が必要だ。残った品を売るために、予定を全部ずらすわけにはいかない。
売上を入れた財布には、客から受け取った硬貨がたまっていた。売れた分の記録もある。最後に掛かった費用と合わせるのは、商売を終えてからだ。
今は残っている品を整え、次に足を止めた客へ声を掛けた。包みを渡して見送ると、港の方から、荷を下ろす人たちの声が聞こえる。
あちらへ行けば、今度は買う側になる。
俺は帳面に書き足し、取り置いてある買い付け用の袋へ、一度だけ手を添えた。




