↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大商人の軌跡  作者: なるみくん
第2章「独立」
46/72

第2章 第6話「最初の荷車」

第2章 第6話「最初の荷車」


 朝食を済ませると、昨日の紙を鞄へ入れた。


 いつもなら冒険者ギルドへ向かう時間だが、三日間の訓練はもう終わった。今日は荷車を見に行く。玄関で靴を履きながら、左手の布が緩んでいないか確かめた。傷はまだ少し痛むが、店を歩いて回る分には困らない。


 通りへ出ると、荷を運ぶ馬車が俺の前を横切った。御者台に座る男が手綱を操り、曲がり角でゆっくり速度を落とす。昨日までも見ていたはずの光景なのに、今日は車輪の動きや荷台の高さに目が行った。


 もう少ししたら、あそこに俺が座る。


 そう思うと、つい足が速くなった。膝に残る痛みで歩調を戻し、それでも、店のある通りへ曲がる頃には口元が緩んでいた。


     *


 一軒目の店は、通りに面した広い敷地に荷車を並べていた。修理を待つものもあるが、入口近くには新しい車体が置かれている。木肌が明るく、荷台の板もきれいに揃っていた。


 俺がその前で足を止めると、奥から出てきた店の男が、


「荷運び用をお探しですか?」


「はい。これから行商を始めるので、一頭で引くものを見たいんです」


「でしたら、こちらを。近場の運搬にも使えますよ」


 示されたのは、ちょうど俺が眺めていた一台だった。荷台は広く、縁に付いた金具も頑丈そうに見える。商会で荷を積んだときのことを思い出しながら、箱を並べるところを想像してみた。


 あれをここへ、こっちには袋物を。雨よけの布を掛けて縄で留めれば、ずいぶん商人らしい姿になる。


「乗ってみてもいいですか?」


「どうぞ。車輪は留めてありますから」


 右手を添えて御者台へ上がると、店先の通りがよく見えた。訓練場の古い荷車より座るところが整っていて、板の角も丸く削ってある。ここで手綱を持って門を出ていく自分を思い浮かべると、なかなか降りる気になれなかった。


 店の男は俺の顔を見て、


「気に入りましたか」


「ええ。いいですね、これ」


「初めての一台なら、長く使えるものを選ばれるといいですよ」


 それには俺も頷きかけたが、値段を聞いたところで、ようやく鞄の中の紙を思い出した。


 買えないことはない。ただ、買ったあとにも金は要る。商品を仕入れ、馬を借り、護衛を雇う。その分まで荷車の姿に重ねてみると、さっきほど簡単には頷けなくなった。


「最初に積む荷は、もうお決まりですか?」


「まだです。まずは近場からと思っていますが、行き先もこれから絞ります」


 男は少し考え、並んでいる別の荷車も見せてくれた。そちらは荷台が小さく、値段も下がる。俺は両方の値段と雨よけを付ける場合の費用を聞き、紙へ書き込んだ。


 降りるときには足を置く場所も確かめた。腰を下ろした感触がまだ残っていて、店を出てからも、一度振り返ってしまう。


 あれで出発できたら、嬉しいだろうな。


 けれど、今日はほかの店も見ると決めていた。紙を畳み、次の通りへ向かった。


     *


 二軒目では、店の前に古い車輪や板が積まれていた。奥から木を削る音がして、職人らしい男が作業台に向かっている。声を掛けると、手前に立っていた男が、中古の荷車を見せてくれた。


「これなら、安く出せるよ。荷台の広さも十分ある」


 値段は一軒目より随分低かった。車体には傷があるが、商品を運ぶのに木肌のきれいさは関係ない。これなら仕入れに回せる金を多く残せると、俺は荷台の脇を歩いてみた。


 ところが、裏側へ回ると、一枚の板に長い割れ目が見えた。縁を覗き込んでいると、店の男がそばへ来て、


「そこは直せる。交換するかい?」


「その費用は、さっきの値段に入っていますか?」


「いや、別になる」


 昨日のヒルデの声を思い出し、俺は車輪の方も指した。


「こっちはどうですか。荷を積んで使う前に、直した方がいいところはありますか?」


 男は奥の職人を呼んだ。出てきた職人は、片側の車輪へ手を掛け、少し動かしてから、俺にも分かるように傷んだところを示してくれた。


「これも手を入れた方がいいな。ほかは、下まで見てからだ」


「板と車輪を直すと、どれくらいになります?」


 示された費用を紙へ足すと、最初に聞いた値段とは随分違う買い物になった。それでも新品よりは安いが、直している間は使えない。ほかにも修理が必要なら、その費用も増える。


 店の男は、俺が紙を見ている間に、


「自分で少し直せるなら、悪くない買い物だよ」


「箱の壊れたところを打ち直したことならありますが、車輪は無理です」


「なら、そこは任せてもらった方がいいな」


 俺もそう思った。商品を積んでから車輪に不安を感じるくらいなら、出発前に直しておきたい。


 ただ、どこまで直せば安心して使えるのか、自分では見分けられない。修理後の値段をもう少し詳しく出してもらえるか聞き、礼を言って店を出た。


 入口に積まれた車輪を横目で見ながら、紙へ「修理にかかる日数」と書き足す。店先で見たときには、そんなことまで考えていなかった。


     *


 昼食を挟んで三軒目へ着くと、店先では男が荷車の下へ半身を入れていた。


 声を掛けると、男は外へ這い出し、膝についた木屑を払って、


「悪いな、聞こえなかった。修理か?」


「購入の相談です。一頭立てで、行商に使えるものを探しています」


「新しいのもあるが、手を入れた中古もある。どの辺りまで使うつもりだ?」


 近場から始めたいことと、まだ行き先を決めていないことを話した。男は敷地の奥へ俺を連れていき、壁際に置かれた一台を示した。


 荷台の縁には擦れた跡が残り、一部の板だけ色が新しい。最初の店で見た新品ほどきれいではないが、近づいてみると、取り替えた部分は丁寧に合わせてあった。


「前の持ち主が、大きいのに替えたんだ。傷んだ板を換えて、車輪と軸も確かめてある」


「直したところを、見せてもらってもいいですか?」


「ああ。ここだ」


 男は隠さず指してくれた。俺は紙を出し、説明を聞きながら書き込む。しばらくして男が左手の布に目を留めたので、一昨日の訓練で転んだと話すと、


「じゃあ、持ち上げてみるのはよしとこう。見たいところは俺が動かす」


「すみません。御者台には座れますか?」


「乗れるよ。そこの足掛けを使ってな」


 車輪を留めてもらってから上がると、足を置く場所が分かりやすかった。座って後ろを見る。荷台の広さは、一軒目で最初に見たものより控えめだ。それでも、当面の俺が扱うには十分そうに思えた。


 少し身を寄せれば荷台の縁へ手が届く。地面へ降りるときにも、無理に足を伸ばさずに済んだ。


「雨よけの布を付けるなら、どうすればいいですか?」


 男に尋ねると、荷台の左右へ布を掛けるための枠を付けられるという。縄を留める場所も見せてもらい、その費用を含めて値段を聞いた。


 一軒目の新品より安い。二軒目ほど安くはないが、そこに修理代を足せば差は小さくなる。


「使っていて修理が必要になったら、ここへ持ってきてもいいですか?」


「構わんよ。板も車輪も、珍しい作りじゃない。よその町で困っても、荷車を直す職人なら見られるはずだ」


 俺は車輪の脇にしゃがみ、見せてもらった部分をもう一度眺めた。自分で全部確かめられるわけではない。それでも、何を直したのか、これからどう使えるのかを聞けた分、最初より具体的に考えられる。


 この荷台に仕入れた品を積む。余った場所には食料や雨具を置いて、縄でまとめる。御者台に座った自分の横を、雇った護衛が歩いている。


 さっきまで別々だった準備が、一台の荷車の周りへ集まってくるようだった。


 俺が立ち上がると、男は少し笑って、


「顔を見ると、気に入ったみたいだな」


「ええ。自分で使うところが、想像しやすいです」


「なら、どうする?」


 買います、と言いかけた。


 その一言で自分のものになると思うと、胸の内が浮き立つ。今なら金もある。明日、別の客が来て買ってしまうかもしれない。


 だが、昨日の約束も、同じくらいはっきり覚えていた。


「一度、商業ギルドの担当者に相談してきます。買う前に候補を聞かせると約束したので」


「そうか。じゃあ、決まったら来てくれ」


「雨よけを付けた場合の値段も、この金額でいいですね?」


 紙を見せて確認すると、男は頷いた。俺は礼を言い、店を出た。通りへ出てから少しだけ足を止めたが、戻って買うとは言わず、商業ギルドの方へ歩き出す。


     *


 途中で紙を開くと、三軒分の文字が並んでいた。


 一軒目の新品は、今でも思い出すと欲しくなる。二軒目の安さにも惹かれた。けれど、今日聞いた話を添えて比べると、三軒目の一台が、今の俺には一番使いやすそうだった。


 ヒルデにそう言ったら、何がよかったのか聞かれるだろう。乗り降りのしやすさ、修理された部分、雨よけを付ける費用。紙を眺めながら順番に考え、御者台から見た通りの景色を思い出した。


 まだ買っていないのに、あの荷車へ乗って帰りたくなっている。


 紙を畳んだところで、商業ギルドの看板が見えた。昨日は訓練の報告に来た扉だが、今日は選んできた一台の話を持っている。


 俺は鞄へ紙をしまい、扉に手を掛けた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。