↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大商人の軌跡  作者: なるみくん
第2章「独立」
45/68

第2章 第5話「夕食と三年分の話」

第2章 第5話「夕食と三年分の話」


 訓練の三日目は、左手を見せるところから始まった。


 昨日巻いてもらった布をほどくと、ゴードンさんは傷を確かめ、指を動かすように言った。曲げ伸ばしはできるが、掌を強く握るとまだ痛む。そう伝えると、今日は剣を振る練習を減らし、荷車の周りでの動き方を確かめることになった。


 御者台から降りるときは、足の置き場を見てから動く。前で何か起きても、それだけに気を取られず、横や後ろにも目を配る。昨日までに教わったことを繰り返すうちに、考えてから動ける場面が少しずつ増えてきた。


 ただ、荷袋を置いて退く練習では、今日も一度、足を止めてしまった。手が届きそうなところにあると、どうしても拾いたくなる。


 ゴードンさんはそれを見逃さず、木剣の先で退く方向を示して、


「拾えるかじゃない。拾っている間、誰が待つかを考えろ」


「……護衛です」


「分かってるなら、次は動け」


 やり直しでは、袋の口を見ながらも足を止めなかった。惜しいものは惜しい。それでも戻る方を選ぶというのは、頭で納得するだけでは身につかないらしい。


 午後の終わり、最後の確認を済ませると、ゴードンさんは俺から木剣を受け取り、棚へ戻して、


「三日間は、これで終わりだ」


 そう言われてから、ようやく肩の力が抜けた。初日にここへ来たときより、できないことを随分たくさん知った気がする。


「町の外で、教わったとおりになるとは限らん。護衛が決まったら、先に話をしておけ。お前の風も、勝手に使うなよ」


「はい。何ができるかも、できないかも伝えます」


 ゴードンさんに礼を言い、鞄を肩へ掛けた。昨日より足取りはましだったが、腕の重さは残っている。明日は荷車を見るつもりだ。店先で持ち上げてみろと言われても、今日は無理だなと思いながら、商業ギルドへ向かった。


     *


 ヒルデはまだ受付にいた。手続きを待つ人が何人かいたので、端の椅子へ座り、鞄からこの二日間の書き込みがある紙を出す。


 荷馬車を選ぶときに確かめることと、護衛に伝えること。文字を追っていると、受付を離れたヒルデがこちらへ来た。


「今日は、どうだった?」


「これで三日間、終わり。左手は最初に見てもらったよ」


「ちゃんと言ったのね」


「その返事も覚えてるって言われたからな」


 昨日の言葉を返すと、ヒルデは少し笑った。俺も紙を折り、彼女を見上げて、


「今日も、飯を食べながら相談に乗ってくれないか。荷車を見に行く前に、聞いておきたいことがあるんだ。飯くらい奢るよ」


 ヒルデの視線が一度、折り畳んだ紙へ落ちた。すぐに返事が来ると思っていたので、その短い間に、俺は付け足した。


「まだ仕事が残ってるなら、待ってるけど」


「……あと少しで終わるわ。待っていて」


「ああ。店は、昨日のところでいいか?」


「ええ。安いし、美味しいでしょう」


「それは、もう知ってる」


 ヒルデは口元を緩めてから受付へ戻った。俺は椅子に座り直し、通りを歩く人を眺めて待った。


     *


 三日続けて同じ店に入ると、入口から見える卓の並びまで覚えていた。煮込みの匂いがして、急に腹が減る。ヒルデの案内で空いている席へ座り、料理を頼んでから、俺は紙を卓へ広げた。


「明日は荷車を見て回ろうと思う。御者台へ座ることと、乗り降りのしやすさは確かめるとして、ほかにも見ておいた方がいいことはあるか?」


「どれくらい積むつもりか、聞かれると思うわ」


「それが、まだ決まってない。行く場所も売るものも、これからだし」


「だったら、最初から大きな荷を運ぶつもりで選ばないことね。大きい荷車は、それだけ馬が引く重さも増えるから」


 俺は紙の余白へ書き足した。大きければ後々便利だろうと、少し考えていたところだった。まだ空いている荷台を、いつか売れるはずの商品で埋めるわけにもいかない。


「車輪や軸の状態も見てもらって。直す必要があるなら、いくらかかるかまで聞くのよ。安く買っても、すぐ修理に出すことになったら困るでしょう」


「修理を頼めるところも、確かめておくか」


「ええ。それと、馬は荷車だけを見て借りるものではないからね。道と日数、積む荷も決まってから、貸し馬屋と相談することになるわ」


 荷車を買って、馬を借りれば出発できると思っていた。昨日までの訓練で必要な準備が増え、今度はその準備をするにも順番があると分かる。


 けれど、面倒になったわけではなかった。候補を並べて、自分の金で一つを選ぶ。それを考えると、疲れた体とは別に、気持ちはもう明日の店先へ向かっていた。


「近くから始めるのがいいと思うんだ。道の様子も、馬の扱いも、まだ慣れてないし。ただ、近ければどこでもいいってわけじゃないよな」


「そうね。何が売れて、どこで売れるかを調べないと。候補の情報は出せるけれど、まずは荷車を見て、費用も整理しましょう」


「帰りに買えるものも、考えたい。往復分の馬代を払って、片道しか荷を積まないのは惜しいし」


「持ち帰ったものを誰に売るかも、一緒に考えておいてね」


 俺が頷いたところで、料理が運ばれてきた。ヒルデも紙へ目を向け、


「買う前に、一度候補を聞かせて。今日話したことが全部揃っていなくても、比べれば分かることがあるから」


「分かった。勝手に買ってから、何とかしてくれとは言わないよ」


「言いそうな顔をしているわ」


「そんな顔してたか?」


「明日が楽しみ、という顔なら」


 そこは否定できず、笑って紙を片づけた。湯気の立つ皿へ匙を入れると、ヒルデも自分の料理に手を伸ばした。


     *


「ヒルデは、最初から今みたいに仕事ができたのか?」


 少し腹が落ち着いたところで尋ねると、彼女は匙を止めた。


「できるわけがないでしょう。入ったばかりの頃は、書類を一つ受け取るにも確認していたわ」


「学院にいた頃から、こういうのは得意だったからさ」


「試験と仕事は違うもの。聞かれたことを調べて答えられても、相手が次に何をするつもりなのかまでは、なかなか分からなかった」


 今のヒルデは、俺が荷車を買うと言えば、その先の馬や道のことまで話してくれる。その順番を覚えるまでにも、俺の知らない時間があったのだ。


「じゃあ、最初の一年は大変だったんだな」


「ええ。帰ってから、今日聞いたことを思い返していたわ。明日同じことを聞かれても答えられるように」


「俺もやった。教わったことを帰ってから書いておくんだけど、肝心なところで手が止まるんだよ。聞いてるときには分かったつもりだったのに」


「それで、次の日にもう一度聞いたの?」


「ああ。聞かずに間違える方が困るって言われてたからな」


 ヒルデは、分かるというように頷いた。離れた場所で違う仕事をしていても、似たようなところでつまずいていたらしい。


「帝都は、どんな町だった?」


「人が多かったよ。最初は道を覚えるだけで大変でさ。買い物に出ても、帰る方角を先に確かめてた」


「あなたが?」


「俺を何だと思ってるんだ。知らない町なら迷うこともあるよ」


「学院では、先に歩いていく方だったでしょう」


 言われて思い出す。次の授業へ向かうときも、用事があって外へ出るときも、俺はだいたい、行けば分かるだろうという調子だった。


「あの頃は、知ってる道だったからな」


「それでも、人の話を最後まで聞いてから歩き出す方ではなかったわ」


「そこまで覚えてるのか」


 ヒルデは水の杯へ手を伸ばし、ひと口飲んでから、


「三年間、一緒にいたんだから」


 そう言って皿へ目を戻した。俺にとっても、学院の三年間は長かった。帝都で過ごした三年間も同じ長さのはずなのに、振り返ると、ずっと多くのことが詰まっている。


「でも、仕事は楽しかったよ。覚えることが増えると、見えるものも増えるんだ。店に並んでる品を見ても、どこから来たのか、どうやってここまで運んだのかって、前より気になるようになった」


「だから、行商を選んだの?」


「それもある。今度は自分で行って、選んで、運んでみたいんだ」


 ヒルデはしばらく俺の顔を見ていたが、やがて小さく笑って、


「その話をするときは、昔と同じ顔になるのね」


「変わってないか」


「変わったところもあるわ。今日だって、仕事が終わるまでちゃんと待っていたし」


「学院の頃でも、そのくらい待っただろ」


「待ちながら、あとどれくらいって聞いていたでしょう」


 そこまで言われると、覚えがある。俺が笑うと、ヒルデもつられて笑った。受付では聞かなかった声で、懐かしくなる。


 食べ終わっても少し話し、気づけば隣の卓の客が入れ替わっていた。昨日までは訓練の話をして、食べて帰るだけだったのに、今日は皿が空いてからの方が長かった。


     *


 勘定を済ませて店を出ると、通りには灯りがともっていた。ヒルデは俺の隣を歩きながら、


「ごちそうさま。今日は、随分話したわね」


「三年分には、まだ足りないけどな」


 彼女の歩調が少し緩んだので、俺も足を合わせた。横を向くと、ヒルデは何か言いかけてから、口元を緩めて、


「そうね。まだ、足りないわね」


「また聞かせてくれよ。ギルドの仕事の話も」


「ええ。あなたの話も、また聞かせて」


 別れ際、明日は荷車を見てからギルドへ寄ると伝えた。ヒルデは頷き、俺の左手を一度見て、無理に重いものを持たないようにと言った。


 帰り道、鞄の中の紙を思い出した。明日確かめることは増えたが、聞きに行くのが楽しみだった。御者台へ座り、荷台を見て、店の人の話を聞く。自分で使うところを想像しながら、一台ずつ比べてみよう。


 それに、選んできた話を聞いてくれる相手がいる。昔と同じように笑って話せたことを思い返しながら、俺は家へ続く通りを歩いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。