第3話「商会の新人」
帝都の門をくぐった瞬間、音の量に殴られた。
車輪の音。蹄の音。呼び込みの声。値切る声。笑い声。怒鳴り声。それが全部、重なり合って、耳の中に流れ込んでくる。スイーズの市の日でも、こんなにはならない。
通りの幅は、故郷の大通りの三倍はあった。その両側に、石造りの店がずらりと並んでいる。看板は色とりどりで、軒先には見たこともない品が積み上がっていた。
(すごい……)
口が開いたままになっていたのに気づいて、慌てて閉じる。危ない。これから商人になろうという人間が、田舎者丸出しで歩いていたら、笑われる。
俺は鞄を抱え直し、紹介状に書かれた住所を確かめて歩き出した。
ロンバルド商会の本店は、大通りの突き当たりにあった。
灰色の石を積み上げた、四階建ての建物だ。入口の上には、金の縁取りをした看板が掲げられている。中に入ると、天井の高い広間に、帳場が並んでいた。何十人という人が、帳簿と算盤と、書類の束に向かっている。
受付にいた眼鏡の男に紹介状を出すと、男は中身にざっと目を通して、顔も上げずに言った。
「アッシュ、十五歳。スイーズの学院出身。算術は首席次席の間、と」
「はい。あの、よろしくお願いします」
「配属は第二倉庫店。ここから東へ三本目の通り、緑の屋根の建物だ。行けば、ダグという男が待っている。以上」
以上、だった。
拍子抜けしたまま礼を言って、俺は本店を後にした。もう少し、何か儀式のようなものがあると思っていた。会頭に挨拶するとか、先輩に紹介されるとか。あとで知ったことだが、見習いの入社なんて、この商会では毎年の恒例行事に過ぎなかったらしい。
第二倉庫店は、すぐに見つかった。
倉庫と店舗をひとつの建物にまとめた、横長の建物だ。手前が売り場で、奥が倉庫。屋根の緑が、少し色褪せている。
入口では、木箱を積んだ台車が二台、すれ違うところだった。押している男たちの掛け声が、やけに大きい。
「すみません、今日から配属になったアッシュです。ダグさんという方は」
「ああん?」
台車の陰から、顔を出した男がいた。
三十代半ばくらいだろうか。俺より頭ひとつ背が高く、袖をまくった腕は、丸太のように太い。短く刈った髪に、無精髭。目つきは悪いが、口の端には、何かを面白がっているような笑みがあった。
「お前が新入りか。ずいぶん細っこいな。飯食ってんのか?」
「食べてます」
「本当かよ。まあいい。俺がダグだ。この店の倉庫番をやってる。今日からお前の面倒を、とりあえず見てやる」
「自分は、アッシュといいます。お願いします」
「『自分は』か。堅えな」
ダグはにやりとして、台車の持ち手を俺に押し付けた。
「挨拶はそれで終わりだ。ほら、手が空いてるなら押せ」
そこからは、目が回る一日だった。
荷運びに、在庫の数え直し、棚の整理。木箱は思っていたより重く、五個目あたりで腕が悲鳴を上げた。ダグは全く容赦せず、俺が息を切らせて立ち止まるたびに、「休むなら、荷の上で休め」と言って、また次の箱を寄越してきた。
「口ばっか動かしてねえで、手を動かせ! 荷は待っちゃくれねえぞ!」
「は、はい!」
「返事だけは一人前だな!」
倉庫の中は、広かった。
天井の梁からは、魔道具の灯りが等間隔に吊るされていて、棚の間を白く照らしている。床は石で、ひんやりしていた。奥のほうは、灯りが届かず、薄暗い。
麦の袋、布の反物、油の樽、塩の袋、干した魚。棚ごとに、品物の種類が分けられている。俺はダグの指示で、それらを台帳と照らし合わせながら、数えて回った。
数える。書き込む。運ぶ。また数える。
昼になる頃には、腕がぱんぱんに張って、指先の感覚が薄れていた。
「ほれ、飯だ」
ダグが、パンと干し肉を放ってよこした。倉庫の隅の木箱を椅子代わりに、二人で腰を下ろす。
パンにかじりつきながら、ふと気がついた。
手前の棚と、奥の棚で、荷の様子が違う。
手前の棚は、箱の角が擦り切れ、棚板には、荷を出し入れした跡が幾重にも残っている。空きも多く、減ったところから、次々と補充されているのが分かる。
奥の棚は、逆だ。箱の上に、うっすらと埃が積もっている。手前の棚の箱に比べて、ほとんど動いた形跡がない。
「……あの」
「あん?」
「手前の棚と奥の棚では、動き方が全然違いますよね。手前は、箱が減ってはすぐ補充されてる。奥は、ずっと同じ場所にある」
ダグの咀嚼が、ぴたりと止まった。
「何で分かった」
「箱の角の傷と、棚板の擦れ方です。手前のほうが、何度も出し入れされてる。あと、埃です」
「ほう」
ダグは、パンを飲み込んで、俺の顔をまじまじと見た。
「手前にあるのは、麦と塩と油だ。毎日、誰かが買いにくる。奥にあるのは、飾り布や、香辛料の高級品。年に数回、特別な客が買うだけだ」
「じゃあ、手前の棚が、この店の稼ぎ頭ですね」
「稼ぎ頭ってほどじゃねえが、間違ってねえ。店ってのは、動く品で回るんだ。動かねえ品は、場所を食うだけで、金を食っちまう」
ダグは、干し肉を噛みちぎった。
「で、お前はそれを、初日の昼に気づいたわけだ」
「たまたまです。パンを食べながら、見てただけで」
「たまたまで、気づくもんじゃねえよ」
ダグは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。ほめられたのか、けなされたのか、よく分からない。けれど、その口元は、確かに少し上がっていた。
午後になって、俺は倉庫の奥の整理を任された。
薄暗い棚の間を、灯りの魔法を指先に小さくともして進む。俺の魔法は、ほんの豆粒みたいな光だけれど、棚の札を読むには十分だった。
奥の壁際に、見慣れない木箱が三つ、積まれていた。
他の箱と、明らかに違う。板の色が濃く、角は金具で補強されている。蓋のところには、読めない文字の焼印が押されていた。文字というより、模様に近い。
「これは……?」
「おい、それは触るな」
ダグの声が、背後から飛んできた。
振り返ると、ダグが数歩離れたところで、腕を組んでいる。
「割れ物だ。もし落として割ったら、お前の三年分の給金が吹っ飛ぶ」
「どこの品なんですか?」
「知らん。預かり物だ。売り物じゃねえから、放っておけ」
ダグは、それ以上何も言わなかった。俺は箱の焼印をもう一度だけ眺めてから、その場を離れた。
なんだろう、あの模様。どこかで、見たことがあるような気もしたし、まったく知らない気もした。
夕方、倉庫の灯りが、ひとつずつ落とされていった。
「今日は、これで終いだ」
ダグの声を聞いた途端、膝から力が抜けて、そのまま木箱にへたり込んだ。腕も足も、動かない。学院で、あれだけ体を鍛えられたと思っていたのに、まるで役に立たなかった。
「情けねえ面だな。初日は、みんなそんなもんだ」
ダグが、水の入った革袋を投げてよこした。受け取って、一気に飲み干す。冷たさが、喉に染みた。
見習いの寝床は、店の裏手の小さな部屋に用意されていた。狭い寝台と、小さな机、壁の棚。窓からは、隣の建物の壁しか見えない。
寝台に倒れ込んだ俺は、そのまま、天井を見上げた。
腕が痛い。足が痛い。背中も、指も。
それでも、頭の奥は、妙に冴えていた。
倉庫の荷の並び。手前と奥の違い。動く品と、動かない品。
(あの棚の見方、他の店でも同じなんだろうか)
明日、別の場所で確かめてみたい。そんなことを考えているうちに、いつの間にか、意識は沈んでいた。
翌朝、鐘の音で目を覚ました。
体を起こそうとして、全身が悲鳴を上げた。昨日の分の筋肉痛が、一気に来ている。這うようにして顔を洗い、支度をして、倉庫に降りた。
ダグは、すでに台車の前で待っていた。
「よう、生きてたか」
「なんとか」
「そりゃ結構。今日も荷運びだ、と言いたいところだが」
ダグは、手にした帳面をぱたんと閉じて、俺を見た。
「明日から、お前に教育担当がつく」
「教育担当、ですか」
「ああ。商会が決めた。俺じゃ、荷運びしか教えられねえからな」
ダグは、口の端を持ち上げた。何かを、面白がっている顔だった。
「ま、せいぜい気張れ。相手は、なかなかの人だぜ」




