↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大商人の軌跡  作者: なるみくん
第1章 帝都修行編
25/69

第25話「名前」

第25話「名前」


「アッシュ。お前、今月、ずっと上の空だな」


倉庫で箱を積みながら、ダグが、呆れた声で言った。


「そんなことは」

「ある。さっき、同じ箱を三回、数え直してたぞ」


(……見られてた)


図星だった。


先輩の誕生日が、来週に迫っている。


付き合い始めて、もうすぐ一年半。祭りの鈴を渡した時とは、また事情が違った。あの時は、勢いで買った小さな贈り物だった。けれど、誕生日は、一年に一度だ。しかも、先輩は、商会の令嬢だ。


(何を渡せば、いいんだろう)


高いものは、買えない。見習いの給金から貯めた金は、銀三枚と少し。見栄を張って背伸びをしても、先輩は、きっと喜ばない。


かといって、何も考えずに選んだ品では、気が済まない。


「悩んでんなら、さっさと誰かに聞け」


ダグが、箱を叩いて、言った。


「ほら、あの露店の野郎。目利きは確かだろうが」

「……そうか」


その日の仕事帰り、俺は、一人で、いつもの露店へ向かった。


木箱を並べた、小さな店。ぼんやりした目の若い男が、いつものように、片肘をついて座っている。


「おや、今日は、一人か」


露天商が、顔を上げた。


「はい。ちょっと、相談がありまして」

「相談?」

「来週、先輩の、誕生日なんです」


言った瞬間、顔が熱くなった。


露天商は、一瞬、目を丸くして、それから、にやりと笑った。


「なるほど。贈り物に、迷ってるわけか」

「はい。予算は、銀三枚くらいで」

「銀三枚か。悪くない額だ。で、何を考えてた」


俺は、正直に答えた。


「何も、決められなくて。装身具は、高いし、実用品は、色気がないし。だからといって、安物で済ませたくないし」

「ははあ」


露天商は、顎をさすった。


「あのな、一つ、聞いていいか」

「はい」

「あの子が、足を止めた店、覚えてるか」

「足を、止めた」

「ああ。デートの時でも、仕事の帰りでもいい。一瞬でも、見入ったものはなかったか」


(足を止めた)


記憶を、たどる。


先輩は、あまり、物をねだらない人だ。欲しいとも、口にしない。けれど。


「……あります」

「ほう」

「去年の、祭りの時です。硝子細工の店で、小さな鳥や花を、じっと見ていました。欲しいか聞いたら、見てるだけでいいと」

「それだ」


露天商は、指をぱちんと鳴らした。


「口では、見てるだけと言うが、本当は気に入ってる。そういうもんだ」

「でも、あの店は、祭りの時だけの出店でした。今は、どこにあるのか」

「ああ、あの店なら」


露天商は、少し考えてから、言った。


「あれは、帝都の北の職人街にある、工房の出店だ。腕のいい爺さんがやってる」

「知ってるんですか」

「まあ、ちょっとな」


(仕入れ先は、聞かない)


その距離感は、もう、体に染みついていた。


「よかったら、紹介してやろうか」

「え、いいんですか」

「ああ。祭りの出店の品より、工房の方が、選べる。それに、名入れもしてもらえる」


名入れ。


その言葉に、胸が、小さく、鳴った。


「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」

「よし。ちょっと、待ってろ」


露天商は、店の奥から、小さな木札を取り出して、さらさらと何かを書きつけた。


「この札を持って、職人街の、青い屋根の工房に行け。爺さんに見せれば、話が通る」

「ありがとうございます。でも、これ、どなたの紹介と言えば」


そこまで言って、はっとした。


(そういえば)


俺は、この人の名前を、知らない。


一年半、ずっと、「あの露天商」と呼んできた。顔を合わせるたびに、話をして、助けてもらってきたのに。


「あの」

「ん?」

「すみません。今さらなんですが、お名前を、伺っていませんでした」


露天商は、きょとんとして、それから、肩を揺らして笑い出した。


「そうか、そうか。名乗ってなかったか」

「はい。ずっと、失礼を」

「いや、俺もだ。客に名乗るのを、忘れる癖があってな」


彼は、手を差し出した。


「キーリスだ。しがない露天商だよ」


「キーリス、さん」


声に出して、呼んでみる。


不思議な気持ちだった。ずっと、知らなかった名前を、ようやく、手に入れたような。


「アッシュです。ロンバルド商会で、見習いをしています」

「知ってる。倉庫の、いい目をした坊主だってな」

「いい目、ですか」

「ああ。品物を、ちゃんと見てる。それが、できる奴は、少ない」


キーリスは、にやりと笑った。


「その札には、俺の名を書いておいた。爺さんには、キーリスの紹介と言えば、通る」

「ありがとうございます」


深く、頭を下げた。


(助けられたな)


商人同士の、礼儀として、見返りを求めずに。


三日後、職人街の工房を訪ねた。


青い屋根の、小さな建物だった。


扉を開けると、熱気と、硝子の匂いが、押し寄せてくる。奥で、白髪の老人が、炉の前に座り込んでいた。


「すみません、キーリスさんの紹介で」


木札を差し出すと、老人は、ちらりと見て、鼻を鳴らした。


「あの野郎の紹介か。で、何が欲しい」

「贈り物を。小さな、硝子の鳥を」


棚に、いくつも並んでいた。


祭りの出店で見たものより、ずっと、繊細だった。羽の一枚一枚が、光を透かして、きらきらと輝いている。


その中の一羽に、目が止まった。


小さな青い鳥だった。尾が、すっと伸びて、胸を張っている。


「これを、ください」

「銀二枚だ。名入れは、半枚足す」

「お願いします」


老人は、小さな針で、鳥の足元に、細い文字を刻んでくれた。


先輩の名の頭文字と、その隣に、小さな、鈴の形を。


誕生日の夜。


仕事を終えて、先輩を、いつもの路地に誘った。


「どうしたの。急に」

「渡したいものが、あって」


包みを差し出す。


先輩が、そっと、開いた。


青い鳥が、手のひらの上で、光った。


「……きれい」

「祭りの時、見てたでしょう。硝子の鳥」

「覚えてて、くれたの」

「はい。足を止めていたので」


先輩の目が、潤んだ。


「ここに、字が」

「名入れです。それと、鈴の形も」

「鈴」


先輩は、鞄から、あの硝子の鈴を取り出して、鳥の隣に、そっと並べた。


小さな鈴と、小さな鳥。


並べると、まるで、最初から、一組だったように見えた。


「ありがとう。これ、すごく、嬉しい」

「よかったです」

「ねえ、どこで、これを?」

「職人街の工房です。紹介してもらって」

「誰に?」


「キーリスさんに」


先輩が、首をかしげた。


「キーリスさん?」

「あの露店の、あの方です。やっと、お名前を教えてもらって」

「そっか。あの人、キーリスさんって言うんだね」


先輩は、鳥を大切そうに胸に抱いて、笑った。


「今度、お礼を言いに行こう。二人で」

「はい」


夜風が、路地を抜けていく。


先輩の指が、そっと、俺の指に絡んだ。


名前を一つ、知っただけなのに。


世界が、また少しだけ、広がった気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。