第25話「名前」
第25話「名前」
「アッシュ。お前、今月、ずっと上の空だな」
倉庫で箱を積みながら、ダグが、呆れた声で言った。
「そんなことは」
「ある。さっき、同じ箱を三回、数え直してたぞ」
(……見られてた)
図星だった。
先輩の誕生日が、来週に迫っている。
付き合い始めて、もうすぐ一年半。祭りの鈴を渡した時とは、また事情が違った。あの時は、勢いで買った小さな贈り物だった。けれど、誕生日は、一年に一度だ。しかも、先輩は、商会の令嬢だ。
(何を渡せば、いいんだろう)
高いものは、買えない。見習いの給金から貯めた金は、銀三枚と少し。見栄を張って背伸びをしても、先輩は、きっと喜ばない。
かといって、何も考えずに選んだ品では、気が済まない。
「悩んでんなら、さっさと誰かに聞け」
ダグが、箱を叩いて、言った。
「ほら、あの露店の野郎。目利きは確かだろうが」
「……そうか」
その日の仕事帰り、俺は、一人で、いつもの露店へ向かった。
木箱を並べた、小さな店。ぼんやりした目の若い男が、いつものように、片肘をついて座っている。
「おや、今日は、一人か」
露天商が、顔を上げた。
「はい。ちょっと、相談がありまして」
「相談?」
「来週、先輩の、誕生日なんです」
言った瞬間、顔が熱くなった。
露天商は、一瞬、目を丸くして、それから、にやりと笑った。
「なるほど。贈り物に、迷ってるわけか」
「はい。予算は、銀三枚くらいで」
「銀三枚か。悪くない額だ。で、何を考えてた」
俺は、正直に答えた。
「何も、決められなくて。装身具は、高いし、実用品は、色気がないし。だからといって、安物で済ませたくないし」
「ははあ」
露天商は、顎をさすった。
「あのな、一つ、聞いていいか」
「はい」
「あの子が、足を止めた店、覚えてるか」
「足を、止めた」
「ああ。デートの時でも、仕事の帰りでもいい。一瞬でも、見入ったものはなかったか」
(足を止めた)
記憶を、たどる。
先輩は、あまり、物をねだらない人だ。欲しいとも、口にしない。けれど。
「……あります」
「ほう」
「去年の、祭りの時です。硝子細工の店で、小さな鳥や花を、じっと見ていました。欲しいか聞いたら、見てるだけでいいと」
「それだ」
露天商は、指をぱちんと鳴らした。
「口では、見てるだけと言うが、本当は気に入ってる。そういうもんだ」
「でも、あの店は、祭りの時だけの出店でした。今は、どこにあるのか」
「ああ、あの店なら」
露天商は、少し考えてから、言った。
「あれは、帝都の北の職人街にある、工房の出店だ。腕のいい爺さんがやってる」
「知ってるんですか」
「まあ、ちょっとな」
(仕入れ先は、聞かない)
その距離感は、もう、体に染みついていた。
「よかったら、紹介してやろうか」
「え、いいんですか」
「ああ。祭りの出店の品より、工房の方が、選べる。それに、名入れもしてもらえる」
名入れ。
その言葉に、胸が、小さく、鳴った。
「ありがとうございます。ぜひ、お願いします」
「よし。ちょっと、待ってろ」
露天商は、店の奥から、小さな木札を取り出して、さらさらと何かを書きつけた。
「この札を持って、職人街の、青い屋根の工房に行け。爺さんに見せれば、話が通る」
「ありがとうございます。でも、これ、どなたの紹介と言えば」
そこまで言って、はっとした。
(そういえば)
俺は、この人の名前を、知らない。
一年半、ずっと、「あの露天商」と呼んできた。顔を合わせるたびに、話をして、助けてもらってきたのに。
「あの」
「ん?」
「すみません。今さらなんですが、お名前を、伺っていませんでした」
露天商は、きょとんとして、それから、肩を揺らして笑い出した。
「そうか、そうか。名乗ってなかったか」
「はい。ずっと、失礼を」
「いや、俺もだ。客に名乗るのを、忘れる癖があってな」
彼は、手を差し出した。
「キーリスだ。しがない露天商だよ」
「キーリス、さん」
声に出して、呼んでみる。
不思議な気持ちだった。ずっと、知らなかった名前を、ようやく、手に入れたような。
「アッシュです。ロンバルド商会で、見習いをしています」
「知ってる。倉庫の、いい目をした坊主だってな」
「いい目、ですか」
「ああ。品物を、ちゃんと見てる。それが、できる奴は、少ない」
キーリスは、にやりと笑った。
「その札には、俺の名を書いておいた。爺さんには、キーリスの紹介と言えば、通る」
「ありがとうございます」
深く、頭を下げた。
(助けられたな)
商人同士の、礼儀として、見返りを求めずに。
三日後、職人街の工房を訪ねた。
青い屋根の、小さな建物だった。
扉を開けると、熱気と、硝子の匂いが、押し寄せてくる。奥で、白髪の老人が、炉の前に座り込んでいた。
「すみません、キーリスさんの紹介で」
木札を差し出すと、老人は、ちらりと見て、鼻を鳴らした。
「あの野郎の紹介か。で、何が欲しい」
「贈り物を。小さな、硝子の鳥を」
棚に、いくつも並んでいた。
祭りの出店で見たものより、ずっと、繊細だった。羽の一枚一枚が、光を透かして、きらきらと輝いている。
その中の一羽に、目が止まった。
小さな青い鳥だった。尾が、すっと伸びて、胸を張っている。
「これを、ください」
「銀二枚だ。名入れは、半枚足す」
「お願いします」
老人は、小さな針で、鳥の足元に、細い文字を刻んでくれた。
先輩の名の頭文字と、その隣に、小さな、鈴の形を。
誕生日の夜。
仕事を終えて、先輩を、いつもの路地に誘った。
「どうしたの。急に」
「渡したいものが、あって」
包みを差し出す。
先輩が、そっと、開いた。
青い鳥が、手のひらの上で、光った。
「……きれい」
「祭りの時、見てたでしょう。硝子の鳥」
「覚えてて、くれたの」
「はい。足を止めていたので」
先輩の目が、潤んだ。
「ここに、字が」
「名入れです。それと、鈴の形も」
「鈴」
先輩は、鞄から、あの硝子の鈴を取り出して、鳥の隣に、そっと並べた。
小さな鈴と、小さな鳥。
並べると、まるで、最初から、一組だったように見えた。
「ありがとう。これ、すごく、嬉しい」
「よかったです」
「ねえ、どこで、これを?」
「職人街の工房です。紹介してもらって」
「誰に?」
「キーリスさんに」
先輩が、首をかしげた。
「キーリスさん?」
「あの露店の、あの方です。やっと、お名前を教えてもらって」
「そっか。あの人、キーリスさんって言うんだね」
先輩は、鳥を大切そうに胸に抱いて、笑った。
「今度、お礼を言いに行こう。二人で」
「はい」
夜風が、路地を抜けていく。
先輩の指が、そっと、俺の指に絡んだ。
名前を一つ、知っただけなのに。
世界が、また少しだけ、広がった気がした。




