第24話「商人の信用」
第24話「商人の信用」
帝都の城門をくぐった時、東の空は、ようやく白んでいた。
「間に合った……」
御者が、大きく息を吐いた。
「ぎりぎりだったな。お前さん、運がいいぞ」
「運だけじゃありません。皆さんの、おかげです」
荷馬車を、市の広場へ回す。
場所代は、すでに前払いしてある。決められた区画に荷を降ろし、台を組んで、袋と壺を並べた。
手が、少しだけ震えていた。
(さあ、ここからだ)
仕入れも、運びも、終わった。けれど、売れなければ、すべてが、ただの重い荷物になる。
最初の客は、開店と同時に来た。
「干し柿、一袋、いくらだい」
「銀二枚です」
「ほう、ずいぶん、いい色だね。一つ、味見させてくれ」
噛んだ客の目が、見開かれた。
「うまいじゃないか。三袋、くれ」
それを皮切りに、客が途切れなくなった。
冬支度の市だ。人々は、保存の利くものを、買い込みに来ている。干し柿は、飛ぶように売れた。二十袋は、昼前に、すべて、なくなった。
「すごいな、坊主」
隣の台の商人が、感心したように笑った。
「その柿、どこのだ」
「隣村のものです」
出所を、聞かれれば、そこまでは、答える。けれど、それ以上は、言わない。商人同士の、礼儀だ。
問題は、蜂蜜だった。
二十五個の壺が、台の上に、琥珀色の列を作っている。
ふと、考えた。
(去年の分と、今年の分)
壺を一つずつ手に取って、確かめる。村長は、「去年と今年の分が、半分ずつ」と言っていた。二十五壺のうち、去年の分は、おそらく、十個ほど。
蜂蜜は、腐らない。けれど、時間が経てば、風味が少し落ちる。香りが飛び、色が濃くなる。
封の蝋の色で、新旧は、見分けがついた。
(これを、混ぜて売れば)
客には、分からないかもしれない。いや、目利きなら、気づくかもしれない。
けれど、見分けがつかない客が大半だろう。全部を、同じ値で売れば、手間もかからないし、利益も大きい。
俺は、少し考えてから、台の端に、札を二枚、立てた。
『今年の蜂蜜 一壺 銀二枚』
『去年の蜂蜜 一壺 銀一枚と半 (風味が少し落ちます)』
(これでいい)
売れ行きは、確かに、去年の分の方が、悪かった。
けれど、不思議なことが、起きた。
札を見た客が、立ち止まって、首をかしげる。
「去年のものは、安いのか。どこが違うんだ」
「風味が、ほんの少し、落ちています。煮物や、焼き菓子に使うなら、十分です。お茶に入れるなら、今年のものをお勧めします」
「正直だな」
客は、笑って、去年の分を、三つも買っていった。
昼過ぎ、見覚えのある男が、台の前に立った。
上質な上着を着た、四十がらみの男だった。背後に、使用人らしい若者を従えている。
「その蜂蜜、味見をさせてもらえるか」
「どうぞ」
匙で、舐める。目を閉じて、しばらく、黙っていた。
「……いい。花の香りが、深い」
「ありがとうございます」
「うちは、料理屋だ。菓子も、出している。この蜂蜜が、毎年、手に入るなら、買いたい」
男は、目を開けて、俺を見た。
「今年の分を、全部、一壺銀三枚で買おう。普通の相場より、高い。ただし、条件がある」
「条件、ですか」
「この蜂蜜の出所を、教えてほしい。あんたを通さず、直接、仕入れたい」
(来た)
心臓が、どくんと、鳴った。
一壺、銀三枚。確かに、相場より、高い。今年分の、残りの壺を、まとめて売れば、大きな利益になる。
けれど、条件が、問題だった。
出所を教えれば、俺は、この取引から外される。それは、村との約束にも、反する。
――商人が来たら、値段は、今日、私が言った相場を基準にしてください。
あの猟師に、そう言った。村長にも、正直に、相場を伝えた。
(ここで、出所を売れば)
目先の利益は、手に入る。けれど、あの村から、積み上げたものは、すべて、崩れる。
俺は、ゆっくりと、答えた。
「申し訳ありません。出所は、お教えできません」
「ほう。理由は?」
「仕入れ先との、約束があるためです。その代わり、私が来年も、同じ蜂蜜を仕入れます。必ず、お届けします」
男は、眉を上げた。
「約束、か」
「はい。出所をお伝えしないのは、あなたを信用していないからではありません。仕入れ先を守ることが、私の仕事だからです」
沈黙が、落ちた。
使用人の若者が、はらはらと、主人を見ている。
やがて、男は、ふっと、笑った。
「面白い。出所を売らない商人は、信用できる」
「え」
「出所を、あっさり売るような男は、いずれ、こちらの情報も、他に売る。あんたは、違うようだ」
男は、懐から、小さな札を取り出した。
「うちの店の名と、場所だ。今年の分は、普通の値で、いくつか買おう。来年から、毎年、頼む」
「ありがとうございます」
札を受け取る手が、また、震えた。
けれど、今度は、嬉しさの震えだった。
夕方、市は、終わった。
蜂蜜は、全部、売り切れた。今年の分は、すべて銀二枚で。去年の分も、銀一枚と半で、ほとんど、なくなった。
荷を片づけて、第二倉庫店へ向かった。
会頭の部屋に入ると、会頭は、いつもの落ち着いた顔で、待っていた。
「戻ったか」
「はい。ご報告します」
俺は、帳面を、机に広げた。
「預かり金は、銀百枚。干し柿の仕入れに、四十五枚。迂回の経費に、三枚。村との物々交換で、蜂蜜を手に入れました」
「ほう」
「売上は、合わせて、銀八十五枚。原価と経費を引いて、利益は、銀三十七枚です。預かり金の残りと、売上を合わせて、百三十七枚を、お返しします」
会頭は、帳面に目を落として、しばらく、黙っていた。
「橋が落ちたと、聞いた」
「はい。迂回して、予定より、一日、遅れそうでした」
「失敗の理由を、説明してもらう約束だったな」
俺は、背筋を伸ばした。
「橋が落ちたことは、予測できませんでした。ただ、その時、複数の道を並べて、損を最小にする判断をしました。結果は、利益が出ましたが、運が良かった面もあります」
「うむ」
「それと、蜂蜜を売る際に、出所を聞かれましたが、お断りしました。その代わり、来年の仕入れを、約束しました」
会頭の目が、わずかに、動いた。
「なぜ、断った」
「村との信用を、守りたかったからです」
少しの沈黙のあと、会頭は、頷いた。
「よくやった。今回の取引は、帳簿の数字よりも、その判断のほうが、値打ちがある」
廊下に出ると、先輩が、立っていた。
「おかえり。一番に報告するって、約束だったのに」
「会頭に、先に呼ばれてしまって。すみません」
「いいの。聞こえたから」
先輩は、にっこりと笑った。
「出所を、売らなかったんだね」
「はい。少し、迷いましたけど」
「どうして、迷ったの?」
「一壺銀三枚は、大きかったので」
「でも、断った」
「あの村のこと、裏切りたくなかったんです」
先輩は、しばらく、黙って、俺を見ていた。
それから、そっと、俺の手を握った。
「信用はね、積み上げるのに時間がかかって、失うのは、一瞬なの」
「はい」
「アッシュくんは、それを、ちゃんと分かってる」
廊下の窓から、夕日が差し込んでいた。
先輩の横顔が、金色に染まっていた。
「いい商いだったね、アッシュくん」
その言葉が、胸の奥に、静かに、染みていった。




