↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大商人の軌跡  作者: なるみくん
第1章 帝都修行編
23/68

第23話「運の使い方」

第23話「運の使い方」


近づくにつれて、犬の吠える声が、谷に響いた。


灯りの数は、十にも満たない。小さな家が、斜面に身を寄せ合うように建っている。畑の畝が、月明かりの下で、黒々と並んでいた。


村の入り口に立つと、手燭を掲げた男たちが、ぞろぞろと現れた。


鍬や棒を握っている。警戒しているのが、はっきりと分かった。


(無理もないか)


こんな山奥に、荷馬車が夜中に現れたのだ。しかも、見知らぬ人間を乗せて。


「ロンバルド商会の、アッシュと申します」


荷馬車を降りて、深く頭を下げた。


「帝都へ戻る途中、橋が落ちていて、上流の橋へ回る道すがら、この灯りを見つけました。一晩だけ、軒先を貸していただけませんか。宿代は、お支払いします」


男たちが、顔を見合わせた。


「商人、か」

「……珍しいな。商人が、この村に来るなんて」

「橋が落ちたとは、本当か」


そのやり取りを、後ろから、杖をついた老人が、静かに聞いていた。


「通してやれ」


しゃがれた声だった。


「客は、客だ。この夜道で、追い返すわけにはいかん」


村長は、この老人だった。


通された家の囲炉裏端で、温かいスープをもらった。


俺と御者は、並んで、湯気の立つ椀を抱えた。体の芯まで、じんわりと温まる。


「ありがとうございます。助かりました」

「構わん。この辺りは、旅人が通らんからな」


村長は、囲炉裏の火を見つめながら、ぽつりと言った。


「橋が落ちたと聞いたが」

「はい。昨夜の増水で、橋脚が流されたようです。直るのは、十日以上かかると」

「そうか……。去年も、似たようなことがあった」


村長は、深いため息をついた。


「橋が使えないと、麓の町へ出られん。商人も、来なくなる」


俺は、荷馬車から持ってきた、小さな袋を差し出した。


「泊めていただくお礼に。干し柿です。隣村のもので、味は、悪くないと思います」


村長が、袋を受け取った。


その時だった。


家の奥から、幼い子供が二人、そろりと顔を出した。


目が、袋に釘付けになっている。


「ばあちゃん、それ、甘い匂いがする」

「これ、行儀が悪いぞ」


そう言いながらも、村長の表情が、和らいだ。


「一つ、いただいても?」

「どうぞ、みんなで」


子供たちは、干し柿を一つずつもらって、頬を膨らませた。


夢中で噛んでいる顔が、本当に幸せそうだった。


(……そんなに、珍しいのか)


違和感が、胸に引っかかった。


甘いものが、貴重なのだ。この村では。


食事を終えて、厠を借りるついでに、村の中を、少し歩かせてもらった。


月明かりの下、家々の裏手に、大きな納屋が並んでいた。


戸が、少し開いている。


覗き込んで、息を呑んだ。


壺が、積み上がっていた。


大小さまざまな、素焼きの壺。蓋は、蝋で固く封じてある。ざっと数えて、五十はあるだろうか。


壺の一つの縁に、琥珀色のものが、細く垂れて、固まっていた。


(蜂蜜だ)


指先で触れて、舐めてみる。


濃い。花の香りが、鼻に抜けた。市場で買った、どの蜂蜜よりも、風味が深い。


「……見られたか」


背後から、声がした。


振り返ると、村長が、杖をついて立っていた。


「この村の蜂蜜じゃ。山の花から採れる。味は、自慢できる」

「これ、全部ですか」

「去年と、今年の分が、半分ずつ。去年の分は、まだ、売れておらん」

「売れて、いない」

「橋のせいでな。商人が来ん年は、溜まる一方じゃ。持って出るにも、わしらは、麓の町まで行ったことのない者ばかりでな」


村長の声は、疲れていた。


(そうか)


頭の中で、いくつかの事実が、繋がった。


この村は、山奥にあって、人々は、村から出ない。橋が落ちる前から、商人も、ほとんど来なかったのだろう。


売れない蜂蜜が、納屋に溜まっている。


一方、俺の荷馬車には、この村にない、干し柿が積まれている。


甘いものを、喜ぶ子供たち。


(橋が落ちなければ、俺は、ここに来なかった)


偶然だ。運が良かった、と言えば、それまでだ。


けれど、気づかなければ、何も起きない。納屋を覗かなければ。子供たちの顔を見なければ。


(掴めるか、掴めないかだ)


俺は、村長に向き直った。


「村長さん。一つ、提案があります」

「提案、とな」

「干し柿と、蜂蜜を、交換しませんか。お金は、要りません」


老人の目が、わずかに見開かれた。


「交換、か」

「はい。こちらは、干し柿を十袋、お出しします。そのかわり、蜂蜜を、いただきたい」


荷台から、干し柿の袋を、一つ降ろして見せた。


「十袋で、小さな壺を、二十個。いかがでしょう」

「……損か得か、わしには、分からんな」


村長は、正直に言った。


「蜂蜜が、帝都で、どれほどの値になるのか、知らん。だから、公平かどうかも、分からん」


そこが、一番の問題だった。


俺は、少しだけ、迷った。


ここで、適当に言いくるめることも、できる。相場を知らない相手だ。もっと安く、もっと多く、持っていくことも、可能だろう。


(でも)


ダグの言葉と、先輩の言葉が、並んで頭に浮かんだ。


――信用できる人から聞いた話なら、動ける。


この村と、また付き合う機会が、あるかもしれない。


「正直に、お話しします。帝都の市場では、この大きさの蜂蜜の壺が、銀二枚ほどで売られています。干し柿は、一袋が銀一枚と半分。十袋で、銀十五枚。蜂蜜二十壺は、銀四十枚ほどになります」

「……ほう」

「つまり、こちらは、交換のあとで、売って、利益が出ます」

「それを、わざわざ話すのか」

「はい。知らないまま、損をしたと、後から思われたくないので」


村長は、じっと、俺の目を見ていた。


囲炉裏の火が、ぱちりと爆ぜた。


「面白い若者じゃな」


老人は、ゆっくりと、笑った。


「だが、分かった。十袋で、二十壺。もう、五壺、足そう。正直者への、礼じゃ」

「いいんですか」

「構わん。去年の分は、どうせ、腐らせるところじゃった」


握手を、交わした。


荒れた、硬い手だった。


翌朝、まだ空が暗いうちに、荷馬車に、壺を積み込んだ。


二十五個の壺と、残りの二十袋の干し柿。荷は、かなり重くなった。


「出発は、夜明け前か。急ぐな」


御者が、あくびをしながら言った。


「はい。市の日の朝に、間に合わせたいので」

「間に合わせるって、あの道を戻るんだろう? 下りは、上りより、きついぞ」

「それなんですが」


俺は、昨夜から、聞きたかったことを、尋ねるために、村長の傍らの若者に声をかけた。


村の猟師だという、筋肉質の青年だった。


「この村から、帝都の街道へ出る、近道はありませんか」

「近道?」

「昨日の道は、上流の橋を回るために、遠回りになっています。もし、別の道があれば」


猟師は、腕を組んで、しばらく考え込んだ。


「……ある。昔、炭焼きが使っていた道だ。谷を一つ抜けて、街道に出る」

「荷馬車は、通れますか」

「荷車なら、通れる。ただし、狭い。通れる者は、村の者しか、知らん」


(情報だ)


昨日、露天商と交わした、小さな情報交換を、思い出した。


「ありがとうございます。それなら、こちらからも、お伝えしたいことがあります」

「ん?」

「昨日の橋は、代官に、すでに知らせが行っているはずです。直り次第、商人も、また来るでしょう。それと、帝都では、蜂蜜の需要が、冬を前に、高まっています。来年は、売れるはずです」


猟師の顔が、変わった。


「……本当か」

「はい。商人が来たら、この壺の値段は、今日、私が言った相場を、基準にしてください」


猟師は、しばらく黙っていたが、やがて、深く頷いた。


「分かった。道を、案内する」


猟師が、荷馬車の先を歩いて、谷へ入っていった。


炭焼き道は、本当に、狭かった。


荷馬車の車輪が、岩肌をこすりそうになる。何度か、荷を降ろして、車体を持ち上げた。


けれど、道は、確かに、街道へ向かっていた。


陽が昇る頃、猟師が、足を止めた。


「ここまでだ。あとは、まっすぐ下れば、街道に出る」

「ありがとうございました」

「次は、橋が直ったら、商人として来てくれ。村長が、待ってる」


俺は、頷いて、猟師に、干し柿を、一袋手渡した。


猟師が、少し照れくさそうに受け取った。


荷馬車が、峠を越えた。


遠くに、帝都の城壁が、朝日に照らされて、白く光っていた。


「間に合うな」


御者が、呟いた。


「ああ。市の朝には、ぎりぎりだが」


背中で、蜂蜜の壺が、かたかたと、小さく鳴っていた。


(運が、良かった)


けれど、それは、ただ待っていたから、来たわけではない。


橋が落ちた時、立ち止まらなかった。


納屋を、覗いた。


そして、気づいたことを、掴んだ。


俺は、その音を聞きながら、手綱を握る御者の背中を、見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。