↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大商人の軌跡  作者: なるみくん
第1章 帝都修行編
19/68

第19話「交際期の日常」

第19話「交際期の日常」


「アッシュ、今日は早く上がっていいぞ」


昼過ぎ、ダグが、帳面から顔も上げずに言った。


「え、まだ荷が残ってますけど」

「残りは俺がやる。今日は、秋の祭りだろうが」


そう言われて、はっと思い出した。


そういえば、朝から通りが、やけに騒がしかった。


「それにな」


ダグは、ようやく顔を上げて、にやりと笑った。


「待たせる相手が、いるんだろう?」

「……ダグさん」

「ほら、さっさと行け。先輩は、もう着替えに帰ったぞ」


追い立てられるようにして、俺は倉庫を飛び出した。


待ち合わせは、中央広場の噴水の前だった。


祭りの日の帝都は、いつもと、まるで違う顔をしていた。


通りの端から端まで、色とりどりの布が張られ、露店がずらりと並んでいる。焼いた肉の匂い、甘い蜜の匂い、揚げ菓子の油の匂い。子どもたちが、指先に小さな火を灯しては、笑いながら走り回っていた。


(人が、多いな)


噴水の縁に腰かけて、先輩を待つ。


見慣れた仕事着ではなく、淡い色の外出着で来るのだろうか。そんなことを考えていたら、背中を、とんと叩かれた。


「お待たせ、アッシュくん」


振り返って、言葉を失った。


淡い緑の服を着て、髪を、いつもより少し高い位置で結んだ先輩が、立っていた。


「ど、どうしたの。変かな」

「いえ、全然。その」


(やばい)


自分でも、顔が熱くなるのが分かった。


「……きれいです」


やっと、それだけ言えた。


先輩は、一瞬、目を丸くして、それから、ふわりと笑った。


「ありがとう。アッシュくんも、今日は、ちゃんとしてるね」

「普段は、ちゃんとしてないみたいじゃないですか」

「ふふ、ちょっとだけね」


並んで、人混みの中へ入っていく。


先輩が、さりげなく、俺の袖をつまんだ。


「はぐれないように」

「……はい」


手をつなぐのは、人の少ない路地に入ってからだ。そういう決まりを、二人とも、いつの間にか、守っていた。だから、これが、人前でできる精一杯だった。


最初に、串焼きの屋台に、足が止まった。


「これ、おいしそう」

「買いましょう」


二本買って、並んで歩きながら食べる。熱くて、脂がじゅわりと広がって、口の中が、一気に幸せになった。


「おいしいね」

「はい」

「アッシュくん、ほっぺにタレが付いてる」

「え、どこですか」

「そこじゃなくて、こっち」


先輩が、指先で、そっと拭ってくれた。


俺は、固まったまま、串を握りしめていた。


「……自分で拭けます」

「知ってる。でも、拭きたかったの」


さらりと言われて、さらに、何も言えなくなった。


(この人には、かなわない)


揚げ菓子、蜂蜜入りの果実水、串に刺した干し果物。二人で、半分ずつ分けながら、露店をはしごした。


「あ、これ」


先輩が、小さな店の前で、足を止めた。


並んでいたのは、硝子の細工物だった。小さな鳥、花、星。掌に載るほどの大きさで、光に透けて、きらきらと輝いている。


「きれい」

「欲しいですか」

「ううん、見てるだけでいいの。でも、きれいだな、って」


先輩は、そう言って、通り過ぎようとした。


俺は、その店の、隅に置かれていた、小さな鈴に目を留めた。


硝子でできた、親指ほどの鈴。振ると、澄んだ音がした。


(白い器の音に、似てる)


「すみません、これ、いくらですか」

「銀貨二枚だよ、兄さん」


懐を探る。ちょうど、給金から、少しだけ貯めていた分があった。


「ください」


包みを受け取って、先輩の後を、急いで追いかけた。


日が暮れる頃、広場の中央に、大勢の人が集まり始めた。


「あ、始まるよ」

「何が、ですか」

「灯り合わせ。毎年、祭りの最後にやるの」


広場を埋め尽くした人々が、一斉に、手をかざした。


そして、指先に、光を灯す。


一つ、また一つ。


最初は、ぽつぽつと。やがて、広場全体が、無数の小さな光で、満たされていった。大人も、子どもも、老人も。みんなが、自分の指先に、それぞれの光を灯している。


大きな光も、小さな光も、一つひとつ、違う色で揺れていた。


「……きれいですね」

「うん」


先輩が、そっと、俺の隣に寄り添った。


人混みの陰に隠れて、指先が、触れ合う。先輩が、俺の手を、ぎゅっと握った。


(今だけは、いいか)


俺は、握り返した。


そして、空いた方の手で、先輩と同じように、指先に、光を灯した。


小さな、頼りない光だった。けれど、周りの光と混ざって、広場の一部になっていた。


広場を、ゆっくり離れる頃には、人の波も、少し落ち着いていた。


路地に入ったところで、俺は、足を止めた。


「先輩。これ」


さっきの包みを、差し出した。


「え、これ」

「さっき、お店で見つけて。大したものじゃないんですが」


先輩が、包みを開いた。


硝子の鈴が、掌の上で、小さく鳴った。


「……鈴」

「音が、きれいだったので。仕事鞄にでも、付けてください」


先輩は、しばらく、黙って、鈴を見つめていた。


それから、ゆっくり顔を上げた。


その目が、少し、潤んでいるように見えた。


「ありがとう。大事にするね」


先輩は、鈴を胸に抱くようにして、微笑んだ。


「実はね、私からも、あるの」


先輩が、鞄から、小さな包みを取り出した。


「開けてみて」


中に入っていたのは、革の筆入れだった。


使い込まれた雰囲気の、柔らかい革に、金具が付いている。端に、小さく、俺の頭文字が刻まれていた。


「仕事で、いつも羽根ペンを、ポケットに突っ込んでるでしょう。折れちゃうから」

「……いつの間に」

「ずっと、前から、考えてたの。やっと、渡せた」


胸が、じんわりと熱くなった。


「ありがとうございます。大事に、使います」

「うん。使ってね」


先輩は、嬉しそうに、鈴を指で弾いた。


澄んだ音が、夜の路地に、小さく響いた。


帰り道、広場の方から、まだ、笑い声が聞こえてきた。


先輩の歩幅に合わせて、ゆっくり歩く。手は、しっかりと繋いだままだった。


「祭り、楽しかったね」

「はい。すごく」

「ねえ、アッシュくん」


先輩は、足を止めて、広場の方を振り返った。


遠くで、まだ、無数の光が、きらきらと瞬いていた。


「来年の祭りも、また来たいね」


その横顔が、あまりにも自然で、あまりにも、幸せそうだった。


「来ましょう」


俺は、迷わず、答えた。


「来年も、再来年も」


先輩は、少し驚いたように、俺を見て、それから、静かに頷いた。


繋いだ手の中で、鈴が、小さく、鳴った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。