第14話「港から来た荷」
第14話「港から来た荷」
「今日は、港から荷が来るぞ」
朝の倉庫で、ダグが、帳面を片手に言った。
「受け入れの立ち会い、お前がやれ。俺は横で見てる」
「自分が、ですか」
「荷を受けるってのは、商売の入り口だ。一度は、通っておくもんだ」
昨日の市場調査の報告は、先輩に「ちゃんと見えてるね」と、褒めてもらえた。その勢いのまま、俺は、気合を入れて倉庫の入口に立った。
昼前に、荷車が着いた。
車輪を軋ませて入ってきたのは、日焼けした太い腕の、四十がらみの男だった。荷台には、縄をかけた木箱と壺が、ぎっしりと積まれている。
(この荷車)
見覚えがあった。昨日、広場の東の端から、港の方角へ消えていった、あの荷車だ。
「おう、受け取りは、あんたか」
「はい。アッシュといいます。荷の受け入れを担当します」
「荷車引きだ。河港と、帝都の倉庫街を、毎日行ったり来たりしてる」
男は、荷台からひょいと飛び降りて、袖で額の汗を拭った。荷車を引く大きな牛が、のんびりと尻尾を振っている。
「夜明けに河港で荷を積んで、昼前にここだ。帰りに別の荷を積んで、夕方にまた河港。一日で、ちょうど一往復だな」
「毎日、ですか」
「毎日だ。荷が動く限りはな」
「あの、昨日、市場の広場で、お見かけしませんでしたか。東の端で」
「お、見られてたか。あっちの帰りだ。別の荷を、問屋に届けたあとでな」
荷車引きは、豪快に笑った。
荷の確認が始まった。
壺は、藍染め用の染料だった。木箱には、油の壺と、縄の束。ロルフさんが、木箱の蓋に掌をかざして、さっと湿気を飛ばす。塩気を含んだ水で濡れていたらしい。
「潮に、やられてるな」
「船の上は、どうしても濡れるんでな。そこは勘弁してくれ」
数と状態を、帳面に書き込んでいく。数が合っているか、割れていないか、濡れすぎていないか。ひとつひとつ、指でなぞりながら確かめた。
その途中、荷車引きが、ぼそりと言った。
「最近の港は、忙しくてなあ」
「忙しい、ですか」
「海の船は、河口の港までだ。そこで荷を川船に積み替えて、二日三日かけて川を上ってくる。それがここの桟橋に着く」
「船が入る日は、特にな。夜明け前から、荷役の連中が百人ばかり、桟橋に集まる。荷を降ろして、数えて、倉庫に仕分けて、荷車に積む。順番待ちの荷車が、桟橋の端まで並ぶんだ」
(桟橋の端まで)
想像すると、気が遠くなる。
「そして、船が遅れると、それが全部、狂う」
「遅れると、どうなるんですか」
「先月、大風があってな。河口で船が足止めされて、荷が三日遅れた。その間、桟橋に荷車が百台近く、立ち往生よ。倉庫も、前の荷でいっぱいで、新しい荷が入れねえ。荷主の連中は怒る。荷役の連中は、手が空いたと思ったら、一度に船が来て、手が足りねえ」
荷車引きは、肩をすくめた。
「大変だったのは、そこからだ。荷が遅れた分、街の値が跳ねる。塩の値が、倍近くになった日もあった」
「……市場で、昨日見ました。荷車が少ない日は、値が上がるって」
「それよ。船が遅れりゃ、街中が、少しずつ困るのさ。誰も、その理由を知らねえままな」
頭の中で、数字が回る。三日の遅れ。三日分の倉庫代。足りなくなった店の棚。その間に、売れ損なった客。塩が倍になれば、塩を使う食堂も、漬物屋も、同時に困る。
荷車引きは、さらりと言った。
(誰も、知らないまま)
先日、先輩と読んだ帳簿の、数字の列が頭に浮かんだ。あの一行の仕入れ値の裏にも、桟橋に並んだ荷車や、荷役の人たちが、いたのだ。
「ところで、坊主」
荷車引きが、荷台の隅に積まれた、最後の木箱を指した。
「これは、預かりもんでな。河港の倉庫から、こっちに回してくれって話だ」
木箱の側面に、焼印があった。
昨日の荷車に積まれていた、あの模様だ。そして、俺の目は、倉庫の奥の隅へ、自然に引き寄せられた。
(あれと、同じだ)
木箱が、三つ。読めない文字の焼印。ダグが「預かりもん」と呼んだ、あの木箱だった。
「あの、この焼印は、何の印なんでしょうか」
「ああ、それか」
荷車引きは、木箱の焼印を、指でとんとんと叩いた。
「海の向こうから来た船が、荷に押す印だ。この模様は、遠いの海を渡って来る、商船の印だな。港の倉庫には、こういう荷が、山ほど預けられてる」
「じゃあ、あの隅の木箱も」
「港から来たんだろ。持ち主が、帝都に取りに来るまで、どこかの商会が預かってるんだ。珍しくもねえ」
隣で聞いていたダグが、ぽりぽりと頭をかいた。
「なるほどな。あの預かりもんの正体は、そういうことか。持ち主が取りに来ねえから、ずっと放ってあったが」
「ダグさんも、知らなかったんですか」
「知らねえ。ただ、預かれって言われて、預かってただけだ」
ダグは、悔しそうに舌打ちをした。
倉庫の隅の三つの木箱。
初日に、ダグが言った言葉が、頭に響く。落として割ったら、お前の三年分の給金が吹っ飛ぶ。あの箱は、海を渡って、この倉庫まで来たのだ。
(嵐があって、河を上って、荷車で運ばれて、ここまで)
荷が着いたあとの、受け入れの手続きは、無事に終わった。
受領の書類を持って、帳場へ向かう。オットーさんが、眼鏡の奥から、書類をじろりと見た。
「数は」
「藍の壺が二十、油の壺が十五、縄が三十束。木箱は、一つ割れていましたが、中身は無事です」
「船の濡れ、は」
「ロルフさんが、先に乾かしてくれました」
「よし」
オットーさんは、台帳に一行、書き込んだ。『藍染料二十壺。港経由』。
(あの一行の裏に、今日の話が、全部詰まってる)
数字は、短い。けれど、短い数字ほど、長い道のりを背負っている。そう思った。
荷車引きが帰り支度を始めた時、俺は、改めて、荷の山を見渡した。
一つの壺の染料が、ここに届くまでに、どれだけの人が関わったのか。
染料を作る人。壺に詰める人。船に積む人。船を動かす人。河口で積み替える人。川船を引く人。桟橋で降ろす荷役の人たち。数を数える検査の人。荷車に積む人。荷車を引く人。そして、受け取る俺たち。
指を折って数えて、十本では、足りなかった。
(店に並ぶ商品の後ろには、見えない人が、こんなにいるんだ)
売り場で、客は、棚の染料を、ただの商品として見る。値札を見て、買うか買わないかを決める。その裏にある、桟橋の混乱や、船の遅れや、荷役の汗を、知る人はいない。
(誰も知らない、見えない仕事が、商売を動かしてる)
「アッシュ」
ダグが、俺の肩を叩いた。
「ぼうっとしてんな。荷を運ぶぞ」
「はい!」
荷車引きは、空になった荷台を片付けながら、俺たちに、手を挙げた。
「世話になったな。また、荷を持ってくるぜ」
「ありがとうございました。港の話、勉強になりました」
「ほう。港に興味があるか」
荷車引きは、にやりと笑った。
「だったら、船乗りの連中に、話を聞いてみな。あいつらなら、もっと面白い話をするぜ。海の上の、嵐の話や、遠い国の話をな」
荷車は、軋む音を残して、倉庫を出ていった。
遠ざかる車輪の音を聞きながら、俺は、胸の奥で、何かが小さく動いた気がした。
(船乗り、か)
海の向こうの話を、聞いてみたい。そう思った。




