③ 湖底の切替器
貯水湖へ続く道は、人目につきにくい場所にあった。
表通りから外れた木柵の脇に、人ひとりが通れる隙間がある。その先には、湖面へ向かって緩やかに下る古い作業道が延びていた。
崖ではない。荷車を水辺まで運ぶために作られた、長い坂道だった。
「地元の人間でも、知っている者は少なそうだな」
相棒が湖を見下ろす。
「一家は旅行へ向かう途中、わざわざここへ入ったことになる」
「家族全員で死ぬ場所に選んだのかもしれない」
「また、それか」
「可能性は否定できないもの」
ノラは坂の上から小石を転がした。
石はゆっくりと作業道を下り、途中で草に引っ掛かって止まる。
「魔導車からは、全員の遺体が見つかった。拘束帯は使われていなかった。ご主人は操縦席の近くにいたから、自ら運転して湖へ入ったとされている」
「報告書のとおりだ」
「一年も水に沈み、車体は傾いていた。拘束されていない身体が、落下の衝撃や水流でどれほど動いたか分からない。発見された位置は、生前に座っていた場所と同じなの?」
相棒は答えなかった。
ノラは湖の縁まで進み、水面を覗き込む。
「そして、魔導車の切替器はニュートラルに入っていた」
動力を車輪へ伝えない位置。
推進核が動いていても、切替器がそこにあれば魔導車は加速しない。
「湖へ入る直前に切り替えたのかもしれない」
「そうかもしれない」
「坂を惰性で下り、そのまま沈んだ」
「それもできるね」
「なら、心中でも説明できる」
「外から押しても同じように落ちるけどね」
相棒は黙った。
「ニュートラルだったことは、他殺の証拠じゃない。でも、ご主人が動力を使って湖へ突っ込んだ証拠にもならない」
風が水面を撫で、小さな波を岸へ運んだ。
「使い魔が一緒だった。サンダルが車内にあった。ご主人が操縦席の近くで見つかった。車が湖底に沈んでいた」
ノラは指を折りながら数えていく。
「どれも事実。でも、家族全員が死を覚悟し、自分の意思で車に乗ったことを示す物はない。遺書もない。心中を相談した記録もない。暮らしを畳む準備も見つかっていない」
「他殺の物的証拠もない」
「うん」
「第三者の足跡も、毒物も、争った痕跡もない」
「うん」
相棒は苛立ったように振り返った。
「では、結局どちらなんだ」
「分からない」
即答だった。
「……何?」
「物的証拠がないから」
「お前は昨日から、延々と他殺説を語っていただろう!」
「他殺でも説明できるって話だよ。他殺だと証明した覚えはないけど」
「婚約者まで疑っていた!」
「疑うことと、決めつけることは違うよ」
ノラは不思議そうに首を傾げた。
「物的証拠がないのに、誰かを犯人にするなんて無責任でしょ?」
相棒は両手で顔を覆った。
「お前が言うな」




