プロローグ 待ち時間
「長いー」
「さっきも聞いた」
「だって長いんだもん」
役所の待合室。
私は椅子の背にもたれ、手に持った番号札を眺めた。
数字は変わらない。
当たり前だ。
番号札の数字が勝手に変わったら怖い。
変わるのは、正面の電光掲示板のほうだった。
一つ進んだ。
まだ遠い。
「あと何人?」
「自分で見ろ」
「見たくない」
「じゃあ聞くな」
相棒は隣で腕を組んでいる。
こういうときだけ妙に大人しく待てる男だ。
私は待てない。
「暇」
「待て」
「飽きた」
「待て」
「帰りたい」
「手続き終わってないだろ」
それは困る。
仕方なく座り直した。
三十秒くらい耐えた。
無理だった。
立ち上がる。
「どこ行くんだ」
「散歩」
「役所の中で?」
「探検」
「座ってろ」
聞こえなかったことにした。
待合室の壁沿いには、役所からのお知らせや地域の催し物のポスターが並んでいた。
健康診断。
税金。
道路工事。
地域交流会。
迷子の犬。
犬は少し気になった。
その隣に、小さな展示スペースがあった。
古い庁舎の白黒写真。
新聞記事。
何枚かの資料。
そして、一番上に大きな文字があった。
――あの事件から、まもなく七十年。
足が止まった。
事件?
近づく。
昔、この場所には別の庁舎が建っていたらしい。
今の建物とはまるで違う。
古びた二階建て。
その写真の横に、当時の新聞記事が拡大されていた。
見出しだけでも読めた。
役所で集団毒殺。
「……へえ」
さらに読む。
七十年近く前。
午後、役所を訪れた一人の男が、職員たちに薬を飲ませた。
多数が死亡。
犯人は後に逮捕された。
裁判で死刑判決。
事件は解決した。
そこまで読んだところで、後ろから声がした。
「何してる」
振り返る。
相棒がいた。
「散歩」
「どこまで行く気だ」
「ここまで」
私は展示を指さした。
「ねえ。知ってた?」
「何を」
「ここ、昔、人がいっぱい死んでる」
「言い方」
「毒殺だって」
「暇だからって、なんでそんなもの見つけるんだ」
私だって知らない。
あったから見ただけだ。
相棒も仕方なさそうに展示を見る。
「七十年前か」
「もうすぐね」
「古い事件だな」
「犯人も捕まってる」
「じゃあ終わってるだろ」
「うん」
終わっている。
犯人は捕まった。
裁判も終わった。
死刑判決まで出ている。
私はもう一度、展示を見る。
事件の概要。
犯人の名前。
逮捕。
裁判。
判決。
きれいに並んでいる。
終わった事件。
「――あ」
「今度はなんだ」
私は一枚の説明を指さした。
「この人、どうやって毒を手に入れたんだろ」
相棒が見る。
少し黙った。
「さあな」
「書いてない」
「展示なんだから、全部は書かないだろ」
それもそうか。
私は頷いた。
そのとき。
電子音が鳴った。
待合室の番号が一つ進む。
相棒が掲示板を見る。
「戻るぞ」
「はーい」
私は展示から離れた。
そのときは、本当にそれだけだった。
待ち時間が長くて。
暇で。
たまたま目に入った、昔の事件。
犯人も捕まっている。
裁判も終わっている。
七十年も前の、解決済みの事件。
だから私は、まだ知らなかった。
このあと私たちが、
七十年前の資料を、一枚ずつひっくり返すことになるなんて。




