プロローグ 二本目
薄暗くなり始めた石畳の路地の角で、古びた霊水供給用の魔導機――街の人間が「自販機」と呼ぶ鉄の箱が、ブゥンと低く唸りを上げていた。
ノラは逆さまに持っていた羊皮紙の地図を小脇に挟み、ポケットから真鍮貨を取り出す。投入口へ滑り込ませると、チャリンと乾いた金属音が響き、淡い魔導光のランプがいくつか灯った。
一番端にある、滋養薬を示す琥珀色のガラス瓶の刻印を親指で押し込む。
ガタン、と重い音を立てて商品が落ちてきた。
ノラが屈み込み、金属のフラップを押し上げて、暗い取り出し口へ手を伸ばす。
指先が瓶に触れた瞬間、わずかに眉が動いた。
手の中に、二本の感触がある。
「……あら」
一瞬、二本出てきたのかと思った。
けれど、ノラはすぐにその手を止める。
手のひらに伝わってくる温度が、まるで違っていた。
一本は、氷結呪文の保冷が効いたばかりの、霜が降りそうなほど冷たい瓶。
そしてもう一本は――ずっと外気に晒されていたような、生ぬるい瓶。
ノラは二本の瓶を取り出し口から引き抜いた。
どちらも同じ、手のひらほどの大きさの茶色い遮光瓶だ。ねじ込み式の薄い金属蓋も、刻まれた薬効印も、中に入っている液体の色も、見た目には何の違いもない。
「ねえ」
背後で待っていた相棒を振り返りもせず、ノラがぽつりと呟いた。
「これ、どうして私のものじゃないって分かったと思う?」
「……は? ぬるいからだろ」
相棒が呆れたように鼻を鳴らす。
「片方は今買った冷たいやつで、もう片方は前からそこにあったぬるい忘れ物だ。触りゃ誰だって分かる」
「そう。今なら分かるのよ。……でも、知らなかったら?」
「何をだ」
「毒入りの飲み物が、自販機のそばに置かれていた事件」
ノラは自販機の横にある平らな石垣の上へ、カチャリと音を立てて二本の瓶を並べた。
「買った一本と、最初からあった一本。見た目は同じ」
「だから?」
「昔はさ、当たり付きの自販機なんてのもあったじゃない。からくり仕掛けで数字が揃って二本落ちてきたり、ただの故障で頼んでもいないのに、もう一本ゴロンと出てきたり」
「……その違いに気づかなかったから、三十年前の被害者は死んだって言いたいのか?」
「三十年前、この違いに気づかなかった人が死んだの」
「当たりだと思ったのか?」
「そう書かれているわ」
「違うのか」
「知らない。本人にしか分からないもの」
ノラはぬるい瓶へ指先で触れた。
「誰かが殺すために置いたのか。薬を移し替えた瓶を忘れただけなのか。それすら分からない」
「でも、毒殺事件なんだろ?」
「ええ。警察が、そういう名前をつけたからね」
夕暮れの冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。
ノラは冷たい方の瓶を自分の鞄へ放り込むと、ぬるい瓶を取り上げ、相棒の胸元へ突き出した。
「管理人に届けて」
「おまえが行け」
「私は資料館へ行くの」
「資料館は反対方向だ」
ノラは黙って地図を広げた。
上下が逆だった。




