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【第二部】クロエの美しい思い出の断片  作者: Sakusaku


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第5章 : 君も優しくできるんだね?

 ◆◇◆


 ぱっ……この場所を蝕んでいた闇の中に、オイルランプの灯りがゆっくりと闇を押しのけていった。


 白と黒の髪をツインテールにした少女が……信じられないほど温かい柔らかいクッションの上に座っていた。


 ザー……雨音は相変わらず続いていた。少女は膝を抱えて毛布にくるまり、暖を取っていた……


 突然……ぱっ! カーテンがはためいた。白髪の若い男が狡猾そうな顔で現れた。


「きゃあああ!!!!!!」


 少女……エミリたんは驚いて思いっきり悲鳴を上げた。しかし白髪の若い男はおかしそうに笑った。


「ははは……本当に可愛いな。ほら……これ、作ってきたよ」


「二度とそういうことしないで」


 若い男……奥山五郎は、寒さに凍えている少女に温かい牛乳を優しい笑顔で差し出した。


 彼女は素直に受け取ったが、飲むのをためらっていた。


「心配しなくていいですよ……毒とか危ないものは入れていないから」


 少女が思いっきり眉をひそめた。しかし素直に頷いた。


「甘い……」


「あ、甘すぎた? ごめんよ……牛乳はそのままだと薄いと思って少し加えたんだ」


「下剤じゃないわよね?」


「ははは……そんな冗談が言えるなら安心した」


 なんとなく、彼の言葉を聞くたびに眉をひそめたくなってしまう。


「まだ名前を知らないんだけど」


「ん?……えっ? 私のことを知らないの?……一応、私もそこそこ有名だと思うんだけど」


 少女は軽く首を横に振った。


「まあそうだね……知名度ならあなたの方がずっと上だよ。あれ? 同じくらいかな?」


 少女は首を傾けて牛乳を飲んだ。


「私は遠方からやってきた奇術師、奥山五郎でございます」


 彼は美しくお辞儀をして自己紹介した。それを見た彼女は思わず見惚れそうになった。


「よろしく……」


 彼女は軽く頭を下げた。


「では……あなたのお名前は?」


「あ……私は……」


 少女は名前を言おうとした。しかし……そこで止まってしまった。というのも、今の彼女は自分が「誰の体にいるか」すらわかっていなかったからだ。


 既に見てきた通り……真化魔女はグリモワールを使って、謎の状況で殺害されたエミリたんの亡骸に誰かの魂を「入れ替えた」のだった。


 そして今「この彼女」は、知らないうちにエミリたんの体に入り込んでいた……


 このことを知っているのは真化たちだけだった。「この彼女」は目が覚めたらここにいたというだけだった。


 名前を言わない理由は単純だった。


 彼女は五郎をまったく信用していなかった。


 確かに五郎が助けてくれたのは事実だった……しかし彼女がこの体に来る前には、親切にしてくれた人に何度も裏切られてきた。婚約者さえも彼女を信じなかった。


 優しい性格をしていても、人を信用することにはもう懲り懲りだった。


「まあね……アイドルは本名を隠すものだよね。でも正直に言うと"エミリたん"って名前はあまり好きじゃないな……だから"みずき"って呼んでもいい?」


「はあ?」


 彼女はそもそも「アイドル」という言葉の意味を知らなかった。故郷にはその概念がなかったから、五郎の顔を見て首を傾げるしかなかった。


 五郎は今まで狡猾そうな顔をしていたのに、今は恥ずかしそうな可愛らしい少年のような顔になっていた。


 それを見た彼女は少し吐き気を感じた。しかし不思議そうな顔でごまかした。


 {「舞台用の名前」ということね? それなら素性を明かさず、その名前でいられるわ}


「いいわよ……なんとでも呼んで」


 彼は花が咲くように嬉しそうに微笑んだ。そして肩を揉んであげようと歩み寄り、からかうように言った。


「じゃあ……"愛しのあなた"って呼んでもいい?」


 少女は目を見開いた。すぐに後ろ向きに思いっきり拳を振った。


「馬鹿!」


 しかし……彼の顔を殴るつもりが、そこには油性ペンで五郎の顔を描いたぬいぐるみが置いてあった。


 そして彼はいつの間にか元の椅子に戻って座っていた。


「冗談ですよ……すみません」


 そんなふうに揶揄われた少女はカッとなって、短いけれど心のこもった言葉を返した。


「馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!!!!」


 あ……短くなかった。


「可愛いね」


 彼は一言返しながら、頭の中のバラ色の世界にひとりで浸り始めた。


「もう無理。お風呂入ってくる」


「あ、待って……」


「覗いたら……一生恨むからね」


 彼女は鋭い目で言い切った。五郎は両手を上げて降参した。


 お風呂を終えて休んでいると、最初は「こんな人」に家があることに少し驚いた。話によれば彼は様々な場所で公演するため、世界中に拠点を持っているが、あまり掃除をする時間がないようだった。


「寝てる?」


 一人暮らしが続いていたため、ゲスト用の布団がなかった。だから柔らかいクッションを彼女に貸して、自分は布を敷いた床に寝ることにした。


「いいえ……眠れない」


 彼女は彼の背中を見つめた。暗くても、そこに彼がいることはわかった。


「寒くない?」


「寒いですよ……」


 彼女は二秒考えた。そして毛布を開けた……


「寒いなら……一緒に寝ればいいわよ」


 相手がすぐ振り返った。彼女は二秒前の自分を即座に呪った。


「えっ……それって!!」


「ちょっと! 変なことしたら……絶対に殺すから! それと寝るときは必ず背中向けてること!!」


 五郎はエミリたんが「一緒に寝ていいよ」と言った瞬間から聞いていなかった……そのまま毛布の中に滑り込んで(響きが最悪だが)、少女の背中に寄り添ってぬくぬくした。


「絶対に触れちゃダメよ……わかった? 一緒に寝るのは可哀想だからなんだから」


「はあい……みずきちゃん」


 もう……


 その夜、二人はお互いの温もりを感じた。


 彼女が望まなかったとしても。


 ◆◇◆


 あの日……私は夢を見た。


 いや……夢じゃなかった……


 自分の目で見た光景だった。ただ……その後、一瞬だけ自分の意識がどこかへ引きずり込まれたような感覚があった。


 婚約者を裏切ったと責め立てられていたあの瞬間……ずっと頭が痛かった。


 薬を飲んでも治らないのが不思議だった。


 しかし……ひとつだけはっきり覚えていることがある。誰かが本当の自分の体を「乗っ取った」ということだ。


 その瞬間……誰かに深い海の底へ突き落とされたような感覚だった。


 裸のまま……ただそこで長い間、丸くなっていた。


 自分の運命さえわからないまま。


 それが……


 ある手が現れた……凍えていた私に向かって差し伸べられた手。


 その手が誰のものかわからなかったが……小さくて柔らかそうだった。だから女性の手だと思った。


 迷わずにその手を掴んだ……手を掴んだとき、


 私は……この体の中で目を覚ましてしまっていた。


 しかしその後……気がついた。


 誰かが、私の代わりにあの海へ落ちていったということを。


 ◆◇◆


 翌朝……陽光が目を射し、ゆっくりと江戸の街を包んでいった。


 人々が通りに出始め、少し挨拶を交わして、それぞれの仕事へと向かっていった。


 店を開ける者、親方を探しに行く者、山へ向かう者、旅を続ける者。


「おはようございます、お兄さんお姉さん……よく眠れましたか?」


 雪のように白い髪をポニーテールにまとめ、海色の浴衣を美しくまとった十代の少女が……昨夜自分と妹たちを盗賊から助けてくれた二人を起こしに来た。


 美味しそうな朝食を持ちながら。


「うん……おはよう。朝食と宿を貸してくれてありがとう」


 カエデが目を覚まして少女に微笑んだ。少女も微笑み返した。


「ん……朝か……おはよう」


 シロは眠そうに起き上がった。しかし朝食を見ると目が輝き始めた。


 本来の礼儀なら三人を呼んで一緒に食べるところだったが、眠る前にカエデが断り、部屋に持ってきてほしいとお願いしていたので少女はその通りにした。


「ありがとう……ここの料理、めちゃくちゃ気に入ったよ」


「ふふ……喜んでもらえてよかったです」


 長女の少女……小手川ゆかりはくすりと笑った。二人が自分と妹たちを誘拐から救ってくれたお礼として、家に泊めてくれたのだった。


 彼女は三人の妹と暮らしていた。父と母が同時に病で逝ってしまったため、三人は普通の商売をして暮らしていた。


 長女として三人分の重荷を背負っていたが、それでも幸せだった。


 お互いがいるから、疲れを感じることはなかった。


「いつも朝こんなに早く起きるの?」


「はい……毎朝妹たちに朝食を作らないといけないから、誰よりも早く起きるんです」


「強くて素晴らしいお姉さんだな……すごいよ」


 シロが褒めながら合掌して朝食を食べ始めた。


「ありがとうございます……では、妹たちを起こしてきますね」


「うん……朝食ありがとう、また」


 ゆかりが障子を閉めて妹たちを起こしに行った。カエデは朝食を食べながら、昨日のことをシロと真剣に話し始めた。


 きっとこれが部屋で食べたかった理由だったのだろう。


「ねえシロ……昨日……あなたも盗賊を倒せたわよね」


「僕はあなたを手伝っただけだよ……でも飛び込んでいったのはあなたじゃないか。あ、ここのシラウオ美味しいな」


 彼女は昨日からずっと考えていた。一体どうして自分たちはあんなことができたのかと。


 普通の人間なら、武器を持った数十人を相手にできるはずがない。


「もしかして……私たち二人とも、何かの武術の専門家なのかもしれないわ」


「……かもな。女性であれだけ大勢の男性を倒せる人を見たことがないからな」


 カエデが頷いた。


「戦っているとき……周りがスローになるような感覚があるんだけど」


 シロが椀を見ながら言った。


「自分だけかと思った」


 カエデも同じだった。


「なんというか……戦っているとき、体が勝手に動いている感じがして」


「私も……それに……動き方だけじゃなく……武器の使い方まで」


 キン……金属の音がした。シロが少し目を見開いた。あの邸宅から持ってきた拳銃だった。


「ふむ……それがあなたらしいということかな」


「褒めてくれてありがとう」


「とにかく……僕たちはあそこに戻るべきだと思う……」


「…………」


 カエデは黙り込んだ。あの死体だらけの場所にまた入らなければならないと思うと気が重かったが……もう一晩経てば当局が遺体を運んでいるはずだ。


「……まあいいわ」


「なな!! なな!! ここにいる!?」


 ゆかりの大きな叫び声が聞こえた。二人はすぐに駆けつけた。


「どうした!?」


「お兄さんお姉さん!?」


「なな、いなくなっちゃいました!!」


 あの日、店番をしていたため盗賊に連れ去られなかった末の妹がいなくなっていた。


「いなくなったって……」


「どこに行ったかわかる?」


「わかりません! 妹を探しても見つからなくて……ななは絶対に誘拐されたんだ! 私が……ちゃんと見ていなかったから……」


「落ち着いて! もし妹さんが本当に誘拐されたなら、私たちはもう気づいていたはずよ」


 カエデがゆかりの頬を軽く叩いて正気を取り戻させた。彼女はゆっくりと息を吸い込み、落ち着いていった。


「どこへ行くか……心当たりはない?」


「……わかりません……」


 三姉妹は頭を抱えた。末の妹がいなくなってしまった。


 シロとカエデはなんとか三人を元気づけようと優しく話しかけた。


「自分から出ていった可能性はある? 友達のところに行くとか」


「なな、暗いのがすごく怖いんです……一人で外に出ることは絶対ないはずで……」


 真ん中の妹が何かを思い出したように言った。


「何かあるの? まなちゃん」


「噂……」


「「噂?」」


 シロとカエデが首を傾けた。まなちゃんは今この時期に広まっている噂を話してくれた。


 廃病院で人を殺し続ける赤ちゃんの霊がいるという噂だった。


 シロとカエデは頷いて即座に家を出た。


「ゆかりちゃん、聞いて。村のみんなに声をかける必要がある……三人は近所に呼びかけて」


「は……はい!」


 二人はすぐに家を飛び出した。動きやすい服を着ていたおかげで素早く出られた。


 二人が向かったのは……その呪われた廃病院だった。


 ◆◇◆


「どこへ行くの?」


「移動しないといけないね」


 朝早くから五郎は荷物をまとめていた。エミリたんに新しい服を持ってきた。


「そう……」


 彼女は部屋から出てきた。五郎が持ってきた新しい浴衣を着て、くるりと一回転した。


「…………」


「何? 似合わなかったら正直に言って」


「違うよ……すごく可愛い」


 可愛い……彼はもう何百回もその言葉を言っている気がした。


「……そう?」


 でも彼女はとくに嫌だとは思わなかった……


「行こう……」


 二人は宿から出た。ゆっくりと、どんどん廃れていく街を歩いていった。



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