#4 悪魔的事件
やや屈辱的な表情を浮かべながら宙を漂う悪魔と、それを引き連れて歩くデルフィーノ中尉は、ある場所に向かっていた。
「おい、どこに行く。食堂ではないのか? もう妾は腹が減って死にそうじゃぞ」
「悪魔のくせに、多少の食事を抜いたくらいで死ぬわけないだろう。それに、仕事を終えたばかりだというのに、わざわざあんな味気ないところに行くものか。いいからついてこい」
ある士官からチョコレートをもらい、辛うじて宙に浮く力を取り戻したカトリーヌを連れて、デルフィーノ中尉は司令部の外、宇宙港を囲むこの街を歩く。目の前には、大きな四角い建物がそびえ立つ。
「なあ、まさか、あの宮殿のような建物に向かっておるのか?」
「宮殿? ああ、あれのことか。あれは宮殿ではない」
「あれほど大きな建物が、宮殿ではないとは……」
「あれはショッピングモールと呼んでいる建物だ」
「しょ……しょっぴんぐ、もーる?なんじゃそれは?」
「行けばわかる」
怪訝な顔の悪魔に、この冷徹な軍人は最小限の会話で済ませる。いちいちこの悪魔に、説明のための労力を使うつもりはないらしい。そんな2人……いや、1人と1匹というべきか、この人にあらざる存在を引き連れたこの奇妙な軍人を、周囲の人々は注視する。
ショッピングモールは、外には窓がほとんどない。まるで巨大な格納庫のような風貌だが、中に入るとその印象は一変する。
入り口付近には、大きな吹き抜け。そして地上4階まで貫かれた円形のその空間のど真ん中には、螺旋状に灯りが配された大きなシャンデリア。
こちらの星の人々から見れば、それはまさに宮殿そのものの光景。さらにその向こうには、さまざまな店が並ぶ。
「な……なんじゃここは!?」
「まあ要するに、市場のようなところだ。さ、行くぞ」
「い、行くぞと言われても、どこに行くのじゃ!?」
「決まっている。夕食を食べる店だ」
シャンデリアの真下を通り、その奥に向かう悪魔と軍人のペア。吹き抜けの脇にあるエスカレーターに乗ると、そのまま一気に4階まで上がる。
すでに日は暮れたというのに、まるで昼間のように明るい宮殿のようなショッピングモールの中で、カトリーヌはまだ状況を飲み込めていない。飛ぶのを止め、デルフィーノ中尉の腕にしがみついたまま、辺りをキョロキョロと見回す。
どちらかと言えば、周りの人々にとってはこの悪魔の容姿の方が異様だ。炭のように黒い身体に、水牛のような角、黒いマウスポインターのような尻尾を持つ人型の生き物。宇宙では、そちらの方が異様だ。だが300年もの眠りから覚めたばかりのこの悪魔にとっては、その300年以上の文明の落差を見せつけられて、返す言葉が見つからない。
デルフィーノ中尉は、そのまま奥の通路へと歩みを進める。人々の注目を浴びつつたどり着いたのは、ある小さな店だ。
「な……なんじゃ、ここは……?」
「俺の行きつけの店だ。さ、行こうか」
出迎えたのは、牛の頭。いきなり入り口に、牛の頭部の剥製が壁にかけられている。
カトリーヌがその頭にたじろいだ直後、今度は奥のカウンターの向こうで上がる火の手に驚く。そこにいたのは、腕っぷしの良い男。刃物のようなものを持ち、炎の前に立ったまま、何かを捌いている。
「な、なんじゃここは……まさか、地獄の入り口か!?」
悪魔が恐れ慄くほどのその光景だが、デルフィーノ中尉は気にすることもなく、奥のカウンターの前へと進む。慌てて中尉の後を追うカトリーヌ。
「おう、司令部のエリートさんじゃねえか。今日も、いつものやつかい?」
「ああ。だが今日は、2人前だ」
「誰か、お連れさんでもいるのか……ああ、そこのお嬢ちゃん……いや、お坊ちゃんか?」
「どちらかといえば、お嬢ちゃんの方らしい」
「なあ、エリートさんよ。そのお嬢ちゃんだが、ぱっと見にはとても人には見えないのだが、そいつは一体……」
「いろいろと聞きたいのは分かる。が、まずは食事だ。いつものを、2つだ」
「へい! サーロインステーキの溶岩焼き300を2つ!」
その異様な風貌の中尉の連れに一瞬、戸惑う店主。だがこの中尉のオーダーを受けて、調理に戻る。
冷蔵庫から、大きな肉の塊を取り出し、それを大きな包丁でスパッと切る。その肉の上から何やら調味料をかける。そして目の前にある真っ黒な岩のようなプレートの上に、脂のようなものを塗ると、プレートがジューっと音を立てる。
「な、なぁ、あれは何をしているのだ?」
で、悪魔は悪魔で、あのおっかない店主の所業が気になるらしい。恐る恐るカウンターの奥を覗き込みながら尋ねるカトリーヌ。
「ステーキを焼いているところだ」
「す、すてーき?」
「なんだ、ステーキというものを知らないのか?」
「いや、知らぬ。なんじゃそれは?」
「見ての通り、分厚い肉料理だ」
そう言いながら、中尉はカウンターの向こうにある大きなプレートの上の肉を指差す。よく見るとそのプレートは、ぷつぷつと穴が空いている。表面からは香ばしい香りが漂う。店主は2枚の分厚い肉を、そのプレートの上に並べている。
ジューッと勢いよく焼ける肉、しばらくそれを焼いた後に、店主は後ろの棚から何かの入った瓶を取り出し、それを少し肉の上からかける。すると一瞬、プレート一面に青白い炎が上がる。
「なんじゃこの店主は。ま、まさかこやつ、魔族の技を心得ておるのか」
その炎に驚き、思わず叫ぶ悪魔カトリーヌ。悪魔からその技を認められた店主ではあるが、残念ながらそれは魔法でも何でもない。熱く熱した溶岩プレートの上にアルコール度数の高いラム酒を少量、ふりかけただけだ。それがプレートの熱で発火し、炎をあげる。ラム酒独特の甘い香りが一瞬、あたりに漂う。
「へい、お待ち!」
それを熱した小さな溶岩プレートの上に置き、さっと2人の前に差し出す。そしてその脇にはコーンとオニオンを添え、さらに別の容器に入れたサラダを置く。
「うわぁ、な、なんという香ばしい匂いじゃ……」
それが絶品の肉料理だということを、悪魔ながらも分かるようだ。早速、不器用な手つきでその肉にナイフを刺し、切り刻み始める。
大きいながらも、柔らかい肉だ。内側にやや赤みを残したそのステーキ肉を一口サイズに切ると、真っ黒な頬の合間にある口の中に放り込まれた。
「んん〜っ!」
まさに、悪魔的美味さだ。ロボットアームが作る司令部の食堂の食べ物など、人の手間と専用の特殊な道具によって整えられた焼き加減の肉を前に、敵うはずもない。尻尾の先をプルプル震わせながら、悪魔カトリーヌはその重圧な肉を一口づつ頬張る。
それを横目で見ながら、デルフィーノ中尉も自身の前に置かれた肉を切り始め、口に含む。
「……てことはこのお嬢さん、悪魔ってことなのか?」
「ああ、そうだ」
「それで、エリートさんに憑いてしまった、と」
「昨晩からこの通りだ。仕方がないから、餌付けすることにした」
「な、なるほどねぇ。しかし、悪魔に取り憑かれるなんてなぁ。いやあ、軍人てのも大変なんだなぁ」
肉をガツガツと頬張るその悪魔を眺めながら、腕を組んでうなづく店主。で、当の悪魔はといえば、未だかつて食べたことのないそのステーキ肉に夢中だ。
「お、お嬢ちゃん、美味しいかい?」
「うむ、美味いぞ!」
悪魔にしては少々、素直すぎる。帝都最恐の悪魔からのお褒めの言葉を聞き、思わず笑みを浮かべる店主。
一見異様ながら、無邪気な悪魔による食事は、ようやくサラダのみを残すだけとなった。
「おい、悪魔」
「なんじゃ」
「ひとつ、尋ねてもいいか」
「うむ、今日の食事に免じて、何なりと質問してよいぞ」
「お前はおそらく、最初から悪魔だったわけではないだろう」
この中尉の一言に、レタスを口に運ぶ手を止めるカトリーヌ。
「……な、なぜ、そう思うのじゃ?」
「今日、お前自身がそう言っていただろう。それにお前には、角と尻尾があるが、普通の悪魔にあるはずの背中の羽根がない。悪魔と呼ぶにはやや、中途半端な姿だ。だからもしかして、根っからの悪魔ではないのではと思ってな」
フォークに刺したレタスを眺めながら、少し考え込むカトリーヌ。そして、呟くように応える。
「……まあ、察しの通り、妾も元は人間じゃ。まあ、いろいろとあってな」
そして再びサラダを頬張り始める。それ以上は、この悪魔は応えなかった。
「おい、店主。大変美味であったぞ。帝都を滅ぼした暁には、妾の専属料理人にしてやろう」
「おう、期待してるぜ、嬢ちゃん」
この店主、どこまでこの悪魔の言葉を本気で受け止めているのやら。ともかく、にこやかに手を振る悪魔に、このステーキ店の店主は手を振って返す。
「はぁ〜っ、美味い食事であった。なんじゃ、そなたいつも、あのようなものを食べているのか?」
「いや、週に一度だけだ」
「週に一度とは……それが、今宵であったというのか?」
「そうだ。今日は金曜日。明日は休日だからな」
「なんじゃ、明日も仕事ではないのか?」
「非常時でない限り、我々は週休2日とることになっている」
「そ、そうなのか……で、休みの日は何をするんじゃ?」
「そうだなぁ……悪魔も取り憑いてしまったことだし、どうしたものか」
暗い夜道を歩く中尉に、ふわふわとついて回る悪魔カトリーヌ。時折すれ違う人々の注目を浴びながら、宿舎への道を急ぐ。
「……な、なんじゃここは!?」
そして、宿舎に到着する。その宿舎を見て、驚く悪魔。そんな悪魔など気にすることなく、エレベーターへと進む中尉。
そこにあるのは、地上20階建、高さ80メートル近い高層のアパート。窓がずらりと並ぶその異様な建物を前に、悪魔すら驚愕する。
「おい、乗らないのか?」
「ま、待て! 置いていくでない!」
そういえばこの悪魔を置いたままエレベーターを動かせば、いったいどういうことになるのか? 少し興味がある中尉だが、慌てて駆け込むカトリーヌを待つことにする。カトリーヌが飛び込むと同時に、エレベーターの扉を閉める。
ぐんぐんと上昇するエレベーターの窓を、不安げな様子で見つめるカトリーヌ。途中、2人の下士官が乗り込み、この異様な悪魔を見て怪訝な表情を浮かべた。が、その2人も途中の階で降り、再び2人だけとなる。
「な、なあ、いつまでこのエレベーターとやらに乗るつもりじゃ……」
「もうすぐだ。もうすぐ、最上階に着く」
そして、エレベーターの表示が20階を表示する。ようやく開いた扉の外に、不安げな表情を浮かべていたこの悪魔は一気に飛び出す。
そこには、通路が横に伸びていた。その通路上には、等間隔に扉が並んでいる。その通路を少し歩き、ある扉の前で止まる。カード型のキーを扉のセンサー部に当てると、カチャッとロックが解除される音が響く。そしてノブを回し、扉を開いた。
中は、こじんまりとした部屋が見える。中尉は壁際のスイッチを入れて明かりをつけ、玄関から中に上がり込む。その後ろをふわふわとついてくるカトリーヌ。
玄関のそばには、こじんまりとした部屋に、小さな台所、冷蔵庫やレンジなどの家電、そしてテーブル。そのさらに奥に、扉が見える。デルフィーノ中尉は、持っていたカバンをテーブルの脇に置くと、そのまま奥の部屋へと進む。
「お、おい、ちょっと待て、ここがそなたの住処だというのか?」
つられて奥の部屋へと進んだカトリーヌだが、そこで彼女は窓の外の風景を見て、ハッとする。
そこは地上約80メートル。窓の外には、すでに日の沈んだ帝都が一望できる。
帝都では電化が進み、主な通り沿いには街灯が取り付けられ、それがこの高い場所からはまるで光の河のように見える。その通りの脇には、窓灯りが灯る建物がいくつか存在する。
星空のような地上の風景を目の当たりにした悪魔は、しばし言葉を失う。
「……な、何という光。あそこはもしや、天国ではあるまいな……?」
「んなわけないだろう。あれは帝都だ」
「て、帝都? 帝都を上から見下ろすと、星空のように見えるんか」
「急速に照明が普及しているからな。以前はもっと暗かったぞ」
たかが夜景に大袈裟な感想を述べるカトリーヌだが、デルフィーノ中尉はさして気にする様子もなく、淡々と着替えている。
「おい、何をしている?」
「何をって、寝るんだよ」
「はぁ!?」
「はぁ、じゃない。こっちは悪魔に取り憑かれて、昨晩はほとんど寝ていないんだ。今夜こそ、ぐっすりと寝たい」
と言うと中尉はベッドに潜り、明かりを消す。真っ暗闇の中に浮かぶカトリーヌ。
悪魔であるから、寝る必要などない。ましてや見たこともない夜景を目の前にして、興奮しているから余計眠れない。
そこでふわふわと浮かびながら、窓の外を眺める。初めは興奮したこの光景も、動きもなくただキラキラと光っているだけに、さすがに飽きてくる。それ以上に、その感動を共有できる相手がいない。つまらなさそうに浮かぶカトリーヌに、突然、声がかかる。
「おい、眠れないのか?」
もう寝てしまったのかと思いきや、上を見上げて話しかけてくるデルフィーノ中尉に、カトリーヌは応える。
「なんじゃ、まだ起きておったのか。いや、妾は悪魔ゆえ、寝る必要などないのじゃ」
「そうか。それじゃあ一晩、ただ浮かんでいるばかりなのか?」
「それはどうかな? そなたの寝込みを襲うかもしれぬぞ。眠らなければ生きられぬ脆弱な人間が、妾に敵うと思うてか」
「いや、そんなことはしないだろう」
「な、なぜそう思うのじゃ?」
「簡単だ。お前自身が言ったじゃないか。宿主が死ねば、根なし悪魔となって漂うと。だから、司令部の風呂場で怪しげな術を仕掛けた時も、俺にだけはかからなかった。そうだろう?」
「ううっ……」
いきなり図星を突かれ、身体を小刻みに震わせる悪魔。中尉は、そんな悪魔に手招きする。
「……なんじゃ、手招きなどしおってからに」
「いや、こっちに来いと言っている」
「はぁ?」
「寂しく宙に浮いているばかりでは、つまらないだろう。いいから来い」
それを聞いたこの悪魔は、恐る恐るデルフィーノ中尉のところに降りていく。するとデルフィーノ中尉は、降りてきたカトリーヌを抱きしめ、布団の中に引き込む。
「な……そなた、何を……」
「黙って寝ろ。ベッドが狭いんだ。こうするしかないのだから……」
「お、おい!」
だが、すぐに中尉は寝てしまう。小柄なこの悪魔を抱き枕のように抱きしめたまま、スースーと寝息を立てる。
「く、くそっ、しがみつかれては、動けぬでは……」
興奮のあまり、プルプルと身体を震わせるカトリーヌだが、その布団と人肌の心地よい温もりを感じつつ、いつのまにか寝てしまう。
実に300年ぶりに、目覚めて以来の睡眠だ。
そして、その翌朝。
「おい! 起きるのじゃ!」
窓の外はすっかり明るくなり、興奮気味の悪魔が布団の上をバンバン叩きながら叫んでいる。
「おい、今日は休みなんだから、もう少しゆっくり寝かせてくれ」
「何をいうのじゃ。日が昇ったら起きるのは当たり前であろう。それよりも、さっきからあそこでゴソゴソ動いとるやつの、あれはなんじゃ?」
カトリーヌは興奮気味に、台所を指差す。目をやるとそこには、朝食を作っているロボットアームがあった。
「ああ、あれか。司令部の食堂にも似たようなものがあっただろう。あれは、ロボットアームで……」
「そんなことは分かっとる。そいつが作っとる、あれはなんじゃと聞いておる!」
「ああ、あれはベーコンエッグに食パン……おっと、しまった」
「なんじゃ? どうかしたのか?」
「そういえばもう一人分、セットするのを忘れていた」
ようやく起き出したデルフィーノ中尉が台所にたどり着く頃には、すでに一人分の朝食が作られていた。仕方なく中尉は、もう一人分の食事をセットする。再び稼働するロボットアーム。
その横で、出来上がった目玉焼きを見て興奮する悪魔がいる。尻尾をぴょんぴょんさせながら、ジーッと目玉焼きの黄身の部分を興味津々に睨んでいる。
「……それ、食うか?」
「食っても良いのか!?」
「もうちょっとすれば、俺の分もできる。先に食え」
そう言い終わるか終わらないうちに、皿を奪ってテーブルにおいてフォークを向ける悪魔。その漆黒の顔面から溢れる笑顔、およそ悪魔の見せる表情ではない。こうなるともはや、悪魔というより愛玩動物だ。いや、すでにデルフィーノ中尉は、このカトリーヌという悪魔をそういう扱いで接している節がある。
「ん〜んまい〜」
にしてもこの悪魔、目の前の快楽には真っ直ぐに飛びつく。まったく、悪魔としての誇りはないのだろうか……いや、そういう信念めいたものがある悪魔よりは、ここまで自分の欲求に正直な方が、取り憑かれた側としては御し易い。だからデルフィーノ中尉は敢えて、何も言わず人のあらゆる快楽をこの悪魔に押し付け続ける。
「しかし、何という贅沢な朝食じゃ……人というものは、もはやこれほどまでに堕落した生活を送るようになってしまったというのか?」
自身の堕落ぶりを棚に置いて、説教を始める。だが、デルフィーノ中尉は涼しい顔で答える。
「そのロボットアームにせよ、目玉焼きに使う卵にせよ、それらを安定的に我々の元に届けられるようにするために、どれほどの知恵と時間と労力が費やされたか。そして、その努力のおかげでどれほどの人々が救われ、さらに文明を発展させることにつながったか。悪魔のお前には、想像もつくまい」
「う……」
ここまで正論で返されると、さすがの悪魔も返す言葉がない。
例え300年前の悪魔でも、目玉焼きに使われた卵の貴重さ、そしてあのロボットアームの仕掛けの巧妙さは嫌でも理解できる。当然、そこにかけられた知恵と労力の膨大さも、肌で理解している。悪魔カトリーヌも、それほど馬鹿ではない。
「そんなことよりだ。今日は帝都に行こうと思っている。お前はどうする?」
「帝都? そんなところに行って、どうするんじゃ」
「さすがに、この宇宙港の街ばかりでは飽きた。たまには違う場所も見てみたい。ただ、それだけだ」
「いや、そなた、妾が帝都ではどのような存在であるかを心得ておるのか?かつてこの帝都を、恐怖と混乱に陥れた大悪魔であるぞ」
「今は、目玉焼きに目が無いペットみたいなものだ。それに、お前を見て悪魔だと気づくやつはいないだろう。問題ない」
まるで相手になどしないこの軍人に、さすがの悪魔も返す言葉がない。
「では行くか。いざ、帝都へ」
スヴェラン帝国の帝都モンテ・リマールは、人口70万人の都市。つい最近までは、戦場では騎兵による突撃が尊ばれ、剣士と銃士が戦いの主導権を争うほどの近世初期の文化レベルをもった国の首都。しかし今では、上空に大小様々な宇宙船が飛び交うのが当たり前の光景となりつつある場所である。
カトリーヌが封印されていた300年の間に、この帝都も大きく様変わりしている。
元々このスヴェラン帝国は周辺の王国としばしば紛争を起こしていたが、ちょうどその300年ほど前には、帝国内で発明された新兵器、鉄砲によって周辺国を圧倒し、ついには大陸で唯一の国家となる。そしてこの強大な国家はこの300年もの間、太平の世を謳歌していた。
だが、狭い海峡を隔てた隣国であるオットマルク帝国の侵略の危機に接し、再び戦乱の世へと様変わりしようというその最中に、宇宙から地球035の遠征艦隊が現れ、この2つの国家の武力衝突を食い止めることとなる。
そして今、スヴェラン帝国は宇宙進出時代を迎え、再び気鋭に満ちた時を迎えたところである。
「……で、そなたらはその、宇宙とやらから参ったというのか?」
「そうだ。ここから170光年離れた地球035という星から、俺はつい1年ほど前にやってきたばかりだ。」
「ふうん、左様か。そこでは皆、目玉焼きを毎日食べておるのか?」
「いや、目玉焼き以外のものを食べている連中の方が多いのではないか。我々にはそれほどまでに、食の選択肢が多い」
「そうなのか? 妾が見たあのポテトやステーキ、それに目玉焼き以外にもまだ食べるものがあると申すか」
「当たり前だ。あの程度で我々の食文化を理解したつもりになってもらっては困る」
石畳の道路の上を歩くデルフィーノ中尉に、その側をふわふわと浮かびながらついてゆくカトリーヌ。その光景は確かに異様だが、誰もカトリーヌを大悪魔だとは認識している様子はない。
「なんじゃ。妾のことを知る者がほとんどおらぬとは」
それを見て、逆に憤慨し始める悪魔。
「なんだ、そんなに悪魔であることに、誇りを持っているというのか」
「当たり前じゃ! 300年前にあれほど猛威を振るったというに、先ほどの老人の言葉など、まるで他人事ではないか!」
「そりゃあ300年前も昔では、例え未曾有の悲劇も風化していて当たり前だろう。歴史とは、そんなものだ」
歴史の影にすっかり埋もれてしまった悪魔カトリーヌは、その事実に憤慨している。だが、デルフィーノ中尉はこの悪魔のことを調べ、その事実を把握している。
300年前に、確かに悪魔が現れ、疫病や天災を引き起こしたというのは事実として残されていた。だがそれは、カトリーヌがいうほどの大規模なものではない。当時の文献によれば、その頃まだ20万人にも満たない都市だった帝都モンテ・リマールの片隅に災悪をもたらしたのみで、帝都全体としては平穏だったという。
もっとも、野放しにすればいずれ帝都全体に災難が及ぶとして、帝都正教の司祭が一計を案じてこの悪魔を封印することに成功したというのは間違いない。300年経った今では、その司祭の名は帝都を救った英雄として語り継がれたものの、肝心の悪魔の方は多くの人々からは忘れ去られてしまった。その事実を、デルフィーノ中尉はすでに調べ上げていた。
このことを、本人に話すべきか否か……まあ、話したところで何か得られるわけではない。事実を告げたところで、この悪魔が臍を曲げるか、その事実を認めないかのどちらかであり、そうなったところで中尉にとって何かメリットがあるわけでもない。だからこの軍人は、その事実を特にこの悪魔に話すことはしていない。
帝都の通りをしばらく歩くと、屋台が見えてきた。そこは帝都の中央広場で、たくさんの簡易の店が賑わっている。
売られているものを見ると、アイスクリームにチュロス、ホットドックなど、宇宙からもたらされた食べ物ばかりだ。この1年余りの間に、帝都の中にも彼らの食文化が深く入り込んでいた。
「おい、あんな食べ物、見たことがないぞ!あれはこの帝都のものか!?」
「いや、あれはアイスクリームと言って、我々の持ち込んだ食べ物だな」
「あ、あいすくりーむ??」
「まあ、食えば分かる」
こうしてこの悪魔はデルフィーノ中尉にそそのかされて、初めて「スイーツ」を口にすることとなる。その結果、さらなる堕落への道を歩むこととなったのは、敢えていうまでもない。
「んん〜っ!」
この悪魔が嬉々とした雄叫びをあげるごとに、悪魔のさらなる堕落が進む。いや、悪魔という存在そのものは元々、堕落の象徴であるから、悪魔が堕落というのはいささか不可解な表現かもしれない。が、事実この悪魔は、ますます人の欲に染まることとなる。
「いやぁ、何という甘美な味じゃ。あのようなものを、妾は口にしたことはないな」
「そりゃあ300年前でなくても、最近の帝国でもあれほど甘い食べ物は贅沢品扱いだったからな。お前が口にしているはずがない」
「むーっ、うるさいやつじゃのう。せっかくアイスとやらに感動しているところじゃというのに、いちいち横槍を入れるでない」
せっかく甘味という存在に喜びを覚えたばかりだというのに、水を差すこの冷徹な軍人に、カトリーヌはムッとする。
その中尉の頭上をふわふわと浮かびながら、害された気分を愚痴に変えて晴らそうとしている。
だが、概ねこの帝都は平穏静寂である。そう、この瞬間までは。
と、突然、デルフィーノ中尉がカトリーヌの腕を掴む。そして勢いよく彼女の腕を引っ張り始める。
「おい、何を……」
だが中尉は何も言わずに、ものすごい力で彼女の腕を引いて抱き寄せ、両腕で頭を抱える。なぜ急にデルフィーノ中尉が、こんな街中で抱きついてきたのか? 理解できないまま、カトリーヌはデルフィーノ中尉もろとも地面に叩きつけられる。
と、その直後のことだった。
猛烈な風と爆発音、そして粉塵が、2人に襲いかかる。ドーンという音の直後に、バリバリと何かが引き裂かれるような音がして、2人の上に何かが覆い被さる。
そして中尉たちの辺りは、真っ暗に変わった。




