#3 悪魔的前兆
「さて、困ったな……」
机の上の書類を整理しながら、デルフィーノ中尉は呟く。それを聞いたカトリーヌは、すぐさま反応する。
「なんじゃ、いよいよ契約か」
「どうしてこの流れで、いきなり契約の話がでてくるんだ」
「なんじゃ、妾の力にすがりたい状況になったのではないのか?」
「そんなことはない。今日の業務は、滞りなく終わった。」
「それのどこが困ったのじゃ?」
「いや、帰宅する前に、寄ろうとと思っているところがあるのだが」
「なんじゃ! もしや食堂か?」
「……食事はその後だ。その前に、ここの浴場に行こうと思っているんだ」
「浴場? なんじゃそれは?」
「つまり、風呂場だ」
「は? 風呂場?」
風呂場と聞いて、急に表情が曇る悪魔。そんな悪魔をよそに、テキパキと机上の端末を片付けながら、帰り支度をするこの士官。
「ななななんで風呂などに行くのじゃ!」
「宿舎の部屋にも風呂場はあるんだが、ここには駆逐艦式の自動洗浄ロボットが備えられてて、楽に身体を洗えるんだ。だからいつも帰り際に、ここの風呂場を利用している」
「いや、そうではなくてだな! まさか、妾にもその風呂場に来いと申すか!?」
「来なくて済むのなら、その方がいいんだが。」
「そういうわけには行くまい! そなたが風呂場に行けば、ついて行かざるを得ないんじゃ!」
「やはりな……ならば、仕方がない」
と言いながら、ズカズカと司令部の通路を歩くデルフィーノ中尉。その後ろをふわふわと、まるで風船のようについてくる悪魔。
で、辿り着いた先は、男性風呂の脱衣所だった。
「おい! なんだここは?」
「脱衣所だ」
「だ……だついじょ?」
「風呂場の前にある、服を脱ぐ場所だ」
「まさかそなた、本当に風呂に入るのか!」
「当たり前だ。さっきそう言ったじゃないか」
「いやいや、妾というものがそばにいながら、男どもの風呂に共に入れと申すか」
「入らないわけにはいかない以上、こうするしかないだろう」
「そ、それなら、妾はどうすれば……」
「共に入るか、外で待つか、どちらかしかないな」
「馬鹿か! 外で待てるわけがないじゃろう!」
「ならば、仕方がないな」
そう言いながら、デルフィーノ中尉は軍服を脱ぎ始める。
「おい! お、お前、本当に入るのか!?」
「グズグズ言ってないで、お前も脱げ」
「はぁ〜っ!? さ、最恐の悪魔に向かって、服を脱げと申すか!」
「お前……自分では気づいていないようだが」
「な、なんじゃ!」
「さっきからずっと感じているのだが、お前、結構臭いぞ」
それはそうだ、300年もの間、土壁の奥に封印されていた悪魔だけに、少なくとも300年は風呂に入っていない。常識的に考えれば、臭いのは当然だ。
「ななななんてことを言い出すんじゃ!」
「大丈夫だ。俺はお前のことをどうとは思わぬ。さっさと脱げ」
相手が悪魔だけに、人間に対しては適用されるはずの法やモラルは、残念ながら通用しない。しかもこの悪魔、何故かこの中尉の言には逆らえないようで、身に付けていた真っ黒な衣装をいそいそと脱ぎ、奥の扉に向かう。
「く……屈辱じゃ……何ゆえ妾はこんな姿で、しかも男どもの前に……」
だが幸いなことに、今、この脱衣所と風呂場には、他の男はいない。この消し炭のように黒い悪魔を伴って、浴場の奥へと進む。
向かう先には、シャワーが2つ見える。その一方の前に中尉が立つと、必死に胸の辺りを隠しながらついてくるカトリーヌに向かって、こう言い放つ。
「このシャワーの前で、こうやって腕を広げて立つんだ」
「はぁ!?」
ただでさえ、羞恥と屈辱に苛まれているこの悪魔は、その無慈悲な一言に激怒する。
「な、なんてこというんじゃぁ! そんなこと、できるわけなかろう!」
「でないと、身体の隅々まで洗えないぞ。で、準備ができたら、足元のボタンを踏むんだ」
「誰がそんなことするか! 妾を一体、誰だと……ぶはっ!」
抗議し続ける悪魔に、淡々と返すこの軍人。あまりに強引で、無神経な対応に怒り狂う悪魔の足は、その床から生えるボタンに触れる。
すると、壁から2本の腕が飛び出す。その2本の腕はカトリーヌの黒い身体を捉えると、即座にその表面を擦り始める。
「ふわああああっ!」
「おい、口を開くな。黙って腕を開き、突っ立っているんだ」
いきなり飛び出したロボットアームに、なすすべもなく洗浄される悪魔だが、そんな悪魔のことなどまるで気にせず、すぐ横で同じようにロボットアームに身体と頭を同時に洗ってもらっている。
「うぎゃ!」
最後に、上からシャワーがかけられ、一気に身体中の泡を洗い流す。いきなり降りかかったお湯に驚く悪魔。先に洗い終えたデルフィーノ中尉は、湯船へと向かう。
この洗浄システムは元々、水が貴重な宇宙船用に作られた仕組みだ。大量に水を消費されないように、全てロボットが身体を洗う。だから地上ではこの仕組みは必須ではないのだが、駆逐艦勤務でこのシステムに慣れた司令部の人々は、手っ取り早く身体を洗えるこの仕組みを好んで使う。
だが、300年もの眠りから覚めたばかりの悪魔には、少々刺激が強すぎたようだ。ただでさえ男風呂に連れ込まれた上に、この恥辱的なシステムに放り込まれ、風呂の中でプルプルと尻尾と身体を震わせている。
「くそっ……何としてもこやつに契約させて、絶対に魂を奪い、帝都ごとこのふざけた風呂場を葬ってやる……」
心の声がダダ漏れで、これを聞いたデルフィーノ中尉が、この悪魔との契約に応じるわけがないことは明白だ。だが、そんな悪魔に構うわけでもなく、黙って風呂に浸かる中尉。
が、事態は急変する。
突然、風呂場の引き戸が開き、2人の男が入ってきた。ただでさえデルフィーノ中尉がいるというのに、さらに2人も入ってくる。悪魔カトリーヌに、動揺が走る。
「お、おい、別の男が入ってきたぞ……」
「そりゃあ、ここは司令部内の公共浴場だからな。他の士官が来てもおかしくはない」
焦る悪魔に、まるで気にも留めない中尉。そうこうしているうちに、あのシステムでさっと身体を洗い終えた2人が、湯船にやってくる。
「げっ! ちゅ、中尉殿、こちらは……?」
湯面から頭と尻尾の先だけを出した悪魔を見つけた2人の男のうちの1人が、デルフィーノ中尉に尋ねる。
「ああ、こいつか。気にするな。ただの悪魔だ」
そう言われても、性別上は自分達とは対極にあるはずのこの悪魔を見て、気にならないわけがない。遠慮気味に湯船へと入る2人の男達。
「ところで、貴官らがここにきたということは、やはりあの件で動いていたということか?」
「あ、はい、そうです。今日は帝都内の廃屋を何件か調べておりました。その調査結果を報告したところです」
「で、何か見つかったのか?」
「いえ、何も。どのみち、我々はこの手のことは専門ではありません。ですから、なかなか証拠が掴めなくて……」
「昨日のあの一件だけだからな、ようやく我々が掴めたのは」
「はい、その通りです。ですから、軍令部を通じて、本星にこの手の捜査専門の人員の派遣要請を行っていただきたいのですが……」
「当然、要請している。が、その手の連中は、こんな辺境の星に来たがらないらしい。人選に苦慮していると司令本部の者から聞いた」
「そうですか……じゃあしばらくは、我々だけでやるしかないですね……」
それを聞いていたカトリーヌは、この不可解な会話のことを尋ねる。
「おい、そなたら、さっきから何を話しておるのじゃ?」
「ああ、テロリストの捜索のことだ」
「て、てろりすと? なんじゃそれは」
「この帝都には、我々の存在を快く思わない連中がいる。そういうのが少なからずいて、我々を排除するために帝都を混乱させるべく蠢動している。だから我々はその連中を取り押さえるべく動いている」
それを聞いたカトリーヌは、急に不敵な笑みを浮かべる。
「なんじゃ、妾の力など大したことはないと豪語しておったわりに、人間如きに振り回されるなど笑止! そなたらも所詮は、その程度であったか!」
高らかに笑うこの悪魔に、デルフィーノ中尉は応える。
「今どきの人間は、お前の力の比ではない。場合によっては、この帝都を跡形もなく消せるほどの力を行使できる。甘く見ないことだな」
「な……」
あっさりと中尉に論破される悪魔だが、この一言が彼女を発奮させる。
「何を言うか! 妾が最恐の存在であることを、思い知らせてくれる!」
カトリーヌはザバーンと湯船の中で立ち上がると、高らかに宣言する。
「ふっはっはっはっ! 実は先ほどから、妾の身体にはどういうわけか、力がみなぎり始めておる! これならば、そなたの魂などなくとも、妾の力を発揮できようぞ!」
「お、おい……それはどういう……」
急に不吉なことを言い出したこの悪魔に、少し焦りの色を見せ始めるデルフィーノ中尉。さっきまで宙に浮き、まとわりつく以外に何の力もなかったこの悪魔が、何故急に力を取り戻したというのか?
そんなことを考えている間もなく、悪魔カトリーヌは、奥の2人に右手を向ける。
「人の肌を黒く爛れさせ、熱と痛みにうなされながら抗えぬ死へ導く病、黒死病を振り撒いてやろう! 我が力、存分に食らうが良い!」
一瞬、その場の空気が凍りつく。風呂場から上がる蒸気が、パリパリと音を立てながら落下する。
そして、2人の士官の様子が変わる。
「ハックション!!」
くしゃみだ。2人ほぼ同時にくしゃみをする。だが、同じ場所にいるデルフィーノ中尉は、何ともない。
「……どうした?」
「はい……急に寒気が……」
「別に全身が真っ黒には……なっていないな。他に、変わったことは?」
「いえ、何も」
どうやら、くしゃみ以外には何も起きていないようだ。それを見たデルフィーノ中尉は、安堵する。
が、悪魔はまだ、諦めてはいない。
「お、おのれ! 我が術を受けてまだ平然としていられるとは! ならば、これはどうじゃ!?」
再び手に力を込める悪魔カトリーヌ。
「妾には、帝都一体を業火で覆う力があるのじゃ! その力、とくと味わうが良い!」
そう叫ぶ悪魔の右手の先に、大きめの蝋燭に灯した炎ほどの火が出現する。だがそれは、一瞬のうちにデルフィーノ中尉がかけた湯で消されてしまう。
「な……なんてことを……」
「おい、悪魔。これじゃあ帝都はおろか、この風呂場すらも焼き尽くせないぞ」
「そ、そんなはずはない! 妾は……」
ところがこの悪魔、さらに力を放とうと手をかざした途端、急にへたへたと倒れ込む。
「そ、そんな……力が、力がぁ〜……」
そのまま、悪魔カトリーヌは立ちくらみを起こしつつ、バシャンと音を立てて浴槽の中に倒れる。
「おい、大丈夫か!?」
2人の士官が、倒れたこの悪魔を抱き抱える。その腕の上で目を回したまま、うわごとのように呟く。
「お……お腹空いた……ど、どうなっておるのじゃ……」
それを聞いたデルフィーノ中尉は察する。さっきの悪魔の力の源は、昼間に食べたあの食事であると。
そして、食べることを知ってしまったこの悪魔は、空腹という感覚に目覚めてしまったようだ。つまりそれは、こいつはもはや食事なしには生きられない存在になってしまったということでもある。
「おい、悪魔」
「な、なんじゃ……」
「何か食わせて欲しいんじゃないのか」
「そ、そんなはずはない……わ、妾は帝都を恐怖に陥れる、最恐の悪魔じゃぞ……」
「ならばなぜ動けない? お前の意思とは無関係に、身体の方は食事を欲しているんじゃないのか」
「う、うう……」
「我々に対してこれ以上、悪さをしないと約束をするならば、お前に食事を与えよう。これが、条件だ。どうする?」
「うう……わ、分かった……」
で、悪魔を論破した中尉は、脱衣所でこの悪魔に服を着せて、ドライヤーで髪を乾かす。それを黙って受けるしかない悪魔。
どこの星にも、禁断の木の実を口にした人間が、その結果、覚えた欲望から逃れられなくなるという神話や言い伝えが存在する。
この悪魔も同様で、一度覚えた「食欲」から逃れられなくなったのだと、中尉は考える。
そしてこの瞬間、デルフィーノ中尉はほくそ笑む。
人間がこの悪魔に勝利した、と。




