#15 悪魔契約
「タルデッリ少将より打電! 『全艦、前進せよ』、以上です!」
総司令官からの命令に逆らうわけにはいかない。タルデッリ少将麾下三千隻は、前進を開始する。
徐々に艦隊から突出し始める我が分艦隊。それを、正面モニターの陣形図を見て把握する。
まさに、前回の追撃戦の再現が、行われようとしている。
それに対して、中尉にはもう抗う術がない。
「敵艦隊、砲撃を集中してきます!」
後退しつつある敵艦隊およそ一万隻の砲撃が、突出した3000隻にその多くが集中する。当たり前だ、向こうから見れば「各個撃破」のチャンス到来と捉えたからだ。
「砲火密度が上昇中! 反撃できません!」
「シールドで乗り切れ! 防御に徹せよ!」
横で艦長が半ば悲鳴のような指示を飛ばしている。砲撃しようにも、敵艦隊からの間断なき砲撃で、シールドが解けない。つまり、砲撃することが事実上、不可能な状態に陥っている。
「な、なんじゃさっきから! この不快な音は!?」
敵の高エネルギービーム粒子を、シールドのバリア粒子が反応しそれをはじき返す際に、まるでグラインダーで鉄やすりを削るようなギギギギッという不快な音が鳴り響く。砲撃音ですらも未経験のこの悪魔カトリーヌは、この強烈な不快音など知る由もない。それが先ほどから、立て続けに鳴り響く。
こうして、なんとかシールドを展開し、敵の猛攻をしのいでいるのが現状だが、その行く末をデルフィーノ中尉は知っている。やがてバリア粒子の尽きた艦から撃沈させられ、徐々に被害が増していく。前回の戦いではアンブロ―ジオ少将が独断で早期後退命令を出した。だから、被害は130隻程度で抑えられたのだが、それを「命令違反」としてサバティーニ大将は本星の軍司令本部に報告し、さらに自身が出した前進命令による被害の責任まで着せた上で、アンブロ―ジオ少将を更迭に追い込んだ。
となると、このままではやがて、タルデッリ少将麾下の艦隊に大損害が出かねない。その際に、後退命令を出さなければ被害は前回以上に拡大し、かといって独断で後退命令を出せば、今度はタルデッリ少将が更迭される。
進むも地獄、引くも地獄。究極の選択だが、進む方がどう考えても分が悪い。
「ま、まもなく、シールド維持限界、来ます!」
オペレーターの一人が叫ぶ。と同時に、通信士から通信が入る。
「デルフィーノ中尉! タルデッリ少将閣下より、直接通信です!」
来たか。デルフィーノ中尉は、すぐに応じる。
「分かった。そちらに向かう」
通信士と席を代わり、タルデッリ少将の上半身が映っている。その表情は、硬くて渋い。おそらく、覚悟を決められたのだろうと、デルフィーノ中尉は察した。
そんなタルデッリ少将が、重い口を開く。
『……貴官も知っての通り、すでに70隻近くが、敵の集中砲火を受けて撃沈された。このままでは、前回の二の舞だ』
タルデッリ少将も承知していたのだろう。すでにおよそ7000名の将兵の命が奪われたことを告げる。この時点で、すでに我々は無意味な損害を出し続けている。まだ多くの艦のシールドが健在だが、ある時点を過ぎた途端、加速度的に被害は増大する。
だから、タルデッリ少将はデルフィーノ中尉にこう告げた。
『これより、全艦に後退命令を出そうと思う。大将閣下は、前回は1000隻で、今回はその三倍だからうまくいくだろうと考えただろうが、どのみち一万対三千だ、結果としては、たいして変わらない。そもそも、突出して攻勢に出ること自体、意味がない。それゆえに……』
デルフィーノ中尉は、悔しかった。これではアンブロ―ジオ少将の二の舞であり、場合によっては第二のトラエッタ少将を生み出すことになりかねない。なぜにあの無能無策な大将の責任を、忠実で有能で、善良なる指揮官が負わなくてはならないのか? つい最近までテロ対策に身を投じていたデルフィーノ中尉でさえ、トラエッタ少将の気持ちを痛感することになる。
このままでは、今度はタルデッリ少将が更迭され、本星に戻されてしまう。そうなれば、遠征艦隊はさらなる人的損失を増やすこととなる。かといって、このまま踏みとどまれば、それこそ我が分艦隊は大損害を被り、数万もの命がこの漆黒の闇の、真っ白な矮星のそばで消えることとなる。デルフィーノ中尉は、タルデッリ少将の決断を支持せざるを得ない。
いや、待てよ。そういえば……そうだ、自分には思わぬ「切り札」があったことを思い出す。それは彼にとって、重大な決断でもあった。が、デルフィーノ中尉はタルデッリ少将に、こう告げる。
「お待ちください、少将閣下。5分間だけ、猶予をくれませんか?」
この言葉に、タルデッリ少将が戸惑う。
『おい、5分間とは、何をやらかすつもりだ? 何か、策があるというのか』
「はい、あります。ですがもしも5分経って何事も起こらなければ、後退命令をお願いします」
タルデッリ少将には、中尉が何を考えているのか分からなかった。が、5分間の間で、何かをするつもりだと悟る。
とはいえ、今は500隻の指揮権も持っていない。一体、何の策があるというのか?
だが、タルデッリ少将はデルフィーノ中尉が何の根拠や思慮もなく、そのようなことを口にする人物でないことを知っていた。と、その時、タルデッリ少将はふとデルフィーノ中尉の「現状」を思い出す。
そうか、デルフィーノ中尉は、覚悟を決めたのか。そう、タルデッリ少将は悟った。
『……分かった、貴官の、健闘を祈る』
事情を察したタルデッリ少将にとっては、苦渋の決断だった。だが、一方でそれに頼らねばならない事情もあった。後退を始めたからと言って、被害が起きないわけではない。だからこそ、味方の被害を最小にするデルフィーノ中尉の「決断」に、頼らざるを得ない。
数万、数十万の将兵の命を、守るために。
通信が切れ、中尉は席を立つ。そして、頭上に浮かぶ悪魔に向かってこう叫んだ。
「お前と、契約したい。俺の願いは、味方の分艦隊3000隻を無事、生かすことだ」
それを聞いたカトリーヌは、意外にもこう返す。
「おい! お前、分かっとるのか!? 魂と引き換えなのだぞ、お前は死ぬのだぞ!」
艦橋内では一斉に、この二人に視線が集まる。それはそうだ。デルフィーノ中尉が自らの命を捨てると宣言したも同然だからだ。
「そんなことは分かっている。だが、どんな願いでも叶うのだろう?」
「そ、それはそうだが、その場合、妾はそなたと二度と会えなくなってしまうではないか!」
おかしなことを言う悪魔だ。出会った直後ならば、何のためらいもなくその魂を差し出そうという中尉の言葉を嬉々として受け入れたことだろう。
だが、この短い期間ながら、寝食を共にし、互いの信頼関係を築いてきた仲だ。そんな相手との永遠の別れに、元人間であり、そして宇宙文明のもたらす物質世界に堕落した悪魔が耐えられるはずもない。
が、デルフィーノ中尉はこう返答する。
「何を言うか。永遠の別れなどにはならないぞ」
おかしなことを言う中尉に、悪魔は尋ねる。
「何を言うておる。死ねば、妾とお前とは二度と……」
「悪魔に魂を売った。となれば当然、地獄行きだろう。そして悪魔、お前だって永遠の命というわけではない、いつかはこの世から消滅する。そうすれば、やはり地獄行きだ。ならば、いずれ地獄で会えるじゃないか」
この士官の説いた半ば強引な屁理屈に、カトリーヌはその覚悟と自身への信頼とを知る。涙を流すその悪魔らしからぬ悪魔を前に、デルフィーノ中尉はこう告げた。
「契約のやり方を教えろ。時間がない」
それを聞いたカトリーヌは、こう答える。
「……血じゃ」
「血?」
「そう、お前の血を少し、妾に吸わせよ。さすれば、そなたより力を得て、妾の本当の力を発揮できる」
「そうか」
それを聞いたデルフィーノ中尉は、胸から勲章を一つ、外す。その安全ピンの先で、左手人差し指の先を突いた。血が、流れ始めた。
「準備はできた。さあ、契約だ。早くしないと、味方に犠牲が出る」
目には多くの涙を溜めた悪魔が、その目を拭い、そしてその左手の人差し指から漏れ出る血に吸い付いた。
「くっくっくっ……見るがよい、妾の本当の力を、ここに権限する!」
ドーンという、空気が変化したような思い低音が、艦橋の中で響き渡る。真っ暗な瘴気がこの狭い空間を覆い尽くし、カトリーヌから禍々しい声が響き渡る。
「ビスミッシャイターナティル アズィーマティ カトリーヌ・バートリー、ハッキク ウムニヤタフ ムカービラ ルーヒハー!!」(大悪魔、カトリーヌ・バートリーの名のもとに、その魂と引き換えに、彼の者の願いを成就せよ!)
次の瞬間、目を疑うような事態が発生する。艦橋内が、騒然とする。
『こちら砲撃室、しゅ、主砲が勝手に……』
「なんだ、どうした」
『勝手に発射態勢に入りました!』
「なんだと!?」
その会話のやり取りの間に、主砲が発射される。だが、吐き出されるのはいつもの青色の高エネルギービームではなく、漆黒に満ち溢れたどす黒い闇のビームだ。
それが、突出する3000隻の艦艇から一斉に放たれる。いや、湧き出したと言った方が正確だ。それらは青白い敵の放つビーム光をも捻じ曲げた上に、その艦隊中央に降り注がれる。
強烈な光の球が、いくつも現れた。見たこともない爆発光に、デルフィーノ中尉をはじめ、艦橋内にいるすべての乗員が驚愕する。
艦隊の半分ほどを埋め尽くす、驚異的な光だ。通常の砲火では考えられないほど大規模な爆発だ。
「な、何が起きている!?」
「分かりません、レーダー探知、不能!」
「なんだと!? 敵からの砲撃は!」
「途絶えました! あちらも同様に、あの爆発光でレーダー探知と光学探知を封じられているものと思われます!」
想像を絶する光だ。これが、最恐の悪魔の力というわけか。大言壮語とばかり思っていたが、予想以上のその力を前に、デルフィーノ中尉は恐怖した。
が、同時にこれは、彼の人生で最期に見る光景であることも、自覚していた。
だが、おかしい。
魂と引き換えに、あの強大な攻撃を行ったはずだ。にもかかわらず、まだデルフィーノ中尉は生きている。
「レーダー、回復します!」
その間にも爆発光が消え、レーダーが回復しつつあった。
そして、レーダーの映し出したカトリーヌ・バートリーの力の凄まじさを、皆が目の当たりにすることとなる。
「て、敵艦隊、およそ4000隻以上、消滅……」
半数近い敵艦隊を、3000隻から放たれたあのたった一撃の禍々しい黒いビームによって消滅に追い込んだ。こうなるともう、敵には組織的に抵抗する能力は残っていない。
大混乱の中、敵は反転し、全速離脱を図る。一方の味方も、追撃戦どころではなかった。先行するタルデッリ少将麾下の3000隻はすでにシールドを使い果たしかけており、後方の残り7000隻は、目の前で起きた事象の理解が追い付かず、前進を躊躇っていた。
味方を救うために、40万以上の敵将兵を犠牲にしてしまった。これは地獄の底の底まで、堕とされるに違いない。
が、一向にデルフィーノ中尉に変化はない。左手人差し指の血も止まり、ごく普通に身体が動く。
その代わりに、変化が起きたのは、あの悪魔の方だった。
どさっという音と共に、デルフィーノ中尉の横に何かが落ちてくる。
そこにいたのは、やや浅黒いものの、人の姿をした者。そう、ついさっきまで尻尾を生やし、頭上に角をもっていたあの悪魔、カトリーヌだ。
が、今そこにいるのは、角も尻尾もなく、全裸の状態で倒れ込む、ごく普通の人間の姿だった。




